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【巻頭言】 |
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【巻末言】
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ワトソン ワイアット株式会社 |
日本で「良い会社」議論が盛んになったのは、マッキンゼーのコンサルタントが1980年代に執筆し、世界的な評判になったIn Search of Excellence(邦題『エクセレント・カンパニー―超優良企業の条件』)が発端ではなかったかと思う。
そして、数年後には、その本の中で取り上げた大半の企業がすでに「エクセレント」ではなくなっていたとの指摘がなされ、再び大きな話題となった。
このため、筆者も「良い会社」の客観的かつ絶対的な条件を見つけ出すことは不可能であるか、あるいは意味のないことではないかと、思考停止の誘惑に負けそうになる。しかし、経営者は常に自社をより良い会社にしたいと願い、悩み続けていることも事実である。また、経営コンサルタントとしては、思考停止が許されない永遠のテーマでもある。そこで、今までの経験から何が言えそうかを考えてみたい。
世の中で「良い会社」と評判が立つと、「良くない会社」へと転落していくリスクが高くなる。「素晴らしい会社」との評価が高ければ高いほど、その会社の社員や経営者と直接会うと、イメージとの違いに驚くことが多い。
その時に見られるのは「傲慢さ」である。会社の評判が非常に良いと、社員は自分の実力が高いと勘違いしやすい。その結果、「ジコチュウ社員」が大量発生し、顧客や取引先への失礼な振る舞いが横行する。自社本位、自分本位の考え方がまかり通るに従い、顧客やマーケットへの感度が落ち、謙虚さが失われていく。社員の成長スピードに急ブレーキがかかるのである。
客先や取引先に「良い会社だそうですね」と言われたら、「これは危ない」と考えたほうが良い。「やっと、世の中もわかってきたなあ」などと、一瞬たりとも決して思ってはならない。
欧米の企業には「良い会社」の条件に一定の原理原則があるが、日本にはユニークな企業が多く、多様で相互に共通性のない「良い会社」が多数存在しうる。
この違いの理由を人材マネジメントの観点から説明してみよう。結論を言えば、人材の多様性と流動性の違いが主因である。過去長期にわたり、多くの日本企業は終身雇用を人材マネジメントの基本に置き、新卒、男性、日本人、正社員を中心に仕事と経営の仕組みを磨いてきた。
その結果、それぞれの企業が一種の同品種配合を延々と繰り返し、ユニークさを際立たせ、それを企業価値観として伝承し、さらに強化してきた。この要素の多くは言語化が極めて困難であり、長期間在籍することによってのみ理解できるものである。
一方、欧米の企業では、人材の流動性が高く、プロフェッショナル志向も強い。結果的に、一社での経験や知恵が他社へと伝播していく。例えば、マーケティング・マネジャーといえば、多くの企業で、その期待役割、必要な基本スキル、メンタルセットなど、一定の枠の中に入る。人材も流動しやすいし、プロ人材のマーケットも成立しやすい。
日本企業では、A社とB社では、マーケティングの概念自体が全く異なることもよく起こる。流動性の高い「プロ人材」が育ちにくい。
欧米企業では、ベンチマークやベストプラクティスの研究が盛んである。他社事例をそのまま導入できる可能性が比較的高く、共通の「良い会社」に収斂していく傾向も強い。一方の日本企業は、他社をいくら研究しても、結論は「前提が違い過ぎて参考にならない」ことが多い。
そのような、欧米的、特にアングロサクソン型企業社会と日本企業との違いは本質的であることを念頭に置きつつ、それでも「良いカイシャ」の共通要素は何かと考えてみたい。
これまでに多く関わったクライアント企業を、頭の中でリエンジニアリングしてみよう。多様な業種、国、発展ステージを超えて、「良いカイシャ」に向けて変革するときの共通項は何か。
あえて表現すれば、競争力の源泉のコア部分(志や社会的、地球的存在意義に基づく独創性)を変えない「頑固さ」と、それ以外のあらゆる要素を素早く柔軟に変化させ続ける「謙虚さ」の同時進行ではないだろうか。
しかも「良いカイシャ」では両者のバランスを高度に取り、各々を徹底してやりきっている。もちろんこのプロセスの主体である「ヒト」への信頼と尊敬の度合いも極めて高い。
日本企業はその特異点的な特性ゆえに、世界で存在感のある企業に成長してきた例は多い。言語化できない要素が競争力源泉であるため、ベストプラクティスとしてコピーすることも不可能である。
差異化戦略としては最高の構造的優位さである。しかし、一方でグローバル化が極めて困難なモデルでもある。終身雇用のもとの新卒、日本人、男性正社員にしか共有できない。
今まさに、独自の「良いカイシャ」グローバルモデルの開発という難行に立ち向かう日本企業が現れている。日本と世界の歴史や文化、そして今と今後の「ヒト」への深い洞察をもとに、独自の道を見出さねばならない。このような本質的かつ難度の高い課題にチャレンジできる我々は、幸せな巡り合わせに生きていると考えられないだろうか。
少なくとも本質的な変化を楽しむ「前向きな姿勢」を保ちたいものである。
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