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【巻頭言】 |
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「不安」と「楽しい」のマネジメント
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江田 郁代 |
先日、某歌番組でユーミンが言っていた。「いい女」の定義とは「機嫌のいいオンナ」であると。紙と鉛筆を用意せんばかりに聞き耳を立てていた私は、正直、拍子抜けした。たったそれだけ? しかし、折に触れ反芻し、味わえば味わうほど、この定義は奥深い。従来の「いい女」という概念が持っていた胡散臭さが全くなく、ストレートに心に響く納得感がある。
本稿でフェミニズムを論ずるつもりはない(筆者はその知識、見識を持ち合わせていない)。筆者は、「機嫌のいいオンナ」の延長線上に、新・成長時代の人材マネジメントのヒントがあると考えているのである。
では、何が胡散臭かったのか?
従来の「いい女」の定義には、見た目だの、年齢だの、本人にとっては如何ともしがたい外部要因(=制約条件)に左右されるやるせなさがあった。しかも「いい女」のゴールは、自らなりたい「いい女」ではなく、異性から見た「いい女」であったり、同性からの羨望を勝ち得たいというためだけの「いい女」であったり、所詮は他者の価値観に踊らされるだけではないか、というバカバカしさがあった。もちろん、それらが自己目的化している間はゴールにたどり着いたときの達成感はあろうが、多くの女性はいずれ知る(※1)。他者の価値観に自分を当てはめ走り続けることの空しさや徒労感を。
しかるに、ユーミン版いい女はどうか?
「機嫌のいいオンナ」というのは、状態(=Being=存在そのもの)を示す言葉であろう。外部要因(=制約条件)がどんなに過酷なものであろうとも、自らの内部要因(=動機)が勝っていて、何らかのアクションを起こし、その結果のすべてを引き受けて至った境地としての「機嫌のよさ」があるのではないか。つまり、「機嫌のいいオンナ」というBeingに至るには強固な内部要因が必要なのである。
それでは、最強の内部要因とは何か?
一言で答えるならば意思ということになるだろう。例えば、自己実現したいという意思であったり、他人の役に立ちたいという意思であったり、社会的課題を解決したいという意思であったり。ここで我が身を振り返ってみる。このような強固な意思を持たぬ者は「機嫌のいいオンナ(=ユーミン版いい女)」にはなりえないのだろうか? あるいは、強固な意思を持ってアクションを起こしさえすれば、「機嫌のいいオンナ(同上)」が出来上がるのだろうか?
いずれも否であろう。筆者は、そこに副産物としての「楽しい」がないといけないと考えている(※2)。つまり、「機嫌のいいオンナ」は、内部要因の強固さと副産物としての「楽しい」の質の掛け算で出来上がるのである。筆者は、この「楽しい」に着目した。なぜなら、内部要因の強固さを追求するには時間がかかるし、大変そうだと思ったからだ。だったら、視点を切り替えて「楽しい」の質を上げておくほかはない。それに、そっちのほうは何よりも「楽しい」。できるかもしれない、という勇気が湧く。
そして考えた。内部要因の強固さとなると何をしていいかわからなくなる筆者にとって、「楽しい」の追求は「機嫌のいいオンナ(=ユーミン版いい女)」へのブレイクスルーになりうるものである。この状況には普遍性がありはしまいか。今日の日本企業とそこで働く人たちが陥っている状況によく似ているように思うのだがいかがだろう?
