
|
【巻頭言】 |
. |
中国ヲ以テ日本企業成長ノ基礎ト為ス
|
||||||
![]() |
キャメル ヤマモト |
中国経済は、地理的差異、所得格差、業界差異など、ピンとキリの幅が非常に大きい多様な経済である。あなたがどこに位置して、どこを相手にするかで、撫でた象の感触は異なる。本稿では、人材の階層を切り口にして、この激しく変化する多様体を活用した「成長」物語を語ってみたい。
私は、二十数年前の学生時代に学生訪中団の一員として、上海、武漢、西安、北京などを訪れた。当時毛沢東思想にかぶれていて、中国を理想化していた私の幻想は人民公社を訪れて見事に打ち砕かれた。理想とは程遠い貧しさがあった。裸電球ひとつ灯った模範工場を見て、「わびしい。こんな低いレベルの平等などまっぴらだ」と思った。その後、改革開放の時代となって、20年以上が過ぎた。中国のことをずっとやっている専門家に聞くと、農村を搾取する仕組みに変化はなく、むしろその収奪の度合いが強まったから、上海その他の繁栄があるのだという。中国の西部や北部は、中東のように砂漠化し深刻な水不足を迎えるという。
しかし、上海その他沿岸地域とその周辺で起きている事象は間違いなく「高度成長」である。中国には、成長しなければ国がたちいかなくなる「余る人」圧力もかかっている。都市部の就業者人口約2.4億人のうち、3000万から4000万人が失業状態にあるといわれる。さらに農村の労働人口5億人のうち、1.6億人が潜在失業状態にあり、都市へ向かう流動人口は5000万から8000万人といわれる。WTO加盟によって、国有企業を中心とする都市部の失業圧力はさらに高まるし、農村も同様である。以上を踏まえて、中国政府は、2020年のGDPを2000年の4倍にするという目標を掲げている(これは、年平均7.2%の成長を意味する)。労働供給圧力に応じる労働需要圧力としての成長が必至である。
そして、現在進行中の成長ドラマは、チャイナウオッチャーの友人によればこんな感じだ。「19世紀的な荒々しい資本主義で、まさに弱肉強食的である。そういう中で最小限の安定性を確保するために中国政府はある種の『福祉国家』建設をめざしている。」
日本人の記憶に照らせば、これは60年代の高度成長が最も近い。ただし、そこにネット時代という現代性が重なるがゆえに、日本の高度成長と異なり、グローバル企業・資本・人材が流入した、よりダイナミックな成長である。
さて、この現代的高度成長の場が、2000キロ、2.5時間のところにある。時差はわずかに1時間。しかも中国の成長ドラマでは、外資導入が大きな役割を与えられている。固定資産投資額に占める外資の比率はすでに30%に達しているし、中国の輸出総額の50%に及ぶ。それも、リーディングインダストリーたる情報産業や、次世代リーディングインダストリーの輸送機器関連では外資比率はさらに高い。この空間的な近さと、変化のスピードと強度と、外資への呼び込みは、隣人の日本(企業と人)にとって、強烈な吸引力として働く。もちろん、この力に応じるかどうか、我々の側にはまだ自由度が残っているから、日本の中は、中国の成長ドラマに「参加する人」と「参加しない人」に分かれる。誤解を恐れずに言えば、「参加しない人たち」は、成長の波に乗るチャンスを失う。「参加する人たち」は、国内では考えられない高度成長の機会に恵まれる。おっと、そうは問屋はおろさない。参加する人たちもバラ色で目を花曇りにしているわけにはいかない。成長、特に、高度成長は、ハイリスク・ハイリターンである。失敗する可能性が大きいからこそ成長の可能性も大きい。停滞した日本から、高度成長劇に飛び込むにはそれなりの覚悟と準備が必要だろう。欧米のエース級企業に伍して、中国のローカル企業の台頭に接しながら、成長ドラマに参加するのは、かなりしんどい話でもある。
そんな中国を舞台に、私は、日本企業と日本人が台本を書き、演出をし、実演する成長ドラマを考えてみた。ドラマのメインテーマは「日本人の成長」で、サブテーマが「日本の味方としての中国人の成長」である。日本側の配役は、
