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【巻頭言】 |
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ココロの時代の「感じる」経営
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河合 太介 |
恵比寿駅で私の前を両親に囲まれて歩く子供がいた。彼は、食べているチョコレートの包み紙を、何のためらいもなく破り捨てながら歩いている。最後は飲み終わったペットボトルも、後ろ手でポイッである。気づいているはずの両親も何も言わない。
程なくディズニーシーでも同じような光景を見かけた。前から楽しそうに歩いてきた女性2人組が、食べ終えたアイスクリーム容器を、悪気も見せずに、歩きながらその場でポイッである。
地球とゴミ捨て場の区別がついていないかのようである。
街にいると他にも気になることがある。それは、すれ違うときに道で避けない人が増えてきた、ということである。気づいているはずなのに避けない。傘をさしている時は正直困る。江戸しぐさでこちらが体や傘を傾けても、同じようにしようとはせず突進してくる。
こうした人達が増えているように感じる一方、例えば、生ゴミ処理機を自費で購入し、少しでも地球環境に優しい活動をしようとする人も増えている。
また、NPOを設立し、災害等で困っている人を少しでも助けよう、支援しようとする人も増えている。
『希望格差社会』(山田昌弘著、筑摩書房)というベストセラーの本がある。緻密なデータをもとに、将来に希望をもてる人と、将来に絶望している人の分裂が起きている現代日本社会の構造をするどく分析した本である。その中で山田教授は次のような指摘をしている。少し長いが、原文をそのまま抜粋する。
「仕事能力が高くニューエコノミーの現実に気づいている親は、子どもを『勝ち組』にすべく、幼いときから、塾や私立中学校などに通わせ、早期から仕事能力をつけさせて、自分の子どもも中核的専門労働者にしようとする。中には、中学や高校から国際化させるべく、海外に留学させる親も出てきている。一方、現実にセンシティブでない親は、子育ての放棄はしなくても、積極的にニューエコノミー対応の教育をしようとはしない。学卒時に、子の就職先がなくて初めて亞然とするのである。つまり、強者の親が強者の子を育て、弱者の親は弱者の子を育てるという格差の再生産構造ができているのだ。」(『希望格差社会』pp.149〜150より抜粋)。
現代は、希望格差社会であると同時に「心の格差社会」である。地球をゴミ箱と見なす人が増えている一方、地球を徹底的に守ろうとする人が増えている。人にぶつかり傷つけることに関心を全く払わない人が増えている一方、傷ついた人を少しでも支援しようとする人が増えている。人の心の二極化である。そして、この格差も、山田教授が指摘するような論理で、再生産されていくリスクがある。
心の格差社会、二極化は、企業においても起こりつつあるような気がする。金銭至上主義で人材マネジメントをしようとする会社と、社員の心を大切にすることでモチベーションを喚起しようとする会社である。
この二つの会社の間では、同じ制度であっても中身はずいぶん異なっていたりする。
例えば「早期退職制度」。55歳等の早期定年年齢を設定し、そこで希望者等に退職願う制度である。金銭至上主義の会社では、この制度は「リストラ」の象徴となる。退職金の上積み、というお金によるサラリーマン人生の清算で問題解決を図る仕組みとして運用される。
しかし、私のクライアントの中には、この制度を、「生き生きした一生を送るためのキャリアプログラム」という信念で行っている社長がいる。
この会社では、その年齢に近くなった人に社長自ら面接をする。そこでは概ね次のような会話がなされるという。
「秋葉さんも、あと1年もすると55歳ですねえ」
「そうですねえ」
「秋葉さん、優秀でこれまでもよくやってくれたけど、正直なところ、今か
ら部長や役員になるというのは、組織的に難しいだろうね。どう思いま
