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【巻頭言】 |
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一事徹底の人材育成
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鈴木康司 |
人材育成というテーマは、リーダーシップ論と並んで、今の時代に限らず、組織としての永遠のテーマであると言える。特に、90年代以降では、成果主義の導入・定着と連動する形で、再び人材育成が企業にとっての重要なテーマになっている。
企業を取り巻く環境が激変し、競合が激化する中で、企業として成果を達成していくために「成果主義」的な人材マネジメントシステムが導入されてきたが、それはいわばハード部分であり、真に成長を続けていくためには、人材そのものの成長・開発が不可欠である、という認識がされてきている、と見ることができよう。
しかし、人材育成とは非常に抽象性の高いテーマであり、様々な方法論・手法が開発されている一方で、どの企業にも通用するような魔法の処方箋があるわけでもない。各企業で実施されている取り組みを見ていて感じることは、人材育成とは「流行」を安易に取り入れるのではなく、「正攻法」で真正面から取り組むべき課題である、ということだ。
そこで、今回は、各企業で実践されている人材育成を体系化した上で、人材育成を徹底していくための方向性を考えてみることとしたい。
人材育成というテーマにおいては、すでにいろいろな議論がなされており、そのすべての意見がある意味で「真実」であるものの、同時に様々な課題を解決するための決定打がないのも事実であるため、まず、人材育成を実施する目的について、企業や個人の視点から定義したい。
企業が人材育成を実施する究極の目的、それは、「会社の発展、業績の向上、継続的かつ安定的な成果の達成」にあるととらえたい。一方で、社員の立場から見れば、月並みで言いふるされた言葉ではあるが、「自己実現」であると言えよう。つまり、個人にとっての志を実現することが人材育成において個人の立場から見た「目的」である。
では、(最終的なゴールがあるわけではないが)一定の範囲内において、人材育成が実現された状態とは、どのような状態であると言えるのだろうか。よく使われる言葉として、「活性化」された状態、ということが考えられるが、もう少し厳密に定義するならば、おそらく、組織全体として、あるいは、個人でみても、常に前進・成長を続けている状態であると言えるのではないか。昨年と全く同じことを全く同じようなやり方で、しかも全く同じアウトプット(成果)を繰り返し生産し続ける状態は、人材育成がなされている状態と全く逆の状態であると見なすべきである。
このように、今回は人材育成の目的として、企業・個人が共に「常に成長・前進」していくことによって、「会社の永続的発展」と「個人としての自己実現」を図ることととらえることとする。(図1)
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図1 |
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やや前置きが長く、また理屈っぽくなってしまったが、ここで哲学的な考察をするつもりはない。2000年代に入り、最近の企業を見ていると、人材育成は個別指導あるいは教育・研修という狭い範囲でとらえるべきではない、というのが共通に認識されつつあり、実際に多くの企業で抱えている人材育成面での問題とはまさに、いかに「成長・前進」できる状態を作るのか、という点であると感じることが多い。そこで、企業・個人双方にとっての「成長・前進」にこだわって、人材育成について、以下の通り、いくつかの視点に基づいて考えてみたい。
教育・研修といった狭い範囲でとらえることなく人材育成を進めている企業を見てみると、人材育成のマネジメント・サイクルを実践していることがうかがえる。実際の取り組みには多様なバリエーションが存在するが、それを大きくとらえると、次の三つの段階に分けられる。まずは、人材の見極めを行い、登用を行う段階(「見極め」)。次に指導をしながら実行させる段階(「実行」)。最後に、評価・検証を行い、代謝させる段階である(「検証・代謝」)。(図2)
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図2 |
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当たり前と言えば当たり前であるが、人材育成を強化している企業では、上記のマネジメント・サイクルが組織のシステム・インフラとして整備されていると言える。
このサイクルを実施するにあたり、実践上難しいのは、初めの「見極め」と最後の「検証・代謝」である。
「見極め」とは、昇格・昇進だけでなく、人材そのものの強み・特性等の目利きである。単に過去の成果や成功体験だけでなく、いかにその人材のもつ将来価値を見極めるかがここでの課題であり、企業の中には、コンピテンシーやその他の様々な方法を駆使して徹底して見極めを行うケースが増えつつある。
一方の「検証・代謝」であるが、ここでの難しさは、その人材の「旬」が過ぎた人材への対処方法にある。経営層に近くなれば近くなるほど、この対処方法は難しくなるが、この部分を放置してしまうと、「見極め」「実行」をいくら徹底しても、元の木阿弥であるのは自明の理である。
社員の感情・モチベーションに配慮しながらも、代謝を促進する仕組みを組み込むことが、人材育成を続けていくための重要なポイントである。
次に、誰が人材育成を行うのか、という視点である。人材育成というと、O. J. T(On the Job Training)とOff J. T.(Off the Job Training)という視点で切り分けを行い、「人材育成のメインはO. J. Tで、各現場で実施すべきである」という議論がよくなされる。確かにある意味、その通りであろうが、O. J. T/Off J. T. の側面からとらえるのではなく、人材育成を進める上で次の三つの段階に着目することがポイントである。まずは、「企業」が主体となり、社員(特に管理者)に対して実施する段階である。次は、管理者が社員に対して実施する段階であり、これがまさにOff J. T. であろう。もう一つ忘れてならないのは、社員自らが自分の能力を高めていく、という段階である。(図3)
