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【巻頭言】 |
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プロセス責任を果たす
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佐川 利道 |
およそ、社会で活動している私たちは皆、多かれ少なかれ様々な「責任」を背負っている。
余計な責任を負いたくないのはやまやまだが、「責任」というものは、人のステータスやパワーそして働きがいになり、良質のインセンティブやモチベーションをもたらすものでもある。
一方で、「責任」を果たせなければペナルティが待っている。「責任」とペナルティが常にフェアな関係になっているかは大いに疑問ではあるが、両者の間に、健全な緊張関係を創り出している社会や組織が、高い競争力を持っていることも事実であろう。
いずれにしても、「責任」というものは、常に評価されるべき対象なのである。
さて、年金運営に関わる人たちが背負っている責任は、言うまでもなく「受託者責任」である。
この責任を負っている私たちには、どんなペナルティがあるのだろうか。例えば年金資産に大きな損失が生じた場合、私たちは、(不正を働いていなければ)自腹を切って、その損失を埋めることは要求されないし、する必要もない。すなわち、「結果」に対する責任は問われていないのである。
その代わりに要求されるのが、結果に至るまでの「プロセス」に対する責任である。そのため、この責任は「忠実義務」と「注意義務」の二つから構成されている。
では、この「結果責任」と「プロセス責任」を、責任に対する評価の観点から見ると、どうなるだろうか。
「結果責任」とは、「リターン」に対して評価される責任であり、「プロセス責任」とは、「リスク」に対して評価される責任といえるであろう。
本稿は、「プロセス責任」を「リスク」に対して評価される責任ととらえた上で、その責任を果たすために解決していく必要のある課題を、マネジメントとガバナンスの観点から考えるものである。
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図1/結果責任とプロセス管理 |
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結果責任は、「リターン」=事実に対する事後評価であるため、大変わかりやすく、極めて客観的である。
一方、「リスク」に対して評価される責任となると、とたんに意味が不明瞭になり、人々の評価基準は多様化する。これは、「リスクとは何か」という質問に対する回答が、一様なものにならないことでもわかる。ここに、「プロセス責任」の持つ課題の本質がある。
なぜであろうか。まずは、ここから考えていこう(なお、ここでは年金運営を念頭に置く)。
過去・現在と将来
言うまでもないが、私たちが相手にする対象は過去や現在ではなく、将来である。年金運営は、将来という「不確実な」対象を相手にする行動だ。
したがって、「現在」においては、将来に対して確実に判断できる部分は限定的であるため、意思決定は、将来に対する「確信度」の強弱に基づいて行わざるをえない。
しかるに、この「確信度」というものは、極めて主観的である。同じ情報・データに基づいていても、そこから得られる確信度は各人各様である。そのため、極めて不合理な判断であっても、それを間違いだと反論できる体制がないと、正しい判断として通ってしまうことも少なくない。
そうは言っても、人の知恵は、「将来」を判断することに挑戦し続けている。「プロセス」に対する責任を考える上で、この挑戦から見ていこう。
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図2/過去・現在と将来 |
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リスクを理解する
「確率」という知恵がある。これは、人間が獲得してきた多くの知恵の中でも重要度が高いところにランクされるものであろう。
なぜなら、「確率」という概念を得たことで、人は不確実な将来に対して一か八かの不合理なギャンブルではなく、合理的な判断根拠に基づき、一定水準以上の確信度を持った意思決定を行えるようになったからである。皆さんが日頃使っている「正規分布の仮定」に基づく「標準偏差」というツールなどがこの代表的なものである。
