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【巻頭言】 |
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日本における成果主義人事制度の意味合い
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西川 淑子 |
ここ10年くらいだろうか、成果主義という言葉が大流行し、その目玉として、MBO(目標管理)、コンピテンシー、職務給といった、アメリカ型の人事制度ツールが次々と企業に導入されてきた。そして、「人件費抑制」や「メリハリのある処遇」といった、当時の経営者にとっては目新しく、魅力的であった謳い文句によって、多くの企業がこの「成果主義型人事制度」というものを導入してきた。また、変革のメッセージをより強く印象付けるために、「これまでの日本のやり方は古い」「これからは『アメリカ式マネジメント』の時代だ」と唱え続けてきた経営者やコンサルタントも多い。
その結果はどうか―――
こんな声が、日本中のあちこちから聞こえてくるようになった。
このような状況を受け、近年は、「西洋型の成果主義」というものに対して、不満続出である。
「うちは日本の会社なんだから、そんな西洋のやり方を持ち込まれても困る」。こういう反論を、私も何度となく、顧客企業の社員から受けてきた。しまいには、「外資」のコンサルタントというだけで、「眉間に皺」の状態の人まで出現してきている。
しかし、ここ何年かの間に人事制度改革を行った(いわゆる「成果主義」といわれる制度を導入した)企業が、すべて上記のような問題に陥ったわけではない。また、人事制度を変えないことで、成功した企業もあれば、成長のスピードを鈍化させた企業もある。
本当に「西洋型の成果主義」自体が、企業にとって害だったのだろうか。成功した企業と、問題を悪化させた企業の違いは何なのだろうか……?
私は、企業が人材マネジメントを行っていく上で重要なのは、企業自体が“人間らしさ”を持っているかどうかだと考えている。最近特に、そう感じるケースが多くなってきた。
企業の“人間らしさ”とは例えば、
といったことである。
人を人として尊重する
ゴールデンウイーク直前の凄惨な事故で大きな問題とされたJR西日本。私は、その会社の人事制度や人材マネジメントの詳細を正確に把握しているわけではないが、おそらく、旧来の「日本的な」人材マネジメントが行われていたであろうと推測できる。
しかし、組織が疲弊し、結果的にあのような事故を引き起こしてしまった大きな原因の一つは、体質的に「人を人として尊重する」人間らしさが欠如しているからだ、と誰もが感じたことだろう。
また、最近なぜかよく耳にするのが、社員の時間外労働の問題である。「会社が利益を優先させるあまり、人員の採用を抑え、現場の社員が過度な時間外労働を余儀なくされている。しかも、十分な時間外手当も支払われない。社員は疲弊しきっている……」
もちろん、社員個々人の生産性の問題や、現場での改善の可能性を無視して、このような訴えをそのまま聞き入れる必要はない。しかし一方で、会社は末端の社員一人ひとりまで、しっかり人として尊重しているのか、と疑問に思うケースに結構遭遇している。
これらの話は、直接人事制度と関係しているものばかりではないが、このような会社の制度を見てみると、評価の指標や基準、運用など様々な局面で、「人間性の欠如」が浮き彫りになっていることが多い。
言葉に表れない「気持ち」も大切にする
去年、ある日本の伝統的大企業の人事制度構築プロジェクトを担当した。当時、会社は存亡の危機にあり、社員の給与水準も低く、将来になかなか希望を見出せない状況であった。にもかかわらず、現場の社員は「会社を辞めるなんてとんでもない」と言わんばかりに、生き生きと業務に取り組んでいる姿が印象的だった。
インタビューでよく話を聞いてみたところ、その原動力は、「この会社の人や顧客が好き」という、周囲の仲間や得意客を思う気持ちであることがわかってきた。この社員共通の思いが、逆境の中でも、その会社を支えていたのだ。
存亡の危機であったとしても、会社として、この社員の「気持ち」だけは、裏切ってはいけない、とそのとき我々は感じた。おそらく、この社員の気持ちが踏みにじられた瞬間に、この会社の求心力は急速に弱まっていくだろう、と思ったのである。人事制度の設計、導入において、この点に非常に配慮したことは言うまでもない。
この“人間らしさ”と、今回のテーマである「日本(らしさ)」とどのような関係があるのか? ……実は、ほとんど関係はない。
人事制度においては、「日本型」「西洋型」という型や発祥の議論は、あまり意味がないということである。MBOやコンピテンシーといった成果主義の目玉が、たまたまアメリカ生まれであったがために、「西洋のものは日本には合わない」という批判の道具にされてしまっただけだと考えている。