様々な業界のクライアントと接していて、このごろは「機嫌のいいオンナたち、オトコたち(以下、「機嫌のいいオトナ」と呼ぶ)」と遭遇することが少なくなった。「機嫌のいいオトナ」も「機嫌のいいオンナ」同様、内部要因の強固さと副産物としての「楽しい」の質の掛け算で出来上がる。内部要因と「楽しい」の比率は人によって様々だが、余裕があって楽しげに見えるという点では共通している。彼らとてこの数年は成果主義の波にさらされ、以前と比べれば心身ともに忙しない毎日になっているのだが、それでもインタビューしていると「隠れ仕事(密造酒造りともいう)」の話など聞きだすことができる。数値に追われる毎日でも、こっそりと(と言いつつ、結構周囲も手伝ったりしているので実はかなり公然と)自分の興味のあるテーマを追いかけて「隠れ仕事」をやっているのだ。そういう「機嫌のいいオトナ」が職場に一人でもいると場の雰囲気が違ってくる。
なぜ、企業の中に「機嫌のいいオトナ」が少なくなってきたのか。成果主義という名の下に行われてきた人材マネジメントに原因があるのだろうか。ここでは成果主義を「機嫌のいいオトナ」的に考察してみる。
成果主義前期。これは従来型「いい女」の定義に踊らされた時代といえよう。本当にこれでいいのだろうかという不安を感じつつも、重要な指標である見た目(=結果)に我が身を合わせることに汲々とし、本質から離れていく自分の姿にやるせなさやバカバカしさを感じていた時代である。幸いこの時代は短かった。
次が成果主義中期。極端な結果主義を修正していった時代である。「機嫌のいいオトナ」的には、内部要因の強固さにも関心が広がった時代といえよう。この軌道修正によって、あるべき姿を取り戻した企業もあった。事業の進化に関する方向性が明確で、経営層が全社統一の視点で内部要因に基づくアクションの結果をモニタリングした企業である。全社の方向性が明確であったがゆえに個々人が内部要因を形成しやすい状況にあった企業とも言えよう。そのような企業では、内部要因(=○○をしたいという明確な意思)の形成を促していくことによって社員の自律度を高めていくことができた。つまり、現場における意思決定や行動の質とスピードが高まった。そうすると現場への権限委譲が進み、さらに意思決定や行動の質とスピードが高まるという好循環を生んだ。しかし、このような企業はそれほど増えなかった。
日本全体が先行き不透明な戦後最大最長の不況に陥ってしまったからである。日本経済を取り囲むマクロな不安感(競争力低下、空洞化、景気低迷、少子高齢化……)と自分自身のミクロな不安感(降給、リストラ、再就職の困難さ、孤独感……)が共振し、将来に対する不安と今々の足下の不安とが投影し合い、暗い影となって人々の心を覆い尽くしているかのようにも見える。会社員として内部要因の強固さを追求しようにも、そもそも会社全体の方向性が定まらないような状況では、「○○をしたい」という以前に「自分はいったい何をすればいいのだろう」という疑問の前で立ちすくんでしまう人のほうが多くなるのは無理もない。「機嫌のいいオトナ」どころか、「かげんの悪いオトナ」が過半数を占めるような状況になってはいないだろうか。
成果主義前期では、「メリハリをつける」という言葉に表れている通り、パフォーマンスの良い人(上位1〜2割程度)と悪い人(下位1〜2割程度)はキチンと処遇(主に報酬)に反映させましょう、ということが人材マネジメント上のニーズだった。
成果主義中期では、「やはり中間層(6〜8割)も底上げしたいね」ということで、普通の社員の自律度向上が人材マネジメント上のニーズになった。しかし、内部要因とその発露であるアクションをマネージするアプローチだけでは、大多数の普通の社員たちの不安感を払拭し、「機嫌のいいオトナ」にすることは難しかった。
「いい女」度的に極めて平凡な筆者が「機嫌のいいオンナ(=ユーミン版いい女)」になるために「楽しい」の追求がブレイクスルーだったように、日本企業を「機嫌のいいオトナ」でいっぱいにするためには、普通の社員の「楽しい」のツボを押すこと、それに組織として真正面から取り組んでいくことが次なる人材マネジメント上のニーズになるのではないかと考えている。
しかし、そのためにはまずやっておかなくてはならないことがある。「不安」の払拭である。今、普通の社員が陥っている不安感は単に個人的なものではなく、日本という国のこれからの行く末に端を発している。それだけに根深く、大きい。とはいえ「不安」とは極めて個人的・流動的なものであり、個々人が何に対してどれくらいの不安感を抱いているかは千差万別である。そもそもそういうものである「不安」に対し、全社的な視点で問題解決していく(カウンセリング、EAPのような個別アプローチではなく)ためには何に手をつければよいだろうか。