このツールは、将来の意思決定に大変有効である。しかし、その数値の意味、使い方、限界を十分に理解していないと、せっかくの有効性を半分も活用することができない。
ここでは、これらのツールの詳細説明は行わないが、「プロセス責任」を果たす上で、まず要求されることは「リスク」に対する「理解」という点にある。
リスクと人間心理
前述の通り、私たちは不確実な将来に対して、何らかの確信度に基づいて意思決定を行う。これが、「プロセス責任」の問われる主要な行為である。
しかし、人間心理は、合理と不合理の間を行ったり来たりするものである。特に、不確実なものに対する確信度には「不安な気持ち」が影響するため、この振幅が大きくなりやすい。リスクに対する意思決定を考える上では、人間心理に対する理解が、大変重要になってくるのである。
ワトソンワイアットでは、意思決定に影響する不合理な要素を「シータ・ファクター」と呼んでいる。例えば、以下のようなものがある(主に、行動ファイナンスの分野に関わる)。
@ 足元の市場環境や、運用機関の過去実績で判断してしまう
(上がれば買いたくなり、下がれば売りたくなる式の心理)
A 結果がうまくいかないと後悔するので、何もしない
B 難しいこと/複雑なことを避けて判断してしまう
C 取引関係等の、運用面とは無関係の理由に基づく判断
人間なので、このようなシータ・ファクターを完全に排除することはできない。しかし、それが大きくなり過ぎるとバランスが崩れ、不合理な意思決定に陥りやすくなる。それゆえに、「プロセス責任」は、「シータ・ファクター」を適切にコントロールする(バランスをとる)ことを要求していると理解すべきである。
「シータ・ファクター」は一個人だけでなく、意思決定に関わる全員(=組織)の問題である。また、単純にコピー・ペーストして他から持ってくることで解決するようなものでもない。
したがって、「シータ・ファクター」をコントロールするためには、意思決定に関わるチームのあり方全般が関係してくる。すなわち、プロセス責任を果たす上で、いわゆる「ガバナンス」というものが、大変重要な位置を占めてくる。これは、「シータ・ファクター」と「ガバナンス」が図3に示すような関係にあると考えられるためである。ガバナンス・レベルを引き上げることで、シータ・ファクターをコントロールしていくことが可能になる。
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図3/シータ・ファクターとガバナンスの関係(イメージ) |
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現在のリスク判断と将来のリスク
リスクは、常にダイナミックに変化している。そして、現在のリスクに対する判断は、将来のリスクに影響を与える。リスクに対する一つの処理は、将来の新たなリスクの種になるのである。
わかりやすい例で言えば、足元の損失拡大に基づき運用リスクを落としてしまい、その後のマーケットのリカバリーによるリターンを全く得ることができないとか、資産サイドの状況だけで運用リスクを下げてしまったが、債務サイドのリスクと合わせると、運用リスクを下げるべきではなかった、というようなことである。
プロセス責任とは、一時点だけのリスク判断ではない。その判断が、さらに、どのような影響を持っているかについても十分に考慮することが要求されるのである。
プロセス責任を考える上で、「リスク」の基本について述べた。ここで、皆さんに、ご自身の現状について自己評価をしてみていただきたい。
いかがだろう。満足できる状況と言えるだろうか。どのような課題があるだろうか。
また、第三者に評価してもらうという手もある(アセスメント)。ただし、世の中には、単なる「箱」だけしか見ないアセスメントが多いことに留意する必要がある。「箱」の重要性は否定しないが、それだけでは、何も解決しない。大切なことは、言うまでもなく中身の実力に対するアセスメントにある。
リスクの性格を鑑みると、年金運営の責任を評価する上で、ある時点の「結果」に対する責任を問うことは、必ずしも正しい評価ではないことが理解できる。「結果」は、最も客観的かつわかりやすい基準だが、年金運営の責任を正しく評価するには不十分である。
ただし、当然のことながら「結果責任」が「プロセス責任」よりも軽いはずはない。
「結果の責任は、私が取る」というセリフは、格好はよいものの、実は、それだけでは責任を取ったことにならない。結果責任の負担者は、ベストな「結果」につながるための努力を果たす必要があるためである(結果責任負担者の負うプロセス責任とも言えよう)。
