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【巻頭言】 |
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チャレンジ徹底のパブリック・マネジメント
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杉浦恵志 |
パブリックセクターで最も徹底すべきことを1つだけ挙げてと言われたら、ためらうことなく「もっとチャレンジしてほしい」と答えます。「前例がない」「従来のやり方で問題が起きたことはない」「それは私たちの仕事ではない」などは、官公庁における事なかれ主義の常套句のように思われています。本当は、民間でも珍しくないことなのですが、それでも「官僚的」と呼ばれるのは、それだけ普遍的に見られるということでしょう。
最近は、公共サービスに対する期待の高まりにつれて、受益者や納税者の見る目が厳しくなってきています。また、従来地方財政を支えてきた国から支出が減らされることになり、民間に倣って経営改革を標榜する行政機関も増えています。けれども、ゴーン革命のような強烈なインパクトを感じないのはなぜでしょうか。それは、改革自体が「お役所仕事」になっているからではないでしょうか。
及ばずながら、行政改革のお手伝いをさせていただいていると、公務員の皆さんのまっすぐな公共心と学習熱、専門知識の高さには本当に感心させられます。「民間では、最新の経営ツールの導入が改革の原動力になっていたでしょう。だから、一生懸命勉強して、いっきにキャッチアップしよう、と」。改革チームは、心からそう信じています。なのに、いつの間にやら、暗〜い雰囲気が支配的になってしまった。
改革に成功した民間企業では、強烈な経営の意思があり、それに従ってツールを使いこなす工夫が凝らされてきました。パブリックセクターでは、短期間に形だけ模倣するために、そういった工夫の手間を省き、意思の領域までツールの精密さで担保しようとしてはいないでしょうか。そうすると、ツールは結局管理の手段となり、現場の管理職が手続きの煩雑さに忙殺されて実務に支障が出るか、あきらめて適当にあしらうかして、見事に骨抜きにされます。行き着く先は、管理部門が杓子定規な運用ルールを決めて、作業を代行する始末。「仏作って魂入れず」とは、まさにこのことです。
公務員制度改革の流れに沿って、人事制度の見直しも急ピッチで動き出しました。しかし、成果主義的な人事制度さえ導入すれば、自動的にチャレンジ精神が旺盛になるわけではありません。私が懸念しておりますのは、「ざまあみろ成果主義」とでも呼べるような、意地の悪い仲間意識が蔓延しないだろうか、ということです。
人事制度を成功裏に導入するには、職員の大多数にとって不安が少なく、納得感の高いものでなければなりません。財政的に余裕のなくなった組織では、能力的に劣ったり結果を残せない職員を従来どおり抱えておくことが、難しくなってきています。すると、成果主義を不安視する平均的な職員は、スケープゴートを探してきて、何とか自分たちを差別化しようとします。それによって、大部分の職員の一体感を維持するのです。
このような動機で人事制度が入れられると、どうなるのか。賞与削減や昇格停止の憂き目にあったスケープゴートに対しては、内心「当然の報いだ。ざまあみろ」とほくそ笑みます。ところが自分たちは、これまでの仕事をそこそこやっていれば、問題にならないはずだと考えている。逆に、達成できない事態を恐れて、野心的な目標を掲げなくなるかもしれません。人事部の側も、現場の協力をつなぎ留めるために、一事徹底の方向を間違えてしまうのです。
極端な目標の定量化は、その端的な一例です。定量化は、確かに評価者間の力量による差が小さく、評価がぶれにくいという長所があります。けれども、選んだ指標が上位目標に貢献するかどうか、設定した水準が高いかどうかは、人為的判断、つまり意思の部分に委ねざるをえません。また、数値達成のために無理をして、歪みを生む可能性がある一方、部下の担当業務を足し算しても、まったく怪しまれない場合もあります。
