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【巻頭言】 |
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退職金の「無意味化」が成果主義の徹底を促す
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森田純夫 |
「成果主義」。そもそもこの「主義」が、強くイデオロギー的な匂いを連想させるという点で、私はこの言葉があまり好きではない。そんなことはどうでもいいが、退職金・年金の世界でもこの「成果主義」は急速にその勢力を増している。ポイント制退職金、キャッシュバランス、確定拠出年金といった、様々なスキームとともに、成果主義がこの分野にも普及し一般化しつつあるという認識が支配的であろう。しかし、退職金や年金において、本当に、「成果主義」はふさわしいのであろうか? 退職金の「成果主義化」には何か過剰な期待が込められていないか? 年俸や賞与では無理で、退職金だからこそ実現できることはあるのか? また、年俸や賞与で実現できたことは、退職金でも実現できるはずなのか? 本稿では、これらの疑問を踏まえた上で、退職金・年金の「無意味化」が成果主義の徹底を促す、ということを明らかにしていく。
はじめに、本稿においては、成果主義とは、「企業および個人の業績を最大化するために、個人の挙げた業績あるいは行動を企業が評価し、その評価によって報酬あるいは役職などに明確な取り扱いの差を設けること」と定義する。
伝統的な退職金・年金(以下「退職金」とする)のスキームを考えてみると、最近まで、多くの企業において、その退職金制度は、勤続年数に応じて退職金が比例するものであった。しかも、勤続20年や25年、あるいは50歳あるいは55歳といった勤続年数や年齢によって、給付額が急激に上昇する例がほとんどである。これにより、退職金の給付カーブは図1のようないわゆる「S字カーブ」になる。終身雇用、年功序列という日本企業の競争力の源泉とも言える仕組みの象徴である。
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図1/退職金のS字カーブ |
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ところが、昨今の成果主義の浸透とともに、このような長期勤続を奨励する退職金の仕組みに疑問が投げかけられるようになった。「なぜ成果主義なのに、退職金だけは個々のパフォーマンスを見ることなく、長く勤め上げさえすれば大きな金額をもらえることができる仕組みになっているのか?」という問いである。経営の従業員に対するメッセージとして、一貫性がないのは甚だ問題であろうから、確かにこの問いは説得力を持つ。最近次々と実現した法制度の変更と相まって、多くの企業が制度を変更し、今もその流れは続いている。
こうした流れはそれなりに納得性が高いであろう。長期勤続を促す仕組みは、雇用の流動化や、企業のM&Aおよび組織再編、柔軟な業務再構築においては障害になりこそすれ、特段利益をもたらさない。伝統的退職金制度は「定年までがんばってくださいね」と社員に語りかけているが、時代の変化とともに、会社が「すぐ辞めて欲しい」などとその姿勢を変えようとするとき、退職金制度との間に明確な矛盾を生じ、それがしばしば経営に対する不信感を増すのである。その矛盾は、人員削減を目的とした「希望退職制度」「セカンドキャリアプラン」といった特別退職金制度の異様に手厚い給付内容に象徴的に表れている。年収3年分を追加で支払ったというマツダの例などは典型である。M&Aのケースでは悲惨なことも起こりうる。勤めていた先がもう数年、そのままの形で長らえていればマトモな退職金をもらえたはずなのに、退職を目前としていた時期に外資に買収され、退職金制度が変更されてしまった、などという話は日常茶飯事である。
このように、企業がビジネスモデルを変えていこうとする中で、「終身雇用型」退職金制度を変更しようとするのは、至極当然のことともいえる。また、評価制度や退職金以外の報酬制度を通じて成果主義を浸透させようとするのであれば、全体の整合性を保つために、退職金制度も何らかの形で変えていかなければいけないのは確かなのであろう。
では、企業と社員それぞれにとって、どのような制度が必要とされているのか、立ち返って考えてみよう。
経営者の視点から見た退職金制度
