【巻頭言】
「ヒト」資本発想とは何か

1.
ヒト資本主義と国際的M&A
創に向かう異質集団「間」ダイナミズム
   
2.
偉業達成ビジョンが
牽引するM&A

3.
アジアにおける
ヒト資本経営の構築・実践ステップ
人材育成を促進する「ヒト基盤」のあり方
   
4.
ヒト資本時代の年金論

5.
R&Dの「日本・ヒト・未来」型
擦り合わせ型イノベーションを生み出すヒント
   
6.
ベンチャーのヒト活かし方原論
立ち上げエンジンを全開し、さらに継続成長へと転換する

7.
待ったなしの大学改革
経営視点からのヒト資本形成

8.
伝統的日本企業のヒト再生
成長実感を生み出す場への変革

9.
ヒト資本企業経営論

10.
事業進化とヒト進化の繋ぎ方
事業と人材を一体で進化させる経営モデル

11.
ヒト資本視点の経営サイクル革新
場のデザインと信頼の技術

12.
ヒューマン・キャピタル・インキュベーター
現場における「ヒト資本経営」を考える

13.
ヒト資本時代の経営者マネジメント
役員評価・役員報酬を絡めた経営者検証機能のビルトイン

14.
役員最適化から始めるヒト資本経営

15.
ヒト資本への投資の自由度をどう確保するか
人間のエゴイズムから経営を解放する

16.
IT時代のヒト資本経営
ITはヒト資本経営をどのように助けるか

17.
ココロの時代の「感じる」経営

.

ベンチャーのヒト活かし方原論
立ち上げエンジンを全開し、さらに継続成長へと転換する
 

 

曽根岡 由美子

 限られた人材で、先行きが見えない状況下をスピードをもって精力的に走り抜けるベンチャー企業にとって、ヒト資本をいかにして最大限に活用するかは死活問題ともいえる。実際にお手伝いさせていただいた数社の実例を振り返ってみると、ある程度事業規模やビジネスモデルが確立している企業と異なり、ベンチャー特有のマネジメントの困難さやヒトの課題があることに気づかされる。
 「ベンチャー企業」という言葉は、今日あまりにも当たり前に使われているが、スタンダードな定義は見当たらない。急速に新規立ち上げから成長・拡大を遂げられた企業は多いが、おそらくそのすべてがベンチャーというわけではない。
 そこで、筆者は、次の各条件を満たす勢いのある企業を「ベンチャー企業」としてとらえている。

 1. 市場を開拓したり、新たな価値やサービスを創出するという高い志
  を持ち、未知の世界にチャレンジし続ける
 2. スピードある成長への確固たる信念を持って、成功に向けての戦略
  を講じて邁進する
 3. 未知への挑戦やスピードある成長のために、高めのリスクを取って
  それをコントロールする

 特に自社の存在意義、つまり「高い志」を抱いていることが企業としての成長・成功の必須条件である。顧客に対してどのような価値を提供するかよりも、目先の利益の追求に走った結果、失速した例がいくつもある。また、高い志なくして単に「新しいものに挑戦」することそのものが目的化した結果、事業として成功を収めることができなかった新興企業も少なくない。

 ここでは、上記の条件を備えたベンチャー企業が、その信念を全うして成功を収めていくプロセスにおいて、直面するであろうヒトの課題を考えていきたい。ベンチャー企業は勢いで走りがちであるが、ヒト資本をいかに活用するかといったソフトイシューはなかなかナイーブな一面を持っており、いずれのベンチャーでも共通する悩みがあるように思われる。筆者がお手伝いした数社に共通に見られた課題は、次の三つに大別される。

 @立ち上げ期の勢いマネジメント
  様々な経営課題が山積みとなり、スピードを持って意思決定・対応し
  なくてはならない中で、限られたヒトの活力をいかに引き出し、維持す
  るか

 A立ち上げ期から継続成長期への転換
  立ち上げ期は、とりあえず目先の経営課題を解決することが優先さ
  れ、短期の結果重視になりがちであるが、次のステップとして継続的
  な成長にいかにつなげていくか

 B拡大期における人材マネジメント構築
  事業が軌道に乗り、規模の拡大が進められる段階では、価値を生み
  出すための本質的なプロセスの設計が必要になる。そこで、「成長し
  続ける」「勝ち続ける」企業としての人材マネジメントをいかに構築し
  ていくのか

 なお、Bに関しては、ベンチャー企業にかかわらず一般事業会社に共通な実に大きなテーマであり、様々な観点・機会に語られている。そのため、本稿ではBは割愛し、主にベンチャー企業に特有な@Aの課題について考えていく。