「ざまあみろ成果主義」は、スケープゴートに対してとても冷淡です。学校の通信簿のようなものと思えば、想像がつくでしょう。通信簿に「1」をつけられた子供が、それによって発奮して、次の学期に猛然と巻き返すことは、普通ありません。むしろ、やる気を失って、負のスパイラルに落ちていく。そこには、職員全体で成長していこうという意気込みが、完全に欠如しているのです。
成果主義的な人事評価を導入した行政組織の中には、成果主義を単に机上の制度として学習するに留まらず、民間企業の運用実態を調べ、「ざまあみろ成果主義」の弊害を取り除こうとしたところもあります。難易度の高い目標に対し標語に加点するのが、一般的なやり方です。しかし、「難易度」の判断基準は、「職層相当」とか「職層を上回る/下回る」とか極めてあいまいなもので、定量化による客観性の努力など、一撃で吹っ飛びそうな代物なのです。
それでは、何をもって「チャレンジングな成果か」を判断したらよいのでしょうか。以下の4点を総合的に判断(ウェイトをかけ、指標化してもよい)して、チャレンジングな成果を相応に認知することが重要です。
1. 水準の高さ
空気中の有害物質の濃度を0.3ppm下げる方法なら、目処がついてい
るから並の成果。0.5ppm低下させるには、業界の負担が重く説得に相
当困難が伴うので、チャレンジングな成果と判断します。
2. インパクトの広さ
公共事業によって、治水と経済・雇用効果を狙うのが並の成果だとし
たら、生態系まで視野に入れてすべての成果をうまくバランスさせるの
がチャレンジングな成果。
3. アウトカムの近さ
研究会を開催して報告書を取りまとめるのが並の成果だとしたら、報
告書を施策に反映し実施を促す手段を講じて、アウトカムに直接貢献
するのがチャレンジングな成果。
4. 障害の大きさ
誰もが異論のない施策よりも、既得権益を犠牲にしたり、従来の悪しき
業務慣行に風穴を開けたりするほうが、困難でチャレンジングな成果。
ちなみにアウトカムは、「行政の活動の結果として、国民生活や社会経済に及ぼされる何らかの変化や影響」を指し、それに対して後述するアウトプットは、「行政の活動そのものや、行政の活動により提供されたモノやサービスの量、モノやサービスの利用結果」などを言います(総務省行政評価局による定義)。
チャレンジ度の評価軸はご紹介した通りですが、部長と係長が同じ目標を掲げていたら、やはりおかしいでしょう。部長にとってチャレンジングな目標は、係長のそれよりずっと厳しいものになるはずです。このことを、「アウトカムへの近さ」軸に基づき説明してみましょう。
「アウトカムへの近さ」軸は、チャレンジ度の判定基準の中でも重要性が高いものです。受益者や納税者の立場で見れば、公務員がどんなに頑張って働いたところで、アウトカムが改善する期待感が感じられない限り意味がありません。このところ重要な政策目標を数値で示す「マニフェスト」が流行になっており、ベンチマークとなる数値目標を公開して、広く庁外からの監視に委ねる行政機関もあります。そこまでやらなくても、事務事業評価などの行政評価を採用し、「有効性」の評価を公開する自治体は少なくありません。
そうすると、期待感が実現されない場合、外部から「役所は何をやっているんだ」とプレッシャーがかかります。ところが、行政の力だけで実現できるアウトカムはあまり多くないし、何しろ時間がかかる。同じ庁内ですら、部門横断的な課題に対しては、自分達がどんなに頑張ったところで、関連部門との利害対立のせいでうまくいかないかもしれません。
こうした状況では、いくらでも言い訳が成り立つので、管理職ですら未達の責任を感じないでしょう。政治家のマニフェストなら、不可抗力も合わせて責任を取るのが筋であります。しかし、役人は所詮宮仕えの身分。「やれることは全力でやったんだから、それで十分じゃないか」で済んでしまう。公開されたアウトカムの指標が達成できないと、住民からのプレッシャーが働き、公務員がねじを巻き直すという自動仕掛けの図式は、あまりにもナイーブです。
