【巻頭言】
ペンション・ダイナミクス
年金戦略の再構築

1.
何のための企業年金か
マネジメントは企業年金についてどう考えるべきか

2.
年金経営入門
財務戦略としての年金運用

3.
運用戦略構築のダイナミクス
制度オプションの多様化と資産運用

4.
負債構造に基づく多期間ALM

5.
マネジャー・ストラクチャー
構築ダイナミクス
リスク・バジェティングによる運用効率向上

6.
トータル・リスク・マネジメントによる年金運用の再構築
企業経営の一環としての年金運用

7.
運用機関のアセスメントの視点
相互コミュニケーションを深めるために

8.
運用組織のダイナミズム
アナリスト増員は成績向上の切り札か

9.
確定拠出年金の資産運用
「自己責任」と「投資教育」


.

年金経営入門
財務戦略としての年金運用

 

佐川利道

アナリストからの質問状

 年金担当の役員および社長にお尋ねします。
 @ 貴社の年金の予定利率の決定理由と今後5年間のキャッシュ・フロ
   ーを教えてください。
 A 貴社の退職給付債務(PBO)の今後3年間の想定レンジとその前
   提を教えてください。
 B 貴社の損益計算書上の年金費用(認識分)の今後3年間の想定レ
   ンジとその前提を教えてください。
 C 貴社の年金運用におけるリスクの定義を教えてください。
 D 貴社の年金運用の期待リターン、許容リスクと、それらの前提とし
   ている期間について、具体的な数値で回答してください。
 E 貴社が、年度で想定している年金資産の最大損失額と損益計算
   書に与える影響を教えてください。
 F 株式の下落や金利上昇に対する対応策を説明してください。
 G 年金運営に関するコストは、年金資産の何ベーシスですか。
 H 貴社の年金運用の管理体制と担当者の評価・処遇について説明
   してください。

 この質問事項は筆者が作成したものであるが、アナリストからの質問の有無にかかわらず、年金を自社の人事戦略上のツールとして選択しているのであれば、経営トップの方は、上記の質問に明確に答えられる必要がある。
 年金制度の負担の大きさや、資産運用の振れが業績に大きく影響するのであれば、上記の質問事項の多くが、重要な「経営指標」と言えるためである。
 年金は、企業の不良債権ではない。従業員に対する重要なベネフィット戦略の一翼を担うものである。当然に、従来の終身雇用制度を前提とした年金制度自体が耐用年数を超えていることは自明であり、自社のビジネス戦略に基づいたシステムに再構築していく必要がある。
 自社の人事戦略としてある年金制度を導入した場合、それをマネージしていくためのコストが発生するため、それを賄うための運用リスクを負担しなければならない。この運用リスクのマネジメントが、年金に対する財務戦略である。
 図1は、この関係を表しているが、現状は、両者の関係が十分に整理されているとは言い難い。その背景には、@人事制度としての年金という意識から、財務戦略としての認識が遅れた(退職給付会計導入前は、掛金を積めば費用処理が完了した)、A債務の認識方法が異なるため、年金財政を管理する基金と財務部門が同じ基準で運用戦略を議論しにくい、B資産運用に関する理解が十分ではない、C年金運用に関わる人材、体制が不十分、などが挙げられる。

図1

 しかし、年金の後ろには加入員がおり、年金給付に対する受託者責任が両者にかかっている。さらに、母体の後ろには、株主が目を光らせており、経営資源の最適な配分とリターンを要求される。年金を経営の悪者にして済む時代ではない。経営としての年金戦略の高度化が要求されている。
 本論は、財務戦略の視点から年金経営について考えるものである。