立ち上げ期の人材像

 立ち上げ期に求められる人材は、事業を開発して組織を牽引していくリーダー(起業家)と、先行きの見えない状況においても信念をもって運命を共にする「情熱のある仲間たち」である。数名の起業家が集まった小集団であったり、あるいは突出した起業家(経営トップ)とそれを慕う「仲間たち」の集団であったり、その割合は企業によって異なるが、いずれにしてもこの両者から構成される。
 立ち上げ期のベンチャー企業においては、言うまでもなくスピードのある勢いのマネジメントがとられている。経営トップが、回転の速いマネジメントサイクルを回し、先行きが見えない大洋において舵取りをしていかなくてはならない。当然のことながら、現場においても迅速な実行が求められ、緊張感のある中での長時間労働が常となる。プロセスや仕組みが未整備で、戦略や方針が二転三転するため、ヒトに対する要求水準はおのずから高くなり、経験にかかわらず自律的な判断と実行力が求められる。また、一般的に「経営とは短期のパフォーマンスと中長期の取り組みのバランスが重要」と言われるが、立ち上げ期においては、短期の結果を迅速に生み出し、とりあえず目先の経営課題を解決することが優先される。全員がやらなくてはならないことを、がむしゃらに片付けていく。
 このような状況下で、何が求心力となりヒトを引っ張っていくのか。結論から言うと、立ち上げ期のベンチャーにおいては、新しいビジネスの立ち上げに関わり、高い志を共に実現しようとすることに対する精神的な高揚、困難を共有しているという仲間意識とそこから生まれるコミットメントの高さが最大の動機づけ要因となっているように思われる。加えて、一人ひとりに対する期待値が高いことから、常に新たな課題に挑戦し、自律的に動くことが求められる環境にあり、そこから生じる緊張感や充実感が一種の興奮状態を作り出している。その結果、何事にも優先して仕事に時間や精力を割き、走り続けていることが当たり前になっていることが多い。
 そこで、創業者が立ち上げ期のメンバーに求めるものは、ビジネス経験が豊富な完成したプロであることよりも、まずは強いコミットメントの意識や情熱を持って、高いモチベーション集団の「仲間」となれることである。先行きが見えずリスクが高い状況において、運命を共にして本気で歩むことができるのは、リスクを冷静に判断して自らのコミットメントを調整するような賢い人材ではない。成功に対する信念を共有し、状況がどんなに困難であってもとことん本気で関わろうとする人材である。このような仲間をどのようにしてスクリーニングして招き入れるかという入り口管理の問題が重要になる。

立ち上げ期のヒト活用

 スキルや能力よりもマインドセットを優先して採用した人材が中心の組織では、マネジャー層も必ずしもマネジメント経験が豊富な人ばかりではない。ただでさえマネジメントの難しい状況において、組織をどのように方向づけ活力を維持していくのか、仲間をどのように動機づけていくかに悩むケースも多くなる。そこで、立ち上げ期において、ヒトを活用する際にリーダー層・マネジャー層が意識すべき点について考えていく。

1. ありのままのヒト資本の活用
 入り口管理を慎重に行い、ひとたび「仲間」として迎え入れた人材に関しては、各人の強みや特性をそのまま最大限に活用することに注力する。安定期・拡大期の企業においては、あるべき人材像を描いて人材を開発したり、場合によっては入れ替えを行ったりすることがテーマとなる。しかし立ち上げ期のベンチャーにおいては、長い時間軸でヒトを意図的に開発している余裕はない。環境や方向性が激変し、役割が多岐にわたる状況にあるため、意識的な働きかけがなくても各人の実力が開発される機会は十分にある。むしろ、様々なタイプの人材がいることを強みと考え、各人が最もパフォーマンスを上げやすい方法を認めることが望まれる。
 マネジャーに関しても同様である。組織・チームによってマネジメント・スタイルが異なってもかまわない。大企業のように横並びである必要はなく、むしろマネジャーのタイプに合わせて評価の方法を変えるなど、ベンチャーならではの自由度をもって組織の運営方法を考えていきたい。

2. 全体観を持ったチームワーク・連携の重視
 ありのままにヒトを活用するといっても、未成熟なメンバーが多い状態では、個人で完結することは難しい。また、仕組みが未整備な上に、個人・各部署がそれぞれのミッションやパフォーマンスを短期的な視点で追求するために、各人・各組織がばらばらな方向に走り、組織の非効率性に陥っていることが極めて多い。各人の期待役割が大きく、やることが多いので、全体像や周囲に目を配る余裕がないのである。
 しかし、スピードを持って高い成長率を実現するためには、組織としてなすべきことは確実に実行していかなくてはならない。過度に個人依存的になってしまうと、非効率なだけでなく、本人が目的を果たせなかったときに組織や事業全体として不実行に終わってしまうリスクが高い。ここで重要なのは、日本的要素とされる「チーム主義」つまり「連携」である。未成熟なメンバーが大きな役割を担ったり、未経験な課題に挑戦するわけであるから、各人が自分の役割を限定せずに柔軟性を持って相互に補い合い、組織の目的を迅速かつ確実に実現していくことは、安定期を迎えた企業以上に求められる。
 マネジャーの重要な役割は、メンバーが自分の仕事・役割で手一杯な状況においても、自分の仕事に閉じた目線とならず、常に全体を意識して動き、仲間としてのサポートを積極的にとれるように導くことである。自分の役割において短期結果を挙げることを過度に追求し競争させるのではなく、仲間としての共感を高め、組織全体として前進させることに注力したい。

