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【巻頭言】 |
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世界中で「本気」が飛び交うカイシャ
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キャメル・ヤマモト |
日本基準を超えて、国際的な視点で「良いカイシャ」について考えてみます。異文化の壁を想定して、それをよじ登り、乗り越えようとする勢いで、「良いカイシャ」が見えてこないかなという試みにおつきあいください。
それぞれの社会には、その社会の自然環境や歴史環境にはぐくまれた、固有の集団的な問題解決方法があります(それを文化と呼びます)。この部分は、万古不易ではありませんが、同時にかなり根強いものであり、特に、ある社会に進出して、そこでかなりの人数を雇用すれば、必ず、その集団的な問題解決の方法(集団的な思考・行動特性)の影響を受けます。
企業として事業を展開する世界中の国・地域にそれぞれそういう特性があるはずですが、ここでは例えば、米国、中国、日本の3カ国に絞って考えてみます。それぞれの社会において、いわば最も的な「行動文法」を解き明かしてみます。そんなものがあるのか、という存在論的な証明問題は先送りしつつ、存在するという前提で見出そうとしています。というか、異文化特性をかなり極端に誇張する形で描き出して、つまり、なるべく壁を高めに設定しておいて、それをも越えることができる、限界テストをパスするみたいな思考を誘発して、国際的な視点での「良いカイシャ」論に突き進もうと思います。
アメリカ人の集団は、ちょうど新大陸にやってきた彼らの先祖がそうしたように、白いキャンバスにでも絵を描くように、はじめに基準をデザインすることが極めて大切で、そのデザインを担当するのが最も優秀な人たちであります。そして、いったん基準を設定した後は、それを愚直なまでに守らせます(そのために大量の法律家たちが存在します)。そういう基準の中でも、特に大事なマスター基準があるのですが、その一つがお金であり、最近でいえば、お金基準の中でも株価です。その意味で、米国の会社とは基準の集合体です。
中国では、これまでのレビューでも何度か触れましたが、個人とその仲間たち(圏子と呼ばれます)が、社会の基本単位になっています。過去100年程度だけをとっても、国家や会社を含めた組織というものや、組織が定める基準を信頼することができないような歴史があるので、いきおい、自我主義の個人が自分と志・価値観など共にする人と個人的な関係を結び、自助努力を行わざるをえません。仮に会社で基準や規則や制度を決めても、それは結局のところ、管理者と従業員の間の1対1の関係に翻訳されない限り、絵に描いた餅に終わる可能性が高くなっています。ですから、中国における会社とは個人の間の関係の集合体ということになります。ただし個人の間の関係の外延が会社という領域と一致しないので、経営というものの難易度は上がります。日本については申し上げませんが、ご存知のように、場(職場、現場)の集合体であります。確かに、基準や関係もあるのですが、その発動の条件やタイミングは、場(の空気)が決めるとしか言いようもない微妙(絶妙)なものである点は、最近のライブドアなどにからんでなぜ検察があそこで動くのか、など空気としか言いようもないものがあります。
もちろん、アメリカ人だって個人間の関係は大切にするし、その場の雰囲気とか会社の文化とかを気にしないわけではありません。中国人も、最近は基準や法律をたくさんつくっているし、東洋的なところがあって「場」についての読み取りには長けています。日本人ももちろん基準をつくるし、個人の間の関係も大切にします。どんな社会でも、基準、関係、場は、どれも大切なのです。ですから正確にいえば、三つの要素(基準、関係、場)のバランスの問題なのですが、特性論的に考える場合、どれが、それぞれの社会で主軸なのかを押さえておく必要があります。その社会のボリュームゾーンの人たちは、その社会の主軸部分によって動くからです。米国なら、結局、基準のところが動かないと何も動きません。中国なら、結局、個人間の関係(特にボスとの関係)が変わらない限り、いくら基準を定めても、場をよくしても不十分です。日本なら、いくら基準をつくっても、個人間の関係を結び直しても、場全体が変わらないと、結局、建前に終わります。
