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【巻頭言】 |
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G年金・運用業界の
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八木 隆一 |
資産運用の世界では日々厳しい競争が繰り広げられている。運用機関の運用プロフェッショナルは、より高い成績を挙げるべく企業調査と投資アイデアを磨き、また能力の高い人材には驚くような高い処遇が提供される。ところが、これを見る年金スポンサーの目は醒めている。宣伝文句で採用した運用会社の実際の成績に裏切られ、辿り着いたのは諦観の境地。市場の効率論を座右に、成績順位がめまぐるしく変わることを示す、いわゆるスバゲティ・チャートを眺め、良い運用会社を選ぶのは至難の業と、無駄な努力は避けようと一歩引いた姿勢も見える。
日本の年金業界と運用業界を俯瞰し、アクティブ運用競争の先を考察してみたい。
ここに優秀な運用会社がある。この会社は、良好な成績を長期にわたり収めてきたことにより、ブランドネームを確立し、十分な運用資産規模を築き上げ、ビジネス的にも成功し安定した収益を稼いでいる。成果を生み出す優秀な人材には高い報酬で報い、人材の安定が確保されている。運用プロフェッショナルは他社を上回る運用成績を挙げることにプライドを持ち、この会社で自らの得意とする運用手法の研鑽に日々努力を惜しまない。これがまた良い成績を続ける原動力となっており、好循環=良好な状態を持続させるある種の均衡が存在する。勝ち組に属する運用機関は、すべてこのような特徴を持っている。
ここにもう一社運用会社がある。ひと通りの資産額はあるが、成績低迷を理由に解約も出ている。最近数名運用人材がヘッドハントされ退職した。成績不振の説明に営業担当者の対応では間に合わず、運用担当者も客への説明で時間を取られている。状況打開を図る努力が続いているものの、どことなく沈滞ムードが漂い、会社全体としても士気があがらない。これはきわどい状況であり、外資系であればちょっとしたきっかけで、モチベーションの低下、人材の流出、運用成績の低迷、資産の流出と悪循環に陥りかねない。国内系であっても、以前のようにグループで雇用を守り、顧客との関係を維持しようという考え方が希薄になりつつある現在、運用者個人個人の意識は「会社を背負って立つ」というよりも、自分で雇用を探し出す方向にシフトしてきている。国内大手運用機関であっても、まかり間違うと否定しきれなくなるシナリオである。
実際には、ほとんどの運用会社はこれら二つのタイプの中間にあるグループに属する。そしてこのような運用会社は、長所と短所を併せ持ち、その長所・短所のマネジメントの巧拙で業界の位置付けが上下する。これらを個別に見ていくことはたいへん興味深いのだが、ここではいくつかの類例を見てみよう。
第一のタイプは過去良好な成績を収めていた運用機関が何らかの理由により運用成績が平均並みあるいは平均以下に下がった、成績悪化・雌伏型といったものだ。優れたカルチャーを持ち好循環にある運用会社が良好な成績を続け、業界での評判が高まると、結果として資産が急速に増加する。しかし、増加した資産に対応するためにファンドマネジャーの増員や、小規模だった会社を組織化することにより、カルチャーの希薄化が生じ、これまでの運用の好循環の基盤が徐々に崩れていくのだ。あるいは、池の鯨のように増加しすぎた資産が、市場そのものを動かすことになり、得意とする調査・運用手法では収益が上げられなくなることもこのケースに入ろう。
成功の過程における攻めに強かった組織だけに、優れたカルチャーのベースが完全に消え去ることはない。そのカルチャーの源泉や、時代の変化に即した適切な対応ができるかどうかがこの会社が勝ち組にカムバックできるかどうかの決定要因である。
第二のタイプはグループ依存型である。これは必ずしも日本固有のタイプではない。「依存」という表現が不適切ならばグループ至上型といってもいいかもしれない。金融グループの多角化のために運用業界に参入し、資本の力と親会社のブランドを背景に活発な営業活動を展開して資産額を積み上げる新興勢力や、大手金融グループの子会社としての歴史を持つケース、さらには買収を繰り返して短い時間で陣容・資産を急速に伸ばす会社などがある。このタイプの課題は経営哲学・経営戦略である。親会社の人事・経営戦略に左右され運用を理解しない経営陣や、短期間で初期コストを回収し黒字化するために営業のみに力を注ぐ会社、年次の関係で運用チームのリーダーに運用経験の少ない人を送り込むケースなど、課題はいくつも見つかる。このタイプにはリスク管理に重点を置いて、平均点より少し上を目指す運用を心がける運用会社も多い。しかしこれは言うは易く実行が難しい典型だ。市場参加者のうち下位グループにあるものは徐々に脱落し、また中間グループの多くが、類似した手法により同じような目標で競い合っている中では、業界の平均水準は常に変化し続け、より高い目標を掲げることなしに平均以上を達成し続けることは不可能である。
