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【巻頭言】 |
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成果主義はパブリックセクターで使えるか
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杉浦恵志 |
最近新聞などで、地方自治体に関する人事の話題を目にすることが増えてきた。表面的には、民間企業の業績が不安定なため、公務員に対する学生の就職人気も高く、中途採用で民間企業経験者を公募すると応募者が殺到するような状況である。ところが実際には、公務員でも賃下げや退職金・年金削減の波を免れることはできず、変革の出足が鈍い分だけ手遅れとなり、安定性神話が崩壊する日もさほど遠くないかもしれない。
地方財政は逼迫の度合いを増しており、成果主義の導入は、早急に検討すべき課題となっている。職員の士気を高めるには、限られた原資を実績に応じて配分するのが最も効果的と考えられる。バブル崩壊後は採用を控えていたため、年齢ピラミッドがいびつになり、ポジションをめぐる競争も激化している。成長から分配へと移るに従って、職員の納得感が得られるような、実力や実績の公平な評価に対する必要性が高まっている。
先進的な自治体では、総務省や人事院、民間企業のケースを参考にして、目標管理やコンピテンシー評価を熱心に導入している。目標管理は、期首にその期の目標を設定して、成果の難易度と達成度を期末に評価するものである。民間の失敗事例を教訓にして、従来の硬直的な姿勢を改めるため、困難な課題に挑戦することを奨励している。コンピテンシー評価は、顕著な実績をあげた職員からモデルとなる行動パターンを抽出し、それに基いて他の職員の「行動に現れた能力」を判定する。民間とは別の価値観や行動を評価項目に入れるように腐心した跡が見られる。
だが、カンパニー長や歩合制の営業マンならともかく、成果を定義するのは民間企業でも難しい。間接部門の目標管理に頭を悩ませる上司や人事担当者は結構いるはずだ。まして自治体の業務は、利害関係者の幅が広く、立場によって成果の意味が異なることは珍しくない。関係者の妥協の上に成り立つ事業の場合、あえてその目的をぼかしておくことすらある。
そのため、現在従事している業務はすべて誰かの役に立っているのだから、難易度や達成度で差をつけるのは好ましくないという組織風土が、役所には感じられる。あるいは、業務の内容に踏み込まず、予算を上手に取ってきた職員や、上司にとって使い勝手のいい部下が高く評価される。コンピテンシーについても、従来優秀と思われてきた人物の行動を職位別にモデル化して、金太郎飴的な再生産を狙っているように見える。
成果主義がこのように運用されると、業務の内容が本当に必要か、誰に利益をもたらしているのか、成果はコストに見合っているのかといった見直しがされないまま、決められた仕事を忠実に遂行することが評価され徹底される懸念がある。ところが、パブリックセクターにいま求められるのは、官民役割分担の再編であり、官の新たな役割の発掘ではないのか。前号で筆者は、「自治体の生き残りをかけた競争が激化しており、リーダーは住民や企業、観光客などをターゲット化して、魅力ある街づくりのビジョンを示し、予算や人材を優先的に配分しなければならない」と論じた。
本来人事制度とは、組織が目的を達成するために人材という資源をマネジメントするインフラまたはツールである。したがって、どの制度を選ぶかとか何を評価するかとかいうことより、どうしてその制度を導入する必要があるのかが決定的に重要である。成果主義の人事制度は、「自治体の使命をこのように再定義したから、こんな組織構造と人材要件が必要となり、不足する人材を育て適材適所を実現するには、こんな登用・報酬制度がぴったり」、という手順で設計しなければならない。
これまでの議論から、成果主義を人件費対策として、または職員の納得感を上げるためだけに導入しても、効果がないどころか逆効果になりかねないと言えるだろう。暇そうにしている人に給料を払いたくない気持ちはわかる。しかし、彼らが他の職員の邪魔になっているケースはそれほど多くないし、彼らが気持ちを入れ替えて一生懸命働いたとしても、それで街が魅力的になるほどインパクトがあるとは思えない。成果主義は、パブリックセクターに期待される価値を期待どおり提供できるように、自治体全体の組織風土を変革するために導入するのである。
成果主義の前提となるのは、最終成果を示す街づくりのビジョンであり、施策や事務事業がビジョンの実現に貢献しているかどうかをチェックする行政評価である。行政評価を実施する場合、通常その拠りどころとして、上位目標と下位目標を関連づける目的連鎖図を作成する。実は、この目的連鎖図には2種類ある。1つめは事務事業の棚卸で、現在実施している業務を、政策や施策といった上位概念の下に分類し体系化したものである。2つめは狭義の目的連鎖図で、まず先に純粋に実現したい価値を規定し、それに必要な業務をゼロベースで落とし込んでいく。
