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【巻頭言】 |
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世界についての自問自答
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キャメル・ヤマモト |
しばらく住んでいる中国には、世界の潮流が濁流のように流れ込む。中国において、自問自答すると、自然とそれは、「世界」についての自問自答となる:「そもそも、世界は今どうなっているのか?」
どこに導かれるかわからない自問自答が私の中で始まった。自問自答の照準はビジネスというより、「世界」そのものに合わせている。通常、ビジネスに従事する場面で、自問自答するのは顧客や市場についてであるが、その顧客や市場も、世界内の部分的存在である。ドン・キホーテ的になることは承知の上で、ビジネスを含み込んだ「世界」について自問自答してみたい。
自問:世界には、今、どういう傾向があるか?
漠とした自問だから、水晶玉を取り出して、のぞき込む。
自答:「二つの潮流が見えます」
かなり怪しげだが本当かな?
一つの潮流は、世界が一つに向かう「収斂」の動きである。もう一つの潮流は、世界が多様に向かう「分散」の動きである。企業経営に直接影響する市場や顧客も、この二つの潮流の間で揺れ動く。
自問:収斂への潮流を促す力はどんなものか。
自答:たとえば、ITに代表されるような「技術」の進歩と普及、グロー
バル「経済」の発展、グローバルメディアの発達、WTOや地域
の協定など国を越えた「グローバルな組織化」の進展、グロー
バル「企業」の増大などである。
そういう力が働く中で、世界の消費傾向には、地域横断的な傾向が出てきた。地域の違いよりも、教育程度や可処分所得の階層別に、国や地域を越えて、同質化の傾向が出てきた。この傾向には、ITの発達が拍車をかける。
さらに近年、アジアにおいて中国とインドが、市場経済の原則を受け入れ、自国をグローバルに開放する方向に動き始めたことも、収斂の動きを強める要素として働く。東南アジア諸国を中心とした自由貿易連合への動きなど地域内の統合の動きも大きな意味をもつだろう。
自問:「分散」に向かう潮流を促す力は何か?
自答:たとえば、国ごとの法律、政治、文化、宗教などの違いは一
朝一夕には消えない。
グローバル化の中で、かえってナショナリズムの潮流が強まる傾向すらあり、国々や文化単位の自立性や独自性を主張する傾向も強まっている。諸宗教における原理主義も強まる傾向にある。
そういう国際関係的な視点でみると、9.11以降の米国の動きをめぐって、国や地域や宗教勢力の間の対立が深まる傾向にあることも見過ごせない。9.11以前から、グローバル・スタンダードというとき、それはほぼ、米国的な資本主義(株主の絶対的な権力と市場経済)を意味し、その普及のバックには、ソ連崩壊後の突出した米国の軍事力と政治・経済体制に対するおごりともいえる自信があった。この米国式グローバル・スタンダードに対しては、中東諸国やイスラム諸国のみならず、欧州諸国の民衆レベルを含め、さまざまな反発、抵抗が起き、それがあるときは、「反」グローバリズムとして括られる(括られる結果、反グローバリズム自体がグローバルになるという皮肉な現象に帰結する)。かつての東西問題や南北問題が、いまや、グローバリズム対「反」グローバリズムの図式に取って代わられた感すらある。
分散傾向は、ときに、米国と反米国の二極化に変身する。歴史学者ハンチントンは、今の世界を、「一極多極構造」と描く。一極とは米国で、多極とは、欧州、ロシア、中国、日本その他である。
さらに、分散的傾向は国の内部でも見られる。象徴的なのは、グローバル化の震源地ともいうべき米国国内である。米国には一方で米国的資本主義と米国的な自由と民主主義を世界に広めようというグローバル化の動きがある。他方で、国内の雇用を守る観点から輸入に反対したり、海外へのアウトソースに反対したり、という反グローバリズムがある。
自問:世界は収斂していく。だとしたらどのように対応すべきか?
自答:世界がある方向に収斂していくのだから、その収斂の方向に
焦点を合わせて、一つ答えを出せば、すべてが解ける。「世界
は一つモデル(統合モデル)」が答えである。
たとえば、投資の回収を効率的に行うために、ムダなことを最小化し、同じものを世界同時発売するという手である。素材産業ならわざわざこのようにとりあげることもないが、本来地域への適応を重んじて分権的な消費財の世界でも、たとえば、P&Gなどは、この傾向を強めている。製品の種類を徹底的に絞り込む。代表例は、Pringles
Potato Chipsである。研究開発には製造の合理化などでお金をかけるし、広告宣伝にも世界的にお金をかけるが、品種のバリエーションによるコスト効率の低下を徹底的に避ける。多様性のコストを最小にする。P&Gは、売り上げ10億ドル以上のスーパーブランドを16指定して、それで収益の60%を稼ぎ出す。16のスーパーブランドそれぞれにとって、世界は一つである。P&Gのジレット買収の一つの動機も、ジレットが持つ五つのスーパーブランドを手に入れることだ。
この「世界は一つモデル」は、安いもの(たとえばマクドナルド)でも、高いもの(たとえばグッチ)でもどっちでもとりえる。マクドナルドを食べる子供や、グッチのハンドバックを持つ人は、それが何人かは関係なく、マクドナリゼーションにはまった人だし、グッチ族である。ここでは、むしろ、世界共通であることが、単なるコストメリットを超えた価値(ブランド)となる。
自問:ローカル化にはどう対応するか?
