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【巻頭言】 |
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内省の技術
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竹田 年朗 |
世の中には、スポーツや音楽など、レベル感が歴然としてしまう職業がある。試合や演奏の場で、各人の実力が隠しようもなく披瀝されるので、細かい序列になると議論はあっても、格付けに関しては衆目はおおむね一致する。
例えば、あなたのひいきのプロ野球チームの選手を、超一流・一流・一軍定着・一軍二軍往復・二軍、というように格付けするのは、さほど難しいことではないし、野球を知っている人の間では、誰が見てもそうだね、という結論になるものである。ゴルフやテニスの選手の場合でも、選手の格付けはほぼ明確だろう。また音楽家であれば、どんなレベルの演奏機会がどのくらいあるか、ということと、実際に現場で出している音を聞けば、大体のことはわかってしまうものだ。
スポーツ選手や音楽家は、まずその世界固有の技術を一定水準以上身に付けないと、スタート台に立つことすらできない。
求められる技術の内容と水準は明確であり、それを獲得するための合理的な方法論もおおむね確立されている。このような分野では、例えプロになるつもりがないとしても、プロに習うことが上達の必須条件である。身に付けるべき技術のポイントと練習方法を習うのである。
自己流ということ自体は悪いことではないが、先達がすでに行った試行錯誤の結果を有効に取り入れられないのでは、時間のロスが大きい。
プロの世界では、上位の人が下位の人を見れば、何に問題があるのか、少なくとも現象のレベルではたちどころにわかってしまう。
その現象を要素分解し、ギャップ克服の練習のポイントを設計する。さらに、標準的な練習方法をアレンジしたり、カスタマイズしたりすることもある。このあたりは見立ての要素が入るので、上位の人の指導者としての資質が問われる(※)。
教わるほうでも、どこまで自分で考え、工夫できるかで、上達スピードが変わる。才能の差の影響はもちろんあるが、才能の差によって生じている現象の違いを分解して理解すれば、その部分については対策を講じることができる。
例えば、ある種の身体能力のような天分所与のものに起因する問題であっても、肉体改造トレーニングと技術改良を組み合わせて問題を解決し、選手としてステップアップしたり選手寿命を延ばしたりできる。
プロスポーツ選手や音楽家の格とは、このようなステップを踏み、課題に対して合理的にアプローチしてきて、なお高い次元でできる人とできない人が分かれてしまう、といった厳しい結果である。したがって、その格を乗り越えるには、よほどの覚悟と合理的な手法が必要になってくる。一流であろうとする限り、個人の意志の力やアタマの力はそこに振り向けられ、いやでも内省を繰り返すことになる。
これに対して、マネジメント、少し広げて会社組織の仕事の場合はどうか。
多くの場合「逃げ」が各所にあって、自分の意志の力やアタマの力をふり絞る状況にはなかなかならない。仮に自分がそうでないとしても、周囲がそういう状態の時に、ひとり何かを進めようとするのは並大抵でない。
これでは、自分は普通の人ではない、と自負するリーダーは物足りなくなってしまう。かといって自分は、優れた創業者や中興の祖、あるいはトッププロのような、常に圧倒的なリーダーシップとスキルを発揮し、大きな困難に嬉々として立ち向かうスーパーマンとも少し違う。
ここについてどう考えるかが、重要である。鍵は企業の立場と、個人の立場を行ったり来たりして、最適なポジションを探すことにある。
企業の特徴は、合目的性と説明責任と合理性にある。個人の立場はその対極にあり、自分で結果を受け止める限り自由であり、その意味で自分が納得しさえすれば誰に説明する必要もなく、企業ではありえない選択肢も取れる。
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図1/割り切りとこだわりの狭間に生きる |
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ビジネスリーダーは、まず企業の立場に立つ必要があるものの、個人の立場を完全に切り捨てると、内面のエネルギーが枯渇して、肝心なところで頑張れない。肝心なときこそ、自分を変えてまでやり遂げることが必要である。ここぞという時にこそ、その困難な道を選択するために、何割かの個人の要素が重要なのである。
