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【巻頭言】 |
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組織のリズム・個の交響
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中島 正樹 |
2006年のワールドカップが終わった。
4年ごとのグローバルな戦いを見るたびに痛感させられることがある。それは、最高レベルのサッカーが鏡のように映し出す「個」と「組織」のマネジメントのかたち、そして日本人の特性と課題である。
90分間同じように見ていても、記憶に残るゲーム(試合)とそうでないゲームがある。その差はいったい何なのだろうか。
記憶に残るゲームには、戦うチームが生み出した特有の「リズム」がある。そのリズムに乗って舞うように躍動する選手とボールの流れ、そのクライマックスとしてゴールが生まれる。
このリズムは、素人が見てもすぐに「楽しい」とか「すごい」とか感じられるほど、はっきりとしたものである。サッカーには全くの素人である私の妻でも、アルゼンチンの選手のパス回しには「楽しい」とすっかり魅せられてしまった。
ワールドカップでは、11人の才能豊かな選手を擁するチーム同士が創意の組み合わせを競う。そのベースとなるリズムが観客にもはっきりと感じられるようになったとき、ゴールは近づき、ゲーム自体が人々の記憶に定着し始めるのである。
観客の記憶にまで残る自由で鮮やかなリズム。しかし、このリズムは決して自然発生的に生まれるものではない。
選手が共有できるリズムを作り上げることは、ワールドカップに参加するすべてのチームにとっての課題であった。例えば、強豪国の代表チームでは、主力メンバーの半分以上が外国のチームでプレーしていることも珍しくない。日本代表ですら「海外組」と「国内組」の調和が大きな問題だった。短い準備期間で合宿を行い、個性の強い選手たちが代表チームとして息の合ったプレーをすることは、容易なことではないのである。
ゴールは、絶妙のプレーが組み合わされて初めて生まれる。意思疎通すら難しいところから、いったいどうやってゴールを生み出すチームのリズムをつくるのか。
それには、以下の二つのアプローチがあるように見える。
〈その1〉 戦術と規律によるリズム作り
一つは、戦術と規律によってチームのリズムを作っていくやり方である(ここで「戦術」とは、攻撃や守備の「パターン」だと考えればよい。ちなみに、「戦術」を機能しやすくするフォーメーション〔選手数の配置〕が「システム」と呼ばれる〔例えば3‐5‐2など〕)。
@意思疎通のコードとなる「戦術」
なぜ、ゲームの局面が流動的に展開するサッカーで一定のパターン(戦術)を共有することが必要なのだろうか。
サッカーは、野球のように攻守が分離され、プレーに一つ一つ明確な切れ目があるスポーツとは異なる。監督のCommand&Controlが100%きくわけではなく、一瞬一瞬の選手の判断と行動がすべてだ。だからこそ、個々の選手の役割分担を明確に定めた一定のパターンを共有し、それを規律で徹底することが重要になる。戦術は流動するゲームの中で意思疎通のコードとして働き、チームのリズムを生み出すのだ。
ゲームの局面が多様なため、共有すべきパターンも基本から応用まで多岐にわたる。例えば、日本代表チームでは「フォワードとディフェンスの間が間延びしないようコンパクトな陣形を維持する」という基本的な「型」を保つことから、「ボランチが中央でボールを奪取したとき、カウンター攻撃を仕掛けるために誰がどのように動くのか」「右サイドで攻撃に参加したディフェンダーの裏にボールを出されたとき誰がカバーに入り、その後どのように守るか」など、特定の局面を想定したかなり細かな決め事までをチーム全員が共有するよう繰り返し練習していた。
A効率性と自信を生む「規律」
別の角度から見れば、パターン化は、勝利に必要な攻守の効率性と安定性を同時に追求する有効な手段でもある。