1 「若者(大志人材と国際フリーター)」
2 「中堅(実務能力装備の教育おじさま、おばさま)」
3 「経営層(価値連鎖と経営土台の日中合作プロデューサー)」
4 「余る人(おもいがけない回春)」
の4役に分ける。今回は、この日本側4役についてのみお話しする。別の機会に、中国側人材活用についてお話しする(中国側としては、「ワーカー(視力2.0、指先超器用)」「ローカル人材(ポスト文革世代、天安門世代、小皇帝世代)」「グローバルパートナー人材(マイクロソフトをひきつけた超人)」の3役に分けてお話しする予定である。)
あらかじめお断りしておくが、この荒々しい変化に満ちた成長物語は、シナリオを頻繁に書き換えることが必要である。それも出演者が現場で自分で書き換えることが必要だ。
若者(10代から20代)は、自分のコア・デバイスに、「中国」的なものを組み入れる「長期的」成長戦略に立って動く。中国の若者たちと競争し、競争を通じ成長する。
上海の空港で日本に戻る便への搭乗を待って、中国の物価からすると法外に高い60元(約620円)のコーヒーを飲んでいると、隣の中年夫婦が、自分の子供について話を始めた。どうも大学に行って就職活動をやっているが、うまくいってないらしい。あまり仲がよさそうにもみえない夫婦だが妙に意見は一致している。「あいつ(息子だろう)を、中国に送り込み、まず中国語を一年くらいみっちりやらせて、仕事を見つけさせよう」「中国人の女にひっかかるかもしれないけど、場合によっては中国人と結婚してもいい」などと話している。さてこんな話は、もうそれほど珍しくない。
ソニーとか、経済産業省あたりに最近入っている人でも、一年上海の復旦大学にいたとか、夏休みの研修で、3カ月中国にいた、なんて経験をもつ人は珍しくなくなっている。毛沢東主義者くらいしか中国に行かなかった私の時代とは隔世の感がある。
上海で私のアパートを世話してくれたMさんは、日本の中堅商社で2、3年働いた後、自分のビジネスを立ち上げる夢をもって中国にやってきて早や5年。最初の1年は、中国語の学校に通い勉強した。その間にちゃっかり、中国人でパートナーを組めそうな人物を見つけて、卒業とともに、日本企業関係者相手の不動産業を立ち上げた。彼の行きつけの上海の長楽路の焼き鳥屋で、こんなことを話してくれた。「日本から、30歳前後の人も上海に結構来ているんですよ。自分みたいに一旗あげようという人もいるけど、それは少数派。日本で仕事がうまくいかず、とにかく中国に来ればなんとかなるだろう的な感覚で来ている人が多いんです。だから本当のハングリー精神には滅多にお目にかからない。自分で商売やるよりも、ここで、日本企業の現地採用になるのも結構多い。低めの志と安い物価の組み合わせによって、キャメルさん的にいえば『安い人』モードに入っている」。私はこの話を聞きながら、その日会った、在中国日本企業に勤める生きのいい若い人のことを思い出す。日本で就職後、20代前半で中国に渡り、1、2年みっちり中国語をやって、現在は同社の営業現場で中国人のヘッドになって活躍している人だ。実は、中国に限らず、東南アジアでもそういうところに若くして送り込まれて、現地の人のリーダー役につけられた人、それも現場のリーダー役につけられた人は成長する。日本にいる同世代より明らかに実力がつく。専門化が進み、出来上がりすぎた日本で、自分で創造しながら成長するスペースを見出すのは難しい。どうしても、過度な緻密、閉塞に陥ってしまう(もちろん、そこからまれに、一事徹底の、すごい人が出る可能性はあるのだが)。
