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【巻頭言】 |
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脱・IT思考停止
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増倉 洋 |
何かがおかしい。
あなたは、とある企業の経営計画を策定する中心人物として、中核事業の構築や投資の策定、そして何よりも、この会社の経営のレベルを引き上げていく、という重責を負っている。21世紀最初の10年間も中盤に差し掛かろうという現在、このミッションは、会社の神経系統としてのITの助けなしでは成しえない。
会社のあるべき将来像が徐々に明らかになるにつれ、あなたとチームはIT部門に連絡を取り、時にミーティングにも参加してもらう。この会社の未来にITも重要な役割を担ってもらう、という希望のもとに。
多くの質問がIT部門の代表や担当者に発せられる。質問への答えは返ってくるものの、どうも論議がかみ合っていない、という感覚が拭いきれない。この消しがたい違和感はいったい何なのだろう?
帰宅途中の電車の中で、そして休日の朝、あなたはずっとそのことを考え続け、ついに違和感の原因を見つけ出す。
彼らは多くの問いに「出来ます」とは言ってくれたけれど、本当に、自分たちが重要に思っていることを共有した上で、そう言ってくれているのか、あるいは、何かとんでもなく別のことを考えているのか……仮にコミュニケーションが成立していないとしても、これまで一緒に働いてきた人たちなら、何かを投げ返してきてくれるはずだが、そのようなやり取りは成立するのだろうか? 彼らは本当に自分たちと同じように考えた上で、思考した上で、答えを言ってくれているのだろうか? 本当に大丈夫なのだろうか……?
「非・IT部門」の人々にとって、IT部門とビジネスに関するコミュニケーションを行うことは、違和感や不信感、時に苦痛を伴うことがある。また、システムが完成し、あるいは希望通りの変更がシステムに加えられた後でも、本当にあれでよかったのだろうか、という感覚に悩まされることも珍しくない。
これらの不信感、消しがたい違和感は、一体どこから来るのだろうか? ITには、なにか共通の、人を不安にさせるような要素があるのだろうか? マスコミで喧伝されている派手なITの世界と、この開きを、多少なりとも埋める方法はないものだろうか。
本稿は「非・IT部門」(以下"ユーザー"と表記)とIT部門が、経営という共有された価値の実践を行う際に、ともに働き、新たな価値を生み出すための方法についての考察である。
実のところ、両者は絶えず意識して歩み寄りの努力を続けない限り、容易に深い溝が出来てしまうほどに異質である。この溝を越えられない限り、IT部門とユーザーは、深い淵の両岸に立って、双方を眺めながら、心地よい思考停止に浸り続けることになる。
本稿では、まず、ITと人間の感覚がどのように異質なのかを述べ、次に、この異質な二つの世界に常に挟まれているIT部門の人々が陥りがちな思考・行動のパターンについて考察する。後半では、ユーザーとIT部門のそれぞれに対し、二つの世界の間に横たわる溝が、深刻な思考停止を引き起こしてしまうことを避けるための処方箋を述べる。
何らかのシステムを作ろうとする場合、最初に行われるのは「何を、どのようにコンピューター上で実現するか」という論議である。この論議は「異文化コミュニケーション」と全く同じ性格の難しさを内在している。
共通の認識、暗黙のうちに共有される優先順位や価値観、人間の脳は、これらを素晴らしい効率で処理し、乗り越えていく。他方、シリコンの脳が発明されてから半世紀以上、人間の「常識」や「知恵」をコンピューター上で再現する試みは、依然として第一線の研究テーマであり続けている。
システムを作り、動作の変更や機能の追加などを行う際には、「常識」や「暗黙的な重要事項の区分け」に助けてもらうことは出来ない。文化を「集団が創造し、継承している、認識と実体のゆるやかな体系」とするならば、人間とコンピューターは、どのような文化も共有していない。