表面的には日本型であろうと西洋型であろうと、それを運用する企業が“人間らしい”人格を持っており、制度自体にもその思想が明確に含まれていれば、企業に自然になじんでいくものである。
「仲間意識」や「年配者の尊敬」、「モノづくりへのこだわり」といった、旧来からの日本的な思想や価値観と、成果主義人事制度は決して相反するものではなく、「型(器)」と「魂」という、非常になじみやすい関係なのである。
このような思想や価値観を、経営者から末端の社員までが共有し、大切にしながら制度を運用していくことこそが、日本で成果主義人事制度を成功させる第一の要件であると、私は考えている。
成果主義については、「強いプレッシャーによって社員が疲弊し、潰れてしまう」という状況も、しばしば深刻な問題として語られる。しかし、本当にプレッシャーそのものが害なのだろうか。
人は適度なストレスを受けると、免疫力が向上し、仕事に対する意欲なども高まってくるといわれている。一方で、過度なストレスや嫌なストレスは、体力や精神力を弱め、様々な障害を引き起こす。
このことを考えると、プレッシャーもひとつのストレス要因であるが、成果主義のプレッシャーがすべて日本人をダメにするというわけではないことになる。人事制度によって健全なプレッシャー(善玉プレッシャー)を与えている会社は、むしろ体力・精神力を向上させており、逆に、制度の使い方を間違えてプレッシャーを悪玉に変化させてしまった会社が、社員をダメにしているのである。
自分の経験なども踏まえて考えると、人材マネジメントでの善玉プレッシャーとは、以下の要件を満たしているものである。
@合理的であること
A建設的であること
B自分の体質に合っていること
「@合理的であること」とは、何か指導を受けたり、評価を受けたりしたときに、その内容にすんなりと納得できることである。つまり、「理不尽な仕打ちは受けない」ということである。
「A建設的であること」とは、「○○をするな。△△はダメだ」というような否定一辺倒ではなく、先にある目標に向けて、相互に刺激し合い、前に進むためのやり取りができるということである。
最後に、最も重要なのが、そのプレッシャーが「B自分の体質に合っている」ということである。
例えば、我々のようなコンサルタントも、強いプレッシャーのもとで仕事をすることが多い。そのプレッシャーとは、「真に顧客のためになる解を提供する。プロとして恥ずかしくない品質を常に維持する」という思いから発生するものである。ときには、同僚のコンサルタントとかなり激しい議論になることもある。
それでも、例えば弊社でも、ほとんどのコンサルタントが意欲的に仕事に取り組んでいる。それは、そのプレッシャーが、まさに@〜Bを満たす、善玉プレッシャーだからである。
ここでもう一度、先ほどの“人間らしさ”が登場する。上記のコンサルタントの例でいう、「真に顧客のために……、プロとして……」というのは、まさに「言葉に表れない『気持ち』」であり、組織としてその気持ちを大切にしていることの表れである。また、激しい議論を展開したり、仕事上ぶつかることがあっても、人として尊重・尊敬し合う部分があるからこそ、仕事上のパートナーとしての関係が持続するのである。
つまり、企業の中に“人間らしさ”があってこそ、善玉プレッシャーが生まれてくるのである。
人事制度は、このような程よい緊張状態を生み出すための仕掛けにもなりうる。そのためにも、自分たちが大切にすべき「気持ち」とは何なのか、自分たちの会社は、どのような人間性を保っていくべきなのか、一度じっくり考えてみていただきたい。
ちなみに、善玉プレッシャーの要件の「B自分の体質に合っていること」は、最も重要なことであると先ほど述べた。これは、人事制度やその他の仕掛けを通して、企業側がいかに心地よいプレッシャーを生み出したとしても、それが本人の体質(価値観)に合致していなければ、苦痛以外の何ものにもならないからである。
この点を考えると、会社になじむ体質の社員を入り口で見極め、なじまない人材はスムーズに入れ替えるという人材のフローを、まず第一に確立する必要があることを付け加えておきたい。
以上、日本における成果主義人事制度の意味合いについて述べてきた。しかし実は、私自身、「成果主義」という言葉が具体的に何を示しているのか、実体を把握しきれていない。というより、実体を把握する必要もないとも思っている。
結局、○○主義などという言葉にとらわれず、自社の実態(業態や業種だけでなく、もっと深いレベルでの実態)に合致した人事制度を確立することが、人材マネジメントを成功させる上では最も大切だと考えているのである。
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