確かに政治的な安定性も含めると中国全体がどうなるかはわからない。しかし、中国の一部地域や一部の人材の成長や繁栄は当分続くのではないか。その成長は、いま日本人の20代である人が人生の大半を終えるまで続く可能性もかなり高いと思う。少なくとも、若くて成長できる時期、高齢化で停滞した日本に閉じこもらずに、広い大陸に出ていくことは夢をかきたてるだろう。日本の古い世代が、戦争や植民地化としてしか進出できなかったのと大きく異なる環境が今そこにある。10代、20代からならば、自分の能力のデバイス・レベルから新しいものを和中折衷でつくることが可能である。「稼ぐ人」戦略も「安い人」戦略もどちらも、日本で考えられないくらいの強度で描けるだろう。10代、20代なら、「中国に渡って成長の波動に目覚める」「中国語を身につける(英語もいっしょに)」「中国人との競争の中で、自分の強みを見出し磨きあげていく」などという成長が可能だろう。そして、そういう成長の中で、「中国人の友人もじっくりつくっていく」。さらに、中国人との関係をベースに、東アジア、東南アジアで活躍する道も考えられる。うまくいけば、「日僑(華僑をもじった言葉)」になる道もあるだろう。500年前、山田長政は、東南アジアを股にかけて活躍した。中国で足場を築けば、中国人が広く活躍する東南アジアでのビジネスチャンスも広がる。
中堅人材(30代から50代の管理者層)は、自分がこれまで日本その他で身につけてきたものを、中国で試すことが中心だ。教えるものをもっている人は強い。教えながら学ぶことが可能である。中国ではこの層が薄いので、あなたのやり方次第で熱烈歓迎を受ける。自分のもてるものをベースにして、3年の赴任期間の間にそれを中国人に教えてローカル化する「中期的」成長戦略を担当する。
中国では、日本の中堅にあたる層が薄い。ポスト文革世代で、現在の中国のベストブライティストは、35から45歳の層といわれるが、この層も人数的には少ないし、その上になるともっと希少である。この層で気の利いた人が行けば、日本にいるよりも、明らかに希少で大切にされる。
ただし、それにはいくつか条件がある。
まず、相手の中国人は、貪欲な学習欲に燃えている。だから教えるものをもつことが第一の条件である。これさえあれば、他の条件は緩和される。何を教えるか。もちろんケースバイケースだが、中国人が弱くて日本人が強いという分野がひとつある。中国人自身の描写によると、中国人は大まかな絵が好きで、詳細なプロセスとかには慣れていない。学校の教育でも、プロセスにあたるところは一切重視されていないという。算数などで、とにかく公式を覚えておけ、みたいなものだ。たくさんの公式を記憶して、あてはめるのは得意だという(これは、日本人についても言われていたことだ)。米国人で、中国と日本と両方を見ている人は、次のように言う。「中国の人材は、個々の仕事を成し遂げる能力には長けているが、バリューチェーンのプロセス全体を最適化することが苦手である。こういうプロセス的な経営の改善には、ミドルマネジメントの役割が重要で、中国はそこが欠けている。日本は、欧米にキャッチアップする段階ですでにこの部分が優れていたから、両者には大きな違いがある。中国では「ミドル」が弱い。あらかじめ策定された計画に従って行動し、さらに 下位の人々は決して主導権を取らないように育成されている」。こんな具合だから、中国人からみて、日本人の緻密さ、それを支えるものづくりのプロセスは「すごい」とみえるらしい。ものづくりでなくて、問題解決のプロセスや経営プロセスでも、尊敬されることがある。
第二の条件が、教えることを「形」にしておくことだ。自分がこれまで培って身につけたものを、目に見えて教えることができるものにする必要がある。例えば、第一の条件で言及した「プロセス」を、目に見える形にしておく。残念ながら、製造プロセスなどを除くと、日本国内では、このせっかくのプロセスが、暗黙知にとどまっている。また、営業プロセスとマーケティングプロセス、さらには開発プロセス、生産プロセスなど、前後のプロセスが重要だが、その部分も、属人的になっていることが多い。このあたりのつなぎも含めた暗黙知的なプロセスを明示化して教えることができるか、がカギである。これは、いま中国で流行っている米国的な職務主義を入れた場合、抜け落ちてしまいがちなところでもある。