自答:それぞれのローカルでそれぞれ「適応」する。「個別適応モデ
ル」が答えである。
適応モデルでは、製品の種類は、国や地域の特徴に徹底的に合わせていく。多くの場合、それは全体としてコストを高めるが、収入増の可能性を増す。回収は、概して長期で考える。いや、その国にずっといるつもりでなければ、本格的な適応策はとれないだろう。そしていったん長期的に取り組むことを決めれば、人材面も含めて徹底的な現地化にも取り組むことが合理性を持ち始める。少なくとも人材面では、もし現地化が成功すれば、コストは下がっていくだろう。いずれにしても、適応・分権モデルをとるには、長期のコミットが必要だというのがポイントである。統合モデルのように、世界中で一気に稼ぐことはできない。
自問:「長期」とはどれくらいの時間か。
自答:適応戦略が成功するための長期とは、数年ではなくて、少なく
とも10年以上だろう。
ところが、現在の経営環境は、そういう長期的取り組みには冷たい。たとえば、中国について、日本企業の間で常識的に言われているのは、「中国特需」は2008年北京オリンピックの頃まで、あるいはもう少し延長して2010年の上海万博の頃までだ。それまでは、中国経済が成長を続け、さまざまなリスクも政治的に押さえ込まれるだろうから、ビジネス・チャンスである、という見方である。そこで、企業によっては、思い切った成長戦略をとる一方で、何かあれば2010年頃に手仕舞いできるようなことを指示してコンティンジェンシー・プラン的なものをつくるところもある。これは、もし、統合戦略をとり、短期で投資を回収できるなら成り立つ考えかもしれない。しかし、適応戦略では難しい。想定している時間が短すぎる。
先ほどの、長期についての質問には、別解がある。
自答:うんと長期で考えて、亀の歩みの着実さで、日々これ精進す
れば、道は開けます。(うんと長期を考えると自然と宗教的に
響く)
「長期」というのを、うんと長期、ある意味で期限なしの長期という無限のコンセプトを持ち込むと、世界は変わって見えてくる。
先ほど中国について、カントリーリスク的なものを考え、2008年とか2010年とかまでに収支を合わせることについて述べたが、資生堂のようなスタンスをとればその必要はあまりない。「資生堂」は、中国とは100年のつもりでつきあう、という。人口動態や長期的な経済の趨勢や日本との地政学的関係(隣国であることは動かせない事実である)、世界における中国の位置づけ、といった戦略的な読みをすれば、100年で考えるのも荒唐無稽ではないかもしれない。
いずれにせよ、うんと長期のスタンスをとると、短期の環境リスクで右往左往の適応をする必要はなくなる。ひたすら「正しいと信じること」を続けることがポイントとなる。資生堂の場合は、正しいことの中に、事業面や人材面でのトータルな「現地化」という意味を込めている。
さらに、トヨタのように、トヨタ・ウェイとトヨタ式生産方式を両輪として、地球の上で、「亀の歩み」を続けるというモードになると、また世界は変わって見えるだろう。それは、自分を世界に適応させることより、好むと好まざるとにかかわらず、世界を自分に適応させることになっていく。だからこそ、奢らないこと、危機意識を持ち続けることがポイントとなる。天変地異を乗り越えて、日々のカイゼンに精進すること、つまり、うんと長期の場合は今ここでどうするか、と直結するのである。
長期といっても悠長に構えるという意味ではなくて、長期にわたって、短期的な手を着実に積み重ねていくということである。長期だからといって、短期的に何もしないと、長期的にも何も起きない。そもそも短期的にも何かを実証しない限り、長期の存在は許されない。長期的というのは、長期にわたって、方向性をもって努力を積み重ねることである。
自問:世界は、二つの潮流に整理できるほど単純か?
