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【巻頭言】 |
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成長のダイナミズムを生み出す
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高橋 克徳 |
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森田 純夫 |
成長とは誰が創り出すものなのだろうか。第一の主体は顧客である。顧客の需要拡大は量的な成長を生み出し、顧客ニーズの高度化・多様化は質的な成長を引き出してくれる。市場全体が拡大状態にあるときは、成長する顧客についていきさえすれば、自分たちも成長できる。
しかし、市場全体が飽和状態にあり、巨大な成長市場が形成されにくい状況では、経営者や事業責任者の役割が大きくなる。自分たちの成長を引き出してくれる顧客を見極め、そこに自らの決断で資源を投入し、価値創造のメカニズムを組織の中に埋め込み、顧客の変化に合わせてそのメカニズムや顧客そのものを組み替えていかなければならなくなる。経営層が成長を創造する主体とならなければならない。
ところが、この経営層の成長を創り出す能力が相変わらず低いままの企業が数多く存在する。自ら変革シナリオを描くこともなく、成長を創造する重要な意思決定をリードしていくこともせず、状況変化を理由に業績悪化要因は自分ではなく外部にあると主張している経営層もいる。なぜ、経営層の成長を創り出す能力が高まらないのだろうか。
第一の原因は、自分が主体となって成長を創り出すという経験自体の少なさにある。組織的なコンセンサス重視の中で育ち、しかも自らの判断で事業の成長を左右するような大きな経験がないまま役員に登用された人の中には、自分が変革リーダーとしてどのように振る舞えばよいのかわからないという人たちもいる。むしろ、グループ企業の社長経験者や辺境の事業を開発してきたリーダーのほうが、自分で顧客を見出し、追い込まれた状況の中で決断を下せる人材が多く育っている。現在の役員の能力開発に力を入れるか、次世代リーダーの開発に力を入れるかという選択肢はあるが、どちらにせよ、プロの経営層の育成という観点での取り組みが必要になっている。
第二の原因は、役員の間でお互いの力を引き出し合う健全な緊張関係をつくり出せていないことにある。なぜか役員になるとお互いに気を使い合う。明らかに貢献していない役員がいても、非難することはしない。お互いに踏み込まないことで、自分も踏み込まれないようにするという防衛意識が働いてしまうからだ。しかしこれでは、変革リーダーは生まれてこない。徹底したオープンな仕組みの中で、お互いに何をしているのかが見え、より高いレベルの変革行動をとらなければ経営チームからはじき出されるというぐらいの健全なプレッシャーが働くことが必要である。
第三の原因は、役員というポジションにしがみつかざるをえないという状況にある。欧米のようにプロとしての経営人材マーケットが成立しておらず、辞めても他社にいける保証はない。さらに仮に大きな成長を生み出し、早期に引退しようとしても、その後定年までで得られる報酬をはるかに超える報酬が、その時点で得られるわけでもない。ならば、大きな失敗をせず、役員として居座り続けるほうが得であるという計算が働いてしまうのである。一度手に入れた特権階級を手放したくないという気持ちもあるが、それ以上に将来へのリスクを強く感じてしまうのである。
第一の原因は育ちの問題であり、プロの経営者としての育成への取り組みを行っていくしかない。しかし、第二、第三の原因の背景には、役員という役割が所詮社員の延長線上としか定義されてこなかったことがある。役員は社員が行き着く上位職種であり、それゆえ責任も、その見返りの報酬も、その階層に従って段階的に上がっていくものであるといった認識である。しかし、ここで改めて考えてみてほしい。本来、自分の責任で決断し、成長を創造する主体となるべき経営層が単なる社員の延長線上にある存在なのだろうか。この考え方が、甘えやしがみつきの意識を助長させているのではないだろうか。
本稿で主張したいのは、役員は社員の延長線上にある単なる上位職種ではなく、社員とは明確に一線を画した、経営のプロとしての存在に変えていくべきであるというものである。