第三の条件は、教えるだけでなくて教えてもらうことである。これは、中国的な慣習とか人間関係的なこともあるが、第一、第二条件で取り上げた「プロセス」についても同様だ。例えば、中国では、日本その他先進国の精緻なプロセスは換骨奪胎してしまうたくましさとずるさがある。例えば、日本のお家芸のオートバイについて、日本流のやり方は、最適設計のカスタム部品を刷り合わせることである。これに対して中国では、イミテーションと改造の繰り返しで、汎用部品の寄せ集めに近い「オープン・モジュラー型」に生まれ変わってしまった。米国の製造業もEMSにみられるように、オープン・モジュラー型だが、これはモジュラー部品がオリジナルであるのが一般的で、あらかじめアーキテクチャーのコンセプトをはっきりさせて、パラメーターを設定した上で、モジュラーを起業家的に開発するという方法である。これに比べて、中国の方法はもっと試行錯誤的である。先行事例を生かしきっているとも言える。単にイミテーションとバカにしている時代はとっくに終わった。むしろ、既存のやり方を超えた、アーキテクチャーの斬新な組み替え力、細かなところにとらわれない環境の中でほどよい「いい加減さ」をもった大胆さには力がある。日本だと10工程必要だが、中国では3工程でやってしまうみたいな話だ。しかも、中国の消費者からみて、品質上はまったく問題が生じない。まだ、これという例を私は見ていないので、あくまで想像だが、そのうちに、最も進んだ革新的なプロセスが中国から生まれて、まず、それが途上国向けでは標準モデルになり、そのうち、日本など先進国にもそのモデルが輸出されることもありえるだろう。
第四の条件は、語学である。教えるということからいえば、英語か中国語で、ということになる。ただ、ある日本の会社では、中国着任3カ月で、とにかく中国人社員の前で、パワーポイントを使って中国語でプレゼンテーションをする、そして1年後には、中国人社員と中国語で会議をする、というのをルールにしている。話さなくてはいけない環境をつくることがポイントである。必要性が言葉のお母さんである。中国語がだめでも英語でも何とかなる。
第五の条件は、接し方というか基本的態度である。頭に入れておくべきことは、歴史的な事情で、中国人の中には、日本人に対して、反感を持っている人もいるという点だ。最近の例でも、日本企業や日本人について、東南アジアや中近東で持たれているような尊敬の念や憧れみたいなものはまずない。どちらかというと日本人を見下しているか、憧れと見下しのまざった複雑な心境のようだ。いずれにしても、これは「日本」のやり方です、みたいな言い方とか、これが日本人のやり方です、などというのは避けるのが賢明だろう。その代わりに、「当社」のやり方だとか、「当社」の価値観だとか言えばよい。あるいは、「プロの私」の言うこと、「プロの世界」ではこうなっている、みたいなのがいいだろうか。国・国民としては嫌われているのだから、あえて、それを出すのはビジネス的には避けるべきだろう(ODAの生かし方など国家戦略上の問題はもちろん別問題として存在する)。
中国では、米国的なやり方に人気があるように見える。でも、よくよく聞けば、中国人の米国に対する態度はアンビバレント(両義的)だ。最近、日本の力に復活の兆しがみられるから、「米国(のA社)だとこうやるけど、日本(のB社)だとこうだ。中国は、独自のやり方を考えたらどうか。例えばこんなふうに」みたいなアプローチもありえるだろう。
ちなみに、中国では、いったん先生になれば、一生、先生だと言われるらしい。仮に、教えた中国人が他社に移っても関係を続ければよい。日本国内での投資(若い人に教える)よりも、トータルなリターンが大きくなる可能性がある。