すなわち、結果責任の負担者は、ベストなプロセス責任を果たすことができる状況を作り出す責任を持つと言い換えられる。ここに「結果責任」の重さがある。
これは、しごく当たり前のことではないかと感じられる読者も多いと思う。しかし、実際の「結果責任」の負担者(経営トップ)が、この点について十分な関心とコストをかけているかという点については、疑問を持たざるをえない状況が少なくない。経営トップの正しい理解と協力を得ることの難しさ(コミュニケーション・ギャップ)は、年金担当者の共通の課題でもある。
経営トップの関与の度合いが、プロセス責任のクオリティを決めると言っても過言ではないのである(なお、総合型基金は、ここで言う経営トップが複数となるため、難しさと重要性がより高まる)。
そう考えていくと、結果責任とプロセス責任の境界は交じり合ってくる。つまり、プロセス責任は、それを果たす体制(ガバナンス)を高度化させていくにつれて、単なる責任の評価基準の域を大きく超えて、実質的な結果責任に近づいてくる。
プロセス責任を果たしたと言えるかどうかは、「将来のリスク」という不確実なものに対して下した判断が「合理的なプロセス」に基づくものであったか、という点に集約される。
この「合理的なプロセス」は、以下の二つの要素で構成される。
第一に、「運営体制」全般の状況である。人、チーム、リソース、かけられる時間、権限などが主な構成要素である。
第二に、「意思決定の流れ」である。これは、リスクに対するコミュニケーション能力と言い換えられる。この中には、意思決定を行うだけでなく、自らの意思決定の内容をチェックするという双方向のプロセスがある。さらに、意思決定に関わる担当者のインセンティブ、モチベーションというものも含まれる。
この二つの要素は独立したものではなく、相互に密接に関連している。弊社では、この二つを合わせて「ガバナンス・バジェット」と呼んでおり、「合理的なプロセス」の質と量を評価している。
この「ガバナンス・バジェット」の大きさが、将来のリスクに対する判断である「リスク・バジェット」のクオリティを決めるポイントになる。
したがって、まず考えるべきことは、「ガバナンス・バジェット」の大小ではなく、「リスク・バジェット」とのバランスにある。実力以上に背伸びした運用がうまくいかないことは自明だからである。「ガバナンス・バジェット」に対する正しい自己評価と、それに基づく判断を行うことが「プロセス責任」の入り口である。
さらに、「ガバナンス・バジェット」の継続的な改善が要求される(小さいままでは、当然、許されない)。年金業界の進歩は早く、いかに両者がバランスしていても、時代遅れの状態が放置されることが許容されないことも自明である。「ガバナンス・バジェット」のミニマム・レベルは、時間とともに増加するのである。
ここでは、プロセス責任が要求する「ガバナンス・バジェット」の中身について見ていこう。
ガバナンスとは、単なる「箱」作りではないことは前述の通りである。いくら「箱」を整備してみたところで、「ガバナンス・バジェット」はあまり増加しない。「ガバナンス・バジェット」を増加させるには何をすべきであろうか。
まず、将来の不確実性=「リスク」に対する意思決定とは、具体的に何なのかを整理する。ポイントは、計画と現実の間には常にギャップがあり、現実はダイナミックに変化しているという、当然の事実に対して、どのように対応するかにある。
この対応方法を、最もシンプルに表現すると「チェック」と「アクション」という二つのパートになる。
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図4/チェックとアクション |
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チェックとは、計画と現実の乖離が許容できるか否かについての判断を指すが、何を基準にしてチェックを行うかは、簡単なようで実は難しい。現実は常に変化しているため、「事前に決めた基準で判断してしまってよいか」という点に対する確信度も変動するからである。特に、外部環境がネガティブなときは要注意である。
また、環境の変化に合わせて、当初設定した基準自体もアップデートしていく必要がある。これは、確信度を維持する上では有効な手段である。ただし、アップデートのやり方によってはディシプリンを失う危険性が高まることに留意する必要がある(なお、これらは頻繁に判断を変更することだけを意味していない。同じ判断を続けるというということも、重要な判断として含まれている)。