3. 現場を疲弊させないためのコミュニケーション
 先行きも見えず、緊張感や長時間労働が長く続くと、どうしても現場は疲弊してくる。勢いや情熱で引っ張るのにも限界がある。
 特に、経営のスピードが求められるベンチャーにおいては、迅速な方向転換は必然であるが、中間に立つマネジャー層が現場に背景や事情を伝えきるゆとりがなく、断片的な指示として与えてしまうことが多い。しかし、自分のやっていることの全体像が見えなかったり、その貢献の意味合いを認知されないと、いったい何のために仕事をしているかがわからなくなる。その結果、現場では上からの指示に「一貫性がない」と感じたり、「やらされ感」が蔓延したりする。
 そこで、ベンチャー企業においては、情報を社員に開示することを原則とし、マネジャーは忙しいながらも意識してコミュニケーションをとっていくことが必要である。ただし、多大な情報をそのまま横流しにするのではなく、各メンバーの活動に必要な情報の要点を絞り込み、わかりやすく伝えることが望ましい。特に意識すべきは、事業の全体像における各人の役割・位置づけが何であるかを示すこと、方針転換の背景・事情をきちんと伝えることである。少なくとも、今、自分はどこにいて何のためにこの仕事をしているのか、なぜ当初と方針が変更されたのか、がわかるようにしたい。また、各人の仕事がどのように役立っているのか、その貢献を認知し、冒頭に述べた「仲間」としてのスタンスでコミュニケーションをとっていくことも重要である。
 日常のコミュニケーションで方向性を共有したり貢献を確認できれば、この段階できちんとした評価の仕組みを整えるまでもない。逆に言えば、忙しい中で上記のようなコミュニケーションがなかなかとれない状況にあれば、評価の仕組みをコミュニケーションのためのツールとして用意すべきかもしれない。

4. 意思決定のあり方のコントロール
 ここまでは現場のマネジメントにおける留意点について述べてきたが、リーダー層やマネジャー層の意思決定についても考えておきたい。立ち上げ期のベンチャーにおいては、走り抜けの勢いのあまりに、興奮やスピードをコントロールしきれずに、大なり小なり混乱を招くことがある。特に、スピード重視の意思決定のプロセスにおいて、思考や検討が十分になされず迷走したり、あるいは情報が錯綜して現場が混乱したりする。規模が大きく、勢いがあればあるほど混乱は生じやすい。ベンチャー企業は、「高い成長率・成功のために高めのリスクを取る」ものであるが、その落としどころを的確に見極めることは重要である。そのための意思決定のあり方については、人材のレベルやタイプに応じてある程度プロセスを定めておく必要がある。なぜなら、トライ&エラーが許される課題と、修正が困難なため間違えてはいけない課題があるからである。
 特に、ヒトの課題は比較的に時間を要するものであり、ある程度軌道に乗っている企業と比して一層の難しさを内包している。事業戦略面で求められるスピードと、人材戦略面で対応できるスピードに差がある場合には、それを十分に認識して実現可能な落としどころを見極めるようにしたい。
 数年前に、時勢に先駆けた新たな事業を急速に拡大しようとしたベンチャー企業のプロジェクトに関わったことがあるが、まさに混乱状態そのものであった。深夜を問わずミーティングが持たれ、各部門ごとに次々に意思決定がなされ、実行に移されていく。コンサルティングのあり方も、通常の検討資料に基づく定期ミーティングではなく、メールや突発ミーティングにおけるホワイトボードを用いた議論が中心であった。そのスピード感や興奮状態は、外部のコンサルタントをも巻き込む勢いだった。しかし、意思決定が早い一方で、起こりうるリスクに関する検討や配慮が十分とは言えず、特に人の課題のデリケートな部分についての懸念を我々が示しても、耳を傾けてもらえないという状況だった。このため、コンサルタントとしてのバリューが十分に提供できない状況と判断し、早期の撤退に至ったことを記憶している。この後、同社は一度沈んでから見事に息を吹き返し、今日成功に至っているが、沈まざるをえなかったのは、戦略の求めるスピードと実行における限界、特に人がらみのアクションに必要なスピードとの乖離にあったように思われる。戦略的には地域ドミナントを採るべきと判断して、主要なエリアに出店することを最優先課題とし、短期間に多くの人を採用した。前日に採用された人が翌日には採用側に立っているということが実際に起きていた。ところが新たな事業を理解し、各店舗を運営できるような質の高い人材を短期のうちに確保することは極めて難しい。人の質とマネジメントの体制や仕組みが十分でなかった結果、運営しきれない店舗が続出し、短期のうちに大半の閉店・人員削減を余儀なくされたのである。

