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【巻頭言】 |
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多様性を形作る異質性、普遍性そしてパワー
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河原 索 |
本稿はまず定義付けから始める。「多様性の活用」の意味について読者と筆者の間で共通認識を持つことが重要で、これを欠くと本稿の趣旨が伝わらない可能性があるからだ。
「多様性の活用」には、大きく分けて二つの意味がある。しかし、この二つは混同されていることが多い。
まず一つ目であるが、異質なものを取り込むことで組織の変質を仕組んだり、組織の環境適応能力を高めるという意味である。女性の管理職登用、官公庁での民間出身者の中途採用、クロスファンクショナル・チームでの改革検討等がそれにあたる。
もう一つは、多様な背景・ニーズを持つ人々がそれぞれ組織に貢献できるような仕組み・体制、環境を作り上げるという意味である。高齢者再雇用、在宅勤務、フィリピン人介護士の受け入れ、ITインフラ整備による世界のフラット化等がそれにあたる(※1)。
本稿では前者の「多様性の活用」の意味において議論を進めていく。
時代の流行というものがあり、今「多様性」が流行している。これが単なる流行に終わるか、新たなスタイルとして定着するかは未知数だが、今そこにあり、かつ、考慮すべきテーマであることは論を俟たない。
流行だからという理由で拒絶する必要はない。それがプラスの作用をもたらすなら、それを上手く摂取していくことがあって然るべきである。トーマス・マンが言っている。「人間というものは、個々の存在として個人的生活を送っていくのみならず、意識的あるいは無意識的に、自分の生きている時代の生活や自分の同時代人の生活をも送っていくものである」と。今、この時代を生きている以上、頑なに流行を避けることのほうがむしろ困難である。
頭でっかちな議論を優先し、思想を明確にしたり、条件整備を待つ必要があるかも疑問だ。形から入る方が効率的な場合もあろう。創り出したいもの、守り続けたいものとの不整合が出れば、そのとき直したり止めたりすればよい。少なくとも、組織にとって何が重要だったのかを再確認する良い機会にはなろう。
多様性の活用は、「多様」という言葉が暗に示すように、傍流、マイナーな方々の活躍が中心テーマである。しかし、注意すべきはこの流れの主導権は依然として本流、メジャー側にあることである(※2) 。この「ねじれ」構造は、時としてマイナーを慎重にさせ、マイナーの本来の良さを引き出すのを難しくしてしまう。
また、多様性活用の議論は、ともするとメジャーの独善的かつ楽観的な前提のもとに進んでしまう傾向がある。すなわち、マイナーを組織に「入れてあげる」と、マイナーはメジャーの望む通りに組織の多様性を作り上げ、健全に維持していくというシナリオである。このような、「上から目線」での多様性の活用に留まっていては、運よくメジャーとマイナーの共存共栄ができたとしても、一体感は生まれにくい。
ねじれているものを独善的に進めるのは、明らかに構造的な無理があり不安定だ。だが、そんなことにはお構いなく、堰を切った潮流は不可逆的に押し寄せてくる。そして今マイナーは、これを追い風として上手に受け止められるか、風をつかめず漂流するかの瀬戸際に立たされている。
取り敢えずこの流れに漂っていれば、いつかメジャーがマイナーを理解し、良いようにしてくれると考えるのは甘い幻想だ。誰も他人の「本当の」気持ちなどわからない。いっそ、そう割り切ったほうがむしろ前向きになれる。だからマイナーは、この流行を天の恵みと感謝して受け取りつつも、自分のキャリアを左右する問題としてこれをとらえ、覚悟をもってこれに対峙しなければならない。
マイナーは、通常の戦力としての貢献に加え、メジャーからすると「異質」である点からも貢献することができる。この異質とは、メジャーだけでは組織に具備できない貴重な価値機軸や経験を指す。そして、これを組織に取り込んでいくことが組織の目論見である。
それがゆえにマイナーは、異質性に根差す立脚点からの発言を求められる。例えば、「女性の観点から観るとどう?」という具合である。これに対しメジャーの盲点を突くような鋭い切り返しをすればするほどにマイナーは評価される。