経営にとって、退職金制度は、正直言って、おそらく、相当「鬱陶しい」ものである。退職給付会計の適用とともに、多額の債務をバランスシート上で認識しなければならなくなった。昨今の運用難とともに、積立不足は拡大し、P/ Lにヒットする毎期のコストは上昇する一方である。そのくせ退職金制度の効用を理解してくれる社員ときたら、定年間近で辞めて欲しいのに辞めてくれない社員や、希望退職で多額の退職金を得ようと応募する人たちくらいのものである。退職金によって優秀な人材を他社から引き抜いたり、あるいは自社に引き止めたりできた、という実感は、実はほとんどの経営者が持っていないのではないか。だからこそ、数年前から多数の企業が退職金制度の廃止あるいは前払いを導入しているのであろう。退職金が「目の上のたんこぶ」となってしまっている経営者は、さすがに退職金制度の廃止はまずいと思っていても、はっきり言って、財務上のインパクト、すなわち、退職給付債務および退職給付費用をいかに抑制するか、ということにしか頭が回らないはずである。給付水準の抑制に失敗したことにより発生した膨大な債務・費用を賄うためにビジネス規模の維持・膨張を続ける米国GMのように、ビジネスモデルの制約を受けている企業もある。
経営者にとっての退職金制度に対する関心は、財務上のリスクを可能な限り抑制し、人材流動化の阻害など、人事制度として余計な弊害を生む要素をいかに取り除くか、という点に集約される。給付カーブとしては、S字のようなカーブではなく、おおむね直線的なものになるのであろう。なぜなら、急激に給付額が上昇するなどのカーブの変化をつけてしまうと、特に非コア人材の人材代謝機能が働かなくなってしまう恐れがあるからである。特に一般に余剰感の強い中高年層人材についてはその傾向が顕著である。誰もが大きな金額を受け取ることができる、しかも毎年その金額が大きく増えていくという制度であれば、退職時点が目前に迫っている分その引き止め効果は絶大である。このような状況を避け人材を流動化したいのであれば、この「退職目前世代」については年功要素をストップさせ、今後勤務を続けても退職金が増えないというスキームが理想的である。それは無理としても、勤続に応じて急激に給付額が上昇するような制度は避けなければならない。
社員にとっての退職金の位置づけ
一方、社員にとって、退職金はどのような意味を持つのであろうか。退職金制度で狙う効果とは、おそらく一般には、退職金制度が社員のモティベーションを喚起するといったものから、企業にとって必要不可欠な人材を引き止める、などといった、人事戦略あるいは処遇戦略として意味が高いものである(と信じられている)。残念ながら、巷で「成果主義的退職金」と呼ばれているような制度ではなかなかこのような効果は得られない。
事例を通じて考えてみることにしよう。
ポイント制退職金制度を導入している企業にお勤めの、30歳の働き盛りのAさん。評価が良好なことから、成果主義的退職金制度によって、ポイントがたくさん貯まりました。しかし、同期より多いといってもその金額は年間数十万円程度です。Aさんが毎年良い評価を取ったとして、10年間で標準者より500万円多く貯まりました。
これに本当に意味があるのでしょうか?
旧来型の退職金制度改定における出発点の誤謬は、メリハリさえつければみんな納得するだろう、特に有能な人を喜ばせ、会社にとどめる効果を持つだろう、という幻想に由来している。退職金で差をつけたとしても、本当に「稼げる」人材が、退職金が他の人より優遇されているからという理由でその会社を辞めない、ということはあまりないだろう。上記の例だと1年当たりの格差は500÷10で50万円である。「成果主義」を導入している企業であれば、他の月例給や賞与などで、1年当たりの最大格差はこの50万円を大きく上回るのであろう。退職金においては長期にわたって金銭差がつくために、あまり実感できないのである。しかも、今もらえず、支給されるのはまだ先の話とくれば、その効果は落ちてしまうのである。ここで言えることは、いわゆるコア人材と呼ばれるような高い業績を挙げる人にとって、少しばかり退職金の金額が上がったとしても、そこにモティベーションは感じないだろうし、また引き止め効果は経営が思っているほどには高くないということである。
それでは、引き止めなどの効果を見出しにくいとすれば、社員にとって何が重要なのだろうか。別の例を通じて考えてみよう。
一方、Aさんと違って30歳早々にしてあまり仕事ができない、という烙印を押されてしまったBさん。それからというもの、評価は最悪、ポイントも全然貯まりません。そうはいっても、他に転職するスキルも勇気もなく、ローンを退職金で完済する必要もあるので、結局会社で働き続けることになりました。50歳になったBさん、気づいてみるとびっくりです。同期に比べると500万円も退職金が少ないのです。まだ完済していない家のローン、もうしばらく必要になる子供の学費、いろいろ考えると、家計は破綻しかねない状況です。何でこんなことになってしまったのかと、嘆くことしきりです。