なお、以上で描いた壁自体の記述には、異論もあろうかと思います(実際、異文化論では、各種各様の説が考案されています)。しかし、個人の心理学に帰着できない、何か壁っぽいものが文化としてあることはほぼ確実ですので(学者は両者の境界についても両サイドからかなり議論していますが)、以下の議論は、1. の壁の内容の適否に関わりなく展開しうるものです。一応、1. で述べたようなかなり基本的なところで違いがありそうだというところだけ押さえておきたいと思います。
1. で見たような差異・壁は、妙な性格をもっています。越えてしまえばどうということはないのですが、越えるまでは結構大変です。それもあって、普通、越える手前であきらめてしまいます。この壁は、人間という硬いか軟らかいかよくわからないものでできているので、奇妙な上り方をすると(異文化の人からは奇妙に見えがちです)、イヤ(No ! 不好! Laa !)といわれて落っことされます。
いや、ソノ前に、壁の存在を本能的に感じとったとたん、こちらの越える力が萎えてくるかもしれません。あるいは、いたずらにぶつかるのですが、成果などいっこうに出ずに身ぐるみはがされてさらしものになるかもしれません。
ところが、これまた不思議なもので、この壁を確実に越える方法があります。異国集団間の壁のすべてを越えられるとまでは言いませんが超えるべき部分の壁は越えることができます。その方法は何か。
その前に、従来から考案されている異文化の壁を越える方法について一言触れておきます。
この種の問題に対しては、従来から大きく分けると三つのアプローチが提案されています。一つは、日本的特性でそめあげる統合アプローチ、第二はすべての特性を融合させるシナジーアプローチ、第三はそれぞれをそのままにしておいてインターフェイスだけ考える異文化インターフェイス管理アプローチです。僕は、10年ほど前に、修士論文としてこのあたりをかなり掘ってみました(興味のある方は、http://www.camelyamamoto.com 所収の論文をご覧ください)。
どの方法もそれなりに意味があるのですが、どうもこれらの方法は最も大切なポイントをはずしているのではないかと最近思い始めました。ひょっとすると、目くらましをしているのではないかと。きっかけは、中国で見聞きしたことです。
中国において、いくつかの日系企業を近くから診断させていただき、あわせて、かなり遠めに多くの企業を観察させていただき、うまくいくかいかないかは、ひとえに、ある一つのことにかかっているとわかり始めました。
それは、駐在員の方の本気度です。
場の住民の日本の方が、関係の住民の中国の方を、やる気にさせるのは、普通の状態では無理です。しかし、まれにですが(残念ながらまれにですが)、本気言語を話せる日本の方が来ると、なぜかすべては好転し始めます。あれほど(会社とは重ならない)関係主義で、個人主義的にみえた中国のヒトも、本気言語で働きかけられ続ければ、本気になっていくのです。問題は、本気言語は、中国語をいくら一生懸命学習しても、あるいは、その企業の言語を英語に代えても、あるいは、中国人のキーパーソンに日本語を学ばせても、普及いたしません。本気言語は、本気になったヒトが、相当期間、しつこく、本気を維持し、本気菌をふりまくことが必要なのであります。本気、本気とあまりに繰り返すと、眉間にしわがよりそうですが、ここでいう本気は、楽しさいっぱいの楽天的・能動的な本気です。もちろん、能天気ではまずくて、中国人の関係特性と日本人の場特性への、適切なるデリカシーをもった配慮も必要であります。
要するに、異文化の壁を「越える」には、何か人間の根源的な力を呼び起こして、それを使ってよじのぼるようなところがあります。その力を、僕はここでは「本気」と呼んでみました。理屈とか正気の前にくる本気であります。
そこで、もう少し、「本気」についてそれこそ本気で考えてみたいと思います。いきなりぶっつけ本番でいきます。本番とは、海外の現場において、企業Xに所属する日本人Nが、実際本気言語を使ってコミュニケーションをとるという場面です。
本気言語には一つのプロトコール(お手前としての流れ)があります。その流れは「ステップ1:本気で言いたいことを言う」、「ステップ2:相手からフィードバックをもらう」、「ステップ3:相手の言ったことを取り入れて修正し、実行する」という3ステップです。
ステップ1では、特に、「本気」でという部分が大切です。本気言語の話をするのだからそれが大切なのは当たり前かもしれません。
