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【巻頭言】 |
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寄る辺なき若者への居場所マネジメント
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河原 索 |
若者は常に理解されない。理解できないだけならまだしも、大人は若者を否定する。自分たちと違うという理由だけで否定する。誰もがみな未熟であり、屈折し、それでも自分らしく生きようともがいていた若者であったにもかかわらず。
振り返って自分自身をみると、もう若者でもなく、まだ大人でもない年頃になってきた。自分自身が若者を理解できているかというと自信がない。自信がないというより、正直に言うとわからない。だが、大人が若者を否定する理由がようやくわかってきた。理由は単純だ。理解できないものは怖いのである。
若者を理解できない私が若者をテーマに書くことに心苦しい気持ちはある。しかし、自分が若者だった頃のリアル、すなわち、世界はどう見えて、何を感じ、何に悩んでいたかの手掛かりはある。私にとってのそれは若かりし頃の読書メモである(本稿末に掲載しましたので、最後にお読みください)。それを読み返すと、その頃の心の情景が目の前のように思い返される。それに触発される形で、今の若者のホントノトコロを解きほぐし、若者と大人が共生できるための糸口を探り始めてみたい。
最近の若者は嫌なことがあるとすぐに辞める。あるいは、最近の若者の中には「会社は自分の成長のために利用するものだ」と人目をはばからず公言する人もいる。確かに表面上の事象としてはそういうことが起こっているし、顕著な増加傾向にあると思われる。これらに対し、意気地がないとか、恩知らずなどと根性論で圧力をかけたり、若者に迎合するかのように甘やかすのも、いずれも効果をなさない。なぜなら、いずれも若者の本当の心を読みきれていない対応だからだ。
大人には、どうして若者が「すぐ辞める」「会社を利用する」ようになってしまったかについて、対話し、想像し、理解する力が欠けてしまっている。若者といえど心を持った人間である(すなわち、邪悪な存在ではない)。会社と良い関係を築けるのが一番だと考えているし、誰かに迷惑をかけることは心苦しいと思っているに違いない。それでも、若者をして「すぐ辞める」「会社を利用する」とさせてしまう何かが背後にはあるはずだ。「大人」なのだからこそ、それに気づいてあげなくてはならない。
私は、その答えを解くキーワードは「居場所」(※1) にあると考えている。若者は常に自分の居場所を探している(※2) 。しかし、いつしかそれが会社にないことに気づいてしまう。気が早く、勇気のある人は辞めてしまうし、次の場所を求める勇気が足りない若者は未熟がゆえに屈折して「それなら成長のための踏み台にしてやるまで」と裏返しのことを言ってしまっているだけなのだ。
これを理解せず、会社側(大人側)は表面上をとらえて「若者を魅きつけるために、成長の機会を提供しようじゃないか」と意気込み、「うちは研修プログラムが充実しています」とか「若い人にも責任のある仕事を任せています」のようなアピールにかかっている。確かにそれは必要解(※3) ではあるが十分解とはいえず、問題は一向に解決されないだろう。(図1)
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図1/若者には「居場所」がない |
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この問題への対処のあり方を考えるためにも、若者の気持ちがどう揺れ動いて変遷していくのかについて、もう少し詳しく解きほぐしていく必要がある。
けれんみのない初々しさと、明るい未来への希望を携えて入社してきた若者も、時間がたつにつれ、折に触れて「自分はこれがやりたかったのだろうか」、あるいは「自分の価値は周囲に認められているだろうか」と振り返るようになる。また、上司の働きぶりを見て「このままいって、自分の将来は大丈夫なのか」と案じ、周囲の人と馴染もうとするほどに「自分らしさを失っていく」と不安に苛まれるようになる。こうしたことが少しずつ沈殿し、それが閾値を超えた瞬間、若者は「今ここに自分がいる」ことに強烈な違和感を覚え始める。そして気づいてしまう。「ここには自分の居場所がない」、あるいは「ここは自分の居るべき場所ではない」と。
この気づきは、若者からしてみるとかなりのショックである。会社から疎外されたという意識、あるいは、裏切られた気分になるかもしれない。日々の大半の時間を過ごす会社に疎外されるということは、とても苦しいことだ。当然のこととして、若者だってヘコむ。
何がヘコむかというと、一番ヘコむのは自尊心である。日本人にとって、どこに勤めているかは、その人のアイデンティティの主たる要素だ。だから、会社に居場所がないということは、自己否定に直結してしまう。
作用には反作用が伴う。すなわち、自尊心のヘコみには、その反作用としての回復が不可欠だ。自尊心を取り戻すためには、自分を高めるか、相手を貶めるか、の二つの手立てしかない。ヘコみ、屈折してしまった若者は考える。では両方狙おうと。自分を高め(=自分を成長させ)ながら、相手を貶めよう(=会社は自分に利用されているだけ)と。そして、会社を見下しながら心のなかで思う。ざまぁみろ、と。
ただし、ここからが複雑になる。心の中では会社を見下しつつ、ふと現実を見ると毎晩遅くまで馬車馬のように働かされている。それも、意外なくらいに一所懸命。利用しているのか、利用されているのか、勝っているのか、負けているのかわからなくなる。自分の居場所でないところに留まりながらグルグルと回り続ける。回り続けても出口はない。