す」
「そうですねえ。その通りだと思います」
「秋葉さん、この会社辞めた後60歳過ぎて、したいこと何か考えていま
せんか」
「実はあります」
「何? 聞かせてもらえる」
「はい、実は……、という感じで、こうしたお客さんに対するこのような仕
事をしていけたらなあ、と考えています」
「そうしたら、それにつながる仕事を今から、この会社の中でやったら
いいじゃないですか」
「えっ?」
「頑張っても部長や役員になれるわけでもない。そうしたら、人間そん
なに頑張れないと思うんですよ。それでは会社にとってもよいことでも
ないし、秋葉さんにとってもよいことではない。60歳までの5年間を、そ
んな時間の使い方をしたらお互いにもったいない。だったら、60歳以降
の自分の仕事人生につながるような業務に集中したほうが幸せじゃな
いですか」
「いいんですか」
「話を聞いたら、それはお客さんのためになるし、お客さんが元気にな
って、結果的にうちからたくさん仕入れてもらえるようになるのは大変
いいことじゃないですか」
こうして秋葉さんは、通常のラインからは外れた専門業務の担い手となる。そのためにいったん退職して正社員としての雇用は解約し、契約社員となる。そして60歳までの5年間を、自立して商売をやっていけるだけの「磨き」の期間として使っていく。もちろん会社とはWIN─WINだ。
社長の話によると、秋葉さんは、自分のためになる仕事だから、今まで以上に大変張り切って頑張っているらしい。
企業だから、どちらのタイプがあってもよいと思う。金銭で割り切った関係で、会社や同僚とはそれ以上の関係性や尺度を持ち込まれたくないという人もいる。そういう人には金銭至上主義の会社のほうが幸せだ。金銭至上主義でいく会社も、自分たちの姿勢を正確に伝え、そうした志向性の人だけに集まってもらえば、マネジメントもうまくいく。
今、問題になっているのは、両者の中間にある会社だ。日本におけるこの中間層の特徴は、企業としての「根」は心のほうにあるのに、マネジメントの「仕組み」が金銭至上的にあることだ。ここで社員の葛藤が生じ、「根」が強く張っている人ほど苦悩を感じ、時に壊れる。
矛盾を心の中で同居させ続けることは、普通の人にとっては難しいことである。企業としての自分たちの「根」を見極め、根が仮に心のほうにあるのであれば、適切な金銭マネジメントと同時に、心をつかむマネジメントを磨かなくてはならない。金銭マネジメントを、ここ10年くらいの時間を使って試行錯誤してきたのと同じくらいの努力と工夫を、これから10年使って、心のマネジメントのほうに使える会社が、尊敬される会社になりうると考える。
教育は、「徳育・知育・体育」の三育から成り立つとされる。武道の世界で言えば「心・技・体」である。
徳には、「仁義礼智忠信孝悌」の八つの徳目がある。その意味は、次の通りである。
@ 仁:思いやり、いつくしみ(愛)
A 義:人の当然なすべき正しい道
B 礼:真心が外に表れた形
C 智:物事を理解し善悪を判断する能力
D 忠:主君に対して真心を尽くす。まめやか。
E 信:うそをつかない。信ずる。
F 孝:よく父母に仕える
G 悌:兄弟や長幼の仲が良い
(『漢和中辞典』旺文社)
企業でいえば、Dは経営者との関係性、Fは上司との関係性、Gは同僚との関係性(チームワーク)、ととらえたらいいであろう。
これら八つの徳目がコンピテンシーとして社員の中で行動化されている状態が「心ある」会社としての目指す姿であるが、そのための「育」、つまり徳育はどうしたらいいのだろうか。
それは、会社や上司が身をもって実践するしかない、というのが結論ではないだろうか。マジックやウルトラCを期待されていた方には申し訳ないが、そのようなものは存在しないし、発明を期待しないほうがいい。
徳に関しては、「されたように育つ」というのが本当のところであろう。
では、どのように実践したらいいのだろうか。
これも恐縮だが、「コミュニケーション」というのが最もありきたりだが、最も効果が出る、というのが結論である。マジックやウルトラCはここにも存在しない。