でも、じゃあ、どうやって本気になるのかが問題です? ××につける薬はないよ、と言いたいところですが、妙薬があります(まだ妙薬探しを始めたばかりでストックは限られていますが、ご紹介します)。
本気であってもなくてもいいから、誰かに何かを話そうとすることが出発点です。実際には、好き好んで話そうというより、話す場面に追い込まれるのでしょうが、それでもかまいません。しかも、誰かとは他者であります。外国人という他者であります。そこで、しかたなくてでもよいですから、自分が伝えたいことを、他者に話す前に、凝縮しておきます。紙一枚、画面一枚に、文字を極力少なめに凝縮してみます(ベタの原稿を書いてはだめです)。不思議なもので言いたいことを凝縮していると、それを言いたくなります。何もなくても、誰かに言おうとして凝縮していると圧力が高まってきて何かが出てまいります。
凝縮がうまくできれば、実際に話すときはそれを解凍すればよいわけです。
第二ステップは、こちらの言ったことについて、聞き手たる外国の従業員から、その感想や意見を求めることです。例えば、こんな質問は、いつでも使えます。
話して(ステップ1)、聞く(ステップ2)など、改まって言うのもはばかられるほど基本的なことですが、驚くべきことにこの基本的な対話がなかなか成立していません。そこで、ステップ1と2に関連するいくつか補助テクニックを紹介しておきます。
テクニック1:異文化の壁の摂理
まず、伝わらないのが普通である、という異文化の壁の摂理(1.の話)を頭に入れておきます。過度の期待をいだかないわけです。伝わらなくて当然、とわかっていれば、不思議なもので、伝わらなくても、かえってこっちの本気度が冷静に高まってまいります。
テクニック2:質問ブレーキ&アクセル
本気にせっかくなれて、話しだすと我を忘れてしまって、無理にでも3回転ジャンプを続けて決めたいところですが、そこで荒川静香選手のように抑制することが必要になります。抑制のテクニックが質問です。
同時に、質問はアクセルになります。まず、質問の結果相手のニーズがリアルにわかると、何かしてあげたくなる人もいるはずです。それで初めて本気になれる人も出てくるでしょう。
さらに、質問すること自体が本気を伝えることにもなります。また相手の本気をも誘発します。自分で質問に答えたり、感想を言うことで、初めて当事者意識が生まれるからです。
そのようにして、やっと伝わると、相手(他者)は、「どうもこの人は本気で言っているみたいだ」と思い始めます。そうなれば、以心伝心が始まります。端的にいって、反応が出てくるとこちらも嬉しくなります。なにしろ、異文化の壁の摂理を越え始めた実感があるのですから。
第三ステップでは、外国の従業員から意見が出てきたら、それをうまく組み込んで、初めの考えを修正していきます。また、修正した内容を、従業員にフィードバックします。フィードバックとあわせて、まず何をやるか、次に何をやるかといった具体的なアクションプランを提示します。対話が行動につながることを示すのがポイントです。日本の人は、例えば中国人の従業員から「せっかく意見を言ったのに、いつも検討するという答えばかりだからもう意見を言う気もしない」などと言われています。
この第三ステップは、ちょっと時間をかけて考えたほうがよいでしょう。そこでは体育会系の本気ばかりでなく、ロジカルシンキングの正気も役に立ちます。戦略、組織、制度なども動員して、こちらの言いたかったこと、相手から出てきたこと、それ以上のことも含めて、具体的なアクションプランにします。ここは各種研修や日頃鍛えていらっしゃるところでしょうから、お得意のはずです。
むしろ、本気言語のプロトコールで僕が強調したかったのは、そういう技術論の前に、本気言語で相手に語りかけ、ぎこちなくてでよいから、相手の本気の芽を引き出してみよう、そっちが先ですよ、ということです。ロボットを操縦するのであれば、技術だけでよいのでしょうが、人間同士では本気の交流が必要です。
本稿の最後に、「本気」について、現場を越えて考えてみます。そうしながら、ようやく「良いカイシャ」の議論の正面玄関にたどり着きたいと思います。
要は、どうやってそういう本気になる人を増やすかです。ソノ企業に入ると、海外の従業員も含めて、「本気になれる、ワクワクする」ようにできるかです。特に、まず、本気の原資として、日本の従業員(特に海外に行くヒト資本)自身が、本気・ワクワクになることです(日本でウダウダしていたが海外に行って初めてワクワク本気になるという可能性も含みます)。