11人という限られたリソースでゴールが狙える決定的な局面を効率的に作り出し、また、相手がゴールを生む決定的な局面を効率的に防ぐには、事前のシミュレーションに基づくパターン化と役割分担を明確に行い、それを徹底することが重要だ。例えば、ブラジル代表チームがドイツ入りして最初にやったのは、セットプレーに対する守備練習だった。そこでは、個々の選手のポジショニングまでが綿密に確認された。
一方、パターン化が徹底されることによって、チーム全体に心理的な安定が生まれることも見逃せない。ゲームの中で同じパターンが繰り返されると一定のリズムが生まれやすくなる。うまくパターンがはまれば、「やれる」という自信が選手を落ち着かせ、動きをさらに効果的にする。
2002年に韓国代表チームを、そして今回オーストラリア代表チームを率いたヒディンク監督は、ゴールキーパーを除く10人の持ち場を決め、攻守に連動させる戦術を徹底した。「ヒディンクはチームに規律を持ち込んだ」。4年前に韓国の選手が口にした同じ言葉を、今回はブラジルとも互角に戦い決勝トーナメントに進んだオースト
ラリアの選手たちが自信とともに語っている。
B戦術と規律のジレンマ
しかし、自分のパターンを簡単にやらせてはくれないのがワールドカップである。
開始前の親善試合や練習内容に関する情報戦で、戦術はほぼ丸裸にされている。シェフチェンコのような卓越した選手には二人・三人とマークがつき、彼にパスを供給する元にまでプレスがかかる。仮に非公開で練習を積んでも、試合の中で展開された新たなパターンにはすぐに対策が打たれてしまう。
選手のレベルに大きな差がない場合は、新たなパターンの有効期限も特に短い。結果として戦術対戦術が膠着状態に陥り、どちらのチームも自分のリズムを作り出すことができず、ドローに終わってしまうようなゲームもある(例えば日本対クロアチア戦はその典型的なゲームだった)。
また、戦術が規律で徹底されることにより、柔軟性が失われるリスクも大きい。「堅守」という型を持つチームの守備が崩されて失点した場合、修正が追いつかず、相手のリズムのままにズルズルと失点を重ねてしまうのはこの例である(6‐0とアルゼンチンに大敗したセルビア・モンテネグロはまさにこれだった)。
戦術と規律は、自分のリズムを作って勝利するための「必要条件」だ。しかし、それだけでは「十分条件」にはならない。これは、決め事を好み、予測できないことを嫌う傾向が強い日本人にとっては、サッカーに限らぬ大きな課題となっているように見える。
〈その2〉 個の交響によるリズム作り
戦術と規律のジレンマを脱し、勝利の十分条件であるチームのリズムを生み出すには、明らかに一段レベルの異なるアプローチが求められる。それはどのようなものなのだろうか。
@自分の戦術(パターン)を意図的に崩す
ゴールシーンにばかり気を取られているとなかなかわからないが、ブレイクスルーのきっかけを作るのは、個人の「予想外」のプレーである。
例えば、敵のディフェンスが複数で目の前を固めているから、横でフリーになっている味方にパスをつないで好機が訪れるのを待つのが「戦術(パターン)」であるにもかかわらず、強引に前へ仕掛けたフィーゴのドリブル(それによって生まれたスペースへパスが攻めのリズムを生み、敵の守備ラインを崩壊させた)。
また、ゴール前を固めた敵が「普通ならここからはシュートは打たない」と思ったエリアから、パスをつながず直接放った予想外のロングシュート。それが、ペナルティエリアを固めた敵のディフェンスを引き出すことになり、ディフェンスの裏へ走り込む味方の攻撃のリズムが生まれた例もあった。
自分の戦術(パターン)を自ら崩すリスクは大きい。シュートはともかく、パスやドリブルを仕掛けて敵にボールを取られ、カウンター攻撃を食らえば、最短3秒でゴールを奪われるのがモダンサッカーの現実である。
しかし、そのリスクを取らなければブレイクスルーは訪れない。リスクを取ったその瞬間、自分の戦術(パターン)は確かに意図して崩されている。延長に入ってからの選手交代で「カテナチオ(鍵をかける守備)」の伝統を崩してFWのデルピエロを投入し、土壇場の連続ゴールを奪ってドイツに勝利したイタリアのリッピ監督は、まさに自ら「戦術」を崩して「予想外」をお膳立てしたのである。