コンピューター上で何らかのシステムを作り上げようとする場合、仮に成果物の明確、明快なゴールが示されたとしても、最も難しい異文化コミュニケーションを成功させなくてはいけない。そして、実のところゴールさえはっきりと設定できないケースも多い。
「システム」という言葉を聞くと、筆者は、リンゲル液や血液の循環するポンプに接続されたガラス容器に保存された、脳の断片、というイメージを抱く。
脳細胞を生かしておくために必要なチューブとは別に、神経細胞への入力と反射を取り出すための電線が何本も接続されている。繋がれた電線を通して、脳の断片は一定期間、何らかの役割を果たすことが出来る。人工的な環境の中で、やがて神経細胞の働きは鈍り、ガラス容器の中で脳の断片はゆっくりと死を迎える。
ガラス容器の中の脳からは、かつて、その持ち主が保持していたような、人間的な思考、世界観、広範な常識、柔軟さといったようなものは完全に失われている。あるのは、ただ、外からの電気刺激に決められたパターンで反応する神経細胞の繋がりだけである。
コンピューターの上に作り出されるシステムは、すべてこのような、「生きた解剖標本」としての性格を持っている。
システムは、それを作り上げたユーザー、IT部門、技術者等が意識して―あるいは無意識に―切り取った動作を、忠実になぞっていくだけである。システムを作り出すことは、その作業にかかわった人たちの思考を切り出し、固定して、「停止した思考」としてコンピューターに封じ込めることを意味している。
機械の脳に封じ込められた思考は、一定の間、役に立つかもしれない。外界の条件が次第に変わり、異なる動作や新しい機能が求められると、新たな脳の断片が継ぎ足され、あるいは、すでに取り出された組織がもう一度切り刻まれる。継ぎ足しや改造がうまくいく場合もあれば、それが引き金となって、神経細胞の死期を早めてしまう場合もある。
コンピューターの世界とユーザーの世界を結ぶIT部門は、二つの、全く異質の世界を結びつけるという困難な役割を担っている。このような役割を担わされたとき、そこに現れる反応は、いくつかのパターンに分けることが出来る。
パターン1:システムの司祭
主張やビジョン、あるべき姿といった主体的な態度を一切持たず、仲介者、あるいは一方の世界の代弁者に徹する。このパターンに入る人は、その軸足をコンピューターの側に置くことが多い。
司祭の居るシステムは、一度構築されると長い期間にわたって利用されていくことが多い。システムの機能拡張や改変、テクノロジーの更新、企業の中での位置づけ等を正しく行っている限り、このようなシステムへの投資効率は、高い。
その一方で、機能拡張や改変を続けた結果、IT部門ですら、誰もシステムの全体像を把握できなくなってしまうこともある。
現状のシステムを追認し、動かしていくことが司祭の主な目的であり、システムの革新的な進化―ひょっとすると現在の経営環境で切実に求められているかもしれない―が求められても、対応が出来ない、というリスクもある。
パターン2:被害者
増え続けるユーザーからの電話、奇怪なシステムの不具合、理不尽な経営者の要求、意味の分からない機能拡張……なぜ、システムはちゃんと動かないのだろう? どうしてユーザーは要らないファイルでサーバーのディスク領域を食いつぶしてしまうのか? 不満や怒り、諦めは、今では生活の友とさえいえる。
このパターンへの入り方は二つある。一つは、IT部門の役割を果たすために必要となる知識、スキルなどが欠けており、防御機制としての被害者感情に入り込んでしまっているケース、もう一つは、本人の能力には問題はないが、自分が面倒をみなくてはならないシステムや製品が本当に問題を抱えており、文字通り被害者になってしまっているケースである。
どちらのケースでも、IT部門の上長、もしくは経営からの、早急な介入が必要である。
パターン3:テクノロジー中毒
第三のパターンは、自分たちがモノにしている製品やテクノロジーについて、その可能性を試す機会を窺う、というものである。
この人たちは、製品の裏側にあるテクノロジーを高いレベルで身につけていることが多い。テクノロジーがこれまで難しかったことを簡単に実現していくことを見るのが好きである。
