
|
【巻頭言】 |
. |
新成長指向のパブリックセクター
|
||||||||
![]() |
杉浦 恵志 |
小泉政権の三位一体改革が始まり、国からの補助金が劇的に削減されて、地方自治体の財政は逼迫の度合いを強めています。私の友人が勤務する自治体の中にも、「こんな状態でどうやって予算を組めと言うんだ」と、悲鳴をあげているところが少なくありません。そんな時にパブリックセクターの成長を唱えるなんて、どうかしていると思われそうです。財源に思いを馳せれば、とても量的な財政拡大など言い出せる状況にはないからです。
近年先進的と呼ばれる自治体は、こぞってニュー・パブリック・マネジメント(NPM)を導入してきました。NPMは、民間企業の経営手法に倣い、役所全体として費用対効果の最大化を目指すものです。手法の出発点となるのが、各施策・事務事業の費用対効果を測定する行政評価です。改善の方向性となる指標を設定し、目標と現状の間のギャップをまずもって明らかにしなければ、それを埋めようとする行動は決して起こらないだろう、という考え方に基いています。財政逼迫の度合いと危機感の欠如を勘案すれば、対象を厳格に評価し廃止縮小・コスト削減を検討する余地が、まだまだ残されているように感じられます。
もちろん、経営感覚の乏しい組織に評価を持ち込むのですから、一筋縄ではいきません。評価の指標や基準に納得できない、評価作業に手間がかかりすぎる、まじめに評価した結果、自分の担当する仕事が真っ先に見直しの対象となってはかなわない、上司や議会の理解が得られないなど、変革初期の生みの苦しみは、並大抵のものではなかったと思います。しかし、そうした困難を乗り越え、見直しの成果を着実に積み上げてきた自治体からも、先頭を切って走ってきた職員の評価疲れを懸念する声が聞かれるようになりました。
おそらくその理由は、一生懸命行政評価に取り組んでも、制度を導入した経営企画部門と、予算の見直しが待ったなしになっている財政部門くらいしか、本音を言えばメリットを感じることができなかったからではないかと推測しています。
行政評価は、行政運営の効率性や目標水準の達成度だけでなく、多角的な視点から行われています。具体的には、施策や事務事業の必要性(住民ニーズの強さ)、公共性(行政関与の必要性)、有効性(ニーズ充足への貢献度)などが評価されます。これらは、かなりの程度、企画の良し悪しで決まります。先進的な自治体では、行政評価の結果を予算削減に直結させることなく、枠配分によって柔軟性や自発的な裁量を与え、スクラップした分ビルドができるように配慮しています。
しかし、それだけで優れた企画が生まれるわけではありません。国の政策や補助金による「誘導」、既得権益による抵抗、周囲の事なかれ主義などが足かせとなり、実際にはゼロベースで企画を立てることは、なかなか難しいと言わざるをえません。また、事務事業評価を細かく厳密に実施すればするほど、企画に取り組む時間が少なくなるうえ、住民ニーズを満たす手段の選択において視野狭窄に陥る傾向が強まっています。
人間、思うようにならない部分で評価されては、非常にフラストレーションがたまります。そこで、ほとんどの自治体では、行政評価と人事評価を相互に関係なく実施しているようです。職員のやる気に火をつけるには、民間企業のように信賞必罰でいくべきだと考える友人は少なくありません。本人が影響を及ぼすことのできる部分に限って人事評価を行い、その結果を報酬や処遇の格差に反映させる成果主義的な人事制度が、徐々にではありますがパブリックセクターにも普及しつつあります。
ところが、報酬や処遇に差をつける、というのが意外に曲者なのです。報酬や処遇の格差は、日本では「人生の一大事」と受けとめられています。差をつけるには、職員の大半が納得のいくような、厳格な基準が必要ということになります。したがって、客観的な評価基準を設定しなければならないし、上司は部下をつぶさに観察して、部下が納得するまで裏づけとなる事実や指標、評価ロジックを説明しなければなりません。
しかし、評価を精緻化しようとすればするほど、実際にはないに等しい格差をもっともらしくつけてみたり、順位のわずかな変動に職員が一喜一憂したり、それがきっかけでキャリアを通して雪ダルマ式に差が膨れあがるかもしれません。また、民間企業では、上司に厳しい説明責任を課すことで、開き直った部下が上司を追及し、業務上の指揮命令系統に支障が発生する可能性すらあります。
そのような人事評価は、結局のところ自己欺瞞にすぎません。優秀な職員ほど、個人的な評価より、担当する施策や事務事業そのものの出来を気にしています。けれども、自分ひとりが精一杯頑張っても、優秀な企画が実現するとは限らない。そのジレンマが、「こんな評価をやって何になるのか」と、彼らを評価疲れに追い込んでいるものと考えます。この問題を解決するには、結局のところ、彼らが持てる能力を存分に発揮できる環境を整えていくしかありません。
