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【巻頭言】 |
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ネオ・リーダーシップ・ジャパン
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ワトソンワイアット株式会社 |
ついに日経平均が20年近く前の、はるか昔の水準まで落ち込んでしまった。マーケットが日本経済の将来に対する「不安」と「失望」を込めた警告を強烈に発している。
この警告は、同時に日本経済の担い手である、政官財の各セクターのリーダーに投げかけられたものでもある。つまり、現在の日本経済のリーダー像は、ほぼ完全にマーケットから否定され、退場を迫られていることになる。
それでは、今後、日本経済を再生するリーダー像とはどのような人材なのだろうか。今回のレビューでは、できる限り旬な切り口でこの永遠の経営課題である「リーダーシップ」を論じてみたい。
組織に閉塞感が広がると、トップダウンの強力な改革者を待ち望む傾向が強くなる。要するに「カリスマ型トップ待望論」が巻き起こる。誰よりも先を見通す力をもち、改革の方向を提示し、リスクを冒しても自らが先頭を切って走る英雄的なリーダーを望むのである。
今の日本に必要なのは、この強力トップダウン型リーダーなのだろうか。米国のエンロン、ワールドコムの破綻から、カリスマ型トップの魅力とリスクを学ぶ必要がある。
単純化して言えば、「追い風」状況では、事業センスに優れた「個人」に意思決定権を集中したほうが「圧倒的な勝ち」を手に入れられる可能性が高い。しかし、同時に、一瞬のうちに歯車が逆転し破綻にまで追い込まれてしまうリスクも負っていることになる。
今の日本の状況は、不確定要素が複雑に絡み合い、シンプルな解は存在しない。つまり、一人の「先見性」に賭けるようなリスクを冒せない状況にある。要は、国にとっても、企業にとっても、カリスマ型リーダーを待望することは危険な賭けである。
それでは、今のような過去の大成功の日本モデルを構造的に転換させていくときに求められるリーダー像とはどんな姿なのだろうか。日産のゴーン氏が示した変革リーダーシップが参考になる。
ゴーン氏はカリスマ型リーダーであろうか。日産改革のプロセスを観察すると、一般的なイメージとしての「カリスマ」とは全く異なることがわかる。塙日産会長の言葉によれば「書生っぽい」という人物像である。決して、トップダウンで強烈なビジョンを与えたわけではなく、幹部たちが必要と考える改革を進めざるをえないメカニズムを作り出したのである。
ゴーン氏が日産の社員に求めたものは、第一にディグニティ、つまり「言ったことは必ず実行する、できないことは言わない」という、ビジネスマンとしての極めて基本的な行動原則である。
次に求めたのが、コミットメント、つまり一人ひとりが各々の使命に基づく成果を約束することを要請した。もし、求められるレベルの成果が出なければ、今いる役割を他の人に代わってもらうことを各幹部に納得させたのである。
さらに、このディグニティとコミットメントを、組織全体に浸透させるときに、コミュニケーションに工夫を加えた。しつこいぐらいに、みんなから見える場で「これでいいか」と確認し、そのプロセスと結果を可能な限りオープンにしたのである。
要するに、日本の伝統的大企業の「甘え」を完全に断ち切る、変革リーダーシップを発揮したのである。結果として、日産社員が本来持っている、かなり高いポテンシャルを最大限引き出すことに成功したのである。
日本の伝統的大企業が陥っている状況は、何か新しいビジネス・モデルができれば再生されるような単純なものではない。今までの成功モデルから、新たな競争力のある経営モデルに全面的に作り変える作業である。
このとき注意しなければならないことは、自らの強みをいかに生かすかの発想である。大成功を収めているアメリカ企業の先端モデルを持ち込んでも成功しない。日本独自のフラット社会の強みや職人文化をいかに未来形へと進化させるかの視点が重要である。
この改革に求められるのは、組織内外のポテンシャルを引き出し、継続的な好循環を作り出す、「場」の提供型リーダーシップではなかろうか。
いかに、組織構成員個人の力を引き出すか、さらにその「個」と「個」を結びつけて新たな価値を生み出すメカニズムを作り上げるか。激変の経営環境では、この変化に耐えうる「仕組み発想」を持ったリーダーが求められている。
何の役にも立たない、極端な「自信喪失」を早く捨て去り、将来の日本企業のリーダー像を思い描きたい。
少なくとも、今年の二人のノーベル賞受賞者のような、魅力的な日本人をもっと生かせる社会や企業に作り直す変革に挑戦すべきと思う。
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