IT部門がこのような人たちに占められていると、ユーザーはITに関しては大変心強い言葉を聴くことが出来る。その一方で、これらの人たちから発せられるITの事業へのコミットメントが、本当に実現するのか、という点については、十分に注意深く見守る必要がある。このパターンの人たちにとっては、新しいテクノロジーに関わることが主要な動機だが、その結果は必ずしも、企業が望んでいる通りのものになるとは限らないからである。
ユーザーはIT部門の後ろ側にあるコンピューターの世界に漠然とした思いを馳せるものの、二つの世界のコミュニケーションがどれほどのストレスを伴うものか、よく理解できない。長期にわたるストレスに晒されるうちに、やがてIT部門は孤立し、その思考は隘路に入り込み、ついには停止する。IT部門のみならず、組織全体にとって大変不幸な結果であることは、言うまでもない。
コンピューターの世界とユーザーの世界を繋ぐ努力は「異文化コミュニケーション」そのものである。すべてのコミュニケーションがそうであるように、この試みもまた、ユーザー、IT部門の、双方向の努力なしには成立しない。脱・思考停止に向けての処方箋は、システムの開発や機能拡張、ITの利用推進にユーザーの側から関わる人々と、IT部門の人々に対して、それぞれ三つずつを示すこととする。
ユーザーへの処方箋1:「全く異なる文化を持つ相手と与しようとしている」という事実を、意識して忘れないようにする
ここでいう「相手」とは、ITのテクノロジーそのものであると同時に、IT部門の人たちも指している。
IT部門とのコミュニケーションでは、あなたの感覚としては奇妙な内容に力点がおかれるようになるかもしれない。たとえば、以下のようなことが起こるかもしれない。
・通常の業務を進める上ではどうでもよいこと、無視してしまってかま
わないことが、延々と話し合われる。IT部門の人たちが、業務を理解
していないので無駄な時間を費やしているだけかもしれないし、ある
いは、本当に技術的な重要性を帯びた論議なのかもしれない。
自分の感覚でどうでもよいこと、と一概に切り捨ててはならない。少な
くともIT部門はその点を重要だと考えているのだから、ユーザー代表
としては「どうでもよい」ではなく、やはり何か具体的なことを示さなくて
はいけない。
・IT部門の人々が、突如としてユーザーの世界からコンピューターの世
界に逃げ込んでしまうことがある。システム開発プロジェクトが思い通
り進捗せず、不幸な結果を迎えそうになるときに、このような逃避行
動が起こることがある。双方の世界を仲介している人間にしてみれ
ば、どちらの世界に逃げ込んでも、それなりに正当な行動ということ
になる。
このような逃避が起こった場合、これを元に戻す一般的な処方箋は
存在しない。手間と時間のかかる対応が必要となる。
・人間の感覚でめったに発生しないからといって、それを無視してはな
らない。コンピューターは人間の感覚をはるかに超える規模と速度で
動作する。人間の世界では百万回に一度の可能性は無視してかま
わないが、一秒間に百万回の処理をこなすコンピューターでは、この
ような確率の事象は毎秒一回発生することになる。
最後の項目は比較的分かりやすい例を挙げることが出来る。新品のパソコンを、何の防御もせずにインターネットに接続してみればよい。最初の20分以内にあなたのパソコンのセキュリティ上の弱点が探られ、一時間以内に、確実に何かおかしなプログラムを送り込まれてしまう。そのプログラムはあなたが打ち込むパスワードを盗むかもしれないし、あなたの名前でウィルスの添付されたメールをばら撒くかもしれない。別に誰かがインターネット上であなたを待ち構えているわけではない。インターネット上には、防御の弱い、付け入る隙を持った相手を常時探しているコンピューターが隠れている。悪意を持ったコンピューターは、人間の感覚をはるかに超えるスピードと規模で、無防備なコンピューターを見つけ出し、襲いかかってくる。自分は無名であり何の関心も持たれていない、などという人間の感覚は、ここでは全く通用しない。
ユーザーへの処方箋2:素人であることを恐れない(ただし、謙虚に)
ITに関わる人たちは、製品やテクノロジーに軸足を置くことが好きである。前項で述べたように、ビジネス上の課題を忘れ、製品やテクノロジーの側に逃げ込んでしまう、という行動をとることもある。もしもシステム開発やITの推進に関わる人間が、全員製品やテクノロジーの側を向いてしまったらどうだろう。出来上がったものが何に役立つのか、誰に役立つのか、きわめて怪しいだろう。
