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【巻頭言】 |
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良いヤクショ
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杉浦 恵志 |
「良いヤクショ」とは、端的に言ってしまえば、国民や住民、関係者等を、できる限り公平かつ安上がりに満足させる役所である。もちろん役所のミッションや置かれた状況に応じて、満足の種類や公平性の基準等は千差万別なので、本稿では役所で働く職員に注目して、私なりに以下の4点を「良いヤクショ」の条件としたい。
1. 職責や担当業務の目的を意識している。
2. ルールとツールを区別して使っている。
3. 問題の本質的な解決策を目指している。
4. 成果を出し続ける体制を組織している。
1. 職責や担当業務の目的を意識している
コンピテンシー評価を導入した役所の評価者研修において、参加者を被験者として「模範面談」を実施することがある。コンピテンシー評価とは、実際業務における被評価者の判断・行動事実に関する情報を集め、それを裏づけとして状況対応や成果普及に関する能力を判定する評価方法である。この演習は、事前に打ち合わせを行い相手を選べば何の問題もないのだが、諸事情によりぶっつけ本番でやらざるをえない場合には、事が思うように運ぶとは限らない。
典型的な現象は、被験者の業務内容と達成成果と行動事実がほぼ同じ内容になり、様々な角度から掘り下げて聞いても、評価判定の裏づけになる具体的な行動事実まで一向に到達しないということである。例えば、多少の単純化と誇張をお許しいただくと、
みたいな感じになる。
この問題が生じる主な原因は、被験者が職責や担当業務の目的を意識せず、漫然と仕事をこなしているからである。「関係者との協力」は、それ自体が職責や業務目的ではなく、実は職責や目的を果たす手段にすぎない。職責や業務目的がはっきりしていれば、関係者の事情や役所の予算・人材に応じて、担当者がベストな協力方法や体制を考案し、実現に向けた工夫を加えることが可能である。反対に、職責や担当業務の目的が不明確だと、会合場所の提供や日程調整の便宜をもって、協力した気になってしまう。あるいは、官製談合まがいの方向に向かってしまうかもしれない。
2. ルールとツールを区別して使っている
役所の規程類には、遵守しないと法律に触れたり外部に著しい不正や不利益が生じたりする「ルール」と、遵守することで内部的に期待通りの品質や効率を達成しやすくする「ツール」の二つがある。いくら職員の創意工夫が重要とは言え、「ルール」を勝手に変更することはできない。例えば、耐震強度偽装問題のように、行政がきちんとルール通りに検査結果を確認しておれば、問題を未然に防止することができたかもしれない。また、ルールは組織の外部にも公開しておかなければ意味がない。
もちろん、ルールを細かくすればするほど、それを参照・解釈するのに手間がかかり過ぎてしまい、現場がルール設定の趣旨に従って判断すべき場合も多い。ルールを守らず頻繁にミスをする職員に対し目標管理を行い、達成できなければマイナスの処遇を持って改善を図ろうとする組織もある。しかし、適用する職員の判断が必要なルールについては、ミスをしたらどのような問題を生じるのか、形式的に遵守しさえすれば不都合はないのかを理解する、健全なイマジネーションがないと、問題はなくならないだろう。
他方、効率や品質に限界はなく、ツールは状況に応じて継続的に改善しなければならない。ルールのようにやみくもに遵守すべきものではなく、そのあたりを取り違えると硬直的な組織になってしまう。ある役所の組織変革に携わったとき、総務課公文書係が、ルールだけでなくツールに該当する規程類まで一元的に管理し、現場の工夫による弾力的な改定を認めていないのには驚いた。業務環境や技術が激しく変化する今日では、一元的管理によるスピードの遅れは目を覆いたくなるばかりであり、形式と実態の乖離も激しく、ご都合主義の解釈やノウハウの伝承に支障をきたしていた。公文書係にすれば、情報公開の請求に対し瞬時に最新版を出せなければ自分たちが責任を問われるという理屈になるが、公開すべきは品質や効率の達成目標であって、内部的な手段となるツールではない。
3. 問題の本質的な解決策を目指している