継続成長への転換

 ヒト資本を巧みに活用して立ち上げ期をしのいだとしても、さらに大きな壁となるのが継続成長への転換である。この切り替えができないと、ビジネスモデルに優位性があっても高い成長率の維持にはつながらない。実際に、事業モデルの優位性からこれまで順調に規模を拡大し、公開にこぎつけたものの、継続的に発展・進化するための土壌が作られてこなかったために、後発の競合の脅威にさらされているベンチャーも少なくない。
 第一に切り替える必要があるのは、社員の意識・目線である。上述のように立ち上げ期においては、何はともあれ目先の課題について結果を出すことを優先して必死に走ってきたため、ややもすれば現場は疲弊し、「今は苦しくても、ここまで到達すれば状況ははるかに楽になるはず……」「とにかく上場まで頑張れば……」という短期的視点に留まりがちである。実際、立ち上げ期のベンチャーで社員にインタビューをすると、上場や黒字化のその先に意識や目線がいっていない人がほとんどであった。社員の意識がこのような状態のまま当面のゴールに到達すると、燃焼しきって活力を失ってしまったり、期待していた状況変化(仕事量やプレッシャーの軽減、収入の増加など)がなくて失望してしまうなど、組織全体の活力が急速に失われる恐れがある。
 第二に、組織運営における中長期の取り組みと短期の取り組みのバランスの問題がある。多くのベンチャーが高い成長率を維持するために市場から資金を集めるべく公開を目指すが、公開すれば市場からは安定成長が求められる。安定成長のためには、事前に成長のための仕掛け、すなわち中長期の視点で仕組みを構築したり、プロセスの作り込み、ブランド価値の向上などを行わなくてはならない。そこで、立ち上げ期の短期志向から中長期の視点・取り組みへと組織運営のあり方を転換することが必要となる。
 ところで、継続成長期に求められる人材像は立ち上げ期の人材像と必ずしも一致しない。立ち上げ期には情熱をエンジンとする「起業家」とその「仲間たち」が中心であったが、継続成長のためには組織をリードして事業・仕組みの基盤を確立していく「リーダー人材」が必要になってくる。しかし実際には人を入れ替えるわけにはいかず、立ち上げ期を共に走ってきた「仲間」の意識や組織運営のあり方をシフトしつつ、新たに招き入れた「リーダー人材」と融合していくことになる。
 ところが、ベンチャーというと若くて柔軟な社員で構成されているイメージがあるが、初期の人材が変化に対して抵抗を示すのは安定・拡大期の企業と同じである。立ち上げ期の勢いのマネジメントが変化することに対して、「これまでのアイデンティティが失われる」「自社の良さが失われる」という不満を抱く人が意外と多い。ヒトの意識や組織運営のあり方を変えるには時間がかかる。したがって、継続成長に転換すべきタイミングになってから、中長期の展望を示したり、組織運営のあり方を転換しようとしても遅い。いまだ立ち上げ期の半ばであっても、最も厳しい状況を脱した段階から、将来の継続成長を視野に入れたコミュニケーションや組織運営のあり方に徐々にシフトして、マネジャーやメンバーの意識の転換に働きかけていくべきではなかろうか。

 以上、ベンチャー企業が「立ち上げエンジンを全開し、継続成長につなげる」ために、人材マネジメント上で留意すべき点を考えてきた。立ち上げ期にはとにかく事業を軌道に乗せ、利益を確保することが優先され、ヒトのマネジメントは多少乱暴になりがちである。しかし、最低限、上記の課題を意識することによって、読者の関わられるベンチャー企業や新規事業立ち上げの組織がヒト資本を最大限に活用し、成功を収められることを願うばかりである。

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●曽根岡由美子 そねおかゆみこ/日本郵船(株)勤務の後、次世代の人材の生産・育成に専念。1997年ワトソンワイアット株式会社入社後、企業変革の一環としての組織・人材マネジメント構築に関するコンサルティング業務に従事。日本および外資系企業に対し、ガバナンス改革から人材マネジメントのコンセプト策定、制度詳細設計、運用支援までのコンサルティングを行っている。東京大学文学部社会心理学科卒。