事業の先頭に立ち、厳しい環境変化の中でも成長に導くための決断を自ら行っている事業リーダーを見ると、普通の人では耐えられない激務とプレッシャーを受けていることがわかる。そうした先頭を走る人たちでさえ、5年、10年と最高の成果を出し続けることは極めて難しい。むしろ、役員になったら、自分の約束された期間を走りきり、そこで最大限の力を発揮する。そして、次の展開をリードする人材として自分がふさわしいと思えなくなったら、ケレンミなくバトンタッチしていく構造に転換していかなければ、本来は体力も精神力ももたないはずである。成長のダイナミズムを生み出していくためにも、その主体となる経営層自体の定義を大きく転換し、登用、評価、報酬のあり方を従来の社員の延長線上の仕組みから脱却していくことが必要なのではないだろうか。
本稿ではその中でも特に役員報酬のあり方に焦点を当てたい。構想力のある人材を抜擢し、そうした人たちの中で成果を上げた人たちがオープンな場で評価され、走りぬけていくためには、登用と評価と報酬をワンセットで改革していくことが必要である。その中でも登用と評価への取り組みを整備することが優先されるべきである。しかし、プロ経営者への革新を考えた場合、報酬水準、報酬構造を大きく変えていくことが極めて重要なテーマになる。特に、グローバルに展開している企業では、役員報酬が欧米水準よりも低いことが外部からの人材の登用、役員報酬の開示という点で問題になってきている。経営層がプロの経営者として変革していくために、あえて社員の延長線とは明確に異なる報酬体系に移行することで、自覚と責任を明確にすることが必要なのではないだろうか。そこで以下では、日本の役員報酬が欧米から見るとどう映るのかを確認した上で、成長のダイナミズムを生み出すための役員報酬改革のあり方を提示したい。
最初に、日本の平均的な役員報酬と米国を代表する企業としてGEの報酬を比較してみよう。
日本人の読者の皆さんの多くが、この大きな金額にため息をつかれることであろう。しかし、注目すべきは大きさだけではない。報酬の構造そのものに、より米国の経営者報酬の本質が表れている。それぞれの報酬構成割合を見てみよう。
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表1 |
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特徴的なのは、キャッシュボーナスと株式処遇の割合が高いことである。まず、キャッシュボーナスについては、皆さんも想像がつくように、会社の業績に連動するようになっている。「その他」の部分の金額も大きいが、これは長期インセンティブであり、ボーナス的色彩を持ったものである。GEのCEOのジェフリー・イメルト氏も、確実に利益を上げることによってこれだけの報酬を獲得している。業績が悪ければ、ボーナスが落ちるのは当然であるが、経営者の地位を失うことにもなる。株式処遇も、当然企業の業績との相関はあるわけで、ボーナスと同様のことが言える。
翻って日本はどうであろうか。我々が目にする多くの日本の役員報酬はこうである。「エライ」かどうかで決まる固定給、「何となく」業績に連動させようとしているが、全体の割合がそれほど大きくない役員賞与、「おまけ」に過ぎない株式処遇。つまり、やろうがやるまいが、「そこそこ」の報酬を受け取る仕組みが整っているのである。その上クビになる可能性も少なかったりする。この日本企業の平均額を見ても、固定給が報酬の大部分を占めていることがわかる。また、株式処遇についてはデータすらない。
このような報酬体系および“代謝(退社)”の仕組みの違いは、経営者の行動面において大きな違いを生み出す。上述のように、経営者に求められる役割は、常に収益機会をうかがい、必要ならば大胆に舵を切る方向を変え、新たなビジネスモデルを生み出すことである。そのためには、本当の危機感が常にカラダに染み付いていなければならない。サラリーマンの延長では無理なのである。昨年米国で役員報酬のプロジェクトに関わっていたとき、米国のコンサルタントと議論になったことがあった。日米の経営者報酬の違いは、どのような結果を生むのか、という問いに対して、その彼はこう答えた。本当の一流の人は日本の役員のような扱いを受けたくないだろう。最前線で活躍することに疲れてしまった人、真の自信がない人が、日本の経営者報酬のパッケージに吸い寄せられるのではないか。追い出されることもなく、そこそこの給料をもらえるのだから、楽園であろう、と。私もその意見に全く同感である。
