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【巻頭言】 |
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運用機関のアセスメントの視点
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川原康仁 |
選挙の際、投票に行かない人にその理由をアンケートしてみると、「誰が当選しても生活は変わらない」「どの政治家も同じことを言っていて違いがわからない」といった意見が多数を占める。確かに、現在(過去に遡っても状況は同じかもしれないが…)の政治は不透明性が非常に高い。政治とはそういうものだ、と言い切ってしまえばそれまでだが、立ち返って考え直してみてもらいたい。『誰のための政治なのか?』ということを。取りも直さず国民一人ひとりのためであることは間違いないのである。にもかかわらず、わかりづらい政治活動を行い、国会で居眠りばかりしている超ベテラン議員に問題があるのは言うまでもないことだが、当の国民一人ひとりが自分のいま置かれている状況をきちんと把握し、何を優先させて選挙に臨むべきかという心構えや、新聞マスコミの報道だけを鵜呑みにせず自分の目や耳でものを考えようとする力・意欲のなさにも問題があるのも事実ではないだろうか。
本稿では、別に政治談議を長々と述べるものではもちろんなく、年金資産運用の話をするために筆を執っているわけだが、前段に述べた政治噺と必ずしもかけ離れたものではないと私は思う。「どのマネジャーが運用しても結果は変わらないだろう」「高い報酬を払ってアクティブ・マネジャーに委託しているのに、リスクを取らないパッシブ・マネジャーのほうがよっぽどましだった」といったスポンサーサイドからの声はよく耳にする。運用会社を政治家、スポンサーを国民とするとぴったりあてはまるのではないか。ただ一つの決定的な違いは、『どの政治家〈マネジャー〉が当選する〈採用される〉かによって、確実に国民〈スポンサー〉の生活が変わってくる』ということである。
年金がますます母体企業のバランスシートに直接的に影響をもたらしていく中、仮に1%でもいや0.1%でもパフォーマンスが改善することができれば、その母体企業にとって多大なるプラス影響をもたらすのは言うまでもない。その一助となるべく、全体のパフォーマンスに直接影響を与えることになるマネジャー・セレクションについて、その評価の視点を中心に考えてみたいと思う。
「こんな成績だったら高い報酬を払ってアクティブ・マネジャーに委託するのではなく、パッシブに預けておけばよかった」というスポンサーサイドの話をよく聞くという話をした。ご存知のようにこの3年間は、長引く景気低迷、デフレの深刻化に伴う株式市場の暴落により、日本の年金資産は大きな痛手をこうむってきた。こういった市場の動きに、多くのアクティブ・マネジャーは付いていくことができず、マイナス幅をいたずらに膨らませてきたのは事実である。2003年度に入ってようやく回復の兆しが少し見られてきてはいるものの、自分が預けている運用機関が今後継続的にプラスのパフォーマンスを見せてくれるかについてはおそらく誰しもが不安であろう。
そういった中で、少しでもα(アルファ)を稼ぎたい、そのためにアクティブ・リターンの獲得が期待できるマネジャーを雇いたい、そうでなければ雇う意味がない、と考えるのは自然な流れである。しかしながら、全世界でこれほどに数多くの運用機関が存在する中、そうしたマネジャーを見つけ出すのは、想像以上に簡単ではない。
一つの方法として、過去の実績に頼るというのがある。
長期間、継続して良いパフォーマンスを出し続けるのは不可能であり、どんな優秀なマネジャーでも、短期的にはパフォーマンスが低迷する時期があるのはまず間違いのない事実である。過去のパフォーマンス実績から、将来のパフォーマンスを測ることは難しいし、逆に、過去一定期間パフォーマンスの悪かったポートフォリオは、市場の平均回帰の特性を鑑みると次期のパフォーマンスが好転する確率が相対的に高いのである。直近のパフォーマンスが最も良いマネジャーのウェイトを下げ、逆に最も悪いマネジャーのウェイトを上げたほうが、全体的にはよい結果となるのではないか、と冗談で言われるほどである。