NPMの枠組みの中でも、直接職員の意識変革に訴えかける手法は用意されています。それが、市民の視点の徹底による接客・電話応対の改善や、小集団活動による参画意識と創意工夫の促しです。これらの活動は、比較的短期間で目に見える成果をあげられるし、運動に参加した職員も心理的な充足感を味わうことができるので、開始当初はお祭り感覚で急激な盛りあがりを見せます。
しかし、所詮は企画や予算の首ねっこを押さえられている以上、現場の改善どまりで終わってしまうようです。大々的に宣伝された結果、市民も職員も目新しさを感じなくなり、いつまでたっても「行政経営改革」という大きな目標にたどりつけず、無力感を味わうようになります。本来組織全体の変革を目指すNPMがこのレベルで止まっているのは、なんとも残念な気がします。
以上、パブリックセクターが現状突き当たっている壁を総括してみました。それでは、どうしたらこの分厚い壁を乗り越えることができるのでしょうか。私は、首長に政治家として、地域の新たな成長性を示すことが求められていると思います。といっても、選挙目当てに量的拡大を目指す、玉虫色の宣言文とは違います。
評価疲れの職員たちは、自治体で仕事をすることの意義を見失いかけています。ひたすらコストを削減していればよいのだろうか。住民のわがままに付き合うことが、本当の公的サービスなのだろうか。そんなとき、これまで以上に厳しい目標を課したとしても、なかなかやる気を起こさせることができず、疲労感をいっそう募らせてしまうだけではないでしょうか。
従来業務の延長線上で改善に取り組んでいても、自らの使命感や存在意義が感じられない場合、もっと上位レベルで仕事の意味づけを見直すのが効果的です。首長が進むべき道を照らすことによって、職員1人ひとりがそれと自身の担当業務を関連づけ、自分の仕事に誇りを取り戻すことができます。そして、権限に応じて全職員に独自の知見やアイデアを形にする裁量を認め、地域の新たな成長に貢献していると実感してもらうことができます。
要するに、評価や処遇といった仕組みに頼って人を動かすのではなく、やる気が湧くように仕事をデザインする機会を与え、仕事そのものの面白さを通じて、感情面から職員を動かすことが肝要だと思うのです。こうすることで、評価結果に納得できない職員も、新たな気持ちで翌年度の仕事に取り組んでくれるでしょう。そして、その自治体には、思いを共有する住民が集まり、あるいは元々の住民が感化されて、新たな成長ステージを迎えることができるのです。
以上のような首長のリーダーシップの事例を、愛知県犬山市の教育改革に見ることができます。読者の皆さんの中には、お子さんの教育問題で頭を悩ませている方もおられるかと思います。その一方で、残念ながら学校教師の不祥事が跡を絶ちません。なにか、授業や教育以外の部分に、エネルギーが向かっているような気がします。そんな教師のやる気を取り戻すには、どうしたらよいのでしょうか。
ひとつには、成果主義的なやり方があります。まず、人工的に競争環境を整備するため、情報公開を徹底し、学校選択制とチャータースクールに対する支援策を導入する。学区内で学校間の競争を促すと、今度は各学校が実績をあげようとして、教師の業績を評価・管理します。けれども、この方法では必ず負け組が出ます。負け組学校の先生は、親に批判され、生徒にバカにされ、社会や企業からは相手にされない惨めな存在です。義務教育制では、こんな学校でも必要とする人が大勢いるはずで、学校がつぶれない限り、教師は誇りを失ったまま、漫然と生きていくしかありません。
繰り返しますが、ビジネス環境と異なり、パブリックセクターでは、通常退出の自由が制限されます。退出の許されない状況では、画一的な競争が期待通りの成果を生まない可能性があることを、ご理解いただけたでしょうか。
これを北風の流儀だと考えれば、対する犬山市のやり方は太陽流とでも呼べるものです。石田市長は、選挙の中で教育改革にコミットすることを明確に掲げて当選しました。そして、教育の一方の主役は教師であること、そして教師のプライドと高度な専門能力を信じ、ゆとり教育の導入により不安が高まる義務教育レベルの建て直しを任せました。具体的には、少人数授業・学級の導入、副教本の作成、学校裁量による学級編成や教育課程作りなどが実現していきます。施策や事務事業、職員レベルで精緻な評価制度が検討された形跡は見当たりません。
このプロセスを通じて、教師のプロ意識は見事に蘇り、今も住民を巻き込んで進化を続けています。教師の積極的な取組みは、保護者による安易な学校批判を控えさせ、主体的な関わりを引き出すことに成功しました。ここでの石田市長の役割は、文部科学省や県教育委員会と調整し(ときに戦い)、法的に市教育委員会や学校レベルの裁量を確保する有能な教育長の選任、教師の専門知識のレベルアップを図り学ぶ喜びを回復する大学教授の巡回指導、副教員の採用に必要な人件費の確保といった環境整備と、「教育が街づくりの最大の柱である」という仕事の意味づけ、やりがいの注入でした。
