【巻頭言】
ネオ・リーダーシップ・ジャパン
ゴーン改革から学ぶ混迷日本のリーダー像

1.
マルチレイヤーリーダーシップ
産業構造の変化による組織構造・リーダー像への意味合い

2.
まずチームから始めよ
チーム・アプローチ入門
あなたも私もネオ・チームリーダー

3.
リーダーシップのつまずく瞬間
米国型リーダーシップから学ぶべきもの

4.
欧州系多国籍企業のリーダー開発
「六つの視点、三つの真実」
欧州から日本は何を学べるか

5.
ミドルの変革リーダーの創造
二つの難題をどのようにして克服するか

6.
リーダーに関する三つの小話

7.
パブリックセクター改革のリーダーシップ
地域経営者としての資質

8.
ペンション・ガバナンス・リーダーシップ

【心理学ゼミナール】
リーダーが「リーダー」ではなくなる日
リーダーシップの新たなパラダイム

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リーダーが「リーダー」ではなくなる日
リーダーシップの新たなパラダイム

 

川上真史

誰もがリーダーになれる

 いまだに、リーダーシップ論となると、「リーダーにはこんな資質が必要だ」「こういうパーソナリティこそリーダー向きだ」「今の時代、このようなタイプのリーダーが望まれる」などのように、リーダーたりうる人材の特性論について議論されるケースが多い。しかし、心理学上では、「リーダーとして成功するかどうかにおいて、個人の特性は大きな影響をもたない」という結論が数十年前に出ているはずである。過去に、個人の特性論に焦点を当てた研究が数多く行われた。だが、それらの結論には相互に矛盾があったり、全く反対の結論が出ていたりで、一貫性がなかったのである。その結果、個人の特性よりも、そのときどきの「事態」「状況」によって、どのようなリーダーが成功するのかは、極端に変化するという結論に至ったわけである。夏には多くの人からかき氷が求められ、冬には鍋が求められるようにである。
 となると、「このようなタイプがリーダーに向いているはずだ」と決め、その特性をモデル化し、モデルに合うようにリーダー候補者を育てていくというやり方は前近代的な方法と考えられる。また逆に、状況次第では、誰だってリーダーになれるとも言えるのである。

どうリーダーを確保するのか

 しかし、リーダーシップが状況に左右されるとなると、リーダーを育てることができなくなるし、育てる意味もなくなってしまう。一方で、企業においてはリーダーを常に育て、確保する必要がある。状況次第にしろ、何か方策を考えなければならない。
 その際に、この「状況に依存する」という事実を前提に考えると、リーダーシップ論では次の二つの点がポイントとして考えられる。

 @リーダーとして成功する確率が高い人は、より多くの状況におい
  て、自分を変化させつつ、その状況に応じたリーダーシップを発
  揮できる人材である。
 A企業は1種類ではなく、より多種多様なタイプのリーダーを育て
  たほうが、変化する状況においても、常にリーダーを確保でき
  る。


 @であるが、あえてリーダーとして成功する人物イメージを定義づけるとこうなる。しかし、この定義はあまり現実的ではない。一人の人が、どのような状況でも、そこに最も合ったリーダーのタイプを演じきるのは不可能に近い。したがって、このような人材を育てることを考えるよりは、Aのポイントを重視したほうがよいであろう。
 しかし、Aにも課題がある。「状況」を規定する要因があまりにも多すぎて、どのような状況にどのようなリーダーが合うのかを、なかなか正確に判断できないという点である。例えば、発生したトラブルを短時間で解決しなければならないという状況になったとする。一般的には、「自分で責任をもって判断し、明確な指示を下す人物がリーダーとして適任だ」と考えるであろう。しかし、状況とは「取り組むべき課題の状況」だけではない。以下のように無数の状況的要因が考えられるのである。

 ●その指示に従うメンバーの能力
 ●メンバーとリーダーの関係
 ●組織の伝統
 ●課題達成時に期待される報酬
 ●メンバー同士の関係
 ●リーダーの上司の特性
 ●社外からの圧力
 ●前例の有無
 ●前例の成否 etc.