職員が責任回避してしまったら、いかに高尚なアウトカム目標を掲げても達成の見込みはゼロです。したがって、行政評価や機関・部局の数値目標と、(最低管理職以上の)職員の個人業績評価は、必ずリンクさせる必要があります。それには、図1のような方法でアウトカムへ至る「パス(経路)」を描き、現在のポジションならどこまでやれば「適切なチャレンジ」といえるのか、上司や同僚と十分に話し合い、ピア・レビューの下で決めることです。
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図1/職責に応じたチャレンジ目標の設定事例 |
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以上「チャレンジ徹底」の前提条件として、各職層に伴う職責をはっきりさせる必要があります。職責の定義は、職務定義のように内容を細かく決めなくてもかまいませんが、部局長と次長、課長、補佐の役割や責任の大きさがどのように違うのか、明示しなければなりません。どうしても区別できなければ、それは区別できるほど差がないからです。プロジェクトチーム制を導入して下位の職員をリーダーに任ずるか、フラット化して重複する職層を削るべきです(なるべく多くの階層を残そうとする国家公務員法改正の流れは、この点で完全に逆行している)。組織横断的な課題には、責任者を明確にすることも重要です。
行財政改革関係者の間では、「マネジメント・サイクル」という言葉が飛び交っています。仮説−実施−検証の輪を重ね、よりよい成果を生み出すことを、こう呼びます。ですが、チャレンジのないところでは、マネジメント・サイクルの必要性は乏しい。何となく淡々とやっていても、目標を達成できてしまうからです。挑戦的な要素が入っていればこそ、普通のやり方で届かないから創意工夫が働き、新しいやり方の有効性を検証して、成果が向上するのです。
掲げた目標を何としてもやり遂げる気持ちは、とても重要です。
しかし、それ以上に大事なことは、常に野心的な目標を達成できるマネジメント・スタイルを庁内全体に浸透させ、定着することではないでしょうか。定員の制限が厳しく、全職員の戦力化が不可欠な今日、チャレンジ徹底のマネジメント・スタイルは、一般職による自己管理にも必要とされています。
先に述べたように、人事評価が職員の格付け(通信簿)に留まる限り、マネジメント・スタイルが改善されることはありえません。悲惨な成績をとった職員は、「今度頑張ろう」と思うより「どうせ俺なんか」と滅入ってしまうでしょう。逆に伸び盛りの会社では、改めて人事評価を行う必要すら感じない傾向があります。
その理由は、普段の業務の中で、上司が部下に絶えず進捗状況の説明を求め、目標の重要性・妥当性、状況認識、目標と手段の因果関係、到達した段階、本人行動の貢献度合い、行動の契機となった判断・動機などを確認し、認識のズレや漏れがあったら指摘して、最終的には、本人が自分で判断できるようにもっていくからです。このような相互理解が信頼を生み、何かあったらすぐ報告・連絡・相談する関係を成り立たせているのです。
部下は自己管理を学習し、日々の業務の改善に役立てる。上司は部下の能力を見極め、組織活動を支援する。両者ともお互いが納得するように説明しなければならないので、組織全体として、庁外を相手にアカウンタビリティーを果たす訓練が、知らず知らずのうちに施されていきます。
繰り返しますが、行政評価や成果主義を入れると、自動的に意識改革の連鎖反応が起こるわけではありません。評価には、納得感が欠かせませんが、職員に納得のいく格付けを与えることが、最大の目的ではありません。「日々是挑戦」の組織風土を創出することが肝心なのです。
職員課にとって、「成果主義的な人事制度の導入」は、まだまだアウトプットにすぎません。経営改革ひいては公共の福祉向上まで視野に入れ、チャレンジすることにこだわってほしいと思います。
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