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【巻頭言】 |
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なぜマネジメントサイクルが回らないのか
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平本 宏幸 |
マネジメントサイクルとは、経営の仮説を現場で顧客に提供し、顧客のフィードバックを得て次の仮説に反映させる一連のプロセスである。
コンサルティングの活動を行っている中で、このマネジメントサイクルが回らない、という声を耳にする。多くは、経営の方向性を示し、組織の構造や各人の役割、目標管理制度などのツールに至るまで、マネジメントサイクルを回しやすいように様々な"ハード"を整備したにもかかわらず何故だかうまくいかない、という状況に直面している。
では、このマネジメントサイクルがうまく回らない理由は何か。また、うまく回していくためには一体何を深く考えなければならないのか。本稿では、特に"ソフトな仕掛け"という観点から、マネジメントサイクルを回すために本当に考えるべきこと、を考えてみたい。
マネジメントサイクルが回らないときは、以下のような現象が起こり、経営から現場に至る各層でマネジメントサイクルが分断されていることが多い。
@方針不明確
まずは事業を方向付ける経営の「方針」が曖昧なケースである。例えば、既存顧客の深耕と新規顧客の開拓のどちらを優先するか、といったシンプルな方針さえ決まっていない場合がある。その際、いくら実行を徹底して業績を高めても、本来望んでいた結果と食い違うことがあり、仮説と実行のつながりが途切れてしまう。
Aリーダー層の価値基準のブレ
リーダー層、特に現場リーダーの価値基準のブレによって、当初「このレベルの質なら競争力がある」と設定した品質の高さや技術の水準が崩れ、質の高いマネジメントサイクルが回らなくなる場合もある。実行の不徹底によりマネジメントサイクルが分断されるケースといえる。
B顧客接点での感度の低下
端的に言えば、顧客の顔色が読めないケースである。決まりきった手順・手続きに慣れきってしまうことで、本来は察知すべき微妙な顧客の満足度の変化を捉えきれず、結果として「なぜ顧客が離れていったのか」を理解することができない。検証の質の低下によるマネジメントサイクルの分断といえる。
このような分断は個別に発生するのではなく、以下のようなメカニズムによって同時多発的に引き起こされていく。
@新たな判断軸への戸惑い
現場リーダーにとって、日常の業務の判断のおおもととなるべき方針が見えなかったり、方針はあっても中途半端に例外が認められていたりすることで、日常発生する具体的な問題発見・解決の際の判断軸にブレが生じる。
例えば、現場のサービスレベルの向上を最優先課題として、変革への方針を打ち出した企業を考えてみる。一方で、コスト削減は当期目標達成・収益確保のためには至上命題であった。現場リーダーにとっては、双方を実現することが期待されるが、同時並行の取り組みは困難が大きい。そこで、一定期間を投資期間とみなし、コスト度外視でサービス向上を実現させ、その後にコスト削減を徹底させる、といった打ち手を考えた。はたしてそれは妥当か、無理しても同時に実現すべきか。
方針が曖昧なため、このような現実に直面した現場リーダーに戸惑いが生じてしまう。
A根本への疑問
現場リーダーの判断軸がブレてしまうと何が問題か。まず現場サイドで顧客への感度が低下している状況だと、方針に基づく行動が効果のあるものかどうかを実感できない。現実的とは思えない方針に対する現場からの批判とプレッシャーを受け、現場リーダーの判断軸が揺らぐ。さらに方針の曖昧さにより、よりどころを失ったリーダーの判断軸の揺らぎが助長される。その結果として、リーダーを含めた現場サイドで根本の方針への疑問が生じてしまう。
この現象の根本原因を「リーダーの人材レベル」に求めるケースが見られるが、方針の曖昧さの問題を解決することなく現場に責任転嫁している可能性があるため、注意が必要である。
B顧客接点での認知の歪み
リーダーも含めた現場において、方針への疑問が高まることで、より重要な問題が発生する。顧客への感度が低い状態から、顧客への認知が歪む状態へと悪化するという問題である。
例えば、ある営業組織が「この顧客層を新たに開拓せよ。必ずニーズが眠っているはずだから掘り起こせ」という方針に基づいて、従来と異なるスキル・行動の発揮が必要となる顧客層へのアプローチを現場で必死に取り組んだ。しかし、慣れない当初の段階では即座に成功例が現れず、取り組みの拙さによって顧客から芳しい反応は全く見られない。当初から方針への疑問を持っていた現場では、顧客の反応を受けてニーズをより掘り下げることをせずに、「やっぱりニーズなどないじゃないか」「やっても無駄だ。むしろ煙たがられて当社のイメージを損ねる」といった反応に終始してしまう。
このように、前提として持っていた不満や疑問といった感情が、「顧客が本当に求めていること」を察知し吸い上げるために必要となる客観的な姿勢を妨げてしまうのである。