自答:二つにきれいに整理されるような代物ではない。現在の世界
には、統合に向けた潮流と分散に向けた潮流の2大潮流と、そ
の潮流内部で逆流するような傍流があるという具合に、錯綜し
た渦のようなありさまが浮かびあがるだろう。
「収斂」といっても、それは、誰から見た収斂なのかという相対論が常につきまとう。たとえば某宗教から見たグローバルな統合は、一国家から見れば、国内の分裂につながる動きである。つまり、収斂の潮流自体が、その中に、分散への流れ(小さな流れ)をはらんでいる。グローバル企業によるグローバルな統合の動きも、その企業から見れば紛れもなく統合であるが、優良グローバル企業に働くことができる人とできない人の間の差やグローバルブランドを購入できる人とできない人の差を、一つの国の中に生み出すという点では分裂的である。
ITの普及は、収斂に資する要素だと一般には考えられようが、これとて、デジタル・デバイドという観点からは、それまでなかった分裂の種を持ち込むことでもある。収斂の裏に分裂があり、分裂の裏に収斂がある。
さらに、世界の渦に投げ込まれたあなたの諸事業は、さまざまな軌跡を描く。統合戦略で始まった事業が、適応戦略に進化するかもしれない。適応で始まった事業が統合に進化するかもしれない。さらに、それぞれの事業には誕生から死に至るまでのライフサイクルも重なる。世界の渦は、あなたの企業というミクロ世界の一部分の中で、さらに複雑な渦を再現する。
自問:もし世界が錯綜した渦であるなら、統合か適応か、という二者
択一的戦略は無謀ではないか。収斂への動きも、分散への動
きも、両方ある。しかも、両者は分けがたく流れ込み合ってい
る。一方の動きに答えたら、反対の動きにしてやられるのでは
ないか?
自答:問題(世界)を切り分けよ。切り分けた上で、ある部分には統
合戦略で、別の部分には適応戦略で対応せよ。
自問:どうやって切り分けるのか?
自答:まずは、時間と空間で切り分けて、切り分けられた「部分」の
特性に合わせて対応せよ。
この場合、時間とはたとえばプロセスであり、空間とはたとえば市場である。
たとえば、事業プロセスにおいて、上流(左側)ほどグローバル統合に向かいやすく、下流(右側)ほど、地域適応・分権に向かいやすい(ただし例外も多い)。市場に近い下流は、市場に近く位置しているので、市場に素早く反応することを強く求められるからである。
つまり、「研究開発」や「購買」などはグローバルに統合する企業が多い。他方、「営業」「サービス」などは、地域・国別分権になりやすい。また、全社の共通プロセスと位置づけられやすい「財務」と「IT」は統合に向かいやすい。
この間に挟まった「製品開発」「製造」「マーケティング」は、さらなる切り分けが必要となる。その際の基本的な分割線は、空間的な分割線で、グローバル、リージョナル、ローカルの3分法である。
たとえば、製品開発について見てみよう。
従来の製品のセグメンテーションは、「各国ごと」に「各国独自の基準」で行うことも多かったが、それを、「グローバルな範囲」で、「グローバルな統一基準」でセグメンテーションを行い、セグメントごとの差を検出する。その結果、たとえば、商品やサービスの特性によって、グローバルセグメントをもつ商品(たとえばラガービール)、リージョナル・セグメントをもつ商品(たとえば小売店舗に期待する特性が北西欧州では共通)、国別セグメントの商品(ソニーのアイボは主に日本)などに分類することができるだろう。
その上で、グローバルな商品の開発は、グローバルで統合的に行い、リージョナルな商品はリージョンで共同して行い、ローカルな商品の開発はローカルが主導的に行う(マーケティングも同様の考えとなる)。
つまり、このセグメンテーションのねらいは、いったん、一つの土俵に乗せた上で、空間を切り分け、それぞれが生息するセグメントの大きさによってグローバル、リージョナル、ローカルという部分空間に分けて、それぞれの部分空間に「適応」させることにある。
さらに、以上のような事業や機能の切り分けをそのまま素直に受けて、人材についても、グローバル人材、リージョナル人材、ローカル人材という3分法が考えられて、それぞれにふさわしいマネジメントの方法を考えることが必要となる。
自問:時間と空間で切り分ければそれでよいのか?
自答:不十分である。問題を切り分けて、それに合わせて組織を統
合戦略や適応戦略のつぎはぎでばらばらにしたのでは全体が
見えなくなる。世界の渦流を丁寧に見るために切り分けること
は必要だが、切った後、つなぐことも必要だ。
切り分けて分散させることには、リスク分散上のメリットはある。しかし、分散の結果、全体が見えなくなればうまく統治できなくなるので、リスク分散の果実を享受するどころではなくなる。そもそも、映そうとしている世界自体は、ばらばらではない。世界を映すには、切った上で、つなぐことが不可欠である。
さて、ここまでの議論も、世界の実相と比べて、相当単純化している。それでもかなり複雑だ。仮に、うんと切り刻んで、その上で連結する、という丁寧なアプローチをとっても、一人の人間の認識能力を超えることは間違いない。結局、世界という存在と、人間の認識能力の戦いとなるが、個人の認識能力は、世界という存在の複雑さの前に敗れるのは明らかである。では、どうするか?
