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【巻頭言】 |
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ヒト資本企業経営論
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永田 稔 |
近頃のM&Aブーム(?)は株式会社というものがカネの論理で構成されていることを世の中に改めて認識させた。さらにカネの論理で構成されていると理解した上で「割り切れなさ」をほぼすべての人に持たせたという点では、日本人の企業観に与えた影響は計り知れない。
そうなのである。株式会社というのはもともとのコンセプトが、属人性を切り離すことを主眼として作られた組織なのである。株式会社登場以前は、企業と個人は密接に結びついた(属人性の非常に高い)存在であった。株式会社のコンセプトは、企業と個人が密接に結びついた存在であることをわかりつつ、徹底的にヒトから会社を切り離した点にあった。つまり、所有、分配、意思決定のほぼすべての運営に首尾一貫してカネの論理で「割り切った」形態が株式会社なのである。
この「割り切り」ゆえに株式会社はここまで広まったと言っても過言ではあるまい。属人性を消した株式会社という組織は工業化社会の広まりと市民社会の台頭により一気に世界に広まった。工業化社会では、マスプロダクション、それを実現するためのモノが必要になり、そのための巨額のカネ資本が必要とされた。このカネ資本の調達のために、会社を無機質化し、株式という単位でカネを集めるという方法は非常にマッチしたものであった。また豊かな市民社会の台頭は、上記のマスプロダクションを要求するマスマーケットを作ると同時に、大量のカネの出し手、リスクの取り手を創出した。ここでも無機質な会社はカネの出し手、リスクの取り手の間を流通させるには使い勝手のよい形態であったのである。これらの結果、属人性を打ち消した株式会社はここまで広まってきたのであろう。
よって、現在、多くの人が感じている「割り切れなさ」は、当然なのである。それは上記したように、「割り切れないもの」を「割り切ってしまった」ゆえなのである。そしてこの割り切れなさ感がここまで広まったのは、多くの人が会社というものがカネの論理で成り立っているということに改めて気づいたということと、企業の価値の源泉が明らかに変わりつつあること、カネ資本からヒト資本へという変化に多くの人が気づいているためであろう。
それでは、なぜ会社自体の価値の源泉が変質したのか。ソフト化、知価など従来語られてきた考えに加え、カネ、モノの変化がヒト資本へのシフトを促進していると考える。
カネの面からは、カネが希少資源ではなくなったことが挙げられる。カネは情報技術の進展に伴い、世界中を投資機会を求めて動いている。その結果、優れたコンセプト、技術には瞬時にカネが集まる状況となっている。そのため、カネの希少性は極めて低くなっていると考える。
またモノの面からは、本当の意味で工業化が進化をしたということではないだろうかと考えている。脱・工業化ではなく、工業化の進化である。工業化の進化とは、従来まで表に出ていた工業=モノが裏方化することである。今まではマスプロダクションを実現するための巨大なカネやモノのスケールにヒトが隠れてしまっていた。その隠れていたヒトが、工業化の進化、進化ゆえの工業化そのもののコモディティ化により再び表に出てきつつあるのが現在の変化である。
このような変化を受けて、企業経営も新たな形や取り組みが求められている。しばしば問題として取り上げられる企業とヒトの成果分配も解決すべき課題であろう。ただし、この問題以前に、考えるべき重要な問いがある。それは、これからヒト資本が企業の価値の源泉となる中で、経営としてヒト資本をいかにリターンに結びつけるかという問いである。
従来、カネ、モノ中心の企業経営では、これらの価値転換率が経営の要諦であった。ROE、ROAのマネジメントである。今後、ヒトが表に出てくるにつれ、必要となるのは、カネ、モノの転換率に加え、ヒト資本の価値への転換率であろう。つまり、リターン/ヒト資本価値を最大化するマネジメント、「ヒト資本経営」が必要なのである。
ヒト資本の価値転換のマネジメントについて述べる前に、「ヒト資本」の特徴について考えてみたい。
ヒト資本の特徴とは、@双方向的な変化をする資本である、A質的な変化、成長をする資本であるという点である。@の双方向的な資本であるというのは、カネ資本と比べてみるとわかりやすい。カネ資本は、生産の過程でモノに形を変え、売れることによりモノからカネに形を変えていく。企業の中を一方的に流れていく資本である。これに比べ、ヒト資本は、資本として企業のインプットとして機能しながらも、企業の側からもヒトに対するインプットが発生し、双方向的な関係となる。この特徴ゆえに、企業とそこに関わるヒトが相互に影響を与えながら急成長をすることがしばしば観察される。これはヒト資本ならではの特徴であろう。Aの質的な変化、成長をする資本というのは、ヒト資本が企業と関わる中で、資本としての性格を変えていくということである。当初、企業に対しヒトは単なるインプットとして役割を果たす。その過程で上記したような双方向的な関係が生じ、ヒトは成長をする。その結果、成長したヒトは単なるインプットとして企業に関わるのではなく、企業そのものを作り変える存在として働くようになる。これが、資本としての性格を変えるということである。単なるインプットである存在が、ガバーン(支配)する存在に変化をするのだ。