あなたがシステム開発やIT推進のプロジェクトにユーザー側の立場で参加しているなら、あなたは誇り高い素人としての立場を崩すべきではない。あなたが代表すべきは、プロジェクトの人たちが日々向き合っている製品やテクノロジーではなく、そのシステムを使う人たちの、利益、時間、クオリティ・オブ・ライフである。
もしもあなたの所属しているプロジェクトが「最終的にユーザーに何を与えるのか」という成果イメージを十分に提示していないと感じるなら、あなたはいつ、何時でも、それを明らかにするようにチームに要求しなくてはいけない。
さらにもう一つ、IT専門家が「出来る」と請け合ったことについて、「一体どのような意味で『出来る』と言っているのか?」と一歩突っ込むことも重要である。IT専門家は「出来る」を実に多くの意味で使う。「ボタンひとつですべてが解決するように出来る」という場合もあるし、「5年かけて3回ぐらい作り直せば出来るようになる気がする」と言っている場合もある。結局のところ、IT専門家の「出来る」という言葉は、あまり当てにならない! 心強い言葉であっても鵜呑みにせずに、それが画面上でどんなふうに実現されるのか、どのような手順を踏むことを前提としているのか、詳細に聞いてみるべきだろう。そのような論議は、IT専門家にとっても、本当のところ何が必要かを理解する助けになるので、歓迎されるはずである。
もちろん、これらのコミュニケーションがうまく機能するためは、あなたも謙虚にIT専門家の言葉に耳を傾け、学ぼうとする姿勢を持ち続ける、ということが前提になることは、言うまでもない。
ユーザーへの処方箋3:仕事の進め方を共有する
建築や土木、あるいは製造業など、すべてのモノ作りには、合意され、共有されている、仕事の進め方の手順がある。最終成果物のイメージは、設計図やパース図、デザインスケッチによって、明確に示されることが多い。
システムを作る際に、最終的な成果物がどのようなものになるのか、最も優秀なIT専門家でも、よく分からない場合がある。作り出そうとするシステムが複雑、広範囲なものになるにつれて、最終成果物のイメージは抽象的なものとなっていく。システムはモノではなく、「切り取られ、停止した思考」である。「思考」をどのように切り取り保存するのか、曖昧さの余地なく表現し、共有することは、非常に難しい。
製造業ではかなり昔より確立している「仕事の進め方」はIT業界では「開発方法論」と呼ばれ、現在も活発な論議が続いている。
これまでほぼ半世紀近くにわたり、様々な開発方法論が提案され、試されてきた。現在の開発方法論は、1)人間は完璧ではない、仕事を始めるときに、本当のところ何がベストなのか、何がほしいのか、よく分かっていないことが多い、2)仮に自分がほしい物が分かっても、作っている最中に状況が変わって、ほしい物が微妙に変わっていくことがある、というように、現実と折り合いをつけるための手法となっている。
予測不能な要素の存在をシステム開発の避けがたいリアリティとして認め、絶えず揺れ動くゴールに対して、混乱や、経済的・時間的損失をどのようにコントロールしていくのか、という考え方の体系である。いずれも、プロジェクトの期間をさらに短く切り、成果と検証のサイクルを「繰り返す」ことによって、確実な部分を少しずつ重ねていく、という考え方が基となっている。
なんとなく会議を重ね、なんとなくスケジュールの線が引かれ、誰かがプログラミングを始める、というような仕事の進め方では、上述したようなリスクはコントロールできない。あなたは、誇り高き素人として、システムの開発や運用をどのような手法、手順に沿って進めていくつもりなのか、また、何故そのような管理手法が必要なのかについて、十分に論議を重ねるべきである。
筆者は、日本と米国のソフトウェア技術者の比較において、開発方法論の理解や実践は、わが国の技術者がはっきりと劣っている部分だと認識している。この分野では、IT専門家もまた、あなたと同じような素人であり、思考は停止している場合が多い。誇り高い素人であるあなたが、この点を持ち出すことに、何もためらう必要はないのである。
IT部門への処方箋1:テクノロジーを極める、そして手なずける
