【巻頭言】
USモデルの破綻から学ぶ
日本モデルの再構築

1.
ネオ・ジャパン・モデルの必要条件
日本企業の何を変えればよいのか

2.
グローバル・ガバナンス
「グローバルで勝つ」ための
ガバナンスとは何か

3.
成長と進化を引き出すガバナンス

4.
ベンチャー企業の
ガバナンス・ストラクチャー
米国モデルを超えられるか

5.
M&Aにおける
ファイナンシャルバイヤーの
役割デザイン

6.
パブリックセクター・ガバナンスの
新展開
検証メカニズムから人材マネジメントへ

7.
グレイターチャイナにおける
勝ちモデルは存在するか
社会文化的ガバナンスモデルの
一考察

8.
コーポレート・ガバナンス
ヨーロッパの文脈

9.
年金ガバナンス再考
新しい時代を切り開く条件

【ヒューマン キャピタル ゼミナール】
神としての資本と、
資本の支配の正統性

【コンピテンシー ゼミナール】
組織同一視からの開放が
個の力を向上させる

.

グレイターチャイナにおける
勝ちモデルは存在するか
社会文化的ガバナンスモデルの一考察

 

鈴木 康司

 

片桐 一郎

 中国のWTO加盟について、日本国内では様々な議論がなされている。論点としては、日本もしくは日本経済(企業)に対する「脅威」「インパクト」がメインであり、いわば、日本を「守る」ための視点が中心になっている印象は否めない。
 中国・香港・台湾・シンガポールといった、グレイターチャイナは今後ますます結びつきを強化し、一つの巨大な経済圏として確立する方向にあることには間違いないだろうが、グレイターチャイナの現状を見てみると、そこに存在する企業には様々なモデルが存在していることがわかる。
 一時期は、グローバルスタンダードという名の下に、いわば、英米を中心としたアングロサクソン・モデルが注目されてきた。しかし、世界全体でみると、各国・各地域の歴史・文化は多種多様であり、そこに住む人間の価値観も多様である。本稿では、グレイターチャイナにおける企業モデルと日本の企業モデルを比較しながら、21世紀に勝ち残るアジア型企業モデルのあり方について考えてみたい。なおグレイターチャイナには、欧米企業が進出に際して持ち込んだアングロサクソン・モデルも存在するが本稿では取り上げない。

チャイナタウンモデル(客家モデル)

 香港・九龍、台湾・台北のメインストリートには、道に張り出すように、おびただしい看板が目につく。多くは、個人商店が軒を連ね、しかも、狭い地域に、同業者が横に並んでいるケースも多い。実際、台北市内を歩くと、至るところに、日本でよく見るコンビニエンスストア、ファーストフードレストランや、あるいは、専門商店(貴金属店・漢方薬局・書店等)が軒を連ねていることが印象深い。日本人の目からすると、これだけ近くに同業者が商売をしていて、果たして儲かるのか、あるいは、マーケティングはどうなっているのか、疑問にすら思うことがある。
 しかし、しばらくしてから同地を再び訪れると、実際には、そうした商店は、次々に変わっており、変化のスピードは実に激しいことに気づく。
 また、街中には、「○○兄弟社」という看板もよく見られる。初めて目にしたときには、世の中には仲の良い兄弟がいるものだと、ほほえましい印象すら与える。
 このように、香港・台湾においては、同一業種の企業(商店)が集まった、いわば「専門街」が見られる。そして、その多くが、家族経営・同族経営であることがわかる。同様のことは、タイ・バンコク、マレーシア・クアラルンプールのチャイナタウンにも見られる。香港・マカオ・台湾以外で世界には約3500万人の海外華僑(華人)が活躍し、その75%以上はアジアに居住している(図1)。彼らの経済面での貢献は大きく、タイやインドネシアの主要財閥のほとんどは華人系である。
 これらの企業の特徴は次のように定義つけられるであろう。
●主に家族・同族経営が中心
●中小規模で、商業もしくは工業(製造業)が中心
●ニッチ分野に特化するケースもあるが、多くはブーム(流行)に乗って
 商売の業容すら変革するスピードがある(変わり身が早い)

 このようなチャイナタウン・モデルの原点は、客家にあるのではないかと考えられる。客家とは、本来は「お客さん」の意味であり、黄河流域から、経済の豊かな中国南部地域に移住した人たちを指す。中国以外のマレー半島等への移住者の多くも客家であると言われる。

図1/海外華僑の国別分布(香港、台湾、マカオを除く 1999年)

