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【巻頭言】 |
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現場感覚のあるR&D
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古澤 哲也 |
研究開発に携わる人材をアセスメントすることがある。
その中で、たまにではあるが、ちょっと違和感のある人たちに出会うことがある。行動事実は確認できるのだが、その場面・状況でその行動をとることが本当にベストなのか、がちょっとひっかかるのだ。一応の理屈や妥当性はあるので、それなりに仕事は進むのだが、話をよく理解すればするほど、もっと別の方法があって、もっと早く結果が出たのではないかと思えてしまう。
実は、このような違和感があるのは研究開発者に限らない。例えば、新規事業の立ち上げを担当している人材をアセスメントしたときにも、これと似た感覚を持ったことがあった。本人はいろいろ考えて行動をしている。そのコンピテンシーは、評価に値するのだが、方向が会社の望むものと微妙にずれている。コンピテンシーはあるのだが、会社としては評価できない。
コンピテンシーという概念が浸透するにしたがって、ともすれば「とにかく行動すればいいんだろう」「現状を否定して新しいことをすればいいんだろう」という発言が聞かれるようになり、逆にコンピテンシーに関する理解が表面的になってしまった気がする。
特に、研究開発者にこれをやられるとまずい。なぜなら、研究開発テーマは高度かつ専門的で直属の上司であっても、部下のテーマの細かい部分まで完全に理解することが困難なので、研究開発者は早いうち(経験の少ないうち)から、かなりの裁量を与えられるからである。方向性や真意を共有できないまま裁量を与えられ、しかも仕事を前に進める力(コンピテンシー)が強ければ、間違った方向へ驀進してしまっても無理はない。
「行動は間違ってはいないが何かが少し足りない」という違和感は何なのか、これはどこから来るのか。今回、コンピテンシーの次に来るものを議論するにあたり、この点について考えてみたい。(※1)
仕事をすることは意思決定を繰り返すことでもある。意思決定をする場合は、たくさんの選択肢を一つあるいは複数の評価軸で評価をし、最も適切と思われる選択肢を選ぶ。この軸の置き方(選び方)が多分、微妙にずれていて(通常では問題にならないくらいに)、それが違和感のある原因になっているのだと思う。このずれは、放って置けばどんどん大きくなるかもしれないし、絶対に間違ってほしくない難しい微妙な意思決定が要求されるときになって初めて問題になるかもしれない。
一定の軸に基づいて優先順位をつけるということは、実はビジネスの極意にかなり近いのではないかと思っている。経営課題と言われるものの多くは、正しく(正確には最も正しく思えるように)優先順位をつけることでクリアになる。場合によっては優先順位をつける行為そのものがイシューである場合もある。しかし、世の中には「とりあえずできるところから着手する」「一歩でも前に進む」ということを言い訳に優先順位をうやむやにしている例が数多い。こういう話をすると「無駄も必要」という反論をされるが、優先順位を踏まえた上の無駄とそうでない無駄では大きな差がある。
ある程度以上のコンピテンシーが発揮されるようになった後には、このような意思決定の軸をずれさせない能力、つまり自分と会社が重視したい軸の両方を理解・比較する「軸認識力」とそれに合わせて自分の軸を補正する「軸補正力」が求められるのではないだろうか。そして、この能力こそが、コンピテンシーという個人の能力を組織の力へ集約・変換する鍵となるのではなかろうか。(※2)
では、優先順位を判断する軸のずれはなぜ生じるのだろうか。
いろいろ原因は考えられると思うが、研究開発や技術経営に関わる人材に対しては、「現場感覚の低下」ということをあえて第一に挙げたい。
ここでは「現場感覚」を「自分たちの手がけた製品がどのようにエンドユーザーに使われ、どのように価値を生むかをイメージする力」と定義したい。そういう意味では、「単純に自分たちが大切にしたいもの(「価値観」)」ではなく、むしろ「自分たちが社会に存在する意味(「存在意義」)」に近い。
「現場」調査をもとに研究を続ける地域産業論・中小企業論の権威である一橋大学院の関満博教授は、これと近い感覚を「自分たちが何によってメシを食わしてもらっているのか、これから自分たちは何をしなくてはならないかを深く実感すること」と表現している。(※3)
この感覚が共有できていれば、それは意思決定をする上で、アンカー(錨)として作用する。つまり、通常の意思決定(小波)の際には意識しないが、組織のルールから離れそうになったり、難しい意思決定(大波)の時になって強く意識され、また頼りになる。
軸を認識するための反省会を設けたり、共有を図るために合宿をしたりということは、それはそれで意味はあるが、結局のところ手法にすぎない。難しいことは言わなくても、「自分が何によってメシを食わせてもらっているのか」、それさえ心に刻み込んでおけば、軸が問題になるくらいずれることはない。ましてや不祥事につながるような間違った意思決定がされることはありえない。