また、パフォーマンスの良し悪しは、運・不運に左右される場合も多く、定量的な運用評価のみでは、運(偶然性)と純粋な投資能力のどちらによるものなのかの判別が極めて困難である。特に、短期間の運用実績から判定するのは困難であり、一般的には、最低でも10年以上の期間で見ないと統計学的には意味がないと言われている。一方、最近では国内の運用会社においても、運用プロフェッショナルの担当サイクルが長くなってきてはいるものの、転属や転職、昇格といったものもあり、同一のファンドを同じ人物が長期にわたって担当するケースはそれほど多くはない。
だからといって、短期間の運用実績で評価すると、数字だけが独り歩きし、有能なマネジャーを過小評価し、その逆のケースを過大評価してしまう恐れが十分にある。また、現状では実現損益の確保など運用上の制約がある場合もあり、マネジャーの意思に反した投資行動をとらざるをえないことも多い。
したがって、定量評価を注意深く行うことは、パフォーマンス結果の要因、すなわち、どういうリスクを取った結果であったかを把握し、今後の運用戦略策定やリスク管理に生かす意味で非常に有効であるが、定量評価のみで運用の巧拙を評価するには限界があると言わざるをえない。
パフォーマンスの結果が運か、能力かを見極める明確な手法はない。しかし、明確な投資方針・戦略や超過収益の源泉を事前に宣言し、それに則った投資行動の結果である場合は、ある程度能力であると推測できよう。したがって、明確な投資方針(哲学)や戦略などを事前に表明させ、その上で投資行動との整合性や投資プロセスの評価を行うことが
重要である。明確なディシプリンがないのに、結果的にパフォーマンスがよかった場合は、多くの場合、幸運であったと評価せざるをえない。ましてや、事後的にもファンド・マネジャー自身がどういう予測または信念に基づいて、どういうリスクを取り、どういうタイミングで合理的に投資行動をとった結果なのかを、具体的に説明できないのであれば、なおさらである。
弊社の運用会社に対する評価基準は「ビジネス」「ピープル」「プロセス」を中心としている。パフォーマンスは、どのような投資行動をどういったタイミングで行ったかという「プロセス」で決定され、そのプロセスはそこで働く優秀な人「ピープル」によって管理・運営されていき、それらの優秀な人材の維持を決定づけるのが「ビジネス」である、という考え方に則ったものである。その中でも特に、運用環境が激変する昨今、日々変化していく環境に応じてどのような投資行動をとるかといった判断は運用担当者に任されており、そういった意味でも『ピープル』の評価の重要性が高まってきている。
年金資産運用においてマネジャーに期待される役割は、適切な(スポンサーのレベルに見合った)リスク水準にて、継続的に超過リターンを出していくことであることは誰しも納得するところであろう。一方、その適正なリスク水準を管理していく上で重要なことは、運用スタイルを分散することによってリスク分散効果を狙うことである。委託するマネジャーの運用スタイルを分散させることによって、超過リターンの収益源泉を分散し、結果として運用効率を高めていくことは、年金の運用を考える上では最も重要なことであり、そのために運用スタイルや哲学の一貫性が保たれているかを見ていくことは重要な視点となる。
では、運用会社サイドとして、長期的な運用スタイルや哲学の一貫性を保っていくためには、何がキーファクターとなるか。それは、言うまでもなく運用担当者(ピープル)のレベルである。『投資』を一口にまとめることは難しいが、少々乱暴な言い方をすれば、所詮は『人』の判断によってその果実がもたらされるものであり、すなわち『投資』の良し悪しを図るには、『人』の良し悪しを判断することが最も重要である、といってしまうことも可能であろう。
言うまでもなく『人』の良し悪しは、その人間自身の能力が高いか低いかによって決まるのだが、人事評価制度、報酬体系、運用プロフェッショナルに対するマネジメント層の理解度などといった、その『人』を取り巻くあらゆる環境が、その評価する上での見るべきポイントとなってくる。