この質問に対してアメリカ人なら、That is a million dollarquestion.とか言って実は答えに窮しているくせに、相手を称えるようなことを言って、その間に考えるでしょう。僕はまじめな日本人ですから、そんなことを言わずに黙って答えを考え始めます。でも同じ人間ですからやはり考えあぐねて、ちょっと日本人らしく、伏し目がちに、やや曖昧なことを言います。「その答えが良い会社です」と。でもそんな抽象的なことを言えば、すぐに、めちゃくちゃにストレートで結果志向の中国人から、やたらハウツー的な質問を浴びせかけられそうです。直接的な答えで、しかも実行するのにあまり煩雑でないものを要求されるに決まっています。「またコピーしたいのかな」と僕の下種の勘繰りがうごめきだし、「良い会社はそんなもんじゃない」と説教したくなります。
よかった、レビューの読者は幸いにも日本の方がほとんどで、場の空気を察していただけるはずです。そのお力を信じつつ、以下のように味わい深い日本人同士の対話に移らせていただきましょう(地の文と会話文は、日本の庭園のように渾然一体として進む)。
「確かに、本気になる経路はいろいろあるでしょうが、内外である程度
共通して使えそうな経路で、しかも、企業全体の話と個人の話がつな
がるようなリンクポイントは何か?」
「それは、『強味』ではないか?」
(「本気」の次は「強味」か、などと野暮なことはおっしゃりますまい・・・。
ご心配なく、もう少し具体的に言います)
「従業員に即して言えば、こういうことになります。『そこで働く従業員に
とって、自分の強味が、その企業で働くことによってさらに強くなると判
断できる企業』がよい企業と判定されます。」
「じゃあ、どういう企業なら、従業員は強味を生かし、磨けるのでしょう
か?」
「良い会社とは、その会社がもつ強味特性を自然に生かし、全うする会
社です。」
創業時を除けば、企業Xという集団が先にあって、そこに新しい個人が入ってきます。そこでまず、集団としての特性を基準にして考えることが必要です。個人はソレを見て、そこに入るかどうか判断するからです。また、集団(企業)の側も自社の特性を考えて、それに合った特性をもつ個人を採用します。
さらに、企業が強くなるのは、顧客あってのことです。そこで、「良い会
社とは、その会社の顧客の強味特性を自然に生かし、全うする会社で
す。」
顧客の特性というのは、これをどういうレベルでどのようにとらえるかという問題はありますが、僕が考えるには、企業の集団としての特性が、すでに、既存顧客の特性を反映したものになっているはずである、ととらえています。これこれの顧客(セグメント)の特性にマッチする製品・サービスをつくるために、企業Xは、こういう諸特性をもつ、というつながりです。
簡単な話、強味という魅力に惹かれて、ある企業に入るわけです。強味というからといって、何も、No.1のことを意味するとは限りません。必ず、その人にとって魅力のある強味ということになります。そして、それはその人の強味との相性についての読みが大きく左右します。
その際、個人の強味とは、その人独自の持ち味的なもので、人によって繊細さや緻密さのほうに傾斜する場合も腕力に傾斜する場合もありますし、強い個性で張り出す場合もあれば、仲良く和していくような場合もあります。知・情・意のどこが強いかもいろいろありです。自己の特性としての強味を伸ばすことですから、誰でも本気になれるし、ある種のワクワク感も伴うことが期待できます。それは自分の中から発想していくので本質的に能動的です。
問題は、企業の集団としての強味特性をどう押さえるかです。あるいは企業の強味・特性をどうデザインするか、が極めて重要なテーマとなります。よい会社論の初めの一歩は、そこになります。ここに知恵を結集すべきであります。それは多様体です。でもシンプルじゃないとだめです。この部分についての議論は、目下最大の関心事ですが、紙面も尽きてまいりましたので割愛し、「良いカイシャ」の定義(強味特性の三身一体説)をまとめて掲げて、ドン・キホーテ話のしめくくりとさせていただきます。
そして、本気・ワクワクの人が出てきて、できたらたくさん出てきて、海外にいって本気・ワクワク菌をばらまき、世界中の企業Xは、強味特性磨きに興じる本気・ワクワク者たちで、いつか満たされることとなります。異文化の壁によじのぼりそこねて倒れている人たちにも拍手が送られつつ。
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