職責や担当業務の目的を意識していても、職員が本質的な解決策を考案するとは限らない。私事になってしまうが、息子が通っている小学校は、昨今子供を巻き込んだ不幸な事件を踏まえ、県教育委員会の指導によりフェンスを設け、週末や休暇中は厳重に施錠している。子供たちが勝手に使うことは許されない。その結果、ボールゲームや自転車など、広い場所を必要とする遊びの好きな子供たちは、幼い園児の多い狭い公園や道路に押し出され、かえって危険度は増している。さらに、地域にはお年寄りも多いが、災害時の緊急避難場所にフェンスを乗り越えないと入れないのでは意味がない。子供と地域を守るはずが、実態としては学校と教育委員会と先生だけが守られている。
もう一つ、例を挙げよう。独立行政法人の組織業務変革に携わって感じたことである。総務省のホームページによれば、独法化は「事前に『箸の上げ下げ』まで強く統制してしまうこれまでの行政組織等の運営を改め、自発的な効率化や質の向上を図るためのインセンティブアップを図ることを狙いとして」いるそうである。しかし、中に入って職員から具体的な話を聞くと、手続きが煩雑化し残業や管理部門の人員が増えて、十中八九組織効率は下がっていると答える。当該組織に期待されるサービスの評価が困難なため、細かな出費や判断に迷うような費目分類、勤務・会議時間の詳細を記録に残しておくのだそうだ。その目的は何かあったときの言い訳であり、マネジメントサイクルで改善につなげるためではない。
解決策がなかなか問題の本質を突けない理由は、問題・解決間の因果関係を十分に掘り下げて検討することなく、組織としてやれそうなことを安易に解決策として提示するからではないか。弊社のプロジェクトは、役所の人事課等(職員課、秘書課)を窓口とすることが多い。必ずしも人事制度が根っこの問題とは限らないのだが、人事課等の予算を使うと、どうしても課題認識が人事課等のミッションに制約されてしまう。例えば、長時間労働の解決策として、残業時間の目標管理を行い、浮いた割増賃金を賞与原資として還元しても、業務の正確さや市民サービスが犠牲になったら意味がない。この場合、業務課題に応じて組織を再編するか、組織はそのままにして横断的なコミュニケーションを活発化させる必要がある。
4. 成果を出し続ける体制を組織している
行政において、単発の問題解決は常に中途半端である。一つの成功の効果を維持持続させ、それを近隣地域に波及させたり、あるいは他分野の取り組みと連携させたりして、より高度な問題解決につなげていくことが、行政本来の役割と言える。しかし、行政サービスの中には、役所が決定した枠組みを活用して、民間企業や国民・住民がサービスの担い手となることが多く、財政難が厳しくなるにつれて、その傾向は強まってきている。最終的に国民や住民、関係者等の満足感を高めるには、職員のローテーションによる知恵の散逸を防止し、役所の職員と上記国民等とが絶えず協力関係を確認する体制を築くことが欠かせない。
現在、中心市街地の活性化事業に関わっている。そこで痛切に感じるのは、世評で言うところの成功例と、市街地活性化効果の面的な広がり、質的な高まり効果とのギャップである。成功していると言われる商業施設は確かに賑わっているのだが、市街地全体が活性化しているわけではなく、対照的に落ち込みが目立っている。イベントは確かに賑わいを創出しているのだが、一向に地元経済の活性化に結びつかない。それでも、いわゆる成功事例を全国から集めて、同じような取り組みをやってみようとするところが多い。乏しいアイデアを補うにはよいが、たとえ成功しても個性のない街づくりになるだけでなく、物真似が意外に難しくうまくいかない。
失敗の最も重要な原因は、街づくりにおけるヒトと体制の側面が忘れられているからである。第一に、成功事例の事業計画に文書化されているのは、成功のポイントのごく一部にすぎない。それ以外は、企画や実施に携わった方々の目に見えぬ工夫や努力で補われていたはずだ。それぞれの中心市街地が置かれた地理的・文化的・経済的環境は異なるから、自分たちの地域の特徴に応じた修正も必要になってくる。言い換えれば、成功事例がうまくいったのは、事業計画が優れていたというよりも、企画や実施に携わった優秀なヒトがいたからである。第二に、市街地活性化に関わる商業計画と、都市計画や交通計画、福祉計画等の整合性が取れていない。役所が分野別の縦割り組織になっており、民間事業主や市民とも情報共有や共同作業ができていないからである。第三に、組織が細分化されているため担当者に余力がなく、人材育成や関係者の意識変革にかける時間が非常に限られている。そのため、同じ人が毎年地域のどこかで単発事業を仕掛けており、いつまでも相乗効果を期待できない。