以下で、年金経営を考える上での論点を整理する。

年金財政と財務戦略の関係を整理する
 ―質問事項@〜Bに対応

 年金の給付原資は、掛金と運用収益で賄わなければならない(ここでは、議論をシンプルにするため、退職給付信託は除いている)。この両者の関係を決めているのが予定利率であり、この利率で掛金の積立スケジュールが決まる。
 予定利率は、積んだキャッシュ(掛金)を何%で運用するかという指標だが、運用にはリスクが付いてくるため、財務戦略上の観点からは、自社が許容できる運用リスクから妥当な予定利率を設定するというアプローチが必要となる。
 これが、年金財政と財務戦略をつなぐ重要なポイントである(図2)。

図2

 母体は、年金資産の損失についても負担しなければならないため、その財務力を超えるリスクを取ることはできない。年金運用で取れるリスクを決める上で、外部環境の要因は小さくないが、あくまで、個別の企業の事情によって異なるものである。それにもかかわらず、これまでの予定利率の設定は、足元の市場環境や、横並びで決める傾向が強く、自社の財務力で許容できるリスクは何か、という視点に乏しかったのではないか。
 また、掛金の負担可能額は無限ではないため、その制約が優先されることは当然であるが、それもまた、年金資産の運用リスクをどこまで取れるのか、という議論がベースになければ、年金に対する拠出額の不安定性を増幅してしまう。

 予定利率は、年金財政上の掛金の積立スケジュールであり(そのスケジュールを運営するために必要な積立水準を示したものが数理債務)、それ自体は、母体の財務の許容リスクとは独立したものである。したがって、予定利率が所与のものとして決まっている場合には、資産の運用リスクの決定が受身にならざるをえない。

 この議論を経営レベルで行うには、どうすべきであろうか。
 まず、母体の負担すべき年金債務を正しく把握する必要があるが、その対象は、言うまでもなく企業会計上で年金債務を表すPBOである。
 年金経営を行う上では、PBOから年金財政を考えるということが基本となる。これによって、年金資産に対する戦略が受身ではなくなり、柔軟性を持たせることが可能になる。
 具体的には、PBOに対して、資産の運用リスクをどこまで取れるか/取るべきかの将来予測(PBOベースのALM)を行うことになる(弊社の具体的なALMのアプローチについては、川辺の「負債構造に基づく多期間ALM」に詳しいので、そこに譲る)。
 そこで検討すべき運用リスクとは、PBOが金利によって変動する債務であるため、資産のリスクとPBOのリスクの双方を一体で考える必要がある。このリスクは、資産とPBOの差額である「サープラス」の動きをもってとらえることができる。
 このサープラスの認識方法には、ストック・ベースとフロー・ベースの2種類がある。前者は、貸借対照表における退職給付引当金であり、後者は、損益計算書における数理計算上の差異(認識額)を指す。特に、損益計算書における数理計算上の差異(認識額)は年度で負担する年金関連コスト(金利と資産運用の変動が最も大きな要因)を示すものであり、母体財務のリスク許容度を検討する重要な指標の一つとなる。また、退職給付引当金は、中長期の積立目標と考えることができるであろう。
 このように整理することで、母体が年金債務に対して、長期・中期・短期(年度)で、どのようなリスク(年金債務と費用の大きさと変動性)を負
うことになるのか、ということを数値で議論することが可能になる。
 以上の検討を通じて、母体の財務力から許容できるリスクの水準とレンジが決まり、それをマネージするための運用方針(アセット・アロケーション)の期待リターンが決まる。この期待リターンが予定利率以上であれば、年金財政上の掛金(積立スケジュール)と整合性が取れる結果となる。
 一方で、運用方針の期待リターンが予定利率を下回る結果となった場合は、予定利率を引き下げる必要がある。これには、掛金の負担能力の問題がからんでくるが、これも、年金債務を賄うための掛金と運用収益のバランスの議論であり、母体の運用に対するリスク許容度という視点を入れて整理することが必要である(制度の見直しも、当然に、この議論と関連して行われるべきである)。
 また、以上の議論は、積立スケジュールの方針(早く積むか、ゆっくり積むか)と運用リスクの取り方をイコールにしている。しかし、PBOから年金財政を考えるアプローチを取ることで、事業環境の変化に合わせて、この両者を分けた戦略を、整合性を持って構築することも可能となる。