このタイプの運用会社にとっての本当の課題は、自らのポジションを定義し、組織全体での共通意識の上で、そのポジションに見合った運用結果を出すことを最重要と捉えるカルチャーの樹立である。また、そのカルチャーをすでに築き上げている場合は、それをいかに具現化し続けるかが、勝ち組に近づく条件となろう。
第三のタイプは数は少ないが、場合によると急速に成長する可能性を持つブティック型である。経験を積んだ運用者やチームが独立するケース、社内の資金を運用していたチームが外部の資金の受託を開始するために運用ビジネスを展開するケースなどである。このタイプの課題を一言で表現すればビジネスの確立である。市場のニーズに合う商品の開発、報告・サービスなどのインフラの確立、顧客の獲得である。また、小さいチームであるがゆえに、大手運用機関と対抗するには特色を持つ必要がある。通常は運用成績である。いくらでも大手の「平均的」運用会社があるなかで、新参者が平均的な運用成績を挙げたからといって誰が注目するだろう。そのためには、高いリスクを取る必要があり、収益の変動は往々にして大きい。初期段階で(運良く)顧客が期待する運用収益を達成できるかどうかは、重要である。一般に年金スポンサーは冒険を好まない。業界での認知の低い運用会社に委託して、失敗することを避けがちである。極論をいえば、冒険し大成功を収めるよりは無難な選択で小さな失敗をするほうを選択する。この安全主義を打ち破るほどの成績を挙げられるかどうか。ブティック型は、運がなければ離陸することも出来ずに、ビジネスが立ち上がる前に息切れするリスクもある。
これら中間グループの会社は、顧客からの信頼が絶対磐石ではない点が共通している。運用成績がよければ契約は続くが、悪ければいつ打ち切りになるかわからない。運用チームのモチベーションも安定しているとは限らない。成績により、年金契約残高により、または他社からの誘いによって、悩みが生じ自信が揺らぐこともよくある。
いかにもわかりやすそうに思えるこれらの分類だが、ある運用機関を外部から見て、分類のどこに属するかは、わかるようでわからない。第一の理由は日本においては、資産運用業自体の歴史が浅く、各運用機関の内部組織も、対外的な位置付けも変化し続けているためだ。業界での優位を築き上位グループに属していたと思われた運用機関が、他社の運用体制充実による追い上げにより、いつの間にか平均集団に取り込まれるといった例である。もう一つ重要なのは運用機関における変化が既存顧客に情報として伝わり、その情報が顧客において正確に理解され、顧客による契約等の意思決定・行動として表れるまでに数年単位の時間がかかるためである。つまり、内部の変化が外部から目で見える契約資産額のような形になって、客観的に現れるまでに生じる時間的な遅延の存在である。
物理学の世界でも経済の世界でも、原因と結果のあいだに時間的な遅延が存在すると、振動あるいはサイクルが発生する。安定的な定常状態が理論的、あるいは十分に長期においてはあり得ても、現象として上下の振幅が発生することになる。しかし、これもより長期の視点あるいはより大きな視点で見ると、振幅の幅と周期が一定したダイナミックな安定状態を示すことも多い。
これを資産運用の世界について見ると、ある運用会社の評判が高まると(あるいは運用成果向上、営業・宣伝活動の強化、新商品投入などがあると)新規契約が増加し、資金が流入する。すると、その資産増が実績と受け止められて、その安心感からさらなる資金を引き付ける。運用成績などの実体を伴う場合にはこの増加は長く続き、結果が期待ほどでない場合には比較的短期でこの流れが止まる。いずれにせよある時点で資産残高サイクルのピークを形成することになる。往々にして投信などの個人資産のように販売努力が影響する分野ではこの振幅は短く大きくなる。年金運用資産においてはまだ歴史が短く検証はこれからだが、いくつか見られる事例からは、振幅は数年単位と長いが振れ幅は決して小さくはないことがうかがわれる。
しかし、業界全体で見ると運用機関それぞれが努力を繰り広げ、限られた勝ち組以外は常に競争にさらされている。中間グループに属する運用機関は実は最も厳しい競争にさらされており地位を上げる会社と下げる会社が後を絶たない。しかし、それぞれの短所と長所が作用しあって、決定的に上に抜ける会社、下に抜ける会社は少ない。中間グループ全体として見ると、ここにはマクロ的な均衡があるといえよう。