本稿の後半では、「良いヤクショ」における人材マネジメントのポイントについて議論したい。読者の中には、人材マネジメントと聞いて、またぞろ成果主義的な評価制度の話かと想像する方もいるかもしれない。けれども、評価制度というものは、職員の人材育成や発掘登用に活用されて初めて意味がある。したがって、評価基準の詳細を検討する前提条件として、「良いヤクショ」を支える人材を発掘し育成する方法について論じなければならない。とりわけ、成果主義導入において忘れられがちな、以下の3点を取り上げることにする。
A. アンラーニング研修を実施する。
B. チーム内コミュニケーションを強化する。
C. チームで意思決定のできる人材を発掘する。
A. アンラーニング研修を実施する
私の見たところ、公務員はとにかくお勉強が好きである。特に、専門知識と先行事例と組織原理の勉強が得意である。問題は、そのような学習内容が、役所という閉じた世界の中でしか通用しないということがわからないことである。パブリックな機能の担い手として、役所が独占的なポジションを占めていた時代は過去のものとなった。役所と民間の境界が曖昧になるにつれ、「役所の常識は社会の非常識」という状態では、もはや済まされない。実は研修には、「学ぶ」という側面と「壊す」という側面がある。これまでは前者ばかりが重視されてきたが、これからは後者を意識した研修を実施すべきではないか。
本稿を執筆している時点(2006年2月末)で、「県庁の星」という映画が全国で上映されている。私はまだ映画を見ていないので、原作の小説に基づいてストーリーを紹介すると、主人公や友人の県庁若手キャリア職員は、人事交流の一環として、県内のスーパーやスポーツジムに派遣される。二人は県庁で学んだ専門知識が、研修先で担当する接客や品出しに活かせないことに苛立ち、友人は途中で役所に帰ってしまう。それでも主人公は、自ら商品開発や在庫管理の知識を学んで解決策を他の店員に押し付けるが、客層の特徴や店員の意識がわからないためにうまくいかない。しかし最後には、紙に落とされた知識が絶対的ではないことを理解し、素直に店員たちの協力を求め、顧客や職場の問題点をありのままにとらえて状況を打開するという、「一皮向ける」物語である。
振り返ってみると、スーパーやスポーツジムは、県庁職員の既存知識をぶっ壊すのに最適の場所であった。自分たちの常識は通用しない。誰も教えてくれない。「教えてくれないから学べない」のではなく、「教えてくれなくても何とかしなければならないから、自分で学ぶしか出口はない」のである。しかも、独りで学ぶのはとても大変だから、他の店員とチームを組み協力する姿勢まで身についた。このように、既存の知識が役に立たないことを認識し、自ら課題を設定して解決に必要な情報や知識を学び直す研修は、なにも人事交流でなくても可能である。例えば、組織横断的チームやオフサイト合宿で重点課題を解決する、日常生活の課題解決に向けて近隣の住民や職場の仲間と取り組むなど、工夫次第で有意義な研修はいくらでも考えられる。
B. チーム内のコミュニケーションを強化する
成果主義的人事制度に対する批判は玉石混交であり、到底賛同できないような意見も少なくないが、「個人評価に偏り過ぎて、チームワークを損なっている」という意見は、全くその通りだと思う。特に役所は、元来が縦割り組織でセクショナリズムが強く、組織間調整が煩雑であるのに加え、最近では財政難による職員の採用抑制と各事務事業の専門分化が進み、チーム内のコミュニケーションが弱い。しかも、先述のように役所と民間の境界は曖昧になっているから、官民の壁を越えたチーム編成の能力も欠かせない。したがって、「チーム力」を維持・強化することは、役所の人材マネジメントにとって極めて重要な課題である。ただし、ここでいう「チーム力」とは、みんなで頑張ろうということではない。あくまでメンバーが目標意識を共有し、個々人の役割を果たすべく、持てる能力を最大限発揮するという意味である。