スーパーマンとは、企業と個人を完全に重ねられる人のこと、逆に普通の人とは、企業の部分とあまり接点を持たずに済ませられる人のことである。企業組織でリーダーを務めるのであれば、あるいは個人でもライフワークを世に問うのであれば、割り切りとこだわりの中間領域で生きていくことを余儀なくされる。
中間領域では、想いがすべての源泉である。想いが強ければ、勝ち目が開け、協力体制も整う。逆に想いが弱ければ、勝ち目も開けず、協力も得られない三すくみになってしまう。
中間領域で生きていくためには、時間との付き合い方が重要である。いろいろと機を熟させるための仕掛けをしてきたのが奏効して、ついに機が熟す。逆に機が熟してきたので、いろいろな仕掛けが奏効する。共通することは、時間を稼ぐためにあれこれと工夫し、仕掛けているということである。
決して、なるようにしかならないと思っているのではない。企業の世界に個人の世界を重ねているからこそ、想いを飼い続けながら、時間をくぐり、最後は自分の想うようにしてしまう、という芸当ができるのである。
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図2/時を味方につける |
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時を味方につける、ということの本質は、とにかく続けられる状態を作って、やめずに続けるということである。そして、遂に想いを実現する。
したがって時をくぐるために、事態をいったん円滑に収拾する組織スキルも必要だが、想いが枯れないように滋養分を補給するフィードバックループのデザインや、確実に将来への仕込みが進む合理的なアプローチの採用が必須である。
また機を熟させるためには、周囲の理解協力を取りつけながら、自分のスキルも磨き、自らエネルギーをかけて内容を詰めていくプロセスが必要である。
想いがベースになるので、いつまでにどこまでやるか、という目標自体が、戦略的な分析で答えを出すものというより、与件を冷静にクリアして最後に想いで決めるものになる。この時、事業上の意味をもたないタイミングやクオリティでは想いを満たせないので、出来ることについてではなく必要なことについて、現実の解を探し続けることになる。
状況によっては、二度三度と時をくぐらなければならないこともある。しかし、二度三度と時をくぐっても枯れることのない想いこそ自分にとって本物であり、内省しながらも虎視眈々と実現を企図するものである。
取り組みが緒についても、自分に具体的に進化がなければ、取り組みが行き詰まってしまう。当人の心理状態とパフォーマンスレベルにより状況を四つに整理すると、ピンチとは実力が不足しており、そのことを理解している状態である。ピンチは自分が進化するチャンスであり、図にあるように「受け」を広げることが状況打開の鍵だ。
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図3/不安は育ちの母 |
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ここでのキーワードは、「コミットメント」と「健全な不安」である。自分であっても他者であっても、コミットメントのないところには、特別な頑張りも工夫もない。
妙な組織圧力や自己プレッシャーなどによってもたらされたものでない限り、不安は健全なアラームである。もし健全な不安がなければ、おそらくそのこと自体が問題である(図の左下または右下のボックスにあたる)。
このように、このマトリクスのどこに自分がいるのかによって、取るべき行動が決まるので、内省の際のポイントになる。
また、他者に助言するときも、状況証拠と本人の話を元に、この見立てを行うことが、内容とコミュニケーションの両面で有効である。
ここまでは自分で内省することを念頭に、考え方のポイントを述べてきた。自分のことであれば、理解できれば自分の気持ち一つで実践できる。しかし、自分を変えるだけでは問題が解決しない場合や、問題の根源がはっきり言って他人にある場合に、他人に内省させるにはどうしたらよいのだろうか。
他人が相手の場合特に留意する点は、状況理解や結論が本当に正しいか、ということと、それで相手が納得するか、ということにある。なぜかというと、他人のことは、そう簡単にはわからないからである。
他人のことがなぜわからないのか。それは自分のことを他人にわかってもらおうとすると良く理解できる。