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図3 |
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当然のことながら、企業がいつも主体になって教育・研修を行っているだけの段階では人材育成は進まない。また、管理者にばかり人材育成の責任を追わせるわけにもいかない、というのも事実である。企業や管理者の指示によらず、社員自らが主体的に自己向上を図っていく組織は究極の姿であり、いわば、理想論で実現不可能であるとも受け止められかねない。しかし、人材育成の目的として組織全体としての「成長・前進」を目指していくためには、少しでも理想の姿に近づけるべく、社員自らが能力を向上させようとする段階にまで意識を高めることに、もっとこだわりを持つべきではないかと考える。
では、社員自らの意識を変えるためにいかに仕掛けを行うのか。個人レベルの意識付けとしては、外的プレッシャー(環境・制度等)と内的プレッシャー(個人としての動機・志)の両面が考えられるが、企業としてまず取り組みやすいのは、やはり外的なプレッシャーであろう。
いろいろな方法はあるであろうが、一つとしては、常に「修羅場」を与えていくことである。「成長・前進」にとっての最大の敵はマンネリ状態であり、それを打破していくためには、次なるテーマを与えていくことが不可欠になる。この場合、異動といった物理的な変化を与えることによって新しい場を与えることは有効な手段であろうが、必ずしも異動だけがすべてではなかろう。同じ部にいたとしても、常に次なるテーマ設定は可能であろう。
さらに、評価制度に仕掛けをすることも考えられる。一般的に業績評価であれ、能力評価・コンピテンシー評価であれ、ある基準に対して達成できたかできなかったか、という視点で見ることが多いが、「成長・前進」にこだわるならば、「昨年度に比べて、今年度は具体的にどのような成長・前進があったのか」という視点で評価を考え直すのである。
言葉にしてみると平易であるが、実際問題、自分自身で振り返ると、「成長・前進」が評価の視点になると、非常に厳しいものがあることはおわかりいただけるものと思う。
特に、スピードが速く、付加価値を常に生み出していくことが企業の競争力の源泉である場合は、目標に対する達成度を評価するよりも、(会社の進むべき方向性の中で)何らかの成長・前進が実際にあったのかを見極める評価のほうが望ましいと言えないだろうか。
人材育成を実施する主体という視点でとらえると、まだまだ突き詰めて考えるテーマは残されているのではないかと思う。
次に、前述の二つの視点を統合して考えてみたい。つまり、「人材育成のマネジメント・サイクル」と「人材育成を実施する主体」という二つを組み合わせる視点である。ここで、この視点を人材育成のための9(ナイン)ボックスと命名する。(図4)
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図4 |
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実際に、各企業で実施している取り組みや仕掛けをこの視点でとらえ直すとおそらく偏りや、漏れがあるかもしれない。当然のことながら、企業の抱える問題に応じて、軽重があるのは事実であろうが、以下の事例を参考にして一度検証をしていただきたい。
事例:管理者教育に熱心なケース
管理者に対して、コストと労力をかけて、様々な教育・研修コースを取り揃え、全体のレベルアップを図っている。(「教育研修」=「実行」と「会社から社員へ」のボックス:図4)
特に、評価に対するトレーニングは徹底して実施しているものの、社員からは相変わらず、評価に対する不満がうずまいている。
この事例は、最近、よく聞く事例である。評価制度を整備したり、管理者の評価スキル、コミュニケーション・スキルを高めるために、ありとあらゆる評価者トレーニングを実施している企業も多い。しかし、問題の本質は他の部分にあることが多い。ここで二つの仮説をご紹介しよう。
仮説1:目利きの甘さ
一つの問題として、選出されている管理者の中には、明らかに、エキスパート型・一匹狼タイプの管理者がいて、そもそもマネジメントを実施するよりも、プロとして自由自在に動き回るほうに適性がある管理者がいることが想定される。つまり、マネジメントを実施させるよりも、プロとして活躍してもらうほうが効果的である、というケースである。
この場合は、明らかに、「見極める」と「企業から社員へ」のボックス内(=人の目利き登用)に問題があり、組織として、人と仕事のマッチングについてメスを入れることが必要になる。
仮説2:自己評価の甘さ
管理者に対するトレーニングは徹底して実施されていても、それが社員レベルまで浸透していないケースも散見される。いつまで経っても、上司と部下の評価に乖離が生じてしまい、評価に不満を持つ社員が存在するケースである。
この場合は、「見極め」と「社員自身」のボックス内(=「自己認識」)、あるいは「検証・代謝」と「社員自身」のボックス内(=「自己評価・振り返り」)に、まだ改善の余地があるものと推察できよう。
つまり、自分自身を客観的に見つめ直すことで、自分の思い(やりたいこと、志)と現実の仕事・業務とのギャップなり溝を埋める作業が必要かもしれないし、あるいは、社員レベルに対して、自己の客観的な振り返りを徹底する仕掛けが必要かもしれないのである。
このように、人材育成を極めるためには、教育・研修プログラムといった狭い範囲のアプローチに留めず、マネジメント・サイクルや育成の主体といった組織運営全体も視野に入れた仕掛け作りが必要になると言える。
最後が一番難しいポイントとも言えるだろう。9ボックスの観点から人材育成の仕組みを考えたとしても、それをやり続けることにばかり注力してしまうと、いずれ、「成長・前進」のスピードは鈍化してしまう。各ボックスで実施していく施策はある時期はこだわりを持って実施していくことは重要であるが、常に、改善・廃止も視野に入れておかなければならないだろう。
極限すれば、9ボックスという考え方すら忘れたほうがいい局面がくるかもしれない。
やはり、古くからの格言にはかなわない。守(シュ)・破(ハ)・離(リ)である。最後は、過去にこだわらずに独自のものを創り上げる、これこそがそれぞれの企業の人材育成において、「成長・前進」できる状態を作る極意とも言えるだろう。忘れ、離れることこそが、極めるための極意なのであろう。
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