 など、数え上げればきりがない。あまりにも変数が多すぎて、状況そのものを正確に表現するだけでも大変である。ましてや、そこにリーダー個人の特性という、これも膨大な視点がありそうなものも規定しなければならず、その両者のマッチングを検討するなどという作業はかなり無謀と言える。
 となると、リーダーとは、その状況において自然発生的に収まってきた人物こそ、最も適任と言える。リーダーとは選ぶものではなく、自動的に選ばれるものと考えたほうがよさそうである。おそらく組織の中では、先ほどのような多くの要因を、分析的にではなくトータルで判断しつつ、「やはりあの人が今リーダーとして適任だ」と共通認識として感じているのであろう。そのような共通認識のもとで生み出されたリーダーが最も適任であり、また、そのリーダーが「もはや適任ではなくなってきた」と共通に認識され始めれば、やはりリーダーからはずれたほうがよいのであろう。そうすれば、リーダーに就いた人は、個人的に偉いのではなく、状況が求めていただけとなる。逆に、リーダーからはずれた人も、その人個人の問題ではなく、状況が違ってきただけとなる。要は、あらゆるタイプのリーダー予備軍をつくり、あとは、状況に応じて、その中から適任者が自動的に選ばれるという状態を作り上げておくことが、リーダーを組織の中で機能させる最も早道なのである。

リーダーとしての最低条件

 しかし、そのような豊富なリーダー予備軍をつくることができる企業は限られている。「当社にはいつでもリーダーを担当できる人材が数多く存在していて、しかも人材のタイプがバラエティに富んでいる」などという話はほとんど聞いたことがない。リーダーは自然発生にしろ、やはりリーダー予備軍は意図的につくらなければならないであろう。
 その際には、リーダーになるための最低条件をしっかりと押さえておく必要がある。その条件を満たす人材であれば、あとは本人の個性を活かせる状況になればリーダーにしていけばよい。
 では、リーダーになるための最低限の条件とは何か。基本は以下の3点である。

 @周囲の人が素直に「この人に従おう」と感じるような誠実さがあ
  ること。
 A他者の意見、周囲の状況に振り回されず、自分の考えで判断で
  きること。
 B何らかの形で、周囲とコミュニケーションを取り続ける姿勢があ
  ること。


 リーダーにはいろいろなタイプがあるのは間違いない。ただし、少なくとも次の3点はどんなタイプであったとしても、リーダーという役割を遂行する上では求められる。

 ●メンバーを動かす、あるいはメンバーに動いてもらう。
 ●最終的な判断を自己責任のもとで下す。
 ●個々ばらばらではなく、チームという形態を維持する。


 もしも、これらが不要であれば、リーダーという立場の人は存在しなくてもよいはずである。先のリーダーとして不可欠な3点は、これらを遂行するために求められるものである。

リーダーとしての誠実さ−人は何に従って動くか

 リーダーである限り、メンバーを動かしたり、あるいは動いてもらったりすることが求められる。そのやり方は、「その人がただそこに座っているだけで、なぜか周囲の人たちが自動的に動いてしまう」という極端なものから、「アメとムチを使ってでも無理やりに動かす」という逆の極端な方法まで千差万別である。しかし、その人の存在によってメンバーに動きが起こらない限りリーダーとは言えない。その際に誠実さが重要となる。
 この誠実さであるが、二つの意味で重要である。心理学上では、ある人が別の人に対して影響を及ぼす可能性を持っている場合、「社会的勢力を持つ」と表現する。この社会的勢力は一般に5種類に分類される。

 「報酬勢力」−相手に与える報酬を左右する力を持っている
 「強制勢力」−従わない場合、罰を与える力を持っている
 「正当勢力」−この人が自分に指示するのは正当であると相手が
         思う立場にある
 「準拠勢力」−この人と同じ場にいたい、同じことをしていたいと相
         手が思うような魅力がある
 「専門勢力」−この人は自分よりも専門性が高く、よく知っていると
         相手から思われている