A「予想外」への連動と交響
この「予想外」の動きに他の選手が鋭く反応してくることによって、個人の線の動きがチームとしての面の動きになる。そのとき、リズムが生まれる。短時間であっても、そのリズムは鮮烈に躍動し、選手の体に刻まれる。そして、次の局面では別の選手が別のアプローチで同じリズムを生み出そうと試みる。
このような個々の選手の間の連動性が、チームのリズムを作り出していく。まるで優れたジャズの即興演奏や室内楽の演奏のように、個々の選手が前へ前へと躍動し、ゴールに向かう。(ノっている時の)「ブラジルのサッカーはサンバのリズムだ」と言われるが、ブラジルのみならず、記憶に残るゲームには独特のリズムで交響する選手たちがいた。
「予想外」なプレーをきっかけに、選手間の連動でチームのリズムを生み出すこと。これが勝利のための「十分条件」だとすると、意図的に「予想外」を作り出し、個々の選手が自律的に連携し合うには、どのようなマネジメントが必要なのだろうか。
それには、「個の統制と統合」のための組織マネジメントが「個の創発と連動」を目指す組織マネジメントへとバージョンアップしなければならない。(図を参照)
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図/組織マネジメントのバージョンアップ |
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再びワールドカップを検証の題材に使いながら、三つのポイントを示してみよう。
@マネジメントのコアプロセス:
「システム(戦術・パターン)の設計・選択」から「アサインメント」へ
前述した通り、戦術と規律の徹底など戦い方の「システム」の設計・選択を正しく行うことは勝利の「必要条件」である。しかし、それだけでは足りない。
「十分条件」である「予想外」と「交響」を作り出すには、「誰にやらせるか」と「誰とやらせるか」のアサインメント(=人選と組み合わせ)をチームのクオリティを高める最重要のマネジメントのプロセスに位置づける必要がある。
ワールドカップの歴史は、個とシステム(組織)が互いを凌駕し合い進化してきた歴史と言われる。1970年大会からの歴史を見ていくと、「サッカーの王様・ペレ」の「個」の勝利、74年大会は南米チームを破ったオランダの「トータルフットボール(全員がすべてのポジションでプレーできるというコンセプト)」とドイツの「リベロシステム」が決勝を争った「個を封じた組織」の勝利、86年大会はイングランド戦で空前の「5人抜きゴール」を演じたマラドーナの「組織を超える個」の勝利という変遷があった。
しかし、「個」と「組織」の対立と単純化することなく、少し深く実態を押さえるならば、実はどの時代でもチームのクオリティを高めるため「個」を最大限に活かす「組織(システム)」を用意してきたのだと見ることができる。例えば、「組織の勝利」と言われた74年の「トータルフットボール」や「リベロシステム」も、クライフやベッケンバウアーという傑出した個を最大限活用し、チーム全体のクオリティを上げるためのシステムだった。98年大会のフランスが天才ジダンを活かすチームを作って優勝し、今回また代表引退後のジダンを呼び戻すのに合わせてジダンの盟友であったチュラム、ビエラ、マケレレを呼び戻したのもこのためだと言える。
システムの中に個をハメてしまっては、システムを超えるリズムは生み出せない。「勝ち(=価値)」を生み出す主体は「個」であり、カギを握るのはその「組み合わせ」なのだ。
Aマネジメントのスタイル:
「指示と規律」から「自律と仲間への信頼」へ
次のポイントは、「指示と規律」を超えた「自律と仲間への信頼」によるマネジメントである。
前述の通り、「予想外」を仕掛けるリスクは大きい。それにもかかわらずリスクを取るのは、自分への信頼と自分の判断に呼応してくれる仲間への信頼があってこそである。
例えば、サイドを駆け上がったままペナルティエリアに留まり、ゴールを決めたディフェンスの選手は「ここは自分が攻撃に残るべきだ」という自律的な判断と「自分のポジションは仲間がカバーすると思っていた」という仲間への信頼を語った。