今現在において、日本では経営者の企業間流動性が依然低い。だから、有能な経営者あるいはその候補が他社に流れるリスクは低く、サラリーマン的仕組みでも機能し得た。しかし、徐々に経営者プールとでも呼べるものが市場にできつつある中で、このような旧態依然とした仕組みを維持することは、会社にとって貴重な財産を失うリスクを高めることになる。経営のプロフェッショナルを正当に処遇し、金銭的な面でも報いていく仕組みがまさに今求められているのである。
では、日本企業にとっての理想的な報酬体系とはどのようなものだろうか。報酬水準と報酬構造の視点からあるべき姿を検討する。
役員報酬の水準
まず水準の決定においては、我々は、会社内と外部マーケットの二つの原理からのアプローチを提唱している。まず会社内原理であるが、これは一般社員から経営者に昇格するに際して、明らかな役割の違いを認識させるだけの報酬を用意しておかなければならない、ということである。これまでの日本の役員報酬は一般社員の延長線上にあり、課長と部長、部長と取締役とのそれぞれの格差がそれほど変わらなかった。しかし、これでは不十分なのである。つまり、役員として「走りきる」ことを促すだけの水準を保つために、一般の社員とは段違いの報酬が必要になるということである。
当然、その報酬は、経営者として相応の役割を果たしたときに初めて受け取ることができるものでなければならないことは自明の理である。特に、企業の価値モデルの転換に成功した場合など、企業価値に大きなインパクトを与えた場合の報酬額は相当のものになってしかるべきである。プロ野球選手並みに億単位の処遇を受ける者が現れても不思議ではない。一つのイメージは、社員としてあと10年勤続した場合よりも、役員になって5年高いパフォーマンスを上げたほうが報酬額は大きくなる、というものである。この例でいえば、少なくとも社員の最高水準の2倍の報酬が、役員報酬の最低水準ということになる。
一方、外部マーケットの視点であるが、一流の経営プロに働いてもらうためにはやはりマーケット並みの報酬が用意されなければならない、ということである。
ただ、日本においては報酬開示も進んでおらず、明確な役員報酬の相場が形成されていない。外部との比較において報酬額が妥当なものかどうか、という検証がまだ難しい状況にある。これは今後の課題である。ただし、日本発のグローバル企業においては、すでに海外企業との報酬水準の違いが役員の外部登用を妨げているという問題が発生している。外国人、あるいは、国際マーケットで活躍する能力を持った日本人の経営者を役員として招聘しようにも、これまでの、固定的で低い報酬体系では限界がある。グローバルという視点で見ると、日本の役員報酬水準の低さは人材の流出を伴う競争力の低下につながりかねないのである。
役員報酬の構造
次に、報酬構造である。
役員報酬について長年相当の研究が進められてきた米国の例は、議論の出発点として参考になる。先に述べたように、米国の体系は、固定(基本年俸)+短期業績(ボーナス)+長期業績(株式処遇)のコンビネーションによって成り立っている。この方式そのものは日本においても有効に機能する。
基本年俸
先述のように、これまでは「エライ」かどうかで金額が定められていた。会長―社長―副社長―専務―常務―取締役といったいくつもの重層構造があり、報酬はなだらかな階段状になっている。
基本的には、各役員の役割によって決定されている。全社経営執行への責任、事業執行への責任など、責任の対象に応じた基準年俸を設定することになる。基本給(年俸)は、役員報酬において大きな割合を占め、重要な役割を果たしてきた。
しかし、業績の向上に深くコミットすることが求められる役員に対して安定した報酬はふさわしくない。この部分の相対的な重要性は低下させるべきである。キャッシュボーナスや株式処遇に比重が移ることによって、この部分は、最終的な報酬総額の一部を前払いしたに過ぎない、という位置づけに変えていくのである。役員報酬に年功的な要素が染み付いてしまった企業の場合は、いったんすべての構造を破壊するために、一律同じ金額にする、という方法も考えられる。
ボーナス