言うまでもなく、IT部門は社内で最もITに精通した部門であるべきである。単に調子の悪いパソコンの様子を見に行ったり、月末の締めの処理が最後まで走るかどうか見守る、というだけでは、期待される役割の最低限を果たしているに過ぎない。ITがどのように自社を変革できるのかについて、ITの側から発信しなくてはならない。
これを可能にするために、まず必要なことは、テクノロジーに精通することである。
「テクノロジーに精通する」ためには、知識や技能を蓄積するだけでは不足である。マイクロソフト、IBM、サンマイクロシステムズ、その他のベンダーが市場に投入する製品やテクノロジーには、― あるいは、Linuxのように特定の企業が所有していないテクノロジーさえ ― すべて、一つの例外もなく、それが世の中に送り込まれてきた理由がある。単に製品やテクノロジーについての知識を身につけたとしても、「なぜ必要なのか? なぜ生まれてきたのか?」という背景の理解なしには、製品やテクノロジーに「精通した」レベルに達したとは言えない。
パーソナルコンピューターが登場した80年代中盤以来、コンピューターの世界では、進化のステージをまたぐような変化は何も起こっていない。テクノロジーと社会の大きな変化はあったが、それらを引き起こしてきたのは「現在分かっている問題点を乗り越えるためにはどうすればよいのか、本来どうあるべきか」という問いかけと、その問いかけへの真摯な回答の連続である。これはつまり、現在の問題点や本来あるべき姿に眼を向けていれば、少なくとも近い将来何が来るのかは、かなり容易に予測がつくようになる、ということである。
一例として、現在Windowsオペレーティングシステムの安全性は大きな問題となっている。Windows XPの今後の改善作業、および、次期Windowsオペレーティングシステムでは、この分野に対して、大幅な変更、改善が加えられるに違いない。これは、企業のIT部門にとって、どのような意味があるのだろうか? この問いへの答えは、現在のWindows XPだけを見ていては、絶対に分からない。
製品やテクノロジーへの理解と洞察がこのレベルまで進めば、ようやくそれを「手なずける」という段階に進むことが出来る。このレベルまで到達すれば、製品やテクノロジーを購入し、社内で使うことが、数年というスパン―償却に必要な期間―でどういう意味を持つのか、より正確な理解が得られるようになる。そして、この種の「目利き」こそ、ユーザーがIT部門に抱く期待のうち、最も価値の高いものの一つである。
IT部門への処方箋2:IT部門のトップは技術観を持つ
現状はともあれ、ITは企業経営の中枢神経となりうる可能性を秘めている。IT部門のトップがIT投資の方向性を決め、その方向性に沿って物事を進めていかない限り、中枢神経系統は発達せず、もしくは、機能不全に陥るだろう。IT部門のトップは、テクノロジーを極め、手なずけているだけでは不十分である。その先にある「技術観」が必要不可欠となる。
技術観とはどういったものだろうか。一例を挙げてみよう。
現在のコンピューター業界では、大型コンピューターの製品開発に大きな投資は行われていない。大型コンピューターは、もはや第一線の人材が集まる場所ではなく、成熟期すら過ぎて、狭く、特殊な世界となりつつある。
一方で、現在でも多くの企業が基幹情報システムとして大型コンピューターを利用しており、相応の予算が大型コンピューターに費やされている。
筆者の技術観では、この状況が不思議でならない。大型コンピューターに基幹業務を依拠している企業は、古臭く、製品開発の投資も行われず、かつ、あまり柔軟性のないテクノロジーに依拠していくことに、不安を感じないのだろうか? もし、何か新しいサービスの追加、大幅なシステムの改編や機能追加が不可避な状況―たとえば企業の合併―が生じたときに、大型コンピューターを利用しているIT部門は、本当に要求に応えることが出来るのだろうか?
現在の主流テクノロジー、若く優秀な人材を惹きつけ続けているテクノロジーを利用している限り、そこで要求に応えられなければ、それは仕方ないことといえるかもしれない。だが、長年にわたり、自社のITをIT業界の投資トレンドに乗せる努力を怠り、その結果としてビジネスの要求に応えられなくなっているとすると……? 蒸気機関では音速の壁は超えられない、という事実を、衰退期に入ったテクノロジーを使い続けている企業は、どのようにとらえているのだろうか?