チームの一体感を醸成するのに、組織横断的あるいはオフサイトの問題解決型研修が有効であることは、すでに述べた。しかし普段から意識的にチーム力を強化するには、やはり課室やグループを単位とするコミュニケーションの改善が正攻法である。コミュニケーションの問題としてよく取り上げられるのは、メールなどメディアの使い分けや挨拶の励行、世代ギャップの克服や飲みニケーションである。しかし、仕事の話でコミュニケーションがこじれてしまえば、それ以外の共通点など吹っ飛んでしまう。
その点目標管理は、職場内のコミュニケーションを促す最高のツールである。目標設定について、組織としての一体感を持たせるために目標体系図をつくり、上位目標をブレイクダウンして各課室・係・職員ごとに展開する手法があるが、間違っていないにしても、部分最適の合計は必ずしも全体最適とはならない。とりわけ目標とする価値が多面的で、それに応じて組織構造にも様々な切り口のある役所では、縦の整合性とともに横の整合性も確認しなければならない。課室の構成員一人ひとりの目標を課員全員で決める目標設定会議は、課室内のコミュニケーションを強化し実施時点でお互いの協力する優れた方式である。また、本誌でもしばしば取り上げているが、期中の「マネジメント・コミュニケーション」を通じて、上司と部下が担当業務の進捗状況をこまめに確認し、取り組みの改善や能力の開発について指示・助言を与えるきっかけにもなる。目標管理は、評価手法というよりはマネジメント手法である。年度末に客観的に評価して部下に最低評価をつけるより、年度途中で部下を支援して目標を達成させるほうが、国民・住民として、納税者として、どんなにかありがたいことだろう。
C. チームで意思決定のできる人材を発掘する
評価は、何のために行うのであろうか。職員一人ひとりに、本人の強みと弱みに関する気づきを与え、能力の自主的な解決を促すためであろうか。厳格な手法と客観的な基準に基づいて、等級や基本給、賞与に格差をつける根拠を提供し、本人を動機づけ納得させるためであろうか。これらの答えは常識的であり、あながち間違いではないが、ズバリ正解とはいえない。職員全員の動機づけや能力開発は直ちに実現するわけではないので、組織パフォーマンスの向上に対してあまり即効性は期待できない。最も重要なのは、診断によって重要なポジションにふさわしい能力を持っている人を発掘し、そのポジションに就けることによって、部門全体の問題意識や方向性に根こそぎインパクトを与えることである。
本稿全体の主張を踏まえて言うならば、「良いヤクショ」のカギを握る能力は、庁内外のチームにおいて限られた時間内に意思決定を行い、会議や打ち合わせを通じてチーム全体をモニタリングする能力である。端的に「会議能力」と呼んでもよい。実際にある自治体で若手職員を短期昇任するために、「会議能力」を評価するグループディスカッションを実施した。評価の対象とする能力は、以下のようなものである。
会議には、意思決定や情報共有、アイデア出しなど様々な目的や形式があるが、今回のディスカッションでは制限時間内に提言をまとめるよう最初に念を押した。
実際にやってみると、評価なので参加者は我れ先にとアピールするのだが、延々と単発的な事例やアイデアが列挙され、一向に議論が深まる様子がない。かといって、考え方の違いを徹底的に討論し、議論を整理して異なる意見の長短を学び、自らの考え方を客観視するということもなかった。結局制限時間をオーバーして、私からの促しによって、ようやくと言うか、無理やり意見をまとめたのであった。課室内のチーム力を強化し、組織横断的なプロジェクトを立ち上げ、住民や関係者と密接な協働関係を構築できる人材がなかなか見出せないことに、評価関係者一同落胆と苛立ちを覚えた。
本稿は、「良いヤクショ」を、組織で働く職員と人材マネジメントの観点から論じたものである。したがって、読者の関心が役所の施策やマネジメントツールにフォーカスされている場合、読後に違和感が残るかもしれない。しかし、施策を企画・実現するのも、マネジメントツールを運用するのも、すべてはヒトなのである。うまく機能している役所、国民や住民、関係者などに高い付加価値サービスを提供している役所は、そこで勤務する職員を見ても充実感に満ち溢れている。また、市街地活性化のところでも述べたが、施策やマネジメントツールで成功した役所が、そのまま成果を出し続けるとは限らない。単発の成果を人材マネジメントで補強することにより、「成果を出し続ける役所」に変貌を遂げていただきたい。
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