 客家は、経済的豊かさの追求、戦争からの回避等、様々な理由はあろうが、一族の結束が強く、独立心旺盛で、異国の地の脅威から身を守るため家族・同族が身を寄せ合い、たくましく生きた人たちであると言われる。
 その原型が現在のチャイナタウン・モデルに脈々と引き継がれているのではないかと考えられるのである。

 チャイナタウン・モデルにおける人材マネジメントの特徴は、一言で言えば、「人事制度が未整備である」ということに尽きる。基本的に家族・同族が経営を行い、そこにいる社員はいわば「使用人」的な色彩が強い。したがって、経営者が個別に人事・給与等を決定しているため、制度化する必要性がなかったとも言える。一方、社員の意識として、同じ企業にいるよりも、「今以上に高い給与」を目指して転職を繰り返す傾向が強いため、概して人材の流動性が高い。その結果として、チャイナタウン・モデルの各企業では、人材の「育成」について、あまり熱心ではないと言われる。

 チャイナタウン・モデルにおいて、会社とは経営者でもあり、資本家である「家族・同族」の「もの」と言える。  何よりも、中小規模であることから、自由自在に企業の形を変え、たくましく生き残ることができるモデルであると言える。

 しかし、この強みそのものが、チャイナタウン・モデルにおける最大の弱点であるとも言える。それは、経済基盤の弱さと言わざるをえない。機を見るに敏感で、ブームに乗るモデルである以上、ブームが過ぎ去ったときに、いかに「次」を見つけるかが課題になる。こうしてみると、チャイナタウン・モデルを継続していくには、「後継者の確保」が何よりも重要であり、しかも、「後継者」には、家族・同族あるいは社員の生活を守り、同時に、時代に敏感で商売を柔軟に変化させる力が求められると言えよう。

ダイナスティー・モデル(王朝モデル)

 チャイナタウン・モデルが「客家」を原点とした企業モデルとすれば、中国本土や香港・台湾に見られる巨大企業は、ダイナスティー(王朝)・モデルと言うことができる。
 強大な権力を持った「皇帝」(あるいは、カリスマ的な経営者)とその直属の部下である高級官僚、さらにその部下の社員といった、ピラミッド型の巨大な組織モデルである。とりわけ、中国本土においては、歴代王朝の「皇帝」に代わり、「国家」「政党」がその「皇帝」の地位についているとも言える。
 ダイナスティー・モデルの特徴は以下に要約できよう。
●象徴としてのカリスマをトップとした巨大な企業
●巨大な資本をバックとして、規模の経済を追求する
●メインのビジネスを中心として、市場の独占を目指す
●官僚が被支配者を厳しく管理する

 そこにおける人事制度は、官僚機構を維持・管理するために、精緻な資格体系(地位・序列)が整備され、安定雇用は保証されているようではあるが、社員に対しては労務管理がメインになっている。一部の中国(本土)企業においては、年功的な要素に加え、上司との人間関係や「コネ」といった要素によって昇格がなされると言われる。
 経営者には絶対的な権力があり、経営者からの指示・命令の下で組織が動く、このダイナスティー・モデルは、中国の歴史における王朝が、企業に形を変容させたモデルであると言っても過言ではあるまい。この企業モデルにおける会社とは、経営者(国家? 皇帝?)と、経営者の覚えのめでたい一部社員(官僚?)の「もの」と言うことができまいか。
 このモデルの最大の弱点は、絶対的権力を有する「経営者」に対する牽制ができない点にある。市場が衰退・縮小し、巨大な組織を維持(社員を養う)することができなくなり、同時に、組織が硬直化し、ピラミッドの根底から不満が噴き上がるような状態があるとすれば、それはまさしく、王朝の末期的症状である。そこで、経営者自らが変革を起こすことも可能であろうが、概して、そのような末期的症状まで放置した経営者に変革を起こすパワーは残っているとは考えられない。内なる変革ができない以上は、「革命」を起こし、「革命軍」による「既存王朝」の徹底的な「破壊」が必要になるのではあるまいか。皮肉なことに、このような革命軍が次の王朝になるという歴史を中国は4000年にわたって繰り返してきた。   1949年の建国以後半世紀弱は共産党独裁の計画経済という「共産王朝」が続いたが、90年代に「社会主義市場経済」というパラダイム転換が起こり、最近の経済は外資も含めた群雄割拠状態を呈している。
 現在、中国本土の国営企業では、従来の国家からの統制から、国家と企業とを切り離す動きが急速に広まっている。しかし、旧態依然の経営者の下で運営されるケースが多いことを考えると、末期的症状に至る前に、内なる外科的手術が必要になることは必須であると思われる。
 また民営企業の新しい経営者も表面的には近代経営の衣を被りつつ、その血にはダイナスティー・モデルを志向するDNAが眠っているかもしれない。そうすると企業としての持続性は疑問となる。