会社は若者を必要として大切に思い、若者は会社に自分の居場所を欲しがっている。だから、両者が相思相愛の関係になる下地はある。だが、つながり合えない。下世話な言葉を使えば、互いに利用し、利用されるだけの(精神的つながりのない)「体だけの関係」のようになってしまっている。
これでは、会社の将来も明るくないし、若者の将来も明るくない。互いに悲劇であるとしか言いようがない。こんな悲劇を起こさないために、今必要なのは居場所マネジメント(※4) である。
居場所マネジメントの中身に入る前に、その重要性について確認するためにも、モチベーション(※5) と居場所の力の違いについて説明しておく。確かに、モチベーションと居場所の考えは近い。しかし、目的の有無という違いがある。
モチベーションには、業績向上のため、名誉を得るため等、何らかの目的が必要となる。一方、居場所には目的は必要でない。あるいは、その居場所自体が目的になる。
例えば、通常誰もが持つ居場所である「家族」あるいは「家庭」は、それを維持すること自体が目的である。そして、その他の目的を持った時点でそれは単なる「家族」ではなく、「家族商店組織」や「家族旅行企画実行集団」等へと派生していく(※6) 。
モチベーションとインセンティブ、行動変革とコンピテンシー、そして目標とモニタリング等はすべて社員の成果を高めるために用いられる。一方、居場所マネジメントは、これらの成果向上施策の前段に着目する。
成果向上を求めるには、その前提として、その場所で成果を出すことに対してのポジティブな心構えが必要となる。だから、居場所マネジメントは、まず、その場所について好意的な感情を作り出すことに取り組む。ゆえに、居場所マネジメントは「社員が会社で心地よく、気持ちよく働くための精神的な諸条件の整備」と言い換えることができる。
そして注意すべきは、最近の若者は居場所がないままに、モチベーションを高められ、コンピテンシー・モデルに則った行動を強いられ、目標設定されている恐れがあることである。これではサイドブレーキを引いたまま、アクセルを強く踏んでいるのと同じである(※7) 。(図2)
若者は、居場所がないことに悩みながらも、行動変革、目標達成、変革推進と矢継ぎ早に宿題が課される。悩んでいるのに、悩む時間さえ与えられない。これでは若者はますます疲弊し、混乱し、屈折してしまいかねない。このようなことを起こさないためにも、そもそもに立ち戻って、会社が若者に居場所を与えることから努力を始めることが必要となる。
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図2/居場所がないまま突っ走らされる若者 |
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居場所に必要な要件は、「自分らしくいられること」、「“Next自分”と“今の自分”を重ねて考えられること」、「居場所の他の構成員を認め、自分も認められていること」、「場としての求心力と場での自分の存在感を知覚できること」の4つに集約される(図3)。この4要素の充実度合いが高まるにつれ、居心地がよくなり(※8) 、「自分の居場所である」と認知されるようになる。この4要素についてそれぞれ、簡単ではあるが説明していきたい。
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図3/居場所としての条件 |
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「自分」というのは自己認識のみで規定されるものではなく、付与された役割や、他者からの認識によっても規定される。この自己認識と、役割や他者からの認識とが一致している状態では確固たる自分が感じられ、精神的な安定がもたらされる。
一方で、場における役割や人間関係が求める意識・行動が自己認識から大きく乖離し続けると、自分を見失ってしまう。これが精神的不安定をもたらし、そこを自分の居場所とは認識できなくなる。
会社である以上は、本人が求める「自分らしさ」を最優先にすることは難しい。また、誰でも、人間関係で角を立てないためには、自分らしさを犠牲にせざるをえない時もある。だからこそ、普段の状況においてはその人らしさを積極的に認めてあげることや、その人らしくいられる時間をつくってあげることが重要になる。
そこに居続けるためには、今現在居心地がよいだけでは不十分である。加えて、将来においても居心地がよい可能性が高いことも必要だ。
さらに加えると、今現在の居心地がよいことは必要条件ですらない。今は居心地が劣悪だったとしても、そこが将来自分の居場所になると確信できれば、そこを居場所として認識できるようになる(※9) 。
会社は、得てしてその場の思いつきの発想で若者を異動させたり、仕事を与えたりすることがある。その結果、若者は自分の将来が描けなくなり、不安になってしまう。若者が、今の自分から出発して、将来の目指すべき自分までの道筋をきちんと描けるようにサポートしてあげることが、居場所と認識されるためには重要となる。
メンバーを認め、メンバーから認められることなしに、そこでの居心地がよくなることはありえない。ここでいう「認める」は、単にメンバーシップ要件を満たすだけではなく、メンバーを尊敬・尊重したり、信頼・期待したり、愛し、大事にしたりするという情緒を含む。他のメンバーへの愛着は、確実にその場所への求心力として働く。逆に、自分自身が他のメンバーから同様に認知されていることも重要になる。しかし、他者からの認知のされ方は、誰もが不安なことだ。だから、周囲が「ここは君の居場所なんだよ」「ここに居ていいんだよ」と声をかけてあげることが、強い心の支えとなる。
集団によっては、メンバーとして承認されるためのハードルが極めて高かったり、異様・異質に対する許容度が低く、本能的に排他的な姿勢を取ったり、悪口を言うような文化であったりする。このような集団では、多くの新参者が傷ついたり、弾き出されてしまう。また、自分は優秀だがまわりはバカばかりと、みんなが自惚れているところには、誰にも居場所がない。悪いところまで理解した上で、積極的に相手を認める会社の度量が今、求められている。