2 つの連鎖図のうち、ビジョンから出発する街づくりに有効なのは後者である。棚卸はどうしても既存事業や既存の組織構造が前提となってしまい、やるやらないの見直しに留まる。それに対し、目的連鎖図は既存事業の抜本的な見直しにつながる可能性を秘めている。しかし、組織構造や予算配分とズレが生じるかもしれない。例えば災害の防止をとっても、消防、建設、民生など各部局が持つ予算で実施する事業が有機的に連携し、かつ民間や市民から協力が得られなければ大きな成果を期待できないからである。
担当レベルであれば、事務事業評価をストレートに人事考課に反映させてもよい。はじめは違和感があったとしても、事務事業評価がツボを押さえるにつれて、しっくりくるようになるだろう。一方、組織体系と価値体系のねじれのせいで、上層部は目標を部下と半ば独立して設定せざるを得ない。前出の例では、建設や民生、民間の動向に権限が及ばない以上、消防の部門長が災害の防止責任を負うことは困難という言い訳が許されてしまう。
このように、機能別組織では上層部の目標や成果指標があいまいになり、責任を問われにくくなる。管理職の責任が明確ならば、統括する部局の業績が出ていないのに部下を甘く評価すると、上司から「あなたは何をやっていたのか」と詰問されるので、部下を真剣に評価するようになるだろう。だが、そんなプレッシャーを受けない状況では、上司は部下の機嫌をとって気持ちよく仕事してもらったほうがよい。チャレンジを求める必要もなく、成果主義の人事評価制度はものの見事に換骨奪胎されていく。
それでは、成果主義をまっとうに機能させるためには、どうしたらよいのだろうか。1つのやり方は、民間企業のように目的の変化に応じて組織を再編したり、限られたミッションを掲げるチーム制を採用したりすることで、組織体系と価値体系のズレを埋めることである。ただし、組織再編は予算制度の抜本的な改革を伴うし、どのような切り分けにしても、横の連携をなくすことは難しい。
もう1つのやり方は、幹部が自分で部局運営方針を設定し、それに基いて担当組織で何を評価するのかを表明するやり方である。運営方針は、もちろん街づくりビジョンの実現に貢献するものでないといけないが、予算体系や部局名、従来の守備範囲などにとらわれる必要はない。幹部は首長に対して成果責任を負い、たとえ現時点で必要な権限を与えられていなくても、本人の責任で部局間を超えて調整し、議会と密接な意思疎通を図り、民間と協力体制を構築してとにかくやり遂げなければならない。
このように上層部が行政経営者の視点で方針を明確に打ち出せば、自分と部下の成果を評価する尺度ができる。そもそも部下の成果を評価できずに、どうやって組織を運営するというのか。ものさしを設定し、自分も責任を問われる立場に身を置いて、はじめて部下にチャレンジを求める凛とした雰囲気を作ることができる。こうして変革に立ち向かう意識が全職員に浸透すれば、幹部自身が率先垂範しなくても、職員が自律的に変革する強い組織になるのである。
これまで自治体が導入した成果主義の事例を見ると、部局間に差をつけないようにという配慮からか、職員の納得感を上げるためか、上層部に戦略を設定する実力がないためか、はたまた人事部が存在意義を誇示するためか、役所には人事制度を徹底的にルール化する文化がある。しかし、現場の成果達成を支援すべき人事部が成果の定義について現場を縛るのは、おかしいのではないか。同じことがコンピテンシーについても言える。民間にも人事部が全部ルール化する役所のような会社もあるが……。
評価を賞与の金額に反映させると、確かに「成果を出してくれ」という強烈なメッセージが伝わる。少額の格差でも、平等意識の強いパブリックセクターでは象徴的意味合いがある。だが、考えてみてほしい。民間企業の場合には、成果が出れば通常会社の利益に貢献しているはずであり、その利益を原資として貢献に応じて還元することは理に適っている。自治体では、企業や住民、観光客の誘致に成功して税収が増えた場合はともかく、成果と原資が並行して拡大することは、短期的には期待できない。成果を年度末に締めて金銭で報いることは、理屈がつかないように思われる。
パブリックセクターの優秀な方々と話していて感じるのは、強烈な公僕意識である。優秀な職員にとって、仕事をしやすい職場環境を整えたり、やりたい仕事に異動させたり、能力開発の機会を与える方が、報酬格差より動機づけの効果がはるかに大きい。行政評価をどれだけ丹念にやっても、成果の出ない事務事業を停止することはできるが、新たな企画には結びつかない。それに対し、成果主義を配属や人材開発と組み合わせることで、行政改革が一気に加速するのである。
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