研究開発は製造過程の最上流部分で価値を創造している。そのため、下流で起こっていること、ましてや最前線の顧客との接点で起こっていることをイメージすることは難しい。しかし、上流にいるからこそ、創造するものが実際のメシの対価とずれていてはいけない。そのずれは自分より先の工程に携わる者たちに影響を与える。最上流部分で価値の源を創る者の責任として、ずれは極力小さくしなければならない<。
一部の開発部門や設計部門には、製造現場を格下と見る風潮があり、製造現場から問題を指摘されても、真剣に取り合わないケースも多い。そういう人たちには、「自分が何によってメシを食わせてもらっているのか」を考えてほしい。それを考えれば、自分たちの開発したものを世に出る形にしてくれている人たちの指摘することを軽視できないはずだ。
単に、協力しろとか、傲慢になるな、ということを言いたいのではない。自分の立ち位置で、現場感覚を持ちながら、まっとうな仕事をしようとするならば、好き嫌いにかかわらず、まわりの意見に耳を傾けざるをえない。「現場感覚」さえしっかりしていれば、最低限のチームワークや連携は担保される。そして、上っ面の協力関係では得られない共通の現場感覚に立った最低限のチームワークは、真剣な「けんか」を生む。
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図/「現場感覚」がアンカー(錨)として働くイメージ |
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「現場感覚」を磨くためには、「現場」に触れることが一番だ。
かつては、新入社員教育の一つとして、自社製品の中でもなかなか売れなさそうなものをセールスさせるというのがあった。これは精神鍛錬が目的なばかりでなく、自分たちが何を対価にお金をもらっているかを原体験として刷り込む意味があった。
「現場に触れる」と言っても、表面的に「接している」程度では意味はない。お客様から感情をぶつけられるくらいの距離と関係の深さがなければ意味がない。お客様からぶつけられる感情によって、感動したり、意気に感じたり、力不足を痛感したり、落ち込んだりするだろう。まっとうな仕事をするには、こういう感情の揺れが必要なのではないかと思う。
ある製薬メーカーの臨床開発責任者は、そのような感情の揺れが、治験担当者として一皮剥けるために必要だと教えてくれた。
「自分の担当する薬剤が、どれだけ患者さんに必要とされているかを実感できたときに、治験担当者は一皮剥ける。
例えば、病室で患者さんやその家族に会ってしまって、医者でもないのにお礼を言われてしまったりすると、もうグッときてしまう。そういう経験を一度でもすると、その担当者は腹が据わって、多少のことでは動じなくなる」
こういう感動をすると、「自分はこれでメシを食わせてもらっているんだ」という覚悟ができる。覚悟ができると仕事への取り組み方が変わる。
もちろん、われわれは人間なので、時間が経つとこういう感覚も薄れてしまう。なので、たまには日常業務から外れて、意識的に現場に触れ、現場感覚を取り戻すような活動も必要である。また、特に、研究開発者に対するマネジメントとしては、意図的にこういう機会を作り出すことが大切である。
例えば、ある外資系生命保険会社は、新人だけでなく幹部クラスのマネジャーも全員、一定期間支社に販売実習に行かせている(アクチュアリーや商品開発担当マネジャーなども例外でなく、本当に「全員」行くところが凄い)。そして、自分が保険という商品を通じて何をお客様に提供しているのかを再確認してもらっている。
また、プリント基板実装の外見検査装置を開発・製造・販売し、ベンチャー企業ながら大手企業中心のAOI(Automated Optical Inspection)市場で業界2位の実績を誇るサキコーポレーションでは、創業当初に見られた「開発者が直接お客様と接して得た感動とその結果として生まれる高い価値」を維持するために、現在でも、新商品初号機の組み立てや設置は開発担当者が自ら行い、自分の開発した商品に対するお客様の意見・要望を直接聞き、対応することを原則としている(※4) 。
「自分が社会に提供している価値は何か」などと難しいことを考えても、議論が上滑りするだけで深まらない(少なくとも私はそう)。それよりも、「自分は何でメシを食わせてもらっているか」を自問するほうが真剣に考えられる。そして、その答えは常にお客様と接するところに見つかる。だから、現場に触れ続けないといけない。そして、最初に現場で味わった感動を忘れないように心がける。そうすれば、ずれの少ない意思決定ができ、個人のコンピテンシーが組織のコンピテンシーへと発展していく。
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(※1)コンピテンシーの「次に来るもの」、というよりも「前提となるもっと大切なもの」とも言えるが。
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(※2)この能力が他人に対して働く場合は、リーダーシップになると思われる。ここでは、自分自身で気づ
き、自己補正する力について述べている。
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(※3)関満博著『現場主義の知的生産法』(ちくま新書、2002年)
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