実は、希望退職制度で典型的にわかるように、退職金には人を辞めさせる力がある。そのときの退職金は「手切れ金」であり、次のキャリアを探す上での「軍資金」である。成果が上がっていないから、といっていたずらに退職金の支給額を抑制してしまうと、会社が必ずしも必要としていない人たちが、次のキャリアを探す余裕がなくなることにより滞留してしまうという逆効果を生む可能性もある。すなわち、むやみやたらに成果主義という旗を掲げて退職金制度を改定してしまうと、適切な人材の流動化が起こらなくなってしまうリスクを抱える点に留意しなければならないのである。そして、Bさんのような人たちが長期間にわたり勤続してリタイアするとしても、老後の原資金がない、ということにもなりかねない。Bさんの例を通じて得られる示唆は二つある。一つは、若いうちから一定レベルの退職金給付を支払う仕組みを用意しておくことにより、Bさんはもっと別のキャリアを探すことができたのではないか、という点である。もう一方は、どれだけの水準になるのか、ということを誰もがあらかじめ想定できるようにコミュニケーションをとっておくべきだった、ということであろう。通常特に若い社員には退職金制度はほとんどといっていいほど、意識されていない。私も以前在籍していた会社を退社するにあたり、どのような退職金制度があるのか、どれだけの金額が支給されるのか、ということについて、全く知らなかった。例えば家庭を持って、住宅ローンを抱えるようにでもならないと、(ずっと在籍していたとして)なかなか60歳の支給額を意識することなどできないだろう。社員が若ければ若いほど、退職金のコストは無駄に費やされていることが多いのである。
退職金の「無意味化」の必然性
これら二つの例はあくまでも極端な例え話であるが、全員を対象とする退職金制度においては、あらゆることを実現しようとすると、結局何も実現できないことになってしまうことが多いのである。人事戦略面から見て積極的な効果を見出すのが難しいとすれば、退職金に期待される効果は、長期勤続すれば、まとまった金額を、有利な税控除で受け取ることができるということに集約される。つまり、退職金の目的は、老後・社会保障、節税、転職資金である。無理に引き止め効果などを狙ったとしても、社員が本当に求めているものとの間に乖離が生じてしまう可能性が高いのである。
そうだとすると、経営にとっても、社員にとっても、退職金は戦略的に活用すべき人事制度のツールというよりは、どこの会社にもある、インフラのようなものでしかないのである。いま我々は、年俸(基本給)、ボーナスといった現在処遇に比べ、必ずしも効果が明瞭でないにもかかわらず、財務上のインパクトが大きい退職金の意味を問い直す段階にある。それはすなわち、普通の月例給や賞与の制度改革と同じようなイメージを持ちながら退職金改革を論じて、インセンティブ効果を無理に求める、ということの誤りに気づく、ということである。退職金制度の機能は、退職後・老後生活の保障、退職所得の優遇税制の活用、人材滞留の防止などがある。しかし、年俸や賞与同様に、退職金にインセンティブ効果のような人事戦略的な要素を期待するには無理があるのである。そのとき、退職金制度は、人事戦略的なツールとしては後退し、「無意味化」していく。
そうしたとき、究極的には、退職金は勤続に応じて直線的なカーブを描く定額方式でも良いのかもしれない。例えば、10年で500万円、20年で1000万円というように。しかし、それではあまりに芸がないかもしれない。退職金の効果を高める方法として一つ考えられるのは、退職金を給与体系の中に完全に組み込んで再構成するという方法である。つまり、今後の退職金を、給与の一定割合を後払いしたもの、と位置づけることである。
単体ではなかなか効果を見出しにくい退職金を、「給与の後払い」として他の報酬制度との連続性を高めることによって、報酬制度全体の効果を上昇させることが期待できる。
給与の一定割合を後払いする、という概念を具体化するためのスキームは、ポイント制でもどのような形でもいいのだが、キャッシュバランスあるいは確定拠出年金が最もシンプルであろう。なぜなら、給与制度において会社が社員に対して発するメッセージのレバレッジを効かせることができるからである。キャッシュバランスは、給与の一定割合を毎年累積し金利を加味した上で退職時にまとめて支給する形式である。言うまでもなくその支給額は勤続期間中の給与に完全に連動している。つまり、給与に関して経営が発するメッセージが、退職金においても有効となるのである。処遇戦略において最も重要なのはシンプルでわかりやすいことであり、その意味でキャッシュバランスは有効であろう。例えば、ある人の年俸+賞与が1000万円で、キャッシュバランスにおける係数が5%だとすると、当年度における累積額は1000万円×5%の50万円となる。つまり、その人に関して、企業が負担する金額は、1050万円である。社員へのコミュニケーション上は、「1050万円があなたの給与です、ただし、うち50万円では会社で預かっておいて、(必要に応じて金利を付けて)退職時に支払ってあげましょう。その分については、いま受け取ることはできませんが、別にいま給与のすべてを使う必要はないでしょう、それに、退職所得による税の優遇措置があるのであなたにとってもメリットがありますよ」ということになる。係数をかける給与として、年俸(基本給)を用いるか、さらに賞与を含めるか、という議論はあるだろうが、これはその企業の報酬全体をどのように構築するか、という人事戦略によって決定すべきである。重視されるべきは、給与の一定割合を繰り延べている、ということが社員にとってわかりやすい制度かどうか、というポイントだけである。報酬制度の一貫性を保つために、賞与を入れるべきかどうか、判断すればよい。