徳育としてのコミュニケーションをどう考え、コミュニケーション施策としてできることをどう実践するか、これが心のマネジメント追求の原理原則となるのである。この原理原則を徹底しないで、いたずらに最新ツールを導入しても本質的な変化は生まれない。
企業の中で行われるコミュニケーションは、図のように整理できる。コミュニケーションと言っても、直接に言葉のやり取りを通じるものと、メッセージを制度やイベント、対応の中に込めるというものがある。また、個人に対峙して影響を及ぼす場合と集団に及ぼす場合がある。
これらを「されたように育つ」徳育の観点から、全体をどうデザインするかが、これからのコミュニケーションデザインに求められるプロセスである。
以下、企業事例を挙げることで、そのイメージの具体化に少しでもお役に立てればと考える。
事例1 【個人 ─ ノンバーバル】
サウスウエスト航空は、乗客を喜ばせるためのユニークな経営で有名な会社である。社員の創造力とエネルギーの解放をいかに行うかに経営が全身全霊を傾けている会社と言われる。そのために、創業者(現取締役会長)のハーブ・ケレハーを先頭に、トップマネジメントが様々なユニークなコミュニケーション施策を実践してきた。
その中の一つに「家族の一員としての社員」という考え方がある。この考え方に基づき、まるで家族を愛するように社員を愛する、ということを行動化している。例えば、逸話の一つに、癌になって手術、入院をして長期休職をしている社員に対して、無事手術を終えた時等にトップマネジメントから本人と家族宛にプレゼントが届いたというものがある。
サウスウエスト航空には、こうした逸話は枚挙するときりがないくらいある。
この逸話の本質は、そうした社員にプレゼントを贈っているということではない。
2万人を超える社員の中からそうした一人の情報をしっかりと押さえている点は立派だが、何よりも他社と違うのは、こうして送られてくるプレゼントがありきたりのものではなく、その人の琴線に触れるものをわざわざ選び出して贈っているという点である。本当に個別なのである。だから形式ではなく、会社の心が社員に伝わる。
プレゼントを贈ることが本質ではなく、心を届けることが本質なのである。
そこが、たとえ似たようなことをやりながらも、効果を出せないでいる会社との違いになる。
実際、私の義弟の会社では本人の誕生日に、毎年お決まりとして、なぜかバームクーヘンを送ってくるのだが、捨て置いたも同然の扱いとなっている。工夫もなく、個別性もない、その取り組みに彼は何も「感じない」という結果になってしまっている。おそらく、彼の中には、「会社は個人的なことに干渉しないでほしい」という心が育っていることだろう。
会社が社員にモノを贈っているという行為は同じなのに、サウスウエストで癌で休職した社員と私の義弟では、彼らが部下に対して行う行為は全く逆になる可能性がある。
同じお金をかけているのに、笑い話にもならない。心の問題は、取り組むのであれば、本気で取り組まないと、やらないのと同じ結果、あるいはそれ以下の結果になってしまうのである。
サウスウエストの事例をもう一つ挙げる。サウスウエストでは、祝福は、人間的な精神を活性化する大切な行いと考えている。この精神に基づき「愛する人々をたたえよ」と、様々な表彰を行っている。
その中の一つに、「心の英雄賞」というのがある。これは、人目につかない裏方作業をやっている人にスポットを当てるものだ。裏方の中から、サウスウエストの考える経営に素晴らしい貢献をしている人を選ぶのである。
これもポイントは、表彰制度を導入することではない。表彰制度を設けている会社は多くあるが、うまくその機会を使いきれていない会社が多いようだ。その差となるポイントは、やはり、心を伝えるための取り組み姿勢である。
サウスウエストでは、祝典はきちんとコーディネートされ、タイミングよく行うべきものという考え方が徹底している。したがって、周到に、かつ、たっぷりと時間とエネルギーをかけて祝典の準備をする。やるからには最高の演出を、考え抜いて行うのである。例えば、先の「心の英雄賞」では、特別に用意された機体に表彰者の名前がペイントされて登場する等の演出だ。ここまでされると、されたほうは、この時を一生忘れない。こうした姿勢を社員は「感じる」。
