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【巻頭言】 |
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半歩上の思考術
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河合 太介 |
「できる人になりたい」というのはビジネスマン共通の思いである。そのために人は「一歩上」を目指そうとする。しかし、一歩上は大変である。財務分析がスラスラできる、アメリカの最新の経営理論、はたまたMBAを取得する……。本当に大変である。
その類のテキストを見たら、それこそ頭の中は真っ白けの思考停止。3分でスヤスヤお休みタイムに入ってしまう。
私に一歩上はとても無理。そこで半歩上を目指すことにした。ここで紹介する半歩上の思考術とは、気の持ちようでできる思考の癖づけである。皆さんの参考になるほどのものかどうかはわからないが、いくつか日頃自分なりの努力をしていることを書き出してみた。ご一読頂ければ幸いである。
雑談は宝の山である。ところが雑談を雑にしかできない人は意外と多い。
雑談は相手との最高の親和プロセスである。雑談は、最高の情報収集プロセスである。
ところが、雑談時間になると相手の話に機械的、儀礼的に反応しているだけの人がいる。こういう時間はもったいないと言わんばかりの表情が見える人もいる。雑談中は思考停止ボタンを押すようである。聞いているようで聞いていない反応のやりとりである。このような対応を自分がするから、雑談時間がもったいない時間になるのである。
雑談のポイントは「オープン」だと思う。等身大の自分を全部見せることである。それが親和に大きく影響する。親和すると、本音や普段の関心事が話題にあがるようになってくる。やっぱりそれは面白いから話が弾む。すると親和心理が加速し、話題も拡大好循環する。
しかし、これで思考を終わらせてはいけない。ここまでは「標準」である。半歩上の思考術の場合、楽しかった雑談のお礼をお返しできないかと考える。
そのためには、まず雑談の中で出てきたキーワードをしっかり心に刻んでおく。キーワードは相手が明らかに示した強い関心事だけとは限らない。何気なく出た一言がキーワードだったりする場合もある。例えば時間があったらやりたい、調べてみたいという雰囲気で語った話だったりする。
これには会話の空気を読み取る能力が必要となる。しかし、それは特別な能力ではなく、ただ単に、「真剣に聞く」という心と耳があれば誰にだって可能なことである。
次に、このキーワードに対して何かプレゼントできないかを考える。それはつまり、「情報」のプレゼントのことである。
例えば、次に会うときまでに、そのキーワード関連の情報を調べておいて、「この前雑談のときにお話に出てきたあの件のことですが、ちょっと調べてみたらこんな感じでした」みたいな形でプレゼントする。あるいはそれを良く知る人を紹介できるようにしておく。本来の仕事内容と関係なくてもいい。むしろ関係ないことのほうがプレゼントになる。
要は、雑談にまで丁寧に耳を傾けるくらいの姿勢が「あなたに対して私は真剣(マジ)です」ということを伝えるうえで大切なのである。
それが強い信頼関係につながり、相手からさらに面白いボール(という名前のテーマ)を頂けるきっかけになるのだと思う。そしてまた、自分を成長停止させないためには、こうしたボールを投げ続けてもらえるようにして、それを打ち続けることだと考える。
昔の、お菓子のコマーシャルみたいで恐縮であるが、これが二つ目の半歩上の思考術のキャッチコピーである。
最近は、怠りつつあって反省をしているのだが、二十代の時、欠かさずやってきたことがある。それは、一つのプロジェクトを終えたら、そのプロジェクトに関するテーマを設定して小論文を書くという作業である。例えばプロジェクトが目標管理だったならば、目標管理というテーマで書く。
「自分は、今回こういうテーマに対して、こういう状況の中で、こういうアウトプットを考えたが、他に方法論はなかったのだろうか、問題状況が違う会社の場合だったらどういう方法が考えられただろうか……」などというプロジェクトの反省や、代替となる方法論についての自問自答を文章に起こすようにする。
