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【巻頭言】 |
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地方自治体の智恵創出法
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杉浦 恵志 |
智恵とは、課題を解決するために、適切に判断し処置する能力のことをいう。これまで日本の地方自治体には、智恵らしい智恵が必要なかった。というのは、それぞれの自治体が同じような発展型を目指しており、その実現を可能にする政策が国のレベルで用意されており、必要なお金も国庫負担金や地方交付税で補ってくれることになっていたため、智恵を絞らざるを得ない場面が少なかったからである。ひらめきや思いつきの類はあっても、智恵を出し続ける仕組みや組織体制は、ほとんど見られなかった。
しかし、そのような「古き良き時代」は、過去の話になってしまった。自治体間の格差は、覆うべくもなく広がっている。三位一体の改革で、国庫負担金や地方交付税は減少傾向にある。独自の財源を確保しようにも、増税すれば企業に限らず、家計も敏感に反応する時代が遠からず来るだろう。そのような状況の中、暮らしやすい街づくりを目指して、利便性の高い施設に集中的に投資し、ユニークなサービスを提供し、あるいは税率を下げて企業や住民を誘致する自治体が出てくるものと思われる。広域行政で協力しつつも、自治体間の競争はすでに始まっているのだ。
本稿は、自治体における智恵の生産について、@智恵出しを阻害する要因の見直し、A智恵出しを促す意思決定の仕組み、B現状のムダを発見・改善する智恵出し、C智恵出し人材の採用と育成、の四つの視点から論じることにする。
これまで自治体が智恵を出してこなかったのは、前述のようにその必要性が乏しく、致し方ない面もあったと思う。また、智恵を出そうにも、前提条件のところで裁量の余地を制限されていた、ということもある。国の政策に沿って補助金や交付金を受けるには、法的な要件を満たす必要があり、その中には制限する理由のはっきりしないものも含まれている。これでは、どんなに成功の見込みが高い提案や、画期的な成果が期待できる提案であっても、要件に合致しないことがわかった段階で、予算措置の対象から外されてしまう。智恵を絞り価値のある提案をするより、国のモデルに従って予算の取れる提案を優先してきたのである。
自治体職員と話をすると、そのような手続法がある限り、職員が智恵出しの能力を発揮することができず、次第に退化してしまったという話を耳にすることがある。けれども、それは智恵出しの工夫や努力を怠っている、言い訳にすぎない。
現在、少しずつではあるが、手続的な事前要件を外し、チャンスを与える代わりに結果を事後的に評価して、次回以降の資源配分に影響を与えるマネジメントが広がりつつある。しかし、裁量の余地が拡大しても、智恵を出さない限りよい結果は生まれない。前号で述べたように、大型案件になるほど、どれほど客観的な事後評価を行ったとしても、「ごめんなさい。間違えました」ではすまなくなっている。筋の悪い事業がよい結果を生む確率は低いのだから、ムダなお金を使って反省するより、最初から智恵を使い、お金をムダ遣いする可能性を徹底的に排除すべきだ。
逆に、手続的な制約の中には、ベテラン職員が長年の間に、そういうことはできないと思い込んでいるものがある。まずは制約のあるなしに関係なく、「こういうのができたらいいね」という理想的な将来像を思い描いて、その実現を妨げている具体的な制約を特定する。そして、「それはムリだろう」という周囲の冷たい視線に臆することなく、粘り強くその制約を回避する法律論を立てていく。意外にそのやり方で、抜け道の見つかることがあるのだ。
いずれにしろ、制約の有る無しにかかわらず、斬新な智恵を生産する能力を、自治体が備える必要がありそうだ。それには、智恵出しを促す意思決定の仕組みを、自治体の組織の中にこしらえることが望ましいのではないか。
