
|
【巻頭言】 |
. |
【巻頭言】
|
||||||
![]() |
佐川 利道 |
今年は「戦艦大和」を題材にした映画が作られるなど、静かな大和ブームの年である。
「常識再考」というテーマの巻頭言の冒頭としては、違和感を持たれる読者も多いと思うが、まずは、以下の大和型三号艦の設計を手がけた元海軍技術少佐・福井静夫氏の『日本戦艦物語U』にあるコメントを読んでいただきたい。
「さらに技術を、その設計と、工作の両面のみにかぎってみると、実は大和の誇りは、それが大きかったからではなく、それが小さかったことにある」
「よく人は大和が大きいことで、世界一だったと誇りがちだが、私は、大和がたった六万二千トンだったこと、つまり小さいこと、すなわち軽いことを誇りたい。物をつくるのに、少しでも軽く、小さく、そして安くつくる。これが技術の本領である」
さらに、福井氏は、同じ性能の艦を外国で造ったならば、さらに1万トン前後は大きく(重く)なっていたと述べている。すなわち、大和は、広さ(重さ)当たりの密度が大変高い複雑な構造物だった、ということである。
私たちが持っている「常識」は、「大和」が世界一巨大な戦艦であるということだが、実は、それが「大和」の本質を言い当てていないことに気づかされ、驚く。
そして、当時の技術者が、「大和」をこのように誇るのは、その建造プロセスが、日本の造船業界でまかり通っていた旧態依然の「常識」に対する様々な挑戦の結果であったからである(前間孝則著『戦艦大和誕生(上) 西島技術大佐の未公開記録』より)。
この、「大和」を建造した技術者たちの「常識」に対する挑戦は、彼らの弟子たち(石川島播磨重工業元社長真藤恒氏ら)に引き継がれ、戦後、他業界に先駆けて、日本の造船業界が世界トップの座に短期間で駆け上がる原動力になったのである。
戦艦大和の建造は、「常識」というものが、危険性と可能性という二面性を持っていることを示唆している。
翻って、年金業界はというと、激動の時である。
2000年のITバブル崩壊以降の株式市場の下落と金利低下は、年金資産を大きく毀損させ、債務を増大させた。特に2002年のマーケットは、日本の年金にとどめを刺しかねない厳しさを持っていた。
さらに、日本は2000年に退職給付会計を導入して年金債務をオンバランス化したが、その準備不足がマーケットの悪化と重なり、年金運営の混乱に拍車をかけた。
一方で、その前後から、様々な制度変更のオプションや退職給付信託などの会計上の対策、代行返上などが揃えられた。しかも、これらの変化は、弊社の年金数理人が「年金ドッグ・イヤー」と称するほどのスピードで進んだのである。
この急激な変化は、外部環境の悪化に背中を押されたものであったが、それ自体は(不十分な面も残っているが)歓迎すべき変化であり、年金運営に様々なベネフィットを与えるものである。
しかし、厳しい現実に直面するなかで起こった、このような急激な変化は、私たちが拠り所としてきた「常識」に対する確信度を低下させるという副作用を生んだ。
2000年度から2002年度にかけての年金資産の3年連続のマイナス・リターンは、これまで信じて維持してきた年金運営の「常識」を吹き飛ばしかねないインパクトを持っていた。その後、マーケットのリカバリーで一息ついているものの、私たちの「常識」には、その時のトラウマが残ってしまっている。
そのトラウマの典型が、ヘッジファンドの配分を大幅に引き上げたスポンサーの増加である。ヘッジファンドという、伝統資産の運用とは異なるリスク・リターン特性を持つ投資対象の組み入れを引き上げる場合には、それに見合った管理体制・能力(ガバナンス)をつけておく必要がある。
これは、私たちの年金運営における「常識」の一つである。
この「常識」に基づき、私たちはこの10年近くの時間をかけて、従来のバランス型等のお任せ運用を廃し、主体的にアクティブ戦略を練り、マネジャーを選別するという、いわゆる特化型の運用戦略の高度化を進めてきた。しかるに、昨今ヘッジファンドの組み入れを引き上げたスポンサーの中には、この「常識」を忘れて、ヘッジファンド・マネジャーを安易に選択し、実質的な「お任せ運用」に退行しているケースが見られる。
もう一つは、制度面の見直しにある。この数年、多くの企業が、財務面の負担軽減を主目的に年金制度を見直した。企業が2002年度に受けたインパクトからは当然の対応ではある。
しかし、年金運営は、財務だけでなく人事と運用の三つの戦略の融合体であり、その全体最適の実現が年金運営の肝になるという「常識」がある。制度の見直しにおいて、この「常識」を正面からとらえた対応をしたか、おざなりにしなかったかについて十分に検証する必要がある。
なぜならば、この「常識」を忘れると、三つの戦略のアンバランスによる歪みが生じてしまうためである。運用戦略に、制度見直し時の想定を超える(異なる)負荷がかかってしまうケースなどが典型例である。一方で、運用方針の策定結果を見て、再度、制度を見直しバランスを修正するケースもある。これらは、弊社がアドバイスしているALM分析(ダイナミックALM)の過程で初めて認識されるケースも少なくない。
また、最近の資本市場は「常識」を覆す様々な動きが起こっている。筆者が大変関心を持った動きが、ワールドの非公開化の選択である。私は、このニュースを聞いて、二つのことが頭をよぎった。
一つは、ここの経営陣は、自社のガバナンスのクオリティに相当の自信があるのだなということ、もう一つは、この社長は、株式市場にあまたいる投資家(ファンド・マネジャー、アナリスト)に対して、株式に投資するということの意味を強烈に問いかけたのではないか、ということである。