ポイント制も、キャッシュバランスと本質的には変わらない。ポイントファクターをいかにシンプルなものにするのかが肝要である。あえてポイントを用いるのは、退職金と他の報酬制度との間に差異の発生を防止する上では、あまり効果的ではないかもしれない。ポイント制はベアで伸びる給与から退職金を断絶させるために多く用いられたが、そうした行為はメッセージの複線化を生み、制度のメッセージ性が落ちる点に留意せねばなるまい。
いずれにせよ重要なのは、他の報酬制度との一貫性を持たせることによって、これまで社員にあまり意識されることのなかった退職金においても、年俸や賞与で用いているものと同じ経営のメッセージを込めることができる、という点である。このとき、「退職金」としての意味は限りなくゼロに近い。むしろ、年俸や賞与の効果を補強するという位置づけになるのである。すなわち、退職金は、年俸あるいは賞与の単なる「後払い部分」であり、それらのサブ処遇なのである。
徐々に導入企業も増えつつある確定拠出も、キャッシュバランスと同じようなコミュニケーションになる。50万円はあなたの給与だが、「カクテイキョシュツネンキン」という口座の中に入れておいてあげましょう、そしてその部分については老後のためにお使いください、それぐらいのお金は必要になるでしょう、というように。この拠出によって積み上がった分については、企業の債務にカウントされないので、企業にとっては、キャッシュバランスよりもこちらのほうが好ましい。今後、米国の401Kのように制度が充実していけば、日本においても確定拠出年金が爆発的に普及することは間違いないだろう。余談であるが、確定拠出年金の導入目的として、「成果主義の徹底」としている企業がよくあるが、確定拠出年金は人事戦略的な要素を極限にまで取り去ってしまった、いわば「無意味化された」退職金制度である。日本でもアメリカでも、確定拠出年金においては差別的な取り扱いは禁じられており、「成果主義的な制度」というイメージはあてはまらないのである。
ところで、仕事の成果がすぐに現れるわけではなく、数年たってから評価が可能になるような仕事に対する処遇は、年俸や賞与を通じては難しいことがある。これは、重要な役職に就いている経営幹部層や真のハイパフォーマーとでも呼ぶべき、高い業績を挙げる人について、しばしば起きることである。こうした人たちには別途何らかの仕組みが必要になる。それは一部の人たちを対象とする退職金かもしれないし、株式価値を処遇として還元するストックオプションかもしれない。ただし、それは社員全員ではなく、ごく一部の人たちについて言えるものであり、本稿の論考の対象としている、いわゆる全員を対象とする退職金制度で対応すべきものではない。
また、給与や評価制度、はたまた仕事・職場の環境などにいたるまで、退職金以外の処遇との間に整合性が保たれていない場合、退職金制度単体で見れば素晴らしいように見えるとしても、他の制度との矛盾によって、逆効果となってしまうリスクについても認識しておかねばならない。特に、給与は重要である。退職金を成果主義の流れに基づいて変革しようとしてキャッシュバランスを採用しました、といっても、算式に組み込まれている給与がそもそも年功的な色彩を帯びていれば、退職金制度も年功的になってしまう。また、評価も、おかしな評価が蔓延していれば、評価に基づいて決定される給与や退職金までもが納得性の低いものになってしまう。退職金制度の場合、給与や評価制度などの人事戦略において中核をなす制度を正しく整備した後で、退職金制度を変えていく、という定石を忘れてはならない。なぜなら、退職金制度は、制度変更に際して他の処遇にはない困難な点をはらんでいるため、慎重に変更すべきだからである。また、退職金制度を給与制度の補完と位置づけるのであれば、給与制度を論ずることなく、退職金制度のみに焦点を当てる、という選択肢はあり得ない。
退職金制度において差が出るかどうかは本質的に重要ではなく、給与制度など他の人事制度と一貫性を保っている、ということを社員に強調できるかどうか、という点のみが重要なのである。給与のうち、一部は後で払いますよ、というシンプルなメッセージ。これこそが人事制度トータルで見たときに、シンプルで、かつ真に「成果主義」といえるストラクチャーなのである。
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