 以上が、財務戦略と年金財政を一体管理していくための基本的なアプローチである。

年金運用のリスク・マネジメント
 ―質問事項C〜Fに対応

 不確実な将来に対する運用戦略の構築は、どのようなアプローチであっても、何らかの仮定に基づくものであり、ALMも例外ではない。一方で、将来に対する戦略は、複数の前提条件と、そこから見込まれる「確率」から判断していく以外に道はない。
 同時に、将来のすべての事象に対応できるような戦略を創り出すことが困難なことも自明である。
 重要なことは、この判断を、どの程度のディシプリン(規律)をもって行えるか、ということにある。「年金は長期」という言葉だけでは無力である。

 年金運用では、ターゲットとなる期待リターン、許容リスク、それを達成していく上での時間軸を、経営レベルで明確に、数値で決定しておく必要がある。
 そして、@ある前提条件における許容リスク(最大損失額等)をどのように見積もるか、Aそのリスクが発現する場合に、どのような対応をとるのか、B前提条件と現実のギャップが許容レンジを超える場合には、どうするのか、というようなことを事前に検証し、対応策を決めておかなければならない。このようなダイナミックなリスク・マネジメントを行わなければ、市場変動に対抗していくことは困難である。これらを行う上での議論のベースになるのが、ALMにおけるシミュレーションやストレステストの結果である。
 ただし、このようなダイナミックな対応の原点は、現在、どの年金でも行っている「リバランス」のルールを決め、それを着実に実行することにある点を忘れてはならない。事前の前提と現実のギャップが許容範囲内にあるのであれば、現方針の「リスクを維持する」というリスク・マネジメントが最も適切な対応になるためである。それができて初めて、次のステップに移ることができる。
 市場変動に対してルールに基づいたリバランスを実行していくことの難しさは、皆さんも十分に経験をお持ちであろう。ディシプリン(規律)とそれを維持できるガバナンスがあって初めて、不確実な将来に対してダイナミックな対応力を持てるのである。

 なお、キャッシュ・バランス(CB)の導入を進められている企業も多いと思うが、基本的な考えは同様である(そのリスク・マネジメントは、さらに高度化する)。なお、CBについては、岡田の「運用戦略構築のダイナミクス」に詳しいので、そこに譲る。

ガバナンスを回す
 ―質問事項G〜Hに対応

 さて、このような運用戦略は、経営レベルの議論とディシプリンが必須になるが、それは、決して簡単なものではない。
 しかし、年金資金は企業の余資ではなく、一定のリターンが要求される投資案件である(損失のみが生じるリスクではなく、収益機会を併せ持つリスクである)。このようなリスク・マネジメントは、本業の投資案件の立案・実行で日常茶飯事に行われているものと基本は同じである。
 また、このような年金資産のリスク・マネジメントを誰が、どのように行うかという体制の構築が、経営レベルでの議論と同様に重要である。日本企業の年金ガバナンスは、この10年で大きく進んだと言えるが、依然として不十分な権限委譲の中で、現場の担当者の負担のみが大きくなっている例は少なくない。年金のリスク・マネジメントの巧拙が業績に与える影響を考えれば、そこに組織としての対応を強化していくことは、コスト的にも割高ではないのである。

 年金経営を高度化させていくためには、年金の課題を、経営に通じる言葉(ALM等によって算出される数値等)で議論し、感覚的な意見を排除した土壌を作ることが、入り口となる。
 そして、ディシプリンをもったマネジメントが行えるようになれば、年金のガバナンスは力強く回りだす。
 年金経営のスタートである。

トップへ戻る ▲

●佐川利道 さがわとしみち/慶応大学法学部卒業。安田信託銀行投資顧問部および安田信投資顧問にてファンド・マネジャー。年金等の運用、商品開発に従事。当社入社後は、資産運用コンサルティングに従事。資産運用に関する論文がある。スポンサー向け資産運用セミナーの講師を務める。