仮に筆者がこのような古いテクノロジーで作られたシステムを預かったなら、それがうまく動いているように見えたとしても、年間のIT予算の一部を割いて、最新技術で同じシステムのプロトタイプを作るように経営陣を説得するだろう。そのプロトタイプは、最後までプロトタイプとして、使われずに終わるかもしれない。万一今動いているシステムが古くなりすぎて、費用対効果が受け入れられないレベルまで悪化した際には、そのプロトタイプを元に、より安く、効率のよいシステムの構築を始めることが出来る。
このような決断を可能とするためには、テクノロジー自体への理解に加え、そのテクノロジーが時間軸、空間軸のなかで、どのように位置づけられるのか、という理解、感覚―技術観―が必要となる。IT部門のトップは、自身を動かしているものは、「技術観」なのか「過去の成功体験」なのか、厳しく自省してみる必要がある。
IT部門への処方箋3:異質なものの衝突を覚悟する、そして楽しむ
テクノロジーの予定調和的な世界からビジネスや業務の現実を眺めれば、そこにあるものは混沌という以外のなにものでもないだろう。一貫性を欠き、非効率で、定まらない。話し言葉さえ混乱し、同じ言葉の意味が、ユーザーとIT部門で全く異なっていることも珍しくない。
このような状況に直面すると、ITに軸足を置く人たちは、物事の枝葉を切り落とし、達成しようとするゴールに向けての最短距離を歩む、という誘惑に駆られる。このような考え方は、動かないシステムが出来上がる大きな原因の一つである。
混沌とした業務やビジネスの向き合う際には、三つのアプローチがある。一つは、その混沌を、混沌でなくなるまで細かく分析し、すべての状況が扱えるような完璧な機能セットを作り上げる方法、もう一つは、混沌を感じたらそこから手を引き、確実と思われる部分のみにシステム化の努力を集中する方法、そして、三番目は、その混沌を、システムから見てもう少し一貫性が見出せるよう、業務自体を変更する、という方法である。
どのアプローチを採るのかは、実際のところ、それほど簡単な決断ではない。第一の方法では、システムは複雑化し、開発期間は長引き、不具合が入り込む余地が増える。第二のアプローチは、「確実と思われる部分」を見切るのが難しい。確実な部分を厳しく見切った結果、システム化できる部分が無かった、などという笑い話のような話さえ珍しくない。第三の方法でも、現時点で業務のプロセスを改めるという方向が決まったとして、本当にそれで大丈夫かどうか、という問題がある。下手に業務をいじり、システムに乗せた結果として、その組織の大きな強みであった柔軟性を殺してしまう、という場合もありうる。
これらのアプローチは、実際のところ、どれか一つを取るといった相互排他的なものではない。それぞれアプローチを何がしかやってみて、そこからITと業務の相互作業を作り上げていく、という、大変に手間のかかる作業が必要となる。実のところ、この努力こそ、異質な二つの世界が融合した後の姿をデザインすることに他ならない。一般的に、このようなデザイン作業は、楽しんでやったほうがうまくいく。
最初の話に戻ろう。
しばらく考えた後、あなたはIT部門とのコミュニケーションスタイルを、変えてみることにした。
まず、経営計画の重要性、意味を、IT部門に理解してもらわなくては。これらの重要性は説明するまでもないと思っていたが、いま一度、整理してみたほうがよさそうだ。なぜ経営計画を策定しているのか、経営計画によって会社はどこに導かれるのか。説明をいろいろな角度から何回か繰り返すうちに、IT部門からも、現在のシステムを見直してみたい、という意見が出るようになった。
来期の予算時期には、ITの見直し作業も課題となるだろう。その際には、あなたのチームも作業に参加して、IT部門の仕事の進め方を学び、疑問や意見を交換する土壌を維持するつもりである。その努力の過程と結果はどのようなものなのか、まだ分からないが、とても興味深いものになることは間違いないだろう。
本稿がすでに長くなってしまっていることからも分かるように、異質なものの説明は難しく、あまり効率よく行うことが出来ない。
その一方で、ITの持つスピードとスケールは、今後の企業経営のうえで欠かすことが出来ない武器である。我々が二つの世界に横たわる溝の前で立ちすくみ、思考を停止させているなら、誰か別の人がその横を飛び越えていくだけのことである。
我々の多くは、これまで同じ言語を話し、同じ価値観を疑うことなく共有してきた。経営がITのメリットを享受するためには、誰かが、どこかで、思考停止から抜け出し、生ぬるい共有を断ち切って、自分たちの行動と価値観を、真空の中に放り出さなくてはならない。
本稿をここまで読んでくださった方は、筆者が示した処方箋の大部分は、プロフェッショナル型の組織において、異なるバックグラウンドを持つ人々で構成されるチームが、最大の成果を達成するために必要な項目である、という感想を持ったことだろう。
そのスピードとスケールをもって人間の営みを良い方向にも悪い方向にも拡大するITとうまくやっていくことが出来れば、あなたは、プロフェッショナル組織の中でも、重要な役割を果たせるに違いない。
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