書いていると、筆がとまる箇所が出てくる。筆がとまるということは、自分の中でロジックが詰まっていない証である。そこで「ウーン」とうなりながら、一所懸命考える。その結果として、何らかのロジックを強引にでも自分なりに見つけ出していく。この地道な作業を繰り返す。
地味だが、これは良いトレーニングになる。何より、一つの仕事を終えて、三つの仕事の経験をしたのと同じような効果が得られる。例えば先の目標管理にしてみても、この作業をやっていなかったら、もう一つ別なPJTに参加をしないと、他の目標管理のパターンは習得できない。しかし、これを行うことで「前始末」的に複数パターンを習得できる。そして、本番はその「検証」プロセスとなる。本番が「仮説」プロセスになる人よりも、その時点で半歩先に行ける。
ビジネスマンとしてありとあらゆる仕事に従事できれば、それにこしたことはないが、現実的には、直接経験の機会には何らかの限界がある。したがって、他の人の経験情報も含め、疑似体験をどれだけ自分のものにできるかが大切になってくる。その積み重ねによるパターンの多様化が、とある状況や場面に出会ったときの問題解決シミュレーション能力につながってくるのである。
論文書きは、この疑似体験力を上げるいいトレーニング手法だと考える。
速読をすすめる本やトレーニングツールは流行っているが、私はその全く逆である。1ページを、時間をたっぷりかけて読む、そういう読み方である。一つひとつの言葉や情景を噛み締めて読む、そういう読み方と言ってもよい。
自分が「ビッ」と感じた言葉に出会ったら、そこでストップしてその意味合いを深く考えてみる。ポイントだと思ったら、ノートやメモ用紙に実際に書き出してみる。そして、書き出した言葉をベースに、いろいろな思考を巡らしてみる。
それはその言葉の種類であったり、何の意図をもってしてその本を読んでいるかによるが、例えば、今の仕事の問題解決方法と結びつけて考える場合もあれば、商売の空想ネタに結びつけて思考遊びをする場合もある。
情景なども、時折目を閉じてイメージ遊びをしてみる。
通勤電車で本をよく読むのだが、はまるページがあると、たった3ページしか読んでいないのに、降車駅までずっと、この空想ゲームに入り込んでいることが多々ある。
こんな読み方をしていると多読はできない。しかし、これでいいと割り切っている。
これは昔からの読書癖なのだが、あるとき、これが仕事上、何か役に立っているのか、考えてみた。半分以上自分勝手な思い込みだが、多分知らず知らずのうちに、イマジネーション力のトレーニングになっているのではないかと思った。
どんな仕事でも言えることだが、限られた情報の中から本質を見抜くことは、ビジネスをうまく進める上で大切な作業である。コンサルタント業界では、この力を「インサイト」とよく呼んでいる。
この「インサイト」を支えるベースの力がまたあって、それがいくつあるかはわからないが、一つは既述の問題解決シミュレーション力だと考える。知り得た情報を、この力で多面的にスキャンしていく。それを頭の中で作業するのだが、スキャンする網の目が粗いと、粗いインサイトになる。
そしてもう一つ大切になってくるのがイマジネーション力だと考える。知り得た情報から、そこで起きている実態や今後深刻になっていくこと等を想像豊かに絵として膨らませていく。すなわち、限られた情報という、小さくて薄い物体を、イマジネーションという力を使って、大きくて厚い立体的な物体にバーチャルに変えていく。
より大きくて立体的な対象物に対して、細かい網目のスキャンをかけることで、切り取られる真実の精度と面積が確かになる。
逆に、イマジネーション力とシミュレーション力が弱いと、小さくて薄っぺらな対象物をそのまま、大きな網の目ですくうような作業になるから、スカスカなインサイトになる可能性が出てくる(そうすると、弊社では淡輪さんから、「浅い」といって叱られることになる)。
もちろん私自身鋭意努力中の身であるが、イマジネーション力は、インサイトだけでなく、ビジネスのいろいろな場面で、「あったらいいな」という力である。にもかかわらず、そのスキルアップ方法論があまり語られていない状況である。それを考えると、遅読は、一度試してみる価値はあると思うのだが、いかがであろうか。