コンピュータをつなぐように、個人の能力をつないで、認識能力をアップするしかない。人の脳の連結である。そのポイントは、なるべく多様な人々を「選出」することと、そうした多様な人々を「連結」することである。
まず、所属機能の違いや、国籍や文化の違いを反映するような人たちを選び、世界をなるべく少人数で効率的に映し出す。
その上で、グローバルなビジョンや価値の共有化に始まり、チームビルディングや、計画作成や議論のプロセスの工夫、評価・報酬の仕組みといった各種組織運営の方法によって、こうした人たちを連結する。
言い換えれば、世界全体の統合と適応のまざり具合にマッチするように代表選手を選び、代表選手が一堂に会して話し合いながら、それぞれが認識した世界像をすりあわせて、世界というジグソーパズルを解いていく。その際、利害の異なる人たちが、一緒に話し合い、メールを交換し、一つのものをつくりあげていく「場=プラットフォーム」の設定がポイントになる。ここでいう「場=プラットフォーム」とは、世界の実相を人材の連結を介して映し出す「実験場=撮影現場」である。
たとえば、開発計画作成においてその模様を描いてみよう。
自問:プラットフォーム上の連結が世界を映す作業の終着駅か?
自答:プラットフォームの質は、連結の質と、連結される人々の質で
決まる。(上述した)連結するための方法に加えて、人々の質
を高めることが必要だ。これには地道な作業が必要である。
自問:いったいどうやって人々の質を高めるのか?
自答:一つは、先ほど述べたプラットフォームに参加することであ
る。そういう場で、異なる利害や国の人々と協働すること自体
が、人々の質を高めていく。だから、企業内の努力としては、
プラットフォームをいろいろな場面でつくっていくことである。
より根本的には、その企業が雇用する人材プールの質を高め
ることが必要だ。日本企業の場合、主要な人材プールは日本
人だから、その質をあげるためには、子々孫々にわたる「(日
本の)国家的な試み」が必要だろう。
「世界」とか「国家」といっているうちに、私の頭の動きは、そういうことばかり考えていた前職の外交官のときにタイムスリップしている。ドン・キホーテ的とはいえ、これまで冷静に「自問自答」していたコンサルタントの思考はもはやない。実用性への配慮は、はじめからあまりなかったわけだが、もうひとかけらもない。そして外交官のモノローグが始まる:世界を自分の中に映し出すとは、世界をまねることであり、まねるとは学習である。ここで必要なのは「世界を学習するプロセス」だ。世界学習のプロセスは、三つのステップを刻む(なんと独善的な響きだろうか)……。
そうなると、もはや他の文化は、抽象的な存在ではなくて、ジョージが体現するヤンキー文化だったり、ケビンワンが語る中国文化(それも福建地方の文化)だったり、マハムードのボディランゲージが示すサウジの文化だったりする。
実は、先に述べたプラットフォームは、この種のネットワーク(連結)を即席でつくったものだと見なせよう。
さて、このような成長プロセスにおいて、海外における体験は、絶対不可欠なものではない。日本にずっと暮らしていても、感性さえ研ぎ澄ませば、グローバル化した日本において、ほかのローカルのことを想像して学ぶことは十分可能である。逆に、海外に行っても、日本人コミュニティーに閉じこもれば、ほかのローカルについての感性はまったく磨かれない。
この3ステップは、速習はできない。亀のつもりでの学習、それも、自分だけで終わらない子々孫々が受け継ぐような民族的学習プロセスである。
世界についての自問から始めたが、それは結局、自分の中に世界を映し出す方法について自問自答してきたのであった。世界について、ほんの一部でもいいから、自分の中にうまく映し出せるようになったとき、私の中でも本当の自問自答が始まるのではないだろうか? いや、自問自答を通じて初めて世界を自分の中に映し出せるのだろうか? 私の自問自答は、世界と私が互いの尾をiみ合うようなウロボロス的な代物かもしれない。
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(※)QFDは、顧客ニーズと製品性能(特徴)と生産プロセス(コスト)という三つの情報を関連させて相対
的な重要性がわかるように一つの枠組みで議論する方法である。PPPPは、単に個別商品レベルで
はなくて、商品のポートフォリオ全体について、適応化の側面と統合によるコスト効率の側面の両方を
見て、生産計画をつくっていくプロセスである。
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