ここでは、株式に投資することの「常識」について、強烈なせめぎ合いが始まっている。そして、この「常識」は、ワールドと投資家のいずれか一方が正しいというような単純な構図ではない。
いずれにしても、この事象は、今後の運用戦略のあり方にも様々な影響を与えるのではないだろうか。この例の背景にも見られるような「投資スタンス」の短期化が世界的に進行しており、年金運用もその影響下にある。そして、その弊害が様々な形で生じているためである。私たちは、「長期投資」という常識が持つ優位性を見直すべきタイミングに来ている。
そして、これからの「長期投資」のあり方(投資哲学、マネジャーに必要なスキル、スポンサーに要求されるガバナンス等)について進化させるべき時でもある。この進化は「マネジャーが創出するアルファとは何か」という疑問の答えを提示してくれるであろう。
年金業界にとって常識はずれのスピードで外部環境が変化したことにより、私たちは、いやおうもなく自分たちの持っている「常識」を試される場所に押し出された。
これが、今、「常識」を問う理由である。
「常識」という言葉は、一見、物事の真理のような語感を持つが、実際は、大変多様な使い方をされている。同じことでも、ある場所・時代には「常識」だが、別の場所・時代では「非常識」に変わる。
「常識」とは、極めて主観的なものである。
したがって、今、「常識」とされていることが、将来も「常識」であるとは限らない。一方で、進むべき正しい方向を示してくれる普遍性の高い「常識」もある。このように、「常識」には、危険性と可能性の両面があると考える。
そして、激動の時代は、この危険性と可能性の境界線が見えにくくなる。意思決定が不安定化してしまうゆえんである。
「常識」の危険性
危険性から見ていこう。
「常識」の持つ怖さは、それが人間を思考停止の状態にさせてしまうことにあるのではないだろうか。
@「年金は長期投資」
これはまさに「常識」だが、私たちは、それを実行することの困難さや、越えなければならないハードルについて、どこまで突き詰めて考えてきただろうか。
「年金の長期投資」は、真理といってもよい側面を持つが、それを概念として理解することと、実際に実行していくための方策を思考することとは、全く異なるレベルの頭脳労働である。概念だけに留まっていることは、思考停止の罠に陥っていることと同義である。
A「目標リターンは予定利率以上」
これも、よく言われる「常識」である。しかし、予定利率は、債務の一部しか示していないし、リターン主導の方針策定プロセスはリスクや時間に対する意識を低下させてしまう(これも思考停止)。
リターンから運用方針を考えることは、わかりやすく、面白い(興味を持ちやすい、と言い換えてもよい)が、リスクから考える場合は、その逆で、わかりにくく、面白みに欠ける。
人間の心理は、前者に傾きやすいのである。
さらに、この「常識」は、「リスク許容度に基づく方針策定(リスクは無制限に取れない)」という、もう一つの「常識」との間に明らかな矛盾を生じさせやすい。
「常識」が、見た目がきれいなラッピングに化したとき、人は、そのラッピングを開いて、中身を見よう、確かめようとする意欲が低下してしまう危険性(思考停止の罠)が高まる。
「常識」の可能性
「常識」の持つポジティブ・サイドを見てみよう。
ここでは、コンサルティング・ワークの基本動作を通じて説明する。
コンサルティング・ワークの基本は、クライアントの現状から課題を発見・整理し、解決策を提案することだが、最初の課題発見のステップにおいて、この「常識」が役に立つ。すなわち、クライアントが当然のこと(もしくは、昔からやってきて当たり前と思い込んでいること)と認識しているところに、えてして課題が隠れていることが多いからである。
クライアントの課題を、独り善がりの理解ではなく、正しく把握できさえすれば、その解決策の糸口を掴むことは難しくない。
さて、これを年金の分野に当てはめると、前述の「常識」が持つ危険性と裏腹の関係にあることに、お気づきになると思う。
「年金の長期投資」という常識は、その意味を正しく理解しさえすれば、その実効性を担保するために必要となる課題が浮かび上がってくる。
また、「目標リターンは予定利率以上」という常識は、年金運営の目的を整理することができれば、資産サイドだけからの視点では不十分であり、資産と債務の関係、時間の概念の重要性というような課題に整理していくことができる。
このように、目の前にある「常識」を見直すことで、より合理的な「常識」を生み出していくことが可能になるのである。
ちなみに、これらは、弊社が2002年から2003年にかけて開発した「ダイナミックALM」の基本設計を検討するときに行ったものである。2002年という環境の中で、当時のクライアントが持っていた疑問(その多くは「常識」に対する確信度が低下したことが原因)に対して、正面から答えることを目的としたものである。
また、最近の弊社のセミナーで、これらの「常識」に対する賛否についてYES/NO/わからない、の三択で質問すると、回答がほぼ3分の1ずつに分かれる傾向がある。
私たちは、これを「常識」の可能性が、危険性を上回っている証左と受け止めている。極めてよい傾向である。
「常識」の上位概念に「良識」がある。
これは、戦前の哲学者三木清の言葉である。彼は、反体制派の活動家であり、敗戦直後に獄死した人物だ。
彼によれば、常識人は、常識を盾にとって非常識を断罪するのに対し、「常識」に対して疑問を持てる知恵が「良識」であると説く。
激動の時にいる私たちにとって、今までの「常識」に対する確信は簡単に揺らぐ。そこには、「常識」というものに対して、健全な疑問を持つ勇気が必要になる。
「常識に対して疑問を持てる知恵が良識である」
私たちが、肝に銘じておくべき言葉である。
| トップへ戻る ▲ |