 実は、この五つの社会的勢力のうち、最も相手が素直に、自然に動くものは「正当勢力」である。「準拠勢力」ではないかと考える人も多いが、そうではない。準拠勢力は、最大瞬間風速は強いかもしれないが、相手が心変わりすることも多いのである。
 正当勢力の強さを表すものとして、よく道路工事の警備員の例が使われる。自動車を運転していて、道路工事で片側通行になっているところにさしかかったとする。そこに警備員がいて、赤い旗を出し停止の合図をする。その合図には間違いなく100%の人が従うのである(少なくともワトソンワイアットレビューの読者の方で、それを無視して突破したという人はいないであろう)。それも、「なぜこの人の指示に従わなければならないのか」という疑問を持ちながら停止する人もまずいない。素直に、無条件で停止するのである。
 これは、「工事中で片側通行になっており、この警備員が自分の自動車を停止させることは正当である」と感じているからである。もしも、相手が正当性を感じないところで、正当ではないと思われる人が自動車を止めさせようとしたらどうなるか。赤い旗を出すだけでは誰も停止しない。「ここで止まれば1000円」という看板を出すか、ピストルをかまえ「止まらないと撃つぞ」と脅すか、何らかの方法で自分の魅力を運転者にアピールするかなど、敢えて何かを付け加えないと、相手は指示に従わないのである。
 ここにまず誠実さのポイントがある。自分がリーダーになることが正当でないにもかかわらず、リーダーという立場になりたがる人は、候補者からはずしたほうがよい。そのようなタイプがリーダーになると、常に「自分のほうが知識レベルは上だ」とのアピールや、「動いてくれれば、これだけのことをしてあげるから」という取引をするなど、あえて何かをしなければメンバーは動かない。チームとして極めて効率が悪くなる。やはり権力欲ではなく、「自分がリーダーをしなければならないときは、労を惜しまず責任をもって引き受ける」、逆に「自分がリーダーになる必要のないときはメンバーとして周囲への協力を惜しまない」という姿勢を誠実にもっていることが、リーダー候補者として求められるポイントである。

リーダーとしての誠実さ−権威服従の怖さ

 誠実さには二つのポイントがあると述べた。もう一つのポイントは全く逆の視点になる。正当さがないと、人を動かすには敢えて何かをしないといけなくなる点を述べたが、その一方で、人は権威に逆らえない弱さを持っているという事実もある。
 正当ではない人がリーダーに就いたとき、最初は先のようなことがないと誰も動かない。しかし、その人をリーダーから下ろすことができず、リーダーであり続けることが会社からも認められたとき(つまり権威がその人に与えられたとき)、そのリーダーが間違ったこと、明らかにおかしいと誰もが思うようなことを指示したとしても、多くの人がおかしいと思いながら従ってしまうという傾向が出る。もしも、リーダーに誠実さがなく、企業として誤った方向にもっていく傾向があった場合、この問題が如実に現れてしまう。社会的な問題を起こした企業の話を聞くと、「おかしいと思いつつ、なぜ誰も止めずに、こんなことに従っていたのか」との疑問を持つが、権威に服従してしまう傾向がもともとから人間に備わっているのである。
 権威への服従に関する興味深い実験がある(ミルグラムの権威服従行動実験)。まず被験者を2人連れてくる。「今から記憶と罰の関係性についての実験を行う」と伝えた上で2人の被験者を先生役と生徒役に分ける。実は、生徒役になる人は実験者側の人でサクラとして参加しており、先生役になる真の被験者はそのことを知らない。生徒役のサクラの手には電極がつながれ、だまされている先生役の被験者はボルト数が書いた複数のスイッチが並んだ机の前に座らされる。そこで実験者は説明をする。「今から先生役の人が記憶再生に関する問題を出してください。もしも、生徒役の人がその問題を間違えたら、まず左端のスイッチを押してください。そうすると罰として電流が生徒役の人に流れます。2回目に間違えたら、次のスイッチを押してください。そこに書いてあるとおり、先ほどよりも強い電流が流れます。」
 スイッチは、右に行けば行くほど高いボルト数が書かれており、さらに「弱いショック」「かなり強いショック」「危険」という注意書きもつけられている。右端のスイッチには「×××」などという意味不明の記号が書かれてある。さて、実験が始まり、生徒役はわざと多くを間違っていく。だんだんと電圧が高まり生徒役はあまりの苦痛に暴れ始め、実験を続けるには生徒役を押さえつけなければならなくなる(実は、電流は全く流れておらず、暴れているのは演技である)。当然、先生役の被験者は不安になり、実験者に中止を申し出る。ところが実験者は「最後までやらないと実験が成り立たないので、続けてください」と非情なことを言う。そう言われて、最後のスイッチまで押した人はどれくらいいたか。結果は約30%の人が最後まで押したとなっている。当然、平気で押した人は誰もいない。みな苦痛の表情を浮かべ、冷や汗を流しながら押している。しかし、3分の1の人が、相手を押さえ込みながらも最後までスイッチを押したのである。
 人間は権威と自分が認める相手から出てきた指示は、合法的であると考える傾向がある。そうなると、その行為の内容や自分の良心にかかわらず指示に従ってしまう。誠実さのないリーダーが出す指示が、組織や企業を崩壊させる危機をはらんでいるのは言うまでもない。