年金スポンサーは資金の委託者として、この事実を踏まえどのような選択肢が可能なのだろうか。年金スポンサーの中にはあたかも運用業界の外からの観察者であるかように考える向きもいるが、実は運用業界のマクロの均衡を作り出す重要な、メインの担い手なのである。
その認識なしに、選択肢を考慮することは、積極的に運用会社を選択しているつもりが、実際には意図して作られた情報や、すでに使い古された情報で意思決定をしている危険すらある。投資理論で武装していたつもりが、それが過去の統計から導き出された結論にすぎない場合、平均的な年金、平均的な運用会社、平均的な年金運用手法の後追いをする結果となる。投資理論と統計で説明(=言い訳)のできる、サラリーマン的な意思決定を行っていることが、年金業界の中間グループへ自らを閉じ込める結果となっているリスクは否定出来ない。
アクティブ運用を諦め、最近流行り(?)の運用のパッシブ化することはどのような結果を生み出すだろうか。運用業界を改めて俯瞰してみよう。市場が「効率的」ならば、アクティブ運用会社の半分は市場平均を上回り、残り半分は下回る。しかし運用会社は、効率的市場においては情報の優位が存在しないため、個別銘柄の投資収益を安定的に予測できず、ある期間に市場平均を上回っても、次の期間に市場平均を上回るか下回るかは50%の確率になる。理論ではそうなるはずである。
しかし現実はどうであろうか。勝ち組を採用していた年金は運用成果に満足しているので、より良い運用を求める方向に意識が働くためパッシブ化しようという考えは却下される。「金の卵を生むニワトリを捨てる」理由がない。もっとよい運用機関を探し出そうと正のフィードバックすらはたらく。一方、運用をパッシブ化しようとしている年金においては運用結果が思わしくない運用機関を、解約してパッシブ運用に置き換えようとしていることが容易に想像される。すなわち、現在採用している運用会社が勝ち組ではないことが、そもそもの原因である。この結果下位、あるいは中間グループに属していた運用機関でたまたまその時期に成績が思わしくなかったものが解約されることになる。これは運用業界における淘汰を促進することになる。
一方、運用手法に占めるパッシブが増えることで市場に何が起こるか。株価が毎日ダイナミックに動くことは誰も否定しない。割安株や成長株は明らかに存在する。しかしパッシブ運用においては市場の効率性を前提とする。すなわち、割安な銘柄や高い成長のある銘柄を、そうでない銘柄と区別することも、そのような売買も放棄する。このため割安な銘柄は割安のまま放置され、より高い成長性を持つ銘柄も会社が業績を発表するまで気づかれることなくそのままの株価で放置される。このため市場における非効率性が拡大し、勝ち組グループにとっては独自のリサーチにより人に知られる前にそのような銘柄を買い集め、情報が徐々に拡散し広く知られるころにはすでに運用収益を上げているという理想的な環境となる。その結果、運良く勝ち組運用機関を多用していた年金は、それらの運用機関の収益が向上することによるメリットを享受する。
また、数多くの運用会社が存在する中間グループでは、多数がひしめくリスク水準の比較的低い類似した運用手法を持つ会社が、淘汰により減少する。そのため、「中間グループ手法」というものが存在するとしたら、その手法からの収益もより高くなる。結果的に中間グループの運用収益もまた上がり、中間グループを多く採用していた年金ですら運用成績の向上が期待できる、ように思える。
さて、このロジックに誤謬はないのか。実はある。前半の類似した運用手法の競合が減る点では正しいが、中間グループ運用機関の付加価値全体が向上することはないのである。このグループの定義自体が、勝ち組ほどの絶対的な収益源や運用手法などの優位性を持つには至らない運用機関である。競争において下位グループが退出しても、残った運用機関の運用成績の真ん中が市場平均であれば、全体の半分は市場平均に勝てないという事実には変わりはない。20%の怠け者アリを排除して、働き者アリのみにしても、そのうち20%は怠け者になるのと同様に、競争に敗れた運用機関が退出しても、残った運用機関は(決して怠けているわけではないが)20%アリにならないための競争の中で、常に厳しいポジション争いをしていることに変わりはない。結果として、中間グループの運用成績の格差が広がるであろうが、平均を上回るものと下回るもの比率は変わることはない。
アクティブ運用会社の選択に自信の持てない、中間的な年金が運用内容をパッシブ化することは、結果として勝ち組運用機関を採用する勝ち組年金を利することになるのだ。
