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【巻頭言】 |
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戦略徹底のリスクとリターン
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中島正樹 |
ここ20年ほどの間、「戦略」は企業経営を語る際の重要なキーワードであり続けた。「戦略」の良し悪しが競争優位を構築できるかどうかを決め、それが長期的には企業の存亡をも決める、と考えられたためである。しかし、企業を取り巻く環境の不確実性が高まるにつれ、優れた戦略も「賞味期限」が短くなり、また実行のリスクについても相当注意深く検討する必要が出てきた。全力を尽くし、徹底して実行しなければ期待したリターンは得られないが、一方で失敗した場合のリスクも大きいからである。特に「成長戦略」の場合、その度合いは飛躍的に高まる。
「失われた10年間」のなかで、戦略論の大家であるハーバード大学のマイケル・ポーター教授から「戦略がない」という断定を受けながらも、リストラに次ぐリストラを重ねて何とか「V字回復」を果たした多くの日本企業が、今後の「成長戦略」を模索している。
しかし、変化する市場と競合状況から導かれる自社のあるべき姿に向かって、有効期限付きの戦略を次々とタイムリーに繰り出していくことの延長に、果たして「成長」はあるのだろうか。いや、そもそも「成長」とは、自分が「こうありたい」と強く思う姿に強いこだわりを持ち、試行錯誤や実践を積み重ね、学習を蓄積することによって、一段「突き抜ける」ことではなかったか。人間の組織体としての企業の「成長」は、人間の「成長」とは本質的に異なるのだろうか。
「戦略」は、これまで「持続的な競争優位を獲得するための一連の統合された施策」と定義されてきた。そして「選択と集中」が「戦略」の本質として広く理解されてきた(※1)。「選択と集中」の要諦は、市場の変化を睨み、ベストと思われる一つを選んで他を捨てることである
「戦略」徹底のリターン
「選択と集中」を徹底し、大きな成功を収めた会社は少なくない。大口顧客との安定的取引であった商業貨物事業から完全に撤退し、宅配便事業へ集中して市場の創出と業界首位の座を築いたヤマト運輸、コングロマリットから携帯電話事業への集中を実現し、破綻目前から端末の世界シェアNo.1へとドラマティックなターンアラウンドを果たしたノキアなどはその代表例だ。
また、「選択と集中」は、組織や人のマネジメントをより容易にするというメリットもある。「この事業に集中するぞ」というメッセージは、組織や社員をまとめあげるための極めて強いドライバーになる。「これに失敗したら明日の仕事はない」という背水の陣的な危機意識が社員のモチベーションとコミットメントを引き出し、「全社一丸」となった実践を容易にする。
「戦略」徹底のリスク――ハイリターン=ハイリスク
しかし、これには大きなリスクが伴うこともまた明らかだ。構造的優位を築くために集中投資を始めたが、市場に競合の参入が続き、成功要件の達成に必要なクリティカルマスが事前の予想よりも大きくなってしまった、隣の分野で起こった技術革新が選択した分野そのものを消してしまった、など……。製品・技術のライフサイクルが短く、業界のデファクトスタンダードをめぐる競争が激しいハイテク・ネット業界ではこの例には事欠かない。
「戦略」徹底のリスクは低減できるか
――「多角化のジレンマ」と「最速ランナーの宿命」
ではどのようにすれば、戦略徹底のリスクを回避できるのだろうか。
ポートフォリオ理論の答えはシンプルである。「リスクは分散すべし」。しかし、戦略の分散は、最悪の場合、「集中」の効果をゼロにする恐れがある。
ここに「多角化のジレンマ」が出現する。「結局どれだけ手を尽くしても、変貌し続ける市場動向を正確に予想するのは不可能に近い。しかし分散では期待できるリターンは不十分だ。それならば、シナジーが得られるいくつかの分野のみにリソースを配分し、リスクを分散しながら一定のリターンを確保しよう」という考えから、「フォーカスされた多角化」が選択されたケースも多い。
しかし、この「フォーカスされた多角化」は「分散」と「集中」の両方のリスクをかぶってしまうこともある。
例えば、ブロードバンド時代に向けてハード、ネット、コンテンツの相乗効果による収益モデルを目指しているソニーは苦戦している。ハードでは、シェア首位のブラウン管テレビセグメントの横に生まれた液晶・プラズマの薄型テレビなどで普及型製品の投入が遅れ、競合の後塵を拝している。一世を風靡したパソコンでもシェアを落とした。ネット事業は、ADSLを中心とするアクセスでの競争がISP市場にも持ち込まれたため、営業赤字に転落した。シナジー獲得までの道のりは険しい。