ビレッジ・モデル(村落共同体モデル)

 実のところ、上記二つのモデルは日本国内にも存在する。江戸時代における大坂・船場の商家は「チャイナタウン・モデル」と言えるし、カリスマ経営者による巨大企業は「ダイナスティー・モデル」と言える。また、東アジア地域(とりわけ、韓国や戦前の日本)に見られる「財閥」については、コーポレート機能に関しては、地縁・血縁的な少数精鋭のチャイナタウン・モデルであろうし、コーポレートの傘下企業はダイナスティー・モデル、というように、複合モデルの典型例であると言える。

 しかし、日本国内には、上記とは異なるモデルが存在する。それがビレッジ・モデルである。
 その起源は、農耕を中心とした村落共同体であり、そこに流れる思想や価値観は、江戸時代に形成されたものとも言え、それが現在まで連綿と続いていることを考えると、その連続性・継続性の高さには驚かされる。  その特徴は、次の通りである。
●均質化された社員の集団(純潔が中心であり、異分子の侵入を
 拒否する傾向が強い)
●組織に対する忠誠心が求められ、協調性・規律性が重視される
●集団で意思決定を行い、連帯責任体制がメイン(連座制)
●社員の中から選ばれたリーダーが統率し、温情主義
 (パターナリズム)が特徴的である

 ビレッジ・モデルにおける人材マネジメントの特徴は、長期雇用にある。組織の一員となった社員に対しては、人材育成に注力し、組織内の価値観を共有することが求められる。
 結果(農作物)については、基本的には全員でそれを享受し、悪天候によって結果が思わしくない場合には、全員で痛み分けをする。
また、外部からの人材を取り込むことなく、内部人員だけで運営していくため、ローテーション・システム(村落共同体における特定役職の当番制)が発達している。
 組織に順応し、その価値観に沿って行動する社員に対しては、年功序列で温かく報いる一方で、組織内においては、「掟」が存在し、それを破ったものに対しては、見せしめとして「村八分」といった厳しさも存在する。

 この企業モデルは、上記二つのモデルとは異なり、「静的安定性」が特徴でもあるため、組織の人員や体制を急速に拡大していくことは難しい。計画的かつ漸次的に規模を拡大させるとともに、規模を拡大させることができると言える。
 逆に言えば、内部に確実に「蓄え」をしている分、安定感があり、(周囲の環境が変わらない限り)確実に成長していくことが期待できる。

 ビレッジ・モデルの場合、会社とは誰のものであろうか? まさしく、村落に居住する住民(経営者を含めた社員)全員のものであろう。組織としての価値観・掟が浸透し、ローテーションという、いわば内部牽制・内部からのガバナンスが機能していたモデルと言える。
 では、ビレッジ・モデルの最大の弱点は何であろうか? それは、何よりも、「変化」であろう。
 これまで脈々と培ってきた「伝統」「価値観」を覆すような「変化」が生じた際に、突然、「変化に対応」するように期待しても、「変化」を拒絶する傾向が、どのモデルよりも強いのではあるまいか。
 また、「外部」に対する警戒心も強い。ダイナスティー・モデルであれば、「外部」が、自らの王朝に従順であればそれを取り込む柔軟性はあろうが、ビレッジ・モデルの場合は、外部によって、集団の価値観が破壊されることを極端に恐れるかのように、「内」と「外」とを区別する傾向が強い。

 ここで、ビレッジ・モデルを否定する気は毛頭ない。経営者ではなく、社員という視点に立った場合、ビレッジ・モデルは非常に温かみがあるモデルであり、安心して生活を送れるモデルなのである。

「勝ちモデル」に変容するための新たな模索

 では、グレイターチャイナや日本における、これらの企業モデルは、今後、どうすべきなのか?
 本稿では、21世紀に勝ち残る企業モデルになるため、「外部による牽制機能を入れよう」といった単純かつ一般的な議論は避けることにしたいと考えている。
 当然のことながら、ガバナンスという観点で、内部・外部からの牽制・チェック機能が不十分な場合は、それを強化することは不可欠であろうが、それは単なるインフラ整備にすぎない。
 企業としての競争の源泉を持つことが何よりも重要であり、その議論を抜きにして、ガバナンスとかコンプライアンスといった、インフラ整備に力点をおいても、競争力強化にはつながらないのである。

