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【巻頭言】 |
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ヒト資本への投資の自由度をどう確保するか
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為田 香苗 |
「ヒト資本主義時代」の幕開けだ。企業が勝ち続けていくためにはヒト資本がますます重要となる。その資本を充実化させるためには、継続的な投資が必要となる。
しかし、ヒトはカネとは異なり投資からのリターンが予測できない。当然、組織としては“何が返ってくるのかはっきりしない”投資を推進していくには、カネの投資以上の摩擦が予想される。投資の自由度を確立するためには、株主(所有者)、従業員、顧客など様々なステークホルダーの賛同を得なければならないからだ。
あえてヒト資本経営の特集において、ヒト資本についてではなく、企業が「ヒトへの投資の自由度をどう確保するか」について取り上げさせてもらった。ヒト資本主義の実現化への本当の試練は、ここにあるのではないかと考えるからだ。
ジーンズのリーバイ・ストラウス(リーバイスの会社)のハース会長は、企業が追求している人権保護、環境保全やフェアトレードなどの社会的責任を重視した経営が、近視眼的株主に左右されることを恐れてオーナー主導のMBOで非公開化に踏み切ったという。
企業を上場することには、不特定多数の投資家から資金を調達できるメリットがあるが、一方で様々な動機を持つ不特定多数の株主を保有することが、短期的利益追求に極端に振れる経営にもなりうる。所有者のエゴイズムは、時に目先の利益を優先し、将来へのリスクを取ることを許さないからだ。
短期的な価値向上を求める所有者、任期中の業績向上を望む経営者、そして高額な給与・ストックオプションなどに引きずられる従業員。彼らが果たして、ヒト資産への投資に賛成するであろうか。ヒト資本への投資を妨げるものもまたヒトであり、ヒトのエゴイズムなのだ。
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図 |
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日本の財閥として有名な三井家の家制度は、すでに江戸時代に確立されていた。1700年代の江戸で、経営に入り込む人間のエゴイズムの脅威をはっきりと意識し、その脅威を制御しようとしていたのだ。そして、人間のエゴイズムを理解し、制御することで、戦後まで長い繁栄を続けたのである。
また、もう一つの事例であるカール・ツアイス社の創業者は、利益分配のコントロールに挑戦した。将来に高い技術・技能を伝承していくためには、将来への投資は必要不可欠なものと確信していたのであろう。どうにかしてヒトへの自由度を高めようと、財団法人形態という形を使って人間エゴイズムを抑制しようとした。
ヒト資本投資の自由度を確保するための試みとしては、三井家とカール・ツアイス社の例を紹介する。また、現代においてヒト資本への投資の自由度を確保し、ヒト資産を実際に活かしているケースとしてアメリカのSASを取り上げた。
事例@三井家
「所有権の分配・譲渡を厳しく律し所有を安定させる」(※1)
ここでは、所有者のエゴイズムをコントロールしようとした事例として三井家の家制度を紹介する。
江戸時代、三井家は松阪の呉服屋から両替商などの複合事業へ拡大していく過程の中で、資本を拡大していくことの重要性と、出資者が勝手に所有権を引き上げることへの脅威を強く感じていた。そこで1710年、安定的な資本を確保する目的で、世襲財産制や総有制を取り決めた。また、1722年には、三井家とその事業の繁栄を保持するための細かい戒律を規定した三井家の憲法ともいえる三井家憲を制定した。そこで、三井家の宗竺が出資持分の相続・処分に厳しい制約を設けた(他の鴻池家や住友家でも同じような取り決めはあったが、三井家ほどには明文化されていなかった)。
三井11家の出資比率は総本家23%、本家5家各11.5%、分家5家各3.9%と差があったが、所有権や議決権においては、あえて出資比率に応じて分配しなかった。財閥の所有する企業への出資金は、出資者の個人所有ではなく、三井家一族の総有財産であるとみなされたからだ。つまり、出資者であっても、個人的に分割したり、自分の権利分を勝手に他人に譲渡したりすることは許されなかった。また、一族で決断すべきことがあれば、すべて11家の合議制とした。これによって、三井家は財産の分割と減少を最小限に留め、明治31年から、昭和21年まで揺らぐことなく続くことができた。
事例A:カール・ツアイス社
「利益分配法をルール化する」
ここでは、所有者、経営者や従業員のエゴイズムに対し、利益分配ルールを制定することで制御したカール・ツアイス社の例を紹介する。
19世紀末、顕微鏡を開発製造するカール・ツアイス社を経営していたアッベは、カール・ツアイス社のつくる高精度の顕微鏡に蓄積された技術・技能をどう将来に伝承していくかに頭を悩ませていた。この企業を、技術力の高い企業として永続させるためには、株主の影響を排除し、自律性を持たなければならないという考えに行き着いた。そこで彼は引退の際、所有権のすべてを財団に委譲し、その財団が、技術の発展に尽くすことを目的づけた。アッベはまた、ツアイス社の利益の使途は、将来への投資、従業員への利益分配、学術振興に三分されるべきだという、利益分配法についても定めた。
不特定多数の株主を排除し、財団に所有権のすべてを託し、事業会社を非公開の自律した組織にするというやり方は、その後、ヨーロッパ各地で活用されるようになった。現在でもスウェーデンのインテリアを販売するイケアや、ドイツの自動車部品メーカーであるボッシュなどでは、財団方式を採用している。(※2)
事例B:SAS社
「非公開化でエゴをシャットアウトし、ヒト資本に投資する」(※3)
ここでは、ヒト資本への投資の自由度を確保し、ダイナミックにヒト資産に投資してきた企業が、実際に高い業績を挙げているケースとしてSASを取り上げた。
「3400億円企業の所有者はたった2名」