結局のところ、この戦略徹底のリスクを低減できる現実的な方法は、戦略形成プロセスでの分析手法に磨きをかけながら、常に最適のポジションを取りつつ、そこでの一定期間の競争優位を築くために必要なリソースを投入し続けながら、市場の半歩先を駆け続けるという「最速ランナーの宿命」を受け入れるしかないように見える。言うまでもなく、現実に「最速ランナー」を続けられるのは世界でもごく一握りの企業だけだ。
「選択と集中」の限界を超えるにはどうしたらよいのだろうか。
その方向性として「エッジ」のマネジメントを掲げたい。市場の変化への対応で競合に常に先んじることを目指す経営ではなく、独自の「エッジ」を磨き上げることによって、ある一定規模の顧客に圧倒的な価値を生み出していく経営である。ここで「エッジ」とは、競合、顧客、取引先など、その企業を取り巻くどのような人から見てもはっきりとわかる個有な「尖り」を意味する。
「エッジ」をどうやって再発見するのか
創業期には、製品やサービスそのものが表現していたエッジも、企業自身の成長に伴って「尖り」が鈍ったり、見えなくなってしまうケースは少なくない。自社の製品ラインの拡大や業務プロセスの複雑化などにより、「尖り」を磨くための経営リソースの投入が分散されていくことや、仮に自分の「尖り」度合いが以前とは同じであっても、競合が参入すればその事実によって、顧客や他社からは「尖り」とは見えなくなるからだ。今、多くの日本企業が創業以来の「エッジ」を見失い、苦しんでいるように見える。
それでは、どのようにして「エッジ」を再発見したらよいのか。
結論から言えば、「エッジ」を再発見するには、企業が自分自身を見つめ直し、「ほんとうに好きでやりたいこと」をとらえ直すしかない。
「戦略」策定に使う基礎的な分析の代表的フレームワークとして「3C」がある。Customer(顧客)、Competitor(競合)、Company(自社)を軸として市場の広がりをダブリなくモレなく把握する分析だが、市場動向の変化をなんとか読み取ろうとするあまり、Customer(顧客)とCompetitor(競合)の分析に手間をかける一方、Company(自社)の分析は「わかっている」ものとして簡単に片付けて納得する傾向がこれまで強かったように思う。
しかし、個有な「尖り」を発見するという観点から極論するならば、どんなにリソースをつぎ込んでも予測できる範囲が限られている市場の分析を精緻化するよりも、むしろわかったつもりでいながら実は深遠な自社(Company)の「淵」を見つめることのほうが重要なのではないか。寝食を忘れるほど自社を駆り立ててきた「こだわり」は何だったのか。「できること」ではなく、ほんとうに「やりたいこと」は何なのかを改めて確認することが必要だ。
「エクセレントカンパニー」と賞賛されながら、その後衰退の一途をたどったIBMは、ルイス・ガースナーのもと、非連続的な変化が繰り返されたIT業界で復活を果たした(※2)。その復活の原動力は、製品・ソリューション・産業・地域のマトリックスを軸に自律的に運営されていた組織を「サービス」を基点に統合したことと説明されている。しかし、前任者の時代には短期的に確実なリターンが得られる分野に集中していたプロジェクトが、ガースナーになってからは、長期を要しかつその成功も不確実な分野にも広げられたことにこそ注目すべきである。ガースナーはIBMを、確実に「できること」から、成功は不確実でも「やりたいこと」へと振ったのだ。
「エッジ」をどうマネッジするか
それでは、「エッジ」が再発見された後、どうすれば「エッジ」を維持し、さらに尖らせていけるのだろうか。
その一つの方向性として、「こだわりによる自己組織化」を挙げたい。
「こだわりによる自己組織化」
ここで、「こだわりによる自己組織化」とは、その企業固有の「やりたいこと」に徹底的に「こだわる」ことによって、創発的な実践が生まれ、さらに、実践の結果が全社的なレベルでまとめ上げられ、学習されて積み上げられていく、という動きのなかで、「エッジ」の尖りを増していくことを意味している。言い換えれば、生き物としての企業が持つ自己組織化の動きを「こだわり」によってドライブし、企業のDNAをより先鋭なかたちで発露させようとするものである。
この「こだわりによる自己組織化」は、結果的に圧倒的な競合優位を構築し、持続的なリターンを生む可能性がある。また、蓄積されるスキルには汎用性が高いものもあり、バリューチェーンの前後や、異業種でも競争優位を築ける可能性もある。
トヨタはその格好の事例である。トヨタの場合、その生産システムが、製造業だけでなくサービス業にも適用可能なものとして注目され続けている。しかし、その強さの本質は、「日々改善」というこだわりが組織に埋め込まれたメカニズムとなって機能していることにある。