日本の役員報酬体系においては、株式処遇が重要な要素として認識されるまでの当面は、このボーナス部分が報酬の根幹を担う重要な役割を果たすだろう。ボーナスは主に短期的な業績に報いるためのものであり、ROE、EVA、その他諸利益指標などの全社業績、あるいは担当部門の業績によって大きく変動させる。また、短期では正しく貢献を測れない、ということであれば、2〜3年間の中期的な期間の業績を元にボーナスを決定する要素を織り込んでもよいだろう。
業績連動性を高めると同時に、個人評価による配分格差をどのくらいつけるべきか、という論点もある。経営のプロフェッショナルとして処遇するのであれば、固定的な報酬ではなく、やはり成果に応じて報酬を高めることが必要である。そして、その成果というのは、経営チームとして生み出されたと考えるべきものもあれば、経営者個人の貢献によって生み出されたとされるべきものもあるだろう。その経営者個人の成果を測るためには、適正な評価の仕組みが必要であり、報酬委員会等を通じて厳正な評価が行われなければならない。このとき、経営者は自らの成果についての説明責任を負う。こうしたプロセスの繰り返しによって、真の経営プロフェッショナルが育成されていくことになる。
ボーナス部分の割合は、徹底的な業績連動型として、少なくとも、固定給以上であることが望ましい。また、指標の達成度合いは、絶対的なリターンはもちろん、同業界の競合との比較において測られた相対的な付加価値額を考慮することも合理的と考えられる。
ただ日本で大きな問題なのは、変動性を持つ役員報酬が損金として処理できないということである。毎月定額を支払うような報酬は社員への給与と同様、損金扱いとなるが、利益処分の役員賞与などのように、変動性を帯びたものは、その部分についても会社が税金を負担しなければならないのである。この取り扱いの変更は今後の日本の経営者を変えていくために極めて重要であろう。
株式処遇
これまでは日本においては、オーナー企業以外では株式処遇の果たす役割はそれほど大きくなかった。数年前のベンチャー企業のIPOブームによってストックオプションが少しもてはやされた程度である。大企業においては、付加的な処遇の域を出ていない。ここが最も変えるべき部分である。
株式処遇は、長期的な業績にリンクした処遇として位置づけられる。ストックオプションも重要な株式処遇であるが、ダウンサイドリスクを負わないという点で大きな弱点を持つ。経営者に対して事業への深いコミットメントを求めるためには、やはり現物の株式を保有してもらう必要がある。株式を譲渡してもよいし、株式保有ガイドラインなどを通じて、一定数の株式を保有してもらうのも手である。
我々が経営者報酬のデザインに関わるとき、経営者の方々はしばしば「結局ウチの株価はマーケットに連動しているから、株式処遇を取り入れてもモティベーションは上がらない」とおっしゃられる。確かにその通りの現象が発生していて、グラフを描いてみると、どちらがTOPIXでどちらがその企業のものか、判別しがたいことがしばしばである。しかし、それはその企業のビジネスモデルが、TOPIXすなわち日本企業の平均的な領域をいまだ超えていないということを端的に表現しているに過ぎない。企業を変革し、収益モデルを作り出すことが求められている経営者であれば、当然に、業績を上げることでインデックスを上回る株価パフォーマンスを上げなければならないし、真の有能な経営者はそれを実現できるはずである。
とはいえ、やはり運にも左右されてしまうのが株である。運で経営者が報酬を不当に得てしまうことのないように、株式処遇は継続的に与えられなければならないし、また、譲渡制限のような仕組みを実質的に機能させる必要もあるだろう。
ところで、米国で株式処遇を非常に重視するのはなぜだろうか。これは経営者が倫理的に完全であり得ないという前提があるからではなかろうか(※1)。株主と利益を一致させない限り、経営者は自らの都合のみで行動する、と考えられているためである。日本では必ずしもそのような考え方は一般的ではないだろう。終身雇用を前提として長期間勤続した上で役員に昇格するシステムを通じて、その経営者は自分のためというより、企業のために行動するDNAが埋め込まれているのである。この「企業のため」というものが、投資家から乖離する傾向が見られるのが日本的経営の特徴であり、また昨今指摘されている限界でもある。日本企業が株式処遇を取り入れるということは、企業の進む方向性が、投資家とは無縁のカイシャの論理によって決定されるものではなく、投資家の望む中長期的な成長のために決定されることを示す第一歩なのである。米国の株式処遇は、経営者が利己的に行動することを認容したものであるが、日本のそれは、経営者というよりも、企業そのものが投資家の視点を持つようにするためのものである。したがって、日本の株式処遇は株価上昇が個人の莫大な資産を生み出すことを目的にする必要はなく、米国の株式処遇ほどの手厚い報償は不要であると考えられる。