SASは、高品質のソフトの開発と高い顧客サービスで有名な、世界最大のプライベートのソフトウェア会社である。また、高い従業員満足度でも有名な企業であり、フォーチュン誌「最も働きやすい企業トップ100」においては、ランキングの開始以来連続8年間にわたり20位以内にランクインし、ついにはその安定性が評価され「殿堂」入りも果たした。
フォーブスの見積もり額によると、非上場企業のSASの価値は、30億ドル(約3370億円)であるとされる。この優良企業の所有者は創業者でありCEOであるグッドナイト氏と、同じく創業者であったシャル氏のたった2名だ。グッドナイト氏が3分の2を保有、すでに退職したシャル氏が残りの3分の1を持っている。約3400億円の企業をたった2名の創業者で持つことで、外部の人間のエゴイズムにさらされることなく、自由にヒトと将来への投資を行っている。
●R&Dへの投資
SASは業界水準の約2倍となる売り上げの約26%という比率でR&Dに投資している。その成果は、フォーチュン誌トップ500企業への導入率94%、顧客リピート率98%、ETL・データウェアハウス・データマインニング分野など様々な分野の賞を受賞するなどの結果につながっている。
●ヒトへの投資
SASは、従業員に高水準の給与、週35時間の労働体制(IT業界では異例)を提供し、トレーニングにも熱心である。また、本社のあるノースキャロライナの施設内には、9名の看護士、2名の医師、マッサージ師を要するメディカルセンター、700人の従業員の子供をケアする保育施設、居心地のいい職場環境を研究しSAS社内に提供するラボ、従業員の希望プログラムが運営されているフィットネスジム、専属ピアニストが奏でる音楽が流れるカフェテリアなどが整備される。投資の効果は、毎月殺到する20000件以上もの求人応募、30倍という就職倍率、5%以下の離職率(業界平均は20%)などの数字で証明されている。そしてSASは2004年、28年連続で売上を伸ばし、150億ドルを記録した。
「当社の資産の95%は毎夕、正面ゲートから出て行く」
「従業員が、会社に何らかの影響をもたらしてくれるものだというように、従業員をもてなせば、彼らは必ずそれを実現してくれる」とCEOのグッドナイト氏は言う。SASは、ヒト資本が最大の財産であることを理解し、従業員の自律性を重んじ、信頼し合える関係を築こうとしてきた。
外部からの熱心な株式公開への誘いは今もやまない。しかし、株式公開の意思は創業者二人にも従業員にもない(従業員に対し2001年に行われた調査では、従業員の87%が公開に反対票を投じた)。これまでの文化や、長期的な視点に立った将来への投資を続けていくためには、非公開でいることが必要であると彼らは考える。
SASは創業者二人ですべての所有権を独占することで、社外からの発言者をシャットアウトし、誰に文句を言われることもなく、従業員に十分すぎる処遇、教育、福利厚生を提供し、また多額のR&D投資を行い、資産を醸成している。
ヒト資本はこれからの時代に企業が勝ち続けていくためには必要不可欠であり、ヒト資本で勝っていくためには、ヒト資本への継続的な投資が求められる。ところが企業がヒト資本へ投資を試みる時に、所有者、経営者や従業員のエゴイズムが往々にして邪魔をする。ヒト資本への投資を自由に行うためには、この人間のエゴイズムをコントロールしなければならない。
人間のエゴイズムをコントロールするには、エゴイズムに狙われる経営の危険地帯を認識しておく必要があるだろう。経営を人間のエゴイズムから解放し、ヒト資本に対する投資の自由度を確保するためには、次の3点を自律的にコントロールできるようになる必要がある。
@利益分配のコントロール
人間のエゴイズムのわかりやすい例は、「今」「個人に」「カネのリターン」を要求することだ。この所有者のエゴを野放しにしておけば、利益は永遠に所有者のポケットにだけ落ちていき、やがてはなくなってしまう。先の事例に挙げたカール・ツアイス社は、利益分配をコントロールし、あらかじめ将来や人材への投資比率を設定していた。
A議決権分配のコントロール
人間のエゴイズムは、発言権・決定権を求める。株式会社の怖さは、多くカネを出した者が多くの発言権を持つということである。議決制限株式の活用や非上場化、財団法人形態など手段をテクニカルに活用することもオプションとしてあるが、まずは有権者が誰であるかを再確認し、そのバランスをどうコントロールしていくかを考える必要がある。
B所有の引き継ぎのコントロール
資本の安定を脅かすのが、所有者の資本引き上げである。個々の所有者が所有権を引き上げたり、譲渡したりすることが繰り返されれば、所有者と企業の間の長期的なコミットメントは確立されないし、所有も安定しない。前述の三井家では、早い段階から所有構造が崩れるのを恐れ、個人所有という概念を否定していた。
ヒトの脅威を忘れず、そのエゴイズムがどこで悪さを働くかを認識し、コントロールすること。それを実行してきた企業が長い繁栄をもたらしてきた。一方、人間のエゴイズムにとらわれた経営の多くは短命に終わっている。過去の歴史から私たちが学ぶべきことは、「ヒト資本主義」の中で、ヒトの重要性とともに、ヒトゆえの怖さについても認識しておくことではないだろうか。
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(※1)参照資料:安岡重明著『三井財閥の人びと』(同文舘出版)
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(※2)参照資料:プレジデントオンライン、加護野忠男著『株主から企業を守る「自律的経営の方法」』
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(※3)参照資料:Stanford Graduate School of Business “SAS Institute The Decision to go public”
Harvard Business Review “Managing for Creativity”
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