居場所として認知されるためには、その場を好きでなければならない。愛社精神、会社の商品・サービスへの愛着、会社の理念・価値観・ビジョンへの共感、戦略・目標・組織運営方法への納得等、様々なレベルにおいて場の求心力と場への愛着心が働くことによって自分の居場所としてのフィット感が高まる。
また、場での自分自身の存在感が自分で確認できていることも重要となる。その場所は自分が盛り立てているという自覚は、場所へのオーナーシップの醸成、ひいては場所への強いコミットメントにもつながる。
ここまで居場所に必要な4要素について紹介してきた。では、どのようにすれば居場所を与えられるかが次の課題になる。
居場所マネジメントに取り組むためには、まず、会社のどこが社員の居場所として不適切と認識されているのかを確認しなければならない。インタビューでもよいが、匿名で「従業員『居場所』アンケート」をかけてみるのも効果的と思われる。既述の4つの視点から、20問程度の質問文を作って、それを投げてみる。これで会社のどこが「居場所」として不足しているのかがテキメンにわかってくるだろう。問題のありかがわかれば、そこに集中的に打ち手を施せばよい。
では、具体的な打ち手の方法としては……と説明し始めると長くなるので、簡単ではあるがヒントになりそうな取り組みを表にまとめた。ぜひ、ご参照いただきたい。
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表/居場所マネジメントの主要な打ち手 |
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「自分の居場所は自分で作れ」。この一言で済ませてしまえばそもそも居場所マネジメントの考え方は不要になる。しかし、実際に自分で自分の居場所を作ったことがある人ほど、その言葉を実現するハードルが高いことは知っているはずである。
特に未熟な若者にとって、それを実現するのは難しい。だからこそ、寄る辺なき若者への居場所マネジメントが必要なのだ。大人だからこそ、自分の居場所を確保することだけに専念せず、若者に居場所を確保してあげるべく努力すべきだろう。
若者に居場所を与える見返りはあるはずだ。自分の居場所を得た若者を数多く抱えた会社があったとする。会社との間で晴れて相思相愛になった若者たちの目からは、疲弊も混乱も屈折も消え失せ、幸せそうに明るく輝いているだろう。その若者たちは「成果を出せ」「コンピテンシーを発揮せよ」と迫らずとも、自ら進んで貢献を生み出してくれるだろう。そして、そういう若者たちこそが、会社の未来に向けた一番の活力源となってくれるに違いない。
〈本校執筆にあたり触発されたフレーズ〉
わたしたち誰にとっても、落着く場所などないのかもしれない。ただ、どこかにあるのだと感じていてもね。もしその場所を見出して、ほんのわずかの間でもそこに住むことができたら、それだけで幸せだと思わなけりゃ。
過去と未来とは一つの螺旋形をなしていて、一つのコイルには次のコイルが連なっており、またその中心主題をも包含しているということを、いつか本で読んだことがある。恐らくその通りなのであろう。だが、僕の人生は、むしろ閉じた円、つまり環の羅列であって、決して螺旋形のように次から次へと連なっていくことはなく、一つの環から次の環へ移行するには、すべるように伝わって移ることは不可能で、跳躍を試みるより他にない。(中略)僕の気をくじくのは、環と環の間に来る無風状態だった。つまり、どこに跳んだらよいのか分かるまでの間、その間のことである。
(トルーマン・カポーティ著/大沢薫訳
『草の竪琴』新潮文庫)
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(※1)本稿における「居場所」の定義は「そこに所属する他の構成員から当人が居ることが正しいと認識
され、かつ、当人もそこに居ることが正しいと認識している場所」とする。
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(※2)最近のニートの増加も、居場所探し、自分探しであると、同じ文脈で理解できる。
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(※3)口先だけのアピールではなく、本当に実現させるのが条件。
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(※4)本稿における筆者の造語であり、一般用語ではない。
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(※6)そして、その時点から家族商店にも家族旅行にもモチベーションが必要となってくる。
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(※7)先に言及した「居場所でないところに留まりながらグルグルと回り続ける」状態もこれにあたる。
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(※8)一般的に居心地がよいという言葉には「ぬるま湯」のイメージも付随する。しかし、「ぬるま湯」な環
境は向上心を失ってしまった方にとっては居心地がよいかもしれないが、向上心のある方にとって
は苦痛でしかない。よって、一般化できないため除外した。
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(※9)将来の居場所価値の現在価値への割り引きと言い換えるとピンとくる方が多いかもしれない。
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