このような状態に陥ると、「顧客にこのような価値を提供しよう」という本来の「意志」が、経営から顧客接点に至るまでの間に二度三度と「ねじれ」てしまう構造に陥る。この「ねじれ」構造下においては、例えば認知が歪んだ状態で、顧客の声を吸い上げろ、と声高に叫んでも質の高い情報は入ってこない、というように、冒頭に述べたような分断にそれぞれ個別に手を打っても効果が薄い。「ねじれ」そのものを解消することが必要になる。
ではこの「ねじれ」を解消するためには、どうすればよいのだろうか。特に、ハード面の整備ではなく、ソフトな仕掛けという観点から、三つのアプローチを以下に紹介したい。
@対話を通じた内省
一つ目のアプローチは「対話を通じた内省」である。当初の方針に対する現場の誤解は、「もっともな疑問」と「できない言い訳」の仕分けがなされないことに端を発していることが多い。すべてを言い訳と捉えて考えさせることで、本当は経営トップも含めて考えなければいけない問題がないがしろにされてしまうし、すべての疑問に回答を与えようとすれば、「できない」側への慣性が働き、なし崩し的な対応になってしまう。
それを防ぐためには、現場リーダーが想定する様々な疑問に対して、「もっともな疑問」については方針に基づき判断軸を示して「腑に落ちた感覚」を与える必要がある。一方、単なる「言い訳」に対しては、経営方針と現場が直面している状況に鑑み、リーダーが本来何を考えなければいけないか、じっくり考えさせるように促すことが求められる。このように、経営トップと現場リーダーそれぞれが「本当に悩むべきこと」を明らかにすることが要点である。
このように手を抜かずにひたすら方針をコミュニケートすることで、両者間の「ねじれ」をときほぐす。
A共通理解の醸成
二つ目のアプローチは「共通理解の醸成」である。リーダーが現場に対して明確な価値基準と判断軸のもと、自信を持って臨むためには、「ここまでいけばOK」という確信を持てる何かが必要になる。そのために、範となるべき成功事例を、単なる情報の共有ではなく、根っこの価値や方法論の勘どころから浸透させることが要点である。
方法論としては、「当事者自らが語る」という手法が効果的である。身をもって成功を体験した当事者が、直接他のリーダーに体験を語りかけることで、リーダー間の競争心と当事者意識を生むことにつながる。単なる結果だけではなく、「こんな場面に直面した際、自分はこう考え、判断し、このような方法で問題を解決した」というリアリティが、聞き手に対して迫力を生む。
このようなアプローチによって、現場リーダーが「自分だったらどうするか」を深く考えるきっかけをつくるとともに、互いの共通理解を醸成し、現場に対して説明・実行する際の安心感を与えることが可能になる。
B覚醒感覚の継続
三つ目のアプローチは「覚醒感覚の継続」である。顧客接点において、現場が自信を持って価値の提供を行い、その結果からさらに質の高いマネジメントサイクルを回していくためには、「やってよかった」と思えることが必要である。脳科学の世界では、言葉で表現できない質的な感覚のことを「クオリア」と呼ぶ(らしい)が、顧客とのやり取りのなかで「やってよかった」という感動、まさに「クオリア」を感じ取り、いわば覚醒した感覚を一度のみならず継続的に実感していくことが、顧客から客観的なフィードバックを吸い上げ、質の高いマネジメントサイクルを回す上で一つのポイントとなる。
例えば、リッツ・カールトンでは、サービスの原理原則を記述した「クレドカード」を常に携帯し、そのなかの「ザ・リッツ・カールトン・ベーシック」と呼ばれる20の行動指針の項目について、デイリーラインナップと呼ぶ毎日のミーティングにおいて、具体例を挙げさせて討議する、実践事例を互いに紹介し合うなどの取り組みを行っている。これはまさに方針を現場で実践し、日々振り返ることで顧客に対する感度が薄れないように努力している取り組みといえるのではないか。
このようなアプローチを行うことで、日々の自らの行動を振り返り、思い込みや感情的な歪みを取り除き、謙虚にマネジメントサイクルを回していくきっかけをつくることにつながる。
改めて、マネジメントサイクルとは一体何だったか。仮説実施検証という硬い言葉で表現されることが多いが、おおもとはもっとシンプルだ。お客さんにもっと喜ばれるようにしよう、もっと多くのお客さんを創り出そう、という強い意志と、実現に向けた日々の努力の積み重ねを表現しているにすぎない。それが現場で継続的に行われるためには、全社員が常にその原理原則を忘れ、気が付かないうちに「ねじれ」が発生しないよう、自問自答させる工夫をこらすことが重要だ、ということが、本稿で述べたいただ一点である。
もし、読者の身近に本稿で述べたような"ねじれ現象"が見られたとしたら、原点に立ち返って「本当にやりたいことは何だったのか」「それは日々実現できているか」というシンプルな疑問を真摯に自らに問うことが、求められているのではないだろうか。
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