数年前、経済産業省の友人は、日本の大手企業の中国への動きが鈍いので、80年代や金融危機前に痛い目に遭った中国とは違うことをしきりに説いて、中国行きを勧める講演をしたり、本を書いたが、なかなか企業は動かなかった。しかし、この1、2年で、日本の大手企業の対中スタンスは大きく変わり、今や紛れもなく、中国ラッシュである。中国に移さなくてもいいところまで中国に行ってしまう勢いがある(むしろ、気の毒なのは、自力でなかなか出ることができず取り残される中小企業らしい)。
前提としては、バリューチェーンの組み換え、プラットフォームづくりを妨げる制約条件が中国から消えつつあることだ。WTOのおかげで、2006年までに、市場アクセスへのもろもろの制限が消えていく。関税障壁も低くなる。法律面の問題も、まだいろいろあるが、減少傾向であろう(厳しい環境ではあり続ける。理屈に合わない法的保護、絶えない知的所有権の侵害、政府の過剰介入、政府助成起業からの価格競争、など)。
そういう中で、日中間で、バリューチェーン(プロセス)と人材(日本人、中国人)のいろいろな組み合わせが可能になってきているわけだ。日本のトップ企業の経営者の一部は、すでに、バリューチェーン、プラットフォームに中国を完全に組み入れる方向に舵を切った。そして中国のスピードに合わせて、トップ自らが3カ月のスピードで戦略的な提携を決めてしまう。バリューチェーンの左端の「世界の工場」としての中国から、右端の「世界最大の市場」としての中国まで、完全に射程に入れきった。スマイルカーブ上を、その真ん中の製造あたりからおそるおそる中国に移し、部品・デバイスもそれにつれて移った。WTO加盟のあたりから、営業・マーケティングにも手を染め、さらには、R&Dのところも移り始めた。
そういう状況だから、日本国内でやるべきことも、中国との相関関係でしか決められなくなってきた。裏からいえば、中国でやるべきことも、日本と関連させてトータルにとらえないと見誤る。自然発生的に、事業部ごとに中国に進出した大手企業も、今、全社経営という視点で、中国ビジネス全体を見直しつつある。だからこそ、ローカル化を基本としつつも、本社(=全社の中枢)の関与も欠かせない。それも、どの事業を中国で展開するかといったレベルではなくて、日本で展開している諸事業についても、そのバリューチェーンの組み方、共通のプラットフォームについて、中国を含めて考えることが必要になったことを意味する。チェーンやフォームの分担を決める上で、もろもろのことがあるのだが、上流のどこまでを中国に持っていくかを考える上で、中国人がどこまでできるか、どういうやり方ならできるか、といった人と組織の目利きが必要になってきている。
さらに、付加価値の高いところを日本で、低いところを中国で、という発想自体を見直すところも出てきている。中国を消費市場として重視すればこの考えが当然出てくる。例えば、あるスイッチを作るメーカーは、当初、タクトスイッチを中心として加工度の低いもののみ中国で生産し、作りが複雑なもので部品加工に精度を要するものは日本で、という棲み分けを行った。しかし、中国市場の発展、部品関係の調達レベルの向上、中国における競争の激化、など、現地化が待ったなしの状況になった。そこで、この会社も、それまでの「付加価値が高いものは日本、低いものは中国」といった線引きをやめて、「中国で需要があればそれは中国で作る」というふうに線を引き直した。同社は、「日本の雇用にこだわっている限り、中国での経営現地化は進まない。中国での経営現地化が必要条件だと考えたときに、すべてが円滑に進み始め、日本の事業所が何をなさねばならないかということが明らかになってきた」そうだ。
私が相談を受けているコンサルティングの案件も、中国だけというのは少なくて、本社がらみが中心になる。中国で受けた案件も、提案書は日本語で書いて、現地の日本人CEOに見てもらって、それが本社に行く。同時に、現地の中国人のスタッフは、中国語しかわからないという場合もあって、彼らは、弊社の中国人コンサルタントにいろいろ聞いてくる。私は日本語を英語にしながら中国人コンサルタントに説明し、彼らがそれを中国語に翻訳してクライアントの中国人のスタッフに伝える、みたいなことになる(私の中国語が進歩すれば一気に簡単になることは明らかだ)。