リーダーとしての判断力

 リーダーは、他者の意見を聞き取り入れることが求められるのは間違いない。しかし一方で、他者の意見や周囲の状況にのみ振り回され、判断を誤ってはいけない。最終的にリーダーは間違いない判断を下さなければならないのである(その判断を明確にメンバーに示す場合もあれば、メンバーが自分たちでその判断に至ったと思わせながら決める場合もあるが)。
 リーダー予備軍となる候補者は、この面も併せ持っている必要がある。それを言う、言わないは別として、常にすべてのことにおいて自分としての意見を持ち、合理的な判断を下さなければならないのである。当然といえば当然のことだが、これも意外と難しいことなのである。
 この件についてもアッシュの同調実験という面白い研究がある。数名の被験者を集め、同じ部屋に入ってもらう。そこで、実験者は誰にでもわかる極めて簡単な問題を一つ出し、被験者に一人ずつその答えを言ってもらう。非常に簡単な問題なので、当然、誰一人として間違わずに回答する。同じように、誰でもわかる問題を出し、それを順番に答えてもらうことを繰り返す。どの問題も同じ順番で答えてもらうため、最後に回答することになっている被験者はあまりのつまらなさに「こんな実験に何の意味があるのか」と疑問を持ち始める。そのような気持ちになっているとき、また誰でもわかる問題が次に出される。最後の人は「またこんなのは誰でもわかるよ」と思いつつ、1番目の人の回答を聞く。ところが1番の人は間違ったことを答える。最後の人は「こんな簡単な問題を間違うなんて、どうかしているよ」と思う。ところが、2番目の人も1番と同じ間違った答えを言う。3番目も4番目も、自分の前の人まで1番と同じ間違った答えを言う。さて、ついに最後の人に順番が回ってきた。実は、最後の順番の人だけが、だまされて連れてこられた本当の被験者で、前のすべての人は全員実験者側のサクラである(なぜ心理学者はこんなに残酷な実験を次々と思いつくのかと感心するときがある)。
 このときに、明らかに前の人の回答が間違っているとわかりつつ、自分の考えを変えて、わざと前の人たちと同じ間違った回答を答えた「最後の人」はどれくらいいたか。これも約35%という結論である。3分の1以上の人が、明らかに間違っていると思うことでも、周囲の人たちが「そうだ」と言えば同調してしまうのである。明らかに間違っているとわかっていることでも、しかもアメリカという比較的個人の意見が強いといわれる国ですら、実験結果がこれである。不確実な課題において、しかも曖昧な意見になりがちな日本人だと、この同調傾向はもっと高まるはずである。
 このように同調傾向が強い人材はリーダーとしては不向きである。おかしいと思いつつも「みんながそう言っているから……」ということで判断が歪み、流されてしまう。そのあとのチームの結末は簡単に予想できる。