報酬を決定するのは誰か
日本においては、長らく経営者自身が役員報酬を決定してきた。役員OBの存在や、同じ環境で長い間苦楽を共にしてきた同僚たちとの間の複雑なガバナンスシステムによって、暴利をむさぼるような役員報酬は、オーナー企業を除いては皆無であろう。今後、役員報酬の果たす役割が大きな変容を遂げるにあたっては、こうしたシステムも変わらざるをえない。水準が上昇するにつれ、自分自身で適切な水準であることを証明するのが困難になってくるのである。このとき、最終的に水準の判断は、外部の投資家や報道機関などに委ねざるをえない。そのためには開示が必然的に必要となるのである。開示を行い、一般に役員報酬の水準とその構成要素、決定の理由を明らかにすることによって、投資家等のチェックを受けているのである。これからの経営者は、こうした厳しい視線にさらされても、高額報酬を正当化するだけの成果を上げることが要求される。
ちなみに、米国の上場企業は、トップ5の役員報酬額を審らかにする義務を負っている。また、欧州でも、開示の流れは明白に現れており、今後より一層開示が進むであろう。残念ながら、日本で役員報酬を開示しているのは今のところ数社だけであり、その他はせいぜい報酬総額を明らかにしているに過ぎない。今後、プロフェッショナルの役員市場ができるにつれ、こうした開示が進むことが望まれる。
実際の報酬の決定においては、報酬委員会など高い独立性を持つ機関が大きな役割を果たすことになる。報酬委員会は、まだ日本では儀式的・お飾りの色彩が強いが、報酬委員会が相当の権限を持って、主体的に経営者の報酬決定プロセスに関与することが求められている。おそらく、日本でも、この数年で報酬委員会の重要性は飛躍的に高まることであろう。
以上見てきたように、日本の役員報酬は、その水準や構造、決定プロセスを見ると多くの課題を抱えている。それでは、上記の課題をクリアし、単純に役員報酬のあり方だけを変えればよいかというと、そうではない。役員報酬を変えても、その報酬を決めるための評価が相変わらず密室で行われ、業績が悪い事業部の責任者がいつまでも居座り、行く行くは別の事業部や子会社の社長になるなどということを繰り返していては、市場や顧客から批判を受けることになる。そういう意味では、本来、登用⇒評価⇒報酬⇒交替の仕組みをワンセットで改革していかなければならない。
しかし、ここであえて提言をしたい。最初に役員報酬を大胆に変革するところから始めるということを考えてみていただきたい。経営責任や業績に連動させることで、業種によっては欧米企業水準の報酬体系に一気に移行してみてほしい。そして、それをありのままに開示してみてほしい。そのときに、役員は自分たちがどれほど外部から見て、その報酬価値に見合う成果を出さなければならない存在であるかを思い知らされると思う。そのプレッシャーに耐え切れなければ交替せざるをえない状況を作り出し、自分の力で成長を創り出せるリーダーにバトンタッチできるようにしてほしい。真の経営プロ人材に日本の経営層が進化していくためには、大胆な改革が必要なのではないだろうか。
役員報酬改革の真の目的は、成長を創造していくリーダーを絶えず最適化していくことである。本来、役員は5年もやればヘトヘトになり、もう走れないという人も出てくるくらいの役割のはずである。それでも走り続けられるパワーを持った人だけが、経営者としての役割を担えるのかもしれない。重要なのは企業全体として最適な人材が成長を創り出していくことである。報酬改革を一つのキードライバーとして、成長のダイナミズムを創り出していくメカニズムを構築していくことが必要なのではないだろうか。
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(※1)東京大学の岩井克人教授も、様々な著作・論稿において同様のことを指摘されている。