それでは勝ち組運用機関の地位は磐石か? 事業会社においては、決定的な優位を確立し、業界のドミナンスを達成した会社は、すべてその瞬間から没落の道を歩む。攻めに強かった会社も守りに入った瞬間から企業のカルチャーの変質、変革の必要に直面する。自分自身が市場となり、シェアの拡大の余地がなくなった企業は市場を広げるか、他の市場へ進出するか、自らの古い商品と競争し新しい商品を売り出すことによりチャレンジとドミナンスを続けようとするかもしれない。
勝ち組運用機関にもそのような選択肢はあるのか。顧客層を広げ、他の国の年金市場へ進出し、自らの過去の製品を上回る(運用成績を挙げられる?)商品を作り出すのであろうか。一部はそうするであろう。しかし大部分は、勝ち組運用機関ですら、急速なビジネスの拡大による運用カルチャーの拡散・変質を免れることは出来ない。
仮にそのような試練を乗り越えてさらなる資産の拡大に成功したとしても、限界は他にもある。運用市場の制約だ。運用機関それぞれの運用手法は、市場の特定の非効率性を見つけ出すことにより収益を創出する。運用規模がその非効率性の規模に近づくにつれ超過収益は縮小し、ある一定の段階で、その運用手法の効果は失われる。
80年代に米国で「小型株効果」が発表された。すなわち、規模の小さい株式銘柄は調査分析している証券会社や運用会社のリサーチ・アナリストが非常に少ないため、本来あるべき価値よりも安値で放置されていた。このため、小型株に投資することによりリスクなしで継続的に収益を上げることができるという内容だった。この論文に触発されて多くのアナリストが割安小型株の発掘に力を入れた。この結果、それまでそのような職種がなかった証券会社や運用会社にも小型株アナリストが配置されるようになり、数多くの小型株ファンドが組成された。もともと小規模な市場にあった、人が知らないために存在した、継続的に収益が得られるような非効率性は、白日の下にさらされ皆の知るところとなり霧のように消滅した。
勝ち組運用機関が恐れるべきは、自らの運用手法を超えた資産の受託であり、運用成績を聞きつけた年金スポンサーからの委託の殺到であり、資産受託増加により運用会社としての受託報酬の拡大を迫る経営陣である。あるいは、その運用手法を盗み出し、コピーし、改良することにより、成功に続こうと必死になっている中間グループの運用機関である。
一部の事業会社がドミナンスを築いた後にもその成長続けるように、ごく限られた運用会社のみが、大量の流入する資金を運用する方法を作り出す。そうでない運用機関は一時期上位グループにあっても、この段階で能力の拡散、超過収益の崩壊の壁にぶつかり中位グループでの競争の中で浮沈を繰り返す。この重要なビジネスリスクを知る運用者は規模の利益を追求しない。
そして、この重要さを知るスポンサーは、運用会社の情報をプロテクトし、その重要さを知るコンサルタントは自ら作り出した貴重な情報の価値を崩壊させるリスクを冒してまで、情報を拡散させるようなことはしない。
ここに、ある勝ち組運用機関の能力を高く評価するコンサルタントがいるとする。そしてその追求する非効率性での運用可能な資産規模を理解しているとすると、このコンサルタントにとってその情報の価値はどのようなものになるか。無制限にその運用会社を推薦しその運用会社が付加価値を使い尽くすことを加速させるのは、そのコンサルタントの調査にかけた貴重な時間(=コスト)の回収を不可能にする。
ましてや、運用会社の評価を無料で公表したり、低い対価でその情報を提供し運用会社の付加価値が使い尽くされることを容認することなどは、おそらく破滅的な戦略といえよう。さらに、それは正当な対価を支払い、そのコンサルタントを雇っている年金スポンサーにとっては、その運用会社を採用するプロセスに費やした時間を無価値にさせる背信行為である。
そして、優秀な運用会社を見つけ出す能力は業界でも限られる。ちょうど運用機関の非効率と同じように。コンサルタントもある一定以上の市場に影響を与えるようになると、その付加価値は徐々に、拡散し明確な優位は表れなくなり、その効果が疑われるようになる。運用会社にとって規模の拡大が両刃の刃であるように、付加価値を追求するコンサルタントにとって規模のドミナンスはその存在を危うくする。
資産運用は市場を相手にするビジネスである。資本市場とオーバーラップする形で運用機関も全体としては市場を形成する。そして、年金スポンサーも、コンサルタントもまた市場を形成しているのだ。自らが作り出す情報や、自らの選択・行動自体がまた市場である。そしてその世界においては、先進性と共に差別性こそが収益の源泉で、業界平均に追随する行動を至上のものとすることは、自らの尻尾を盲目的に追いかけることにほかならない。誰もが聞きなれた耳に心地好い投資理論による(結果としての)市場協調行動やありきたりの業界順位(=規模のドミナンス)を求めた代償として、自らを池に追い込み、死を待つ鯨となるか。きびしい競争と試練を自らに課して、大海原を泳ぎつづけることを選択するのか。