自治体の中には、これまでにも「企画」と呼ばれる部門や職種を持っていたところがある。しかし、その「企画」は、本来は総合調整とでも呼ばれる性質のものであった。総合調整型「企画」とは、まず最も有力な利害関係者の意見に従って提案のたたき台を作り、それを手に他の有力な利害関係者を回ってコメントをもらう。次に、力関係のバランスを踏まえつつ意思決定会議のシナリオを作成し、その通りに会議の進行を仕切るというものである。事前にさまざまな方面の意見を十分に聞いているので、会議が白熱した議論になることはほとんどなく、短時間でスムーズにたくさんの意思決定がなされる。
ところが、このやり方だと、ロジックよりバランスが重視されるので、結果に至る道筋をめぐる議論が十分になされず、どうしても見通しが甘くなりがちだ。また、他の利害関係者とバランスを取る過程で、もともとこの提案が目指していた目的や価値があいまいになったり、いつの間にか手段が目的になったりすることがある。
本来の企画とは、戦略的な方針の下で行われるものではないか。すなわち、首長自身が冷徹な目で時代の流れを読み、当該自治体の競争戦略上重視すべき領域を選択し、それぞれの領域について現時点の水準と目指す水準のギャップを明らかにする。そこから、自治体経営の判断軸が明らかになるのだ。戦略を欠いた首長が少なくないから、議論が発散するおそれがあり、事務局が従来型「企画」によって事前に調整しましょう、という話になる。その結果、声の大きな者の意見が通る、おかしな企画になってしまうのである。庁内の智恵出しを促すような課題の出し方を、トップがやっていないことが最大の問題といえるかもしれない。
これからの企画は、職員がナローパスの調整を重ねて、争点をつぶした万能型の選択肢を1本に絞って用意することではない。首長の提唱する方針を踏まえ、職員が積極的に情報を収集し、客観的に分析して、本質的な争点をめぐる複数の選択肢に仕立てる(「玉を出す」)ことではないか。もちろん市民からの智恵出しを支援するやり方も、大いに奨励される。加えて、首長の方針に沿って、選択肢に優劣をつける判断基準やロジックを示すことができれば合格である。こうした情報に基づき、利害関係者には本質的なテーマに絞って、徹底的に戦ってもらう。議論が白熱しても、それほど時間はかからないはずだ。
このような仕組みの対極にあるのが、「組織図・定員ありきの行政改革」である。どういうことかというと、重要な課題に直面した場合、実践的な対策の立案をおろそかにしたまま、とりあえず重点分野の(ファッショナブルな)名前を冠した組織を新設する。課題の重要度は、その長の職位によって表し、その重要度に見合った定員を要求する。そして、新たな組織図が完成し、定員が確保されたところで安心するということが、連綿と続けられてきた。
しかし、どんなに立派な器ができても、具体的なニーズや対策がはっきりしない限り、配属された職員は結局定型的な業務をやらされてしまう。職員の智恵出しを促すには、組織図の形から入るのではなく、どんな機能が必要かを徹底的に考えさせることが先決だ。組織は現状のままでも、プロジェクト・チーム形式で企画に当たらせれば、十分なケースも少なくないだろう。
智恵出しとは、何も企画業務に限ったことではない。日常携わっている業務の中にも、たくさんのムダがある。自治体のような非営利組織は、特にムダに対する感覚が敏感でなかった。
厄介なのは、その道のプロと呼ばれる職員ほど、自分流の仕事のやり方を当然のことと思い、変化に前向きな姿勢が欠けていることである。確かにそれは、過去に抱えた問題や上司からの指示に対処するうえで、有効な経験則だったのであろう。しかし、上司の指示が単なる思い付きだったかもしれないし、過去の問題も状況の変化によって再び起きそうにないかもしれない。法的な根拠が薄弱なまま、誰も見ない参考資料として、惰性的に作られている書類がたくさんある。このようなムダは、若手の職員に、社内の別組織から診断してもらった方が、見つかる確率が高いだろう。いわゆる業務監査というものである。
行政改革の時代にもかかわらず、自治体の組織的なムダは、実は増加傾向にある。職員の高齢化に伴い、年功序列で給与水準が上昇し、その金額に見合ったポストが人工的に作られている。しかし、ポストの細分化には、以下のような副作用がある。