誰にとっても共通で最も根源的な「不安」に焦点を当てればよい。人間にとって、それは「死」、ということになるのではないか。有限の生を生きているという自覚があるからこそ、「時間が過ぎ行くこと」に対する恐怖が生ずる。
クライアントの若手社員と話をすると「5年後の自分がどうなっているのか全く見えない」という声が驚くほど多くあがる。また、孤立無援感に打ちひしがれる若手に気づいていながら、厳しい業績目標が課される中、数値を追うのに精いっぱいで彼らを十分にケアできていない、という管理職社員の反省と焦りの声も多い。この1、2年の傾向だが、これら多くの普通の社員の声に耳を傾け、「自分のキャリアくらい自分で開発するのがプロだ」「そこまでできて管理職だ」と突っぱねるのでなく、長期的な視点で「(社員の)時間を積み重ねていくこと」に着目する企業が出てきたことは特筆すべきである。成果主義前〜中期では、例えば、「成果主義的人事制度(=資格等級・評価・給与制度)を設計してほしい」とか、「結果主義が行き過ぎたので、プロセスも評価できる仕組みを入れたい」というようなリクエストが多かったのに対し、「人材育成が我が社の最大の課題。研修のような単発の打ち手ではなく、採用から退社に至るまでの人材開発の全体像を明確にしたい」とか、「社是に人間尊重というのがある。我が社の人間尊重とは具体的にはどういうことなのかを社員一人ひとりが実感できる施策を考えたい」というようなリクエストが目に見えて増えてきた。
成果主義中期まではいかにして社員の現時点の能力を正確に測定し処遇に結びつけるかに焦点が当たっていたが、ここへきて社員を「生きて、時間を重ねていく存在(※3)」としてとらえ、そこに積極的に投資することによって新たな成長の原動力としたい、というたくましい動きが出てきた。「時間が(無為に)過ぎ行く」ことに対する人間の根源的な恐怖を理解し、人間が生まれて死んでいくまでの間に(つまり、採用され、退社するまでの間に)、何が起こり、どうなるのか、将来を見渡せるようにすることで不安を払拭しておかなければ、過半数を占める普通の社員たちが本来発揮すべき力を発揮することができず、新たな成長に向けたボトルネックになりうるという問題意識がそこにはある。
「人材開発の全体像設計」というような依頼を受けた場合、「評価制度をどうすべきか」というような制度論的問題解決アプローチはとらない。社員が入社してから退社するまでの時間の流れに沿って基盤を設計していく(図1)。まず、人材開発というクライアントニーズを満たすための必要最低条件として、少なくとも社員の不安は払拭できるようになっていなくては意味がない。例えば、「採用/発掘」という段階では何が必要か。最低限「我が社がどういう人材/スキルを必要としているか」を具体的に明示しておかなくてはならないだろう。もう少しきめ細かく対処するとしたら、世代別の不安(※4)を払拭するための施策も考えておこう。「我が社は社員に多様なワークスタイルのニーズがあることを尊重し、それぞれが安心して働ける環境と仕組みを提供します」ということを具体的に見せるのだ。
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図1/人材開発の全体像設計 |
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「人材開発の全体像設計」の中で「時間」という概念との関連性が強いのは「支援(特に研修体系)」の部分である。研修体系を設計する際は、事業進化の方向性に合わせ、どのようなスキルを誰にどの段階で習得させるかを考えていく。これは新しい手法ではない。一定規模以上の日本企業であれば、10年ほど前まではどの企業も取り組んでいたことである。コンサルタントの腕の見せどころとしては、事業進化の方向性を的確に把握しているか、社員の能力開発と顧客に提供する価値の向上が密接にリンクする設計になっているか、の2点であろう。
成果主義後期(あるいはポスト成果主義)では、新たな成長戦略を推進するための人材マネジメントの構築がコンサルティングニーズになる。社員を「生きて、時間を重ねていく存在」として認識し、その入社から退社までの流れをいかにうまく設計するかがカギである。押さえるべきポイントは、事業の進化の方向性と顧客に提供する価値、そして、人が根源的に持つ不安の払拭、の3点であろう。
そして、「楽しい」のツボを押す。