これらのヒト資本の特徴を踏まえた上で、ヒト資本の価値転換のマネジメントについて考えてみたい。
●生み出される価値
=Σ(個々のヒトの能×能力拡大率×能力を引き出す率)
●能力拡大率
=ヒトの能力を強化するような経験・知識の厚み、学習、
チームとしての補完
●能力を引き出す率
=配置、相性、マネジメントのスピード、動機づけ
上記のように考えると、生み出される価値は個々の人材の能力もさることながら、個々の人材の能力を拡大する施策、その高められた能力を十分に引き出す施策が必要である。能力拡大施策とは、個々の人材だけでは持つことができない組織としての「厚み」と言ってもよい。組織として蓄積された経験・知識の厚みであり、人材の厚みである。個々の人材が蓄積できる知識は限られている。この限定された能力を経験・知識の共有、他の人材との協力、他の人材とのインタラクションによる刺激を生み出すような施策が必要となるのだ。我々がコンサルティングでしばしば観察するのは、個々の人材の能力が高いにもかかわらず、組織としての基盤が薄く、人材間の知恵の交流度合いも低く、組織としての力が個々の総和、またはそれ以下にすぎないケースがある。また反対に組織の基盤が厚く、個々の力を拡張している組織もある。経営として個々の能力を高める以外にも組織の力を強める施策は存在するのである。
また個々の人材能力を引き出す施策とは、人材能力と場のマッチング、能力を引き出す動機づけ、能力の回転回数を高めることの三つに分けることができる。マッチングとは配置、相性である。マッチング、動機づけについては特に説明の必要はないと思う。能力の回転数とは、マネジメントサイクルのスピードである。このスピードを高めることによって、同じ能力でも発揮する総量を高めていくことができる。このマネジメントサイクルは企業のビジネスのスピードによっても決まる部分が大きいが、企業として意図的に高めることができる。ベンチャー企業の経営者の方がしばしば「スピードこそ命」と言うのは、人材の能力の回転数を上げることで成果の総量を高めることを言っていると考えている。
このように考えると、経営としてヒト資本の価値への転換を高めるためには、単に人材能力を高めるだけでなく、能力を拡張する仕組みや発揮させる仕組みにも取り組む必要があるということがわかる。またその際の仕組みや打ち手の相互や全体のバランスを効果や効率の観点から考えることが必要なのである。
ただし、この価値のインプット、アウトプットの関係は単純でなく、一種の入れ子構造になっている。ヒト資本の特徴で述べたよう、個々のヒトの能力は企業という場との双方向的な関係によって高まりをみせる。よって、上記の関係により、生み出される価値が高まり企業全体の価値が向上するにつれ、個々のヒトの能力に影響を与えていく。例えば、ある企業では企業全体の価値が高まった結果、場も拡大し、常にヒトは能力以上の役割が与えられ、個人の成長につながっている。一方、市場地位が高まった結果、以前のようなチャレンジの機会が少なくなり、役割が拡大せずにヒトの能力が減退していくケースもある。この違いは、企業の質・量の成長を経営者が常に志向しているかによるのであろう。これで十分と思ったとたんに、人材能力も減退していくのである。ここにヒト資本経営の難しさが存在する。ヒトと企業の成長を複眼的、動的に観察する必要がある。そして、ヒトの成長をあえて重視するタイミングやその程度を経営者は判断する必要がある。
このように価値のインプット、アウトプットの関係、入れ子構造の関係を考慮しつつマネジメントをしていくうちに、この関係全体が劇的に変わる瞬間がくる。それは、この関係を超える個人が現れた瞬間である。この種のヒトは、個人で企業の価値を超えていく。企業の価値全体を再定義し、新たに構築し、ヒトと企業の関係をも変えていくヒトである。実はヒト資本経営の最大の狙いはここにある。ウチから現れ、ソトとウチとの関係、ウチ自体を変革する、そのような人材が輩出することにある。この不連続な変化を何度繰り返すことができるかが企業の存在年数を決定すると言っても過言ではあるまい。このような「超えていくヒト」が育てられるのかという議論はある。しかし、ヒトが学習し成長する存在である以上、育てる努力を放棄すべきではあるまい。ただし、「育てる」際にも従来のトレーニングという範疇を超え、場や他の人材との関係のデザインが必要なのである。この際に、必要なのが「離」のコンセプトではないかと考えている。「離」とは武道でいう「守・破・離」であり、企業とヒトの距離感である。「離」により、より大きな成長ループを描くことができるのではないだろうか。もしかすると、これは一見、「育てる」ことを放棄しながら、「育つ」ことを意図することなのかもしれない。
まさにこれは「転換」のマネジメントにほかならない。
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