@業務の細分化により、組織間に繁閑のアンバランスが生じている
が、セクショナリズムの壁があって、職員がすすんで助け合いをしな
い。
Aその結果、それぞれの組織のピークに合わせて、常勤・非常勤の
職員を張り付けるため、手空きの職員がいる一方増員要請が出る。
B業務の細分化により、業務フローの途中で情報が組織間を行ったり
来たりするため、その調整や連携が大変になる。
C細分化により階層が増え、稟議が面倒になり、意思決定に遅れが
生じる。
現場からの智恵出しを活性化するには、思い切った組織の簡素化が不可欠ではないか。
最後に、職員に智恵を出してもらうには、智恵を出す気持ちと能力のある人を採用し、育成する必要がある。最近の自治体の職員採用戦略を見ていると、逆に智恵のない人、智恵を出す気のない人を集めているような感じがする。
自治体の採用に対する応募状況は、すこぶる良好である。都内の自治体に対し、北海道や沖縄の大学生からも応募があると聞いている。ある意味でそれは、積極的な広報・売り込みの成果といえるかもしれない。しかし、募集好調の最大の理由は、世の中全体で終身雇用体系が崩れつつある中、積極的に公務員生活の安定感を前面に打ち出して、意識的にアピールしているからだと思う。
「応募者が多ければ、優秀な人材が数多く含まれているはずだ」というのは、思い込みでしかない。安定感をダシに惹き付けられた人材の中に、変化に柔軟に対処し、智恵を搾り出して困難に立ち向かう若者が何人含まれているというのか。若武者は、状況が困難であればあるほど、そしてその見返り(金銭的な報酬とは限らない)が大きいほど、仕事に魅力を感じるはずである。
したがって、智恵を創出するには、最初から安定感など一切期待しない人材を募集すべきだ。例えば、採用ホームページに、やりがいはあるものの、非常に厳しい仕事をしている先輩職員の体験談を載せる。そのページを読み切らないと、応募フォームにたどり着けないようにしておくのだ。そうすれば、体験談を読んでも公務員になりたいと思う人材しか応募しない(経済学用語で、「逆選択」という)。応募者は激減するかもしれないが、採用担当者は今も書類の海をどう捌くかに腐心しているわけだから、本当にやる気のある人材の面接評価にじっくり時間を使うことができ、優秀な人材を採用できるようになるだろう。
残された課題は、現在ののんきな管理職が、やる気満々の新人を使いこなすことができるかどうかである。今後は、管理職に登用する時点で能力を確認し、意識変革を迫ることが必要になってくる。
とにかく、管理職のポストは、これまで一生懸命に宮仕えしてきたことに対するご褒美ではない(それは、これまでの給与ですでに清算されている)ということ、管理職の役割は、単なる「連絡調整」や「とりまとめ」ではないということを、認識してもらう必要がある。マネジャーには、
・自治体の戦略方針に沿った組織固有の期待成果を実現する責任を
背負い、
・目標達成に向けての現実的・段階的なシナリオを描き、
・必要な予算・定員を確保し、業務量に応じて柔軟に配分し、
・責任の大きさに見合った権限を活用し、
・部下にやらせて、うまくいかない場合には相談にのり、うまくいった
場合にはほめてやり、
・部下の力ではどうにもならない交渉の矢面に立ち、
・政策的なサポートを手当てする
などの役割が、求められるようになってくるはずだ。
最後に指摘しておかなければならないのは、成果主義的な人事制度の導入自体が、目的ではないということだ。智恵創造型の自治体を目指し、智恵創造の仕組みを整備し、智恵の創造できる人材を採用・育成し、そのような人材を活用し動機付けるという、首尾一貫した改革を進めて、初めて成果主義的な人事制度が効果を発揮するのである。他の部分を放置して、人事制度だけ職員に厳しいものを導入しても、管理主義が支配する憂鬱な職場になるか、見事に換骨奪胎されるか、どちらかであろう。
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