次に、もし、許容できないという判断になれば、どのようなアクションを起こすべきかという、もう一つの判断が必要になる。さらに、起こすべきアクションのオプションは一つとは限らない。通常は、複数のオプションが存在すると考えるべきであろう。ここにはシータ・ファクターが大きく影響する。「人は、複数の選択肢があれば迷う」ということである。迷いを減らすためには、迷う余地の少ない選択肢を用意するというやり方もあるが、のりしろのない選択肢は、実際には使えない(誤った判断となる)場合が多いという副作用を持っている。
すなわち、リスクに対する意思決定とは「YESかNOだけでは割り切れない判断の連続体」と言える。
これが、リスク・マネジメントの本質であり、「ガバナンス・バジェット」の中身を考えるための橋頭堡となる。
では、「判断の連続体」を支えるものは何だろうか。
そのコアは、リスクに対するコミュニケーション能力(リスク・コミュニケーション)と考える。
一度決めたことは、その後の運営における「常識」となる。
しかし、前述のチェックとアクションという意思決定における困難な部分に対応していくためには、常に、現状(=常識)に対して、健全な疑問を持てるような状態にしておくことが必要になる。
このようなことを可能にするには、複数の人間の関わり=チームが必要である。なぜならば、異なる視点に立った意見を許容し、お互いの意見を戦わせる(チャレンジする)行動が、よりよい判断を創り出すためには必要だからである。1+1を3にも4にもすることは可能なのである。なお、専門家は必要であるが、それだけでは2以上にはならない。
一方で、このような行動は、プロセス責任における重要な要素である「ディシプリン」の維持に対して迷いを生じさせる要因になる。
そうなると、複数では堂々巡りになって決められないから、責任者が一人で決めるべきだ、という意見もあるだろう。確かに、最終的なYESかNOはそうかもしれないが、そこに至るまでのコミュニケーションの中身にこそ、プロセス責任がかかるのである。そもそも、複数の人間が集まると大事なことは決まらないという状況では、プロセス責任を果たしていないことになる。
それでは、常に、現状(=常識)に対して、健全な疑問を持てるような状態にしておくには、どうすればよいだろうか。
これは、大変難しい課題であるが、必要な条件の一つとして、全員が目標を正しく理解し、厳しく共有するということが挙げられると思う。つまり、ある状況に対して、様々な視点から意見を戦わせるが、最終的な拠り所(目標)の達成に対してポジティブになる方向で全員が思考し、判断するという状態である。
そして、このような行動が、自然に、当たり前のこととして行われるようになる必要がある(一般的には稀な状態)。
このような状態になるには、個々人の行動特性に加えて、チームとしての行動特性(チーム・コンピテンシー)を研ぎ澄ましていく努力が必要になる。また、チームとしての経験値の蓄積が、大きな力になるであろう。
さらに、このようなタフな課題にチャレンジするインセンティブ、そしてモチベーションの維持、向上が必須である。いろいろなやり方があると思うが、この「プロセス責任」の重要性に見合うステータスを担当者に与えることが基本である。
年金運営を念頭において、「プロセス責任」の果たし方について述べてきたが、これは年金運営の世界だけの話ではない。
すべてのビジネスのマネージが、最終的な「結果責任=企業価値の向上」を果たすために、ベストな「プロセス」を目指している。それは、「リスク」という不確実な将来に対する挑戦であり、合理的な意思決定の追求である。
そして、ここまで述べてきたように、年金運営は、このような「リスク」に対するマネジメントとガバナンスにおけるバトル・フィールドの「最前線」にいる。
したがって、「何をすべきか」ということは年金運営もビジネスも基本は同じである。さらに、ビジネス面において、年金運営から学ぶべき点や、共有できる部分も多い。
私たちは、新しいコンサルティング・フィールドとして、年金運営を起点にしてビジネス全般に展開できる、これからの「リスクのマネジメントとガバナンスのあり方」の追求を始めている。これが、近い将来、皆様のビジネスに貢献できれば、と考えている。
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