「楽しい」の追求は個別的アプローチで行うべきだと考えている。「不安」の払拭は組織的全体的アプローチで対処した。なぜなら、人間には共通の根源的不安(=「死」)があるからだ。人材マネジメント的には、「有限の生を生きているにもかかわらず、無為に時間が過ぎて行くこと」が払拭すべき共通の不安なのである。
ビジネスの世界での「楽しい」の質を因数分解してみた。
「楽しい」の質= a「価値観の実現度」×「能力」×「認知」
“a”は価値観係数で1より大きい。係数は価値観が明確な人ほど大きいと考えていい。価値観というと難しそうだが、大切にしたいことと置き換えてもかまわない。「楽しい」の質を決めるうえで最も重要なツボである価値観は千差万別。「死」という絶対的根源的不安に相当するような価値観というものは考えにくい。だから、「楽しい」の追求では組織的全体的アプローチは取りづらいのだ。
我が身を振り返り、因数分解の意味と使い方を翻訳してみる。
(意味)仕事をしていて、私がサイコーに「楽しい」と感じたのは、普段から私が大切に思っていることが実現できて、なおかつそれを実現したのはほかならぬ私で(=私には自分がやりたいと願うことを実現させるだけの能力が備わっていて)、上司や同僚から「よくやったね」「すごいね」と褒められたとき、だったな。
(使い方)私自身、仕事上で「何を実現したいか」的なことはまだ固まっていないのだけど、でも、今までの「楽しい」のツボを振り返ってみると、クライアントに喜んでいただけたとき、日頃のつらさも吹っ飛ぶような気がした。そういえばクライアントに喜んでもらえたときのシチュエーションはこうで、そのとき私が使っていたスキルは○○と△△だった。○○と△△を使ってクライアントにバリューを提供できたときに私の「楽しい」は最高潮に達するんだ。ならば、〇○と△△にはもっと磨きをかけよう。それに、あまり深く考えたことはなかったけど、今まで「楽しい」と感じたツボからすれば、私の中には「人のために役に立つ」という価値観があるということではないだろうか。ならばコンサルタントという職業を選んだことは正解だったな。
かくして「機嫌のいいコンサルタント」が出来上がる。筆者は人材マネジメントのコンサルタントとして、能力(種類・レベル)を把握する訓練を積んでいるのでこういった振り返りが容易にできるが、一般的にその機能を担うのは上司であると考える。つまり、上司は、「楽しかったこと」という視点で部下が今期の取り組みを振り返る機会を作ってやるのだ。そして、「楽しい」の因数分解式を部下の個別ケース(部下が今期最も「楽しい」と感じた出来事)に当てはめて、「価値観(=大切にしたいこと)」とそのときに発揮していた「能力(種類・レベル)」に気づかせ、その時の「楽しい」感覚を本人がじっくりと味わうように仕向ける。目的は、本人にもう一度その「楽しい」を味わいたいと思わせること、味わいたいという意思を持ったときに、その「楽しい」を味わうために発揮すべき能力を認識させることの2点である。このときに上司が意識すべきポイントは、教えるのではなく、部下から引き出す(※5)ということだろう。これが第一段階。次はもう一度「楽しい」を味わえる機会を提供してもいいだろう。さらに、「楽しい」の質を高めるために一ひねりしてもいい。価値観実現の過程に「苦しい」のエッセンスを加えてやるのだ。幾つかの「苦しい」を乗り越えた後の「楽しい」のほうが、終始「楽しい」よりも何倍も味わい深いことは皆さんよくご存知だろう。部下個々人の現段階の「苦しい」と「楽しい」のブレイクイーブンポイントを見極めたうえで、「苦しい」の負荷をぎりぎりまで上げてみる。さらに質の高い「楽しい」を経験させるためである。ここまでくると「楽しい」の追求というよりも、「楽しい」と「苦しい」のマネジメントといっていいだろう。このように「楽しい」の追求は、上司が部下とのコミュニケーションの中で個別に細やかにアプローチしていくべきものなのだ。
本稿を総括する。成果主義前期・中期を経て戦後最大最長の不況の只中にある日本企業には、今、不安感が充満している。新・成長時代を築くうえで必要な「機嫌のいいオトナ」たちが日本の企業から消えてしまった。成長のカギは、不安感に苛まれる普通の多くの社員たちをいかにして「機嫌のいいオトナ」に変えるか、であろう。筆者は、言葉を極めたアーティストが発した「いい女」の再定義をヒントに、社員の皆さんの「不安」を払拭し、「楽しい」を追求する人材マネジメントのありようを論じてみた。今後、個人的にもコンサルタントとしても「楽しい」を追求したいと思っている。
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(※2)より正確に言うならば、「楽しい」と「苦しい」がベストなバランスで存在しないといけない。