もちろん全く読まないわけではない。移動中手持ち無沙汰の時は読むし、そこらへんに置いてあれば手に取ってパラパラと読むことだってある。
しかし、購読しなくなってからもう7年以上は経つ。きっかけは、氾濫する情報の整理だった。毎朝1時間、義務感、あるいは情報から遅れることに対する一種の切迫感から新聞を読むことに何の意味があるのだろうと自問自答した。
記事を題材に思考トレーニングやウォーミングアップをする等の目的性があればいい。しかし、思考停止のルーティン作業になっている以上、その作業を続けても自分の成長にとっては意味がないな、と思ってしまった。
実際、ニュースそのものはインターネットでざっと拾えるので不都合はない。1時間の作業が5分に生産性をあげることができた。ニュースを耳に入れることは、私にとっては単純作業に過ぎない行為だから、時間短縮は望むべきことである。
逆に意識して行っていることが二つある。一つが、「自分の日常生活からすると、意識しないと入ってこない情報を積極的にとりにいく」ということである。
例えば、飛行機に乗ると女性誌を手に取り、週末に図書館に行っても女性誌を読むのに時間を使う。面白いことに、女性誌を読んだほうが浮世の方向性や感度・ソフト系(例えばサービス、ファッション、流行りすたり等)の方向性がよくわかる。
もう一つは「人と会う」ということである。ニュースインプット作業を5分にしたことで、逆に「情報の深さ」のところを、人に会うという行為で埋めているというイメージである。
「浅い情報より深い情報」。これは情報に対する個人的な信念である。よく情報の引き出しというが、薄っぺらな引き出しはその場限りである。しかし、深い情報は、そこから物事の真理が読み取れる。真理は普遍性、応用性があるから、一度知り得た情報が、いろいろな場面で思考活用できる。
深い情報はどこにあるか。それは紙面ではなく、人がもっている。だから、できるだけ人と会える機会を大切にして、ひょこひょこと出かけるようにする。ただし、もっというと、会った時のほうをさらに大切にする。
いけないと思うのは、「人脈を作ってやろう」とか「利用できる人を探しに行こう」という気持ちの人である。それは、接触するとわかるし、それゆえ、名刺交換を形の上でしても、その後続くことはない。
そんなダサダサのエロチックなことをここで言っているわけではなく、また、そんな考えなんかもたないで、単純に「面白そうだから行く」ということで十分だと思う。自分にとって面白そうかどうか、これを判断基準にすればいい。無理して行くことなんかない。
そして、単に面白そうだから顔を出している自分がそこにいるわけだから、妙に自分を作る必要はなくて、オープンな姿勢でいいと思う。オープンな自分を気に入ってくれる人、それで気が合う人がいれば、単純に、それで「お友達」になればいい。
すると、お友達同士の会合がまたあるだろうから、面白そうだったらまた顔を出せばいい。そんな自然体でいいと思うし、それが大切だと思う。だいたい、そんなお友達感覚になっていない人に、深い情報なんて話さないと思うし。
こうして、友達の輪が広がってくると、自分だけの生活圏で行動していたら、一生知り合うことが絶対なかったなという人とお友達になることも出てくる。例えば、私の場合だと元F1ドライバーや料理界の巨匠など。F1の場合、完全なプロ型だと思っていたら、そうではなく、至極のチームマネジメントが求められる世界であることを、その具体的な話とともに知るわけである。料理界の巨匠からは、まさに個人のプロとして極める「道」の世界の話を聞くわけである。
こうした深い情報は、本当によい思考の刺激になる。しかも、それは他の人が持っていない刺激情報である。それゆえアイデアの差別化の源泉になりうる。
実は、個人的には、新聞だけでなく、ビジネス書もめったに読まない。それは、読んでしまうと、そこに書いてある風に物事を理解してしまうし、そこに書いてあるフレームワークを頭の中に固定観念としてもってしまうからである。
そうしたお決まり情報のインプットに時間を使うよりも、遊びながらお友達作りや、その人の話を聞くほうに時間を使ったほうが、半歩上に近づけるのではないか、そんな思いであるが、いかがであろうか。
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