さて、新成長指向のパブリックセクターを支える職員は、自らの仕事に誇りを持ち、組織目的を明確に意識して積極的に貢献しようと創意工夫を凝らす、プロ型人材であるはずです。加えて、自分に足りない部分は、ネットワークを通じて知恵や実行力にあふれた人を惹きつけ、プロジェクトとしてまとめあげる、プロデューサー型人材も必要となるでしょう。
これまでほとんどの自治体では、このような人材を育成してこなかったし、またその必要性もありませんでした。そこで、精緻な人事評価を実施し、その結果を人材に関する基本情報として活用することにより、プロ型人材やプロデューサー型人材の候補者を発掘したり、上司から部下に対して適切なアドバイスをしたりすべきであるという意見が見受けられます。
しかし、人事課の謳い文句と裏腹に、フィードバックの実効性はえてしていい加減なものです。単に評価結果を返すだけのところもありますが、それでは通信簿をつけるのと何ら変わりありません。通信簿でCや1を取った子供が、それに発奮してAや5を目指して頑張るなどということが、実際どれくらい起こりうるのでしょうか。Cや1を取ったら罰を与え、逆に頑張ったらおもちゃを買ってやるぞと約束すれば、多少はやる気になるのかもしれませんが、やる気だけあっても勉強方法がわからなければ、意味のないことです。
もう少し進んで、最近はフィードバック面談を重視し、能力開発に向けて上司がアドバイスを与えるところも増えてきました。けれども、大抵は上司が形だけの説明をしてガス抜きをしたり、逆に部下の方から納得感がないと上司に詰め寄ったりで、人材育成との関連性はいまひとつ明確ではありません。
さらに、助言を与えるという方法で、本当にプロ型人材やプロデューサー型人材が育つのか、という疑問があります。このレベルの職員になると、知識として教えることは少なくなり、その知識やスキルをどんな状況のどのタイミングでどのように繰り出すかに関する適切な判断がカギを握るようになります。このような判断能力を、助言という手段を通じて移植することができるのか、確実なことは言えません。
したがって、ここでのフィードバックは、自分から教えたり説明したりするのではなく、プロやプロデューサーに比べて何が足りないのか、部下に考えるきっかけを与えるために実施します。評価者である上司には、問いかけヒントを示しながら、本人の気づきを促すアプローチが求められます。それには、年数回の人事評価に限らず、あらゆる報告機会をとらえて、業務の進捗状況やぶつかった壁、それを乗り越えたときの工夫などを聞かせてもらうのが一番です。自らの役割を言語化して表現することにより、改めて本人が実力のほどを確認することができます。
プロ型人材やプロデューサー型人材は、指導教育を通じて育成できるものではありません。失敗してもいいから、積極的にチャレンジする機会を提供し続けることが重要です。行政評価中心のNPMは、こうした失敗を経験する機会を奪っているように見えます。
そして、仕事自体のやりがいや面白さをベースに質的な成長を遂げようとする以上、結果責任は上司が負うべきです。「信賞必罰」とか「自由と自己責任」とか、任せるから責任も取れという考え方もありますが、本当に責任を取らされたら部下は決してチャレンジしませんし、そもそも部下のレベルで責任が取れるような仕事など大したものではなく、育成効果もたかが知れています。
もちろん、結果責任だけ取らされては上司もかないませんから、部下に説明責任を負わせ、取組み姿勢やシナリオが成功を感じさせるものかどうか、前もってシビアにチェックしておきます。だが、上司が若手のイニシアティブを阻止するようではいけません。組織的窒息の可能性を防ぐには、果たしてどうすればよいのでしょうか。
それには、トップが自ら政治的判断に基いて大きな方針を示し、ミドルに対しその方針に沿って結果を出すよう、繰り返し求めることです。首長は、期待通りの結果を出しても、風向きが変わったら選挙で責任を取らなければならない、非常にきつい立場に置かれています。その中で、中間管理職の責任は、いかに不利な状況であっても結果を出すことです。ミドルが若手のイニシアティブを妨害しようとすれば、自分たちで代替案を示しやり遂げなければいけないよ。そういう責任の取り方を、トップが追及するわけです。
一方、若手には過剰な責任を負わせず、どうすればその目標を達成できるのかに絞って徹底的に考えさせます。上司が納得するような説明ができるまで何度も突き返して考えさせます。そして、ひとたび上司が了解したら、横槍を入れられず、実力をのびのび発揮する機会を与えます。これまでは、成果主義の導入によって抜擢された若手が、結果責任まで求められてつぶされるケースが、往々にして見られました。
このような責任分担の構造を図式的に示すと、図1のようになります。横浜市役所における中田市長の基本理念と経営会議、エンジンルームは、まさにこのような関係になっており、新成長指向を意識した体制だと言えます。
|
図1/新成長指向の組織体制 |
![]() |
| トップへ戻る ▲ |