 昨今は、資本を持つものによるマネーゲームに翻弄され、短期的利益を指向する傾向がますます強くなってきている。そこに追い打ちをかけるように、「成果主義」の名の下に、社員に対して短期的業績重視指向が強要されている。
 グレイターチャイナや日本を含めた国々においても同様の傾向は見られる。しかし、これまで培ってきた企業モデルを放棄したのでは、自らの存在基盤すら否定することになりかねないと危惧している。
 また欧米型のコーポレート・ガバナンス構造として、社外役員の導入や報酬・指名委員会の設置が進められているが、これは形式の話であって本質的な解にはならない。何よりもこの形式を持っていたアメリカ企業であるエンロンが、一握りの人材のマルファンクション(誤動作)によって大きな損害をもたらしたことがそれを証明している。これを単なる経済犯罪ととらえてはならず、だからこそアメリカは躍起になってアナリストや監査法人のあり方についての見直しを進めているのである。

 では、今後、アジアの企業モデルにとって、何が重要になるのであろうか? アジア的なとらえ方をすれば、欧米的なガバナンス構造という「形」よりもそれを動かす「精神」に着目したい。
 上述の三つの企業モデルは多様であり、それぞれの成立の過程を考えると一見、共通点がないように見える。
 しかし、共通点とするポイントとしては、「実力」さえあれば、「上」に上がれる、という点にあるのではなかろうか。欧米のように社会的階層と企業の階層が固定的に連動しているのではなく、アジア的混沌の中では、一部の国を除き、誰にでも相対的に広い機会がある。欧米企業のように、職務という名の下に、「仕事」の枠にはめ込む思想ではなく、グレイターチャイナ・モデルは、人間の可能性を前提としたモデルと言うことはできまいか。

 さらに言うと、これらのモデルの根底に流れる価値観や思想にこそ共通点があるのではないか。一つの仮説としては、東アジアの精神・文化に広範に影響を及ぼした「儒教」的な発想・思考にあると考えられる。とりわけ、先が見えず、混迷を極めている今だからこそ、原点に立ち返り、そこから新たなヒントを得ることが、競争力強化の鍵になるのではないかと考えている。
 儒教というと、江戸時代以降、時代時代の為政者によって、その統治の正当性を証明するための学問として位置づけられてきた面もあったため、旧時代的な印象が強いのも事実である。しかし、その内容を額面通りに読んで見ると、実に示唆するところが大きい。
 皆さんもご存知の通り、論語には、次のような内容が含まれている。

 「人間は大きな可能性を持っている。その可能性を信じて、可能性を生かす方向に進まなければならない。しかし、それとともに、人間は多くの限定をもっている。限定をもっている、ということをしっかりと自覚した上で、使命に邁進する、あるいは、限定をもっていることを知ればこそ、使命に対して勇敢に進まなければならない」

 つまり、儒教の世界は、「人間」の可能性を信じ、「人間」がお互いに切磋琢磨することによって、さらなる発展を目指そうとする思想が源流に流れているのである。

 単なるマネーゲームではなく、東アジア文化圏がこれまで培ってきた、「人間の可能性に対する信頼」「教育の重要性の認識」「リーダーたるものの日々の自省」といった価値観をベースにしながら、それぞれの企業がこれまで確立してきた「企業の価値観」「企業の存在意義」を振り返り、そこから「正義」と「勇気」を持ち、新たな領域に挑戦していくことこそが肝要ではないかと考えている。


●鈴木康司 すずき こうじ/ 住友商事株式会社(人事部)を経て入社。成果主義をベースとした評価制度・資格等級制度・報酬制度設計や、コンピテンシーを活用した人事制度構築をはじめとして、人材マネジメントシステムの設計、導入支援に関するコンサルティング業務に従事。コンピテンシーをベースとしたアセスメントについても、多くの企業にて実施。日経ビデオ「目標管理制度のための面談の進め方」、人材教育「人と会社を救うコンピテンシー」等をはじめとしてビデオ・執筆や講演・トレーニングを行っている。東京大学法学部卒。

●片桐一郎 かたぎり いちろう/ コマツ、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て入社。戦略・組織・人材を一体ととらえた21世紀型企業モデルの実現に向け、海外を含むクライアント企業に対し幅広いコンサルティングを行っている。近年はE-ビジネス企業の組織設計、M & A、創造型組織モデルへの変革を支援。東京大学工学部卒。スタンフォード大学工学部大学院修士課程修了。