また、多くの攻撃のリズムは、味方がボールを取ろうとするその瞬間に「次は必ずボールが来る」と予測し、仲間を信頼して走り始めた複数の選手の連動によって始まっている。
82年のワールドカップで「史上最強」とうたわれながら二次リーグでの敗退を経験したジーコは「力のある選手をそろえただけでは大会は勝ち抜けない」と語っている。個々の技術では圧倒的に優位にありながら、選手をがっちりと結びつける信頼感が足りなかったという思いが念頭にあるためだ。
「仲間への信頼」という安定的な基盤が前提となって、初めてリスクを取ろうという自律性が発揮される。「予想外」を引き出す「信頼」という源泉をしっかりつくらなければならない。
B「勝利」の定義(共通価値観):
「組織目標の達成」から「個の誇り・仲間としての誇り」へ
最後のポイントは「勝利」の定義の転換である。「勝利」とは個人自身の誇りであり、仲間としての誇りであることがチーム全員で徹底的に共有されなければならない。「勝利」とは、自分との絆が希薄な組織の目標を達成することではないのだ。
ブラジル代表チームの選手のコメントからは、しばしば勝利が自分にとっての「楽しみ」なのだというメッセージが出され、それを真に受ける報道をたまに目にすることがある。しかし、ただ「楽しいもの」なのだと表面的に理解してはならない。「楽しみ」は「勝利」の結果である。彼らにとっての「勝利」とは、自らの「誇り」であり、奪われる可能性のある「アイデンティティ」なのだ。だからこそ、彼らは決して手を抜くことはしない。手を抜いたと思われる仲間は容赦なく代表チームから外される。
高いレベルで「勝利」を目指すチームは、その厳しさがなければ崩壊するのだ。もし、「もっと気合を入れろ」「戦う意志を持て」など、本来言われるはずがないことを言われるほど力が出ていないのであれば、それはくたびれ果てているか、勝利が「個の誇り」「仲間としての誇り」に結びついていないことの証拠であろう。
今回の日本代表のゲームは、自国チームという特別な思い入れを除けば記憶に残るものではなかった。ブラジル戦の一部を除けば、日本代表チームのリズムと個の交響が聞こえたシーンがあまりにも少なく、切れ切れだったためである。
組織マネジメントの観点からは、「個の統制と統合」を果たしたトルシエ監督の後、ジーコ監督が「個の創発と連動」を目指した方向性は間違っていない。
ワールドカップの初戦敗退後は除き、「システムの設計・選択」にこだわらず(ジーコは元来4 バックにこだわりがあった)、個の特性を重視した選手の選択と配置は、卓越したタレントを擁しないなかでベストに近かったと評価できる(個人的には「予想外」な動きができる松井が選ばれなかったのは残念だったが)。
しかし、ジーコが試みた「自律と仲間への信頼」のバージョンアップは、リスクを取りにいく積極性や連動性が不十分だったゲーム内容を見る限り未完成に終わった。また、「勝利」とは「個の誇り・仲間としての誇り」であるという価値観が浸透するには、日本にはまだ相当の時間が必要なのかもしれない(代表チームでは一番若い巻が、初の先発で起用されたブラジル戦の前半、外したシュートを鬼のように悔しがって咆哮していたのには希望が持てる)。
今回のワールドカップを見る限り、「個の統制と統合」だけで「個の創発と連動」を感じさせないチームは、決勝トーナメントに進めなかった。決勝トーナメントを勝ち抜くには、さらに「卓越した個」の交響が必要だ。
日本には、向こう何年もロナウジーニョやロッベンのようなレベルの選手は出ないかもしれない。しかしそれは、ジダン引退後のフランスですら同じことだ。「個の創発と連動」を目指すマネジメントの軸をぶらさず、タレントを育てていくしかない。
それはサッカー日本代表チームの進化の方向性だけでなく、グローバルで競争する様々な日本の組織が今後目指すべき進化の方向性にも一致するように思える。
2010年の南アフリカ大会では、さらに進化した日本代表にエールを送りたい。
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