例えば、生産に異常が発生すれば「異常停止装置付き機械(自働化)」を作業者自身の判断で止め、現場で「5回のなぜ」を繰り返して「原因」の向こうの「真因」を突き止め改善する問題解決プロセス、生産現場に掲げられるラインストップ表示板(通称「あんどん」)による「目で見る管理」などの仕組みが、実践を促進し、同時に組織的な学習を促進するようオペレーションのすみずみにまで設計されている。さらには、この仕組みを運営する人自身の成長が、現場の従業員全員に公開される個人別の「星取表(40年間のワーキングライフプラン)」によって促進される設計になっている。そして、この仕組みと人の育成を「改善は永遠にして無限である」「モノづくりは人づくり」という強い価値観が支えている。
「こだわりによる自己組織化」を支える組織デザインとマネジメント
「こだわりによる自己組織化」が進行している企業は、組織を構成する要素のうち、社内の〈仕組み〉〈共有価値観〉〈社風〉、そして〈人〉に重点を置いた組織デザインとそのマネジメントに特徴がある。
例えば、トヨタでは、仮説・実践・検証・修正の問題解決プロセス(いわゆるPDCAサイクル)を支える社内の〈仕組み〉とそれに連動する〈人〉の育成、そして、その徹底した実行を〈共有価値観〉によって支えるメカニズムがデザインされ、そしてその実行が並外れて徹底されている。
IBMの場合は、部門ごとに分かれた社内の官僚的な手続きを「原則によるマネジメント」という〈仕組み〉の導入で一掃し、全社的な「チームワークによる実行」を新たな〈社風〉〈共有価値観〉として導入して組織にドライブをかけている(これにより機能横断的なチームによる部門を超えた創発的実践と組織的学習が活発化し、次々とトップシェアを築くメカニズムが生まれている。例えば、サービス部門で顧客の業務改善を支援したノウハウを自社の半導体工場に適用して生産性を飛躍的に改善すると、今度はそこでの学習成果をパソコンのサプライチェーン・マネジメントにも応用する、などの展開を次々に実現している)。
しかし、これら組織の要素をすべて事前にデザインし尽くさなければ「こだわりによる自己組織化」が実現できないかと言えば、それは必ずしもそうではない。事例の実態を注意深く追ってみれば明らかになるが、必要な社内の〈仕組み〉は、まさに「自己組織化」という性質によって、ある意味、自然に生み出されていくのだ。
例えば、トヨタの前述したメカニズムは、事前にデザインされて計画的に埋め込まれていったものというよりは、「日々改善」というこだわりが、個々の実践と学習の中で現場の〈仕組み〉を、そして組織全体の〈仕組み〉を生成していったと見るほうが自然である。
したがって、まず〈仕組み〉をあくせくして設計する必要はないし、ましてや「トヨタ式」システムをやみくもに導入すべきでもない。自社の「やりたいこと」に徹底的にこだわるなかで、必要になる〈仕組み〉は自ずと作られていく。むしろ、事前に注意深くデザインし、マネッジすべきは、自社の「こだわり」をとことん追求するための〈共有価値観〉〈社風〉、そして〈人〉なのである。
「選択と集中」を超える経営の方向性として「エッジ」のマネジメントについて論じてきた。
読者の中には、それでもやはり「市場を見ないで自分のエッジを磨き上げても、それはただの独りよがりに終わるのではないのか」という問いを持つ方もいらっしゃるだろう。
その問いへの一つの答えとして、最後に、ビジネスとは別の分野の事例も挙げておきたいと思う。完全にグローバルで、実は変化も競争も激しいクラッシック音楽の世界での一人のピアニストの話である。
グレン・グールド(※3)は「尖った」ピアニストだった。彼の演奏は決して模範的な演奏とは言えなかったが、彼の後では同じ曲を誰が弾いても彼のバリエーションに聞こえてしまうような独創性があった。
グールドは、演奏する環境にも常軌を逸したこだわりを見せた。コンサート会場でピアノ協奏曲を演奏する際、指揮者・オーケストラ・聴衆を前にして、椅子の位置と高さの細かい調整を10分以上も繰り返し、口の悪い伴奏指揮者から「きみのお尻のほうをあと数センチ、スライスすればすむのだけどね」と言われたほどだ。
そのグールドは、ある時を境にコンサート活動をやめてしまう。大多数の演奏家が自分の価値を決める本当の市場と考えるステージからのドロップアウトを宣言したのである。「目の前の聴衆の気に入るように弾く」ことを拒否した彼は、スタジオに閉じこもり、自分の演奏を磨くことに没頭するようになった。
以来30年間、彼のスタジオ録音の数々は「世紀の名演」と世界中で最大級の評価を受け、彼の死後もCDは再発売を重ねている。
グールドは、聴衆を拒否して独りよがりの「井の中の蛙」になったのではない。「エッジ」を彫琢し続け、時代を超えた聴衆の「大海」に通じたのである。
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(※2)94年から2001年までの売り上げ、利益の年平均成長率はそれぞれ4%、14%。