リーダーのコミュニケーション

 リーダーの役割として、メンバーが個々ばらばらではなく、組織としての形態を維持する必要があることを述べた。もしも、組織としての形態を維持する必要がないのであれば、リーダーも必要ない。したがって、メンバーと常にコミュニケーションを取り続ける姿勢が重要となる。
 チームを組織図上の形としてとらえた場合には、チームとしての使命と個々人の役割が明確になっていれば、それでチームが成り立つと考えられる。しかし、実態としては、それらが明確になっているにもかかわらず機能していないチームは数多い。少なくともチームが機能しているという状態は、チーム内で相互にコミュニケーションが起こっている状態である。逆に、相互にコミュニケーションがとられる状況が存在していれば、そこに「チーム」が存在していると考えられるのである。
 リーダーは、このチーム内でのコミュニケーションを意図的であれ、無意識的であれ、何らかの形で促進しなければならない。しかも、リーダーと個々のメンバーはもとより、メンバー間相互のコミュニケーションも促進しなければならないのである。

コミュニケーション不足によるチーム崩壊

 チームを崩壊させるのは簡単である。チームの中でコミュニケーションを遮断すればよい。特に、お互いに顔も見ず、話もしない状況をつくれば、即座にチームは崩壊に向かう。そのような状況になれば、お互いに相手に対する攻撃性、不信感が極度に増大するからである。
 コミュニケーションがなくなった場合の人間の攻撃性増大については、先のミルグラムの権威服従行動実験で調査されている。この実験では、スイッチを押すときの状況を様々に変化させて調査を進めている。先ほどのように、@目の前で暴れている生徒役が見える状況、A生徒役が隣の部屋にいて、暴れている声だけが聞こえる状況、B別の部屋にいて顔も見えず、声も聞こえない状況、の三つである。
 この三つの状況に分けて実験を行うと、@からBになるに従って、最後までスイッチを押す人が極端に増えてくる。@では30%だったのが、Bの顔も見えない、声も聞こえないとなると、65%の人が最後まで押しているのである。
 チームの中で、お互いに会話をなくし、直接接することもなくせば、即座にこの状況が起こってくる。「あいつはチームにいらないのではないか」「あんなやつはやめさせたほうがよい」などの最終スイッチをお互いに押してしまうのである。

 私は電子メールの利便性を認めつつも、一方で顔も見えない、声も聞こえないコミュニケーションツールであることが、相互に攻撃性を高め、かえってコミュニケーションを阻害するのではないかと危惧するときがある。電子メールはどういうわけか攻撃的な内容が多いと感じられている方も多いのではないか。

コミュニケーションと信憑性

 もう一つ、コミュニケーションの重要性に関する研究で面白いものがある。これはある人から発せられた情報への信憑性がどう変化するかに関するものである。まず、情報を発する人のことを、情報を受信する側がどれだけ信頼しているかを測定する。その上で情報を発信するのだが、当然、自分が信頼している相手の情報は信憑性が高いと感じ、信頼していない人の情報は信憑性が低いと考える。ところが、その後、この情報に関して何も追加情報を与えないままに放置しておくと、驚くべきことに、もともと信憑性が高いと信じていた情報に関しては、受信者側の態度が揺らぎ始めることが確認されている。「もしかするとこの情報は間違っているかもしれない」と疑い始めるのである。ところが、逆に信憑性が低いと思っていたほうの情報は、時間がたつにつれて「もしかしたら本当かもしれない」と信憑性が高まってくるのである。さらに、この信憑性の度合いが4週間放置すると逆転してしまうのである。つまり、多くの人たちが、もともと信頼していなかった情報のほうを信じ始め、信頼していた情報を無視し始めるのである。
 どうも、人間には得た情報について逆のことを考え始める傾向があるようだ。これは安易に情報を信じ込み過ぎないための防衛にもなるのは間違いない。ただし、リーダー側から考えると、ある情報を提供したとしても、その後4週間以上にわたって何の追加メッセージも出さないまま放置すると、もともと出した情報をメンバーが疑い始めるということである。信頼していたメンバーがいつの間にか自分の反対派に回っていることもありうる。この側面からもコミュニケーションの促進がリーダーに強く求められるのである。