評価される場面を思い出してもらっても良いが、あなたが理解してもらいたいことは、結果だけではない。図にあるような「このたびのこと」も理解して欲しいはずである。
さらに「そもそものこと」にも至ってもらわねば、実はこのたびのことも語り尽くせない。それくらい自分はエネルギーをかけて仕事をしているのだ、という自負を持っている人は少なくない。そこをよく理解しないで、不注意で真剣な人を失望させるのは避けたい。
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図4/自分を良く知る人に誉められたい |
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相手の状況を理解するのは一種の診断で、相手の協力が不可欠である。深い部分まで話してもらうためには、通常、ステップを踏まねばならない。このための時間を短縮する方法は、必要なパフォーマンスが上がっていないこと、あるいは将来に危惧があることを、双方の課題として共有することである。
この時、一方的に「オマエのプロブレム(問題)」としないことが、感情面への配慮として重要である。しかし、「オマエのプロブレム」と言われないためには、どういう思考や行動が必要かという議論も有効である。多くの場合、パフォーマンスが上がらない原因と重なるからである。つまり、相手を理解するプロセスが、そのまま一部の問題解決になる。
実際にやってみると、自分で自分を語ろうとしても、最初は整理し切れない。しかし内省もスキルであり、繰り返すうちにレベルアップする。そのあたりを、信頼を得ながら助けてあげるのがコツである。相手のレベルによっては、聞いてあげるだけでどんどんうまくなることもある。
内省の練習に権限委譲するのではないが、実は権限委譲は格好の内省の場である。しかも、内省を促されるのは、権限を委ねられた方だけではない。
権限委譲は、誤解されることの多い概念である。任せたのだから後は知らん、任せたからには口出しは慎むべき、任せてもらった以上は口出し無用、任せられたのだから自分で何とかすべき、という四つの問題パターンがあるが、共通するのは悪い結果に終わりそうな予感がしても、そのまま前に進んでしまうという点である。
正しい権限委譲では、実施主体は変わるが、最終責任者は変わらない。そして、結果を担保するところは、委ねた方と、委ねられた方の共同作業となる。
委ねた方は、別の人にやってもらって、自分がやるのと同等かそれ以上の結果を出すことが必要である。委ねられた方は、何回かの試練を経てでも、本当に任せてもらうまでの信頼を勝ち取る必要がある。
結果が出そうにないとき、判断しなければならないのは次の3点である。ここでは両者の内省が必要である。両者に内省すべき点があることが多いからである。
結果を両者の責任で担保する限り、内省は先送りできない。待ったなしの環境で負荷は容赦なくかかる。だから、両者ともに、仕事のポイントを見抜く目と、人を見る目が肥える。
自分から積極的に行くということと、相手に積極的に行ってもらうということの両方を、成果の出る加減を見ながらやっていくので、役割の線引きは自動的にはされない。最適の線引き位置も動いていく。
こんなことでは手間がかかってしょうがない、内省は大変だ、ということなのだが、「結果を出しながら」というところを忘れなければ、試行錯誤を経てうまくバランスが取れるようになる。相手が変わると、また新たな試行錯誤になるけれども、何人かやれば大体のコツも掴める。何事も「これはスキルである」と思うことができれば、習得も習熟も、伝授さえも可能なのだ。
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(※)しかしトッププロであれば、仮に名教師でないとしても、こまごまと教える代わりに、目の前でトップレ
ベルのパフォーマンスを示すことができる。私の10年来の笛の師匠は世界的プレーヤーだが、実
際、その音と技を目の当たりにし、その思考過程に触れる時、本質を見たと感じることがある。
アーティストのベースになっているのはアルティザン(技術工)の思想である。技術が伴い、経験が積
み重なって初めて理解できる様式、構想、表現そして興というものがある。そして、背景にどれだけの
ものを持った上で、今回どのような考えで何を選択しているのか、ということで格が決まってしまう。
このような思想は、現場で、五感をもって感じ取ることができる。トッププロのレッスンの価値はまさ
に、説明抜きで本質が腹に落ちる、本物の迫真力にある。
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