さらに、中国をきっかけに、まず、東アジアという単位が具体性を帯びてくる。私は、先日北京にいた際、同僚の中国人から、オフィスで同じ階に入っている日本企業O社に提案書を出すから、CEOに挨拶に行くように言われた。行ってみると、CEOは携帯で電話している。中国語でも日本語でもない。ハングルだ。その人は、韓国人で、日本企業の中国の責任者として来ていた。ちょうど、この直前に、私の北京のオフィスに、弊社の韓国オフィスから、韓国企業の仕事の関係で人が来たところでもあった。
さらに、東アジアを越えて、東南アジアという単位について考えをもつことも必須になってきている。そのひとつの理由は、ハイリスク・ハイリターンの中国に対するリスクヘッジである。中国に肩入れしつつも、もし中国で何かがあったときに、少なくとも短期間は中国なしで操業できるようなリスク分散が必要である。そのとき、東アジア、東南アジアという視野でものごとをみることが必要だ。SARSはこの方向の動きを促す警鐘であった。米国のみに集中することで、完璧に効率を高めた牛丼外食チェーンが、いま直面している危機は、中国で事業を展開する人にとっても他山の石である。
リタイア組、リタイア予備軍を含めた「余る人」は、自由に、時間に縛られることなく再び訪れた春を楽しむ。
少し前までは、中国に出ていくのは、元気なところが中心だった。そういう気概とエネルギーとお金もあるところだ。しかし、今や、かつての衰退産業も中国に進出を始め、そのおかげで新たな成長を始めている。
人材についても同様で、すでにリタイアしかかった人や、窓際になった「余る人」が中国で蘇るという話がある。2で話したように、中国では「実務経験に基づいて指導できる」人材は不足している。他方、日本では中小や大企業をリストラされた職人が、中国で活躍している話も聞く。それだけでも十分、余る人の変身物語としてはすばらしい。他方、こういう「余る人」は、好きで中国に行ったわけではなく、リストラされてやむをえず行ったケースも多いと聞く。にもかかわらず、日本人からは、日本の技術を中国に売り渡す売国奴みたいにみられることもあるらしい。いわば日陰者である。私の友人は、こういう中国で個人として働く日本人技術者、職人に発信して、「もし、中国で働いているときに、中国の今の体制では対応できない、短期の仕様変更に対応する部品作りの仕事などが出てきたら、出身元の大田区や東大阪の部品メーカーなどに話をつなぐよう提案してはどうか。そういうインターフェイスの役割を果たしてはどうか」と呼びかけている。北風の仕打ちに対して、太陽で答えるみたいなことができたら、まさにさわやかな回春ではないか。
さて、中国側人材の活用方法については、機会を改めてお話しするが、日本側人材については一通りお話ししたので、以上を踏まえて、全体的な展望を簡単にしておこう。
中国の熱にうかされながらも、どこかで冷めてきて、その実態が少し見えてくると、日本の強みも見えてくる。特に、「安定した人間関係」は日本の強みだと思う。「相互の信頼関係」「長期的な関係を前提にした相互投資」、そうした前提に立った「現場重視と異なる現場の連携」などは、実は、なかなか作り出せない強さなのだ。そういう中でこそ、短期的な採算を無視した「一事徹底」的な磨き上げのエッジも育まれてきた。
一方で、高度成長の荒波にもまれる中国でのダイナミックでリスキーな展開から刺激を受けつつ、他方でよい人間関係と環境に恵まれた安全で平和な日本で「一事徹底」のエッジ創出にいそしむ。そういう二つの異質が組み合わされたとき、ややバブリーですらある中国波動が、もっと奥行きのある深みをもった「アジアの成長ウェイブ」に進化するのではないか。
| トップへ戻る ▲ |