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【巻頭言】 |
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【心理学ゼミナール】
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川上 真史 |
今回は「自問自答」がテーマとなっているのだが、まさに、今、多くの人たちが自問自答し、悩み始めている大きな問題がある。それが「キャリア・アイデンティティ」なのだ。少し前までは、キャリアに関するキーワードは「キャリア・アップ」であった。「より高い収入、ポジションを獲得するために資格をとり転職をする」、これがキャリアに関する基本的な考え方であった。ところが、最近、「キャリア・アイデンティティ」という言葉がキャリア論の中心となってきている。
「アイデンティティ」とは、心理学上では「自己同一性」や「自己の統合」などと訳されるケースが多い。ただ、いろいろな解釈があるのも間違いなく、キャリア・アイデンティティについても同様に多くの解釈が可能である。私は、キャリア・アイデンティティを以下のように解釈している。
自分の中にある様々な役割と、職業人としての役割が、
できる限り矛盾なく、葛藤なく統合された状態
誰だって、自分の中には数多くの役割を持っている。私自身もそうである。職業人としては「コンサルタントとしての役割」を持っているし、家に帰れば夫として、親としての役割を持っている。両親が健在なので子供としての役割を果たす必要もある(実際、先日も古希の祝いで北海道まで旅行に連れて行った)。地域の中での役割、個人の趣味の世界での役割など、私ひとりの中でも、数え切れないくらいの役割を持っている。これら、すべての役割と、職業人としての役割には、少なからず葛藤が生まれてくる。この葛藤をいかに少なくするか、これがキャリア・アイデンティティ、すなわち、キャリアの統合であり、社員ひとりひとりが、このような統合をいかにしてうまく行えるかが、企業の効率や生産性にも影響が出てきているのである。
少なくとも、10年以上前には、このような議論は起こらなかった。その他のすべての役割を犠牲にしてでも、職業人としての役割をまっとうすることが、社会の基本的な通念だったからである。家族を犠牲にしても、個人的なことは捨ててでも、企業の中での自分の役割をまっとうすることが、「社会人として望ましい姿」であったし、「仕事だから」と言えば、すべてが解決してしまったのである。
しかし、今、そのような議論は成り立たなくなっている。他をすべて犠牲にして仕事をしている姿を見て、「美しい」と思う人はどれだけいるだろうか?「余裕がない」「面白くない」と見られるのがオチである。やはり、自分の役割すべてをきちんとまっとうし、すべてにおいてエネルギーをかけている人の方が、よほど尊敬の対象となり得るはずだ。
ただ、そうであるが故に問題が起こってきている。以前は、「仕事だから」という一言で、他の役割については何も考えなくてよかったのだ。ところが、今は、それが許されない。しかも、すべてをまっとうするには、体力、気力、精神力などが、今までにも増して必要となるのだ。誰もが、そう簡単にできることではないはずである。多くの人たちは、すべての役割に全力をかけられないので、結局はバランスを考えざるを得なくなる。
ところが、このバランスをとること自体も意外と難しい。「あちらを立てればこちらが立たず」で、自分にとっても周囲の人たちにとっても心地よいバランスを見出すには、数年間の試行錯誤が必要となる。また、やっとよいバランスが見つかったと思うと、すぐに別の役割が増える。特に、結婚したり、子供ができたりすると、根本からそのバランスを見直す必要が出てくる。また最初からやり直しである。
企業で働く多くの人たちが、このようなバランスの発見や再構築に失敗している。解を見出すことに焦りすぎているのだ。このような解を見出すには、どうしても時間がかかる。そのことに耐え切れなくなって、早い段階で結論を出してしまう。早い結論の多くは、「どれかの役割を切ること」になってしまうだろう。しかも、「職業人としての役割をまず切ろう」という結論を出す人が意外に多いのだ。
また、特にこの問題については、30代、40代に悩んでいる人が多い。これから家族を持つべきかどうか悩んでいる世代や、実際に家族がいて、どうやって子育てと仕事を両立させるか途方にくれている世代だからである(子供が大きくなり独立すると、この問題は軽減するようだが)。このような働き盛りの年代が、キャリア・アイデンティティの混乱によって仕事の効率が低下したり、退職したり、というのは、やはり企業としても大きな損失となる。「プライベートなことだから企業は関係ない」と言って放置できるものではない。
キャリア・アイデンティティ混乱の問題は、高い成果を生み出せる人であればあるほど深刻だという傾向もある。そのような人に仕事が集中し、他の役割をまっとうする時間がなくなることで、高い葛藤を感じるからだ。そうすると、欲求不満が高まり、まず、その最大原因である職業人の役割を捨てることで解決しようとする。
実際に、「会社を退職しました。この後のことは特に決まっていませんが、とりあえず3カ月くらい家族とゆっくり過ごし、その後で検討してみたいと思います」という挨拶状を、今まで多くの人から受け取った。まだ退職するまでの行動は起こしていない人でも、そのような潜在的予備軍はかなりいるはずだ。今この「ワトソンワイアットレビュー」を読んでいるあなた自身も、同じ問題で悩み、自問自答しているかも知れない。
やはり、企業としても、この問題に対して何らかの手を打っていく必要がある。そのためには、制度面の整備も必要となるだろう。本人も働きたいと思っているし、企業も「半日だけでもよいから働いてもらいたい」と思っているが、そのような就業形態が制度上認められていないので、どうにもならずに退職するというケースはよく見かける。ただし、「社員がすべての役割をまっとうしやすい制度を導入する」というのは、そう簡単なことではないはずだ。まずは、キャリア・アイデンティティに関する自問自答で、社員が答えを焦りすぎないように導くことが必要である。
では、どうすれば解が出なくても焦らず、長期的に取り組めるのだろうか。そこで重要になるのが、自問自答に付き合ってくれる人の存在である。通常、ひとりだけで行う「自問自答」は長続きしない。すぐに考えが煮詰まるし、答えも短絡的になりがちだ。ところが、その自問自答に付き合ってくれる人、つまりは「自分の悩み話を聞き続けてくれる人」がいれば、解が出なくても、それほど焦りを感じない。しかも、その人は、上司や家族など、自分のキャリア・アイデンティティに関係を持つ相手でなく、まったく利害関係を持たない人であれば、なおさら好都合である(このような意味あいから、キャリア・カウンセラーの役割は非常に重要になっており、かつキャリア・カウンセリング自体の難易度も高まっているのは間違いない)。
多くの社員が、自分の持つすべての役割をどう統合するかについての自問自答を始めている。この心の中にある声は、今後さらに大きくなってくるはずだ。そのときに、自問自答だけを続けさせていると、問題は深刻なレベルになってしまう。今必要なのは、自問自答ではなく、他問自答(他者に問いかけるが、答えは自分で出す)という姿勢なのかも知れない。
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