表彰すること以上に大切なのは、実はこうした姿勢を社員が感じるようにすることなのだ。そうした姿勢を伝えることが徳育であり、企業文化につながっていくのである。
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事例2 【集団 ─ ノンバーバル】
東京ディズニーリゾートは、社員がディズニーの精神を愛し、一緒に働く仲間を愛し、それらを通じてディズニーで働くことに喜びと誇りを感じてもらうことに真剣に取り組んでいると言われる。その喜びと誇りが、ゲストへの最高のサービスとなって表れると信じているからだ。
形式的な行事に終わらせないために、そうしたイベント等を考え、実践することをミッションとするチームを置いている。それが「キャスト・アクティビティーズ・チーム」である。
例えば、東京ディズニーリゾートで働く社員(キャストと呼ぶ)のためのイベントの一つに、「ドナルド・ワイルドゲーム」というのがある。キャスト同士のチームを作り、オープン前のパーク内を、問題を解きながら回るオリエンテーション形式のゲームである。そのほかにも「カヌーゲーム」と呼ばれる、パーク内のアメリカ河でタイムを競うゲームもある。
優秀なチームには、非売品のグッズが授与されるという。ディズニーリゾートのキャストだけが享受できるグッズである。
こうして、キャストを楽しませ、キャストを愛しているというメッセージを送ることで、キャストは東京ディズニーリゾートという職場を愛し、他のキャストを愛し、そして、その気持ちが、みんなでゲストを楽しませたい、という行動に結びつくのである。
社内旅行や運動会は今や歴史的産物になってしまったが、果たして、それは施策の問題だったのだろうか。確かに中途半端な気持ちではやらないほうがいい。しかし、真剣に取り組めば、施策はオールドスタイルでも、十分に徳育としての効果を挙げることができるのである。
事例3 【集団 ─ バーバル】
GEのクロトンビルでの研修はつとに有名である。この場の、最大の目的はGEのコアバリューの共有である。ただし、一方的にCEOが演台からそれを伝えるのではなく、相手と向き合い、時に、判断にまつわる自分の事例を交えながら、悩みや質問に答える。まさに真剣勝負で対話をするのである。
この仕組みの重要性は嫌と言うほど聞かされていると思うのだが、実践している経営者や会社は、少ない。大勢の社員を前にして、何回も繰り返し対話をするのは、ハードだし、面倒くさいと考えてしまうのだろうか。
しかし、集団に対する、しかるべき立場の人による真剣な対話は、会社の社員に対する「礼」の行為であるし、「義」「智」を社員に伝え、「忠」や「信」を社員との間に築く行為となる。
繰り返し、こうした行為を受けた社員は、自分がその立場に立ったときに、「されたように行う」ことが期待できる。
そうした循環を通じて、企業文化に落ちる徳目が出てくるのである。
事例4 【個人─バーバル】
先に挙げた早期退職制度の事例を思い出していただきたい。このようなコミュニケーションを受けた人は、おそらく仁・礼・信等の徳目が何たるかを感じ、自分の部下に対しても同じようなコミュニケーションを行うようになることが期待できよう。
成果主義を導入し、試行錯誤を得て、制度としての一定の着地を得たが、人心に必ずしも一体感や満足感がないと感じる会社が多く出てきている。
その場合、心のマネジメントが自社はどれくらいできているのかを考えてほしい。
制度をもっている、もっていないの観点ではなく、「徳育の観点」から139頁の図をぜひ検証いただけけたらと考える。
心とは「感じる力」でもある。そのためには「感じるための工夫」を会社が真剣にこらす姿勢が肝心なのである。
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(※)参考文献
ケビン・フライバーグほか著『破天荒!──サウスウエスト航空─ 驚愕の経営』(日経BP社)