例えば、経験も豊富でかつ優秀なアナリストを多数抱えていたとしても、彼らの能力を正しく評価してくれるマネジメント層の見る目がなければ、早晩、優秀な人材はスピンアウトしていってしまうであろう。これはもちろんチームとしての崩壊につながることであり、当然パフォーマンスにも影響を及ぼすであろう、という予測は容易にできる。
歴史的に紐解いてみると、経済右肩上がりのバブル絶頂期の資産運用は、国内の信託銀行や生命保険会社といった運用機関にとっては、所詮は銀行業務や保険業務といった本業の付随業務にすぎず、競争意識というものはないに等しかった。その結果、運用会社を選択する際、スポンサーサイドとしては同業他社との比較が非常に難しかった。しかし、バブルが崩壊し、様々な規制緩和が進むことにより外資系投資顧問銀行が続々と参入してきたことから、競争は激化。さらに、金融機関の破綻が相次ぐ中、人材の流動化が急速に進んだことにより、各運用機関の特色が徐々にではあるが、出始めるようになってきた。人事制度面にも大きな変化が生まれた。従来は親会社の金融機関(銀行・保険・証券)からの出向者が大半を占める状況であったのが、投資顧問独自での採用枠が設けられ、欧米に負けない運用プロフェッショナルを育てようというムードが最近で
は高まってきた。
しかしながら、残念なことにこういった動きが見られるのは一部の運用機関にすぎず、その一部の運用機関にしても、まだまだグローバルで比較した場合、見劣りする部分が多いのも事実である。また、運用プロフェッショナルに対する評価処遇制度についても、多くの運用機関では依然、年功序列や上役の主観的評価がまかり通っており、客観的な評価基準が欠如、もしくは低比重というのが現状である。
弊社では、個々のマネジャーとのミーティングを通して、『ピープル』がそのプロダクト全体に対してどのような影響力があるかを議論し分析してきているが、パフォーマンスに与える影響度は今後ますます増えていくと思われる。
しかしながら、このような変動の大きなマーケット環境の中では、「選択すること自体の恐怖」に陥ってしまっているように思える。明確な投資に対する考え方が確立しておらず、ガバナンスが機能しない組織だと、とかく場当たり的な判断に偏りがちで、最悪な場合、何もしないほうがよい、という思考停止の状態になってしまう可能性が高い。まさに、『どの政治家を選んでも一緒だから投票に行かない』である。
先に述べたように、この思考停止状態はお互いのコミュニケーション不足によって引き起こされるケースが多い。企業側(スポンサー)と運用機関(マネジャー)のコミュニケーション・ツールが決定的に足りないのである。多くの運用機関が、スポンサーサイドの投資に対する理解力・知識が足りないと感じており、伝えるべきことの半分も伝え切れずに四半期報告会などのミーティングを終えてしまう。そのため、自分たちをアピールしなくてはならない場にて、十分にアピールすることができなくなり、結果としてスポンサー側は「どの運用機関も同じ」という思考に行き着いてしまうのである。このスパイラルは一刻も早く打破しなくてはならない。
当然、スポンサー側はもともと運用のプロではないことが多いことから、運用機関側からの丁寧なかつ細やかなプレゼンテーション(歩み寄り)が必要不可欠であるのは言うまでもないことだが、ぜひもう一度考えてもらいたい。『誰のための年金なのか』ということを。
どのマネジャーも決して万能ではない。可能な限りの情報と能力をお互いの共同作業によって引き出すのがスポンサーとマネジャー双方の幸せにつながるのは言うまでもない。もちろん、マネジャーが持つ可能性を最大限に引き出すことも重要ではあるが、実際の運用に携わるヒトを理解する眼が大切となる。この眼力は最終的にはスポンサーが自ら養う以外にはないと考える。
厄介者と思われがちな年金を少しでもプラスの思考へと転換するための一つの方向性として、また、より深く『政治家』を知ってもらうための一つのきっかけに本稿がつながれば幸いである。
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