リーダーのパラダイムシフト

 以上、リーダーに最低限求められる3要素(誠実さ、独自判断、コミュニケーション)を述べてきた。ところがこれらの考え方が根本から変わるような動きが起こってきている。リーダー自身が誠実であり、独自に判断でき、コミュニケーションを促進できることが重要なのではなく、むしろメンバーから誠実な行動を引き出し、独自に判断させ、放置しておいてもコミュニケーションが促進される状況を作り上げる役割がリーダーに求められ始めているのである。
 このようなリーダーの考え方として「サーバントリーダー」というコンセプトが広まりつつある。このサーバントリーダーに関しては、神戸大学経営学部の金井壽宏教授が書かれた『組織を動かす最強のマネジメント心理学』(中経出版、2002年4月27日発行)に詳しいので、そちらを参照いただきたい。
 サーバントリーダーとは、その名のとおり、リーダーがサーバント(召使)となるのである。従来はリーダーが組織、チームの中で最も偉く、力を持っていて、その力でメンバーを導くというイメージが常識であった。ところが、そうなるとリーダーが支配者、メンバーは依存者という関係となり、リーダーが全責任を負い、メンバーは服従を強いられるという相互に不幸な状況が出来上がってしまう。そうではなく、メンバーが中心のチームをつくるのである。メンバーが個々に自分なりの目標を持ちながらチームに参加し、その個人個人の目標達成を、リーダーがサーバントとなって支援するのである。
 リーダーに求められるのは、自分が持つすべての資源をメンバーに提供し尽くすということであり、メンバーに求められるのは個人の明確な目標設定(必ずしもチームの大目標と合致する必要はない)と、その達成に向けての自律的な行動である。チームはある大目標を達成するためのものではなく、個々人が自分の目標を達成するために意味のある場(相互刺激、情報交換、やすらぎなど)となる。あとは、そこで創出された個々人の成果それぞれが、何らかの形で、チーム全体にとっての意味となればそれでよいのである。
 つまり、サーバントリーダーの考えはリーダーがいなくても動くチームであり、そのような状況でも自己目標を設定し自律的に動く人でない限り、このチームには参加できないということである。ただし、全くリーダーがいらないということではない。そのサーバントリーダーがいるからこそ、チームの中でこのような動きが促進されるということなのである。もしかすると東京言葉の「偉い人」ではなく関西弁の「エラい人」(大変で疲れる人)というイメージかもしれない。
 このようなリーダーの考え方になると、従来とは求められる資質が大きく変わってくるはずである。いかに人の力を引き出せるかがその最大資質となり、カウンセリング論やコーチング論などが重要となるはずである。
 ただし、私自身、まだサーバントリーダーが本格的に機能しているチームを日本の中で見たことがない(ワトソンワイアットのリーダーはサーバントリーダー的動きをとってくれており、感謝しているが、チーム全体がそれで確実に動いているかどうかは、まだ「?」である)。また、サーバントリーダー論自体も、まだまだ研究の途上である。しかし、リーダーになりたがる人がリーダーには向いていないとすると、このような考え方がもっと広まってもよいのではないか。リーダーになりたがる人は、逆に「サーバント」にはなりたくないと考えるからである。
 組織の大目標にどれだけ貢献できるかを強制する形での成果主義が行き詰まりを見せている。メンバー個々人を組織の大目標に押し込めるのではなく、むしろ個々人の持てる力を自由に発揮させ開花させるほうが、企業としてもより高い成果を期待できるかもしれない。ただし、それは、メンバー個人側も開花できるものをしっかりと持っており、促進材料さえあれば、即座に自律的に動きを起こす人材に育っていることが前提であるのも忘れてはならない。

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●川上真史 かわかみ しんじ/京都大学教育学部教育心理学科卒。産能大学経営開発研究所研究員、ヘイコンサルティンググループディレクターを経てワトソンワイアット株式会社入社。