時が経つにつれ、発言を促されるまでもなく「女性の観点から観るとそれは……ですよ」、「前職のコンサルティング会社では……でした」等と自発的に切り出すようになる。それがまた評価される。これを繰り返すことで、マイナーの認知はさらに高まる。
この好循環には中毒性がある。マイナーは、メジャーよりも日の当たらない道を歩んできた可能性が高く、褒められたり、スポットライトを当てられたりすると、つい喜んで多めのエンドルフィンが出てしまう。また、自分の発言力の高まりは、自分の成長実感にもつながり、ドーパミンまで出てしまう(※3) 。そして、マイナーは自身への期待をわきまえ、さらにエッジの利いた発言をしようと心がける。脳内麻薬はさらに分泌され、マイナーはますます仕事に身が入るようになる。
この中毒性のある好循環は、マイナーの仕事のレベルを引き上げることに貢献する。しかし、注意が必要なのは、これに依存し、異質性に過度に頼るようになることである。
例えば、こんな具合である。マイナーは好循環の波に乗り、強みである異質性をさらに際立たせようと、視点の先鋭化を突き進めていく。だが度を過ぎると、その異質性を一般的に代表するというレベルから乖離し始め、異質性原理主義、あるいは、異質性至上主義へと傾いていく。そして、自らの視点・価値観を理解しない相手を見下したり、まるで異質性の活用が組織の目的とでも言わんばかりの主張を始めるようになる(※4) 。これは、マイナー、メジャーともにストレスフルな状況を生み、せっかくの好循環が不幸循環へと転化していく。
さすがに上記は極端な事態かもしれない。しかし、これは専門家が専門分野に没頭するあまり視野狭窄に陥り「専門馬鹿」となりうるのとまったく同じ構造である。マイナーが異質としての立脚点の高みを目指せば目指すほどに、全体が見えなくなることは起こりうる。これは「異質性のジレンマ」とでも呼ぶべき状況で、より高いレベルで貢献しようというマイナーの願いとは裏腹に、組織から煙たがられるようになってしまう。
「異質性のジレンマ」の危険性にいち早く気づき、そこから逃れることは可能だが難しい。それは、異質性としての強みを発揮するほどに、そこに固定化しようという力学が働くためである。
まずは、戦闘能力の問題だ。異質性はマイナーにとっての独自の武器である。武装解除は自分の戦闘力の低下に直結する。だからマイナーは自己保身のためにも異質性を手放すことを躊躇してしまう。
裏返して、これは周囲からの期待にも一致する。マイナーが異質な視点に立脚したときの意見のインパクトがなまじ強いため、周囲としても自然とそれを期待してしまう。また、マイナーは代替が効きにくいことも、そこから逃れることを難しくする。あえて異質性から距離を取ろうとするマイナーの企みに対して、周囲からの支援が期待しにくいのは、当然の成り行きだ。
しかし、マイナーにとってこれは切実な問題だ。周囲から自分のイメージを固定化されることは、自分の可能性を固定化されることに直結するからだ。話の振られ方、仕事の振られ方が固定化し、気づくと自分のまわりに見えない仕事の枠ができあがってしまう。自分は成長したつもりで、一回り大きな服、形の違う服も着てみたいと希望を持つが、着せられるのは、馴染みのある服、それも着丈のきつい服ばかり。単なる異端の人で自分のキャリアを終わらせたくない、より高いところを目指したいのに、目に浮かぶのは行き詰まりばかり。そして、焦燥感の高まりとは無関係に、変わらない月日が過ぎていく。
この行き詰まりから逃れるための重要なカギは「普遍性」にある。ここで言う普遍性とは、メジャーとマイナーの最小公倍数における妥協という意味ではなく、ましてや共通点の抽出という意味でもない。すべてを包み、すべてに通じるための高次元での統合を意味する。例えば、正義、成長、顧客満足等がそれにあたるだろう。そしてこの普遍性だけが、メジャーとマイナーの違いや対立軸を無意味化できる。マイナーは自らが異質であるからこそ、普遍性が組織の地平線をフラットにしてくれる有難さをより深く理解しなければならない。
いつかマイナーは、異質性による影響力の行使には範囲・深さともに限界があることに気づくことになる。だからマイナーは、いつまでも自分の武器を異質性に頼るのではなく、ある時点からは意識的に普遍性に振っていくことが求められる(※5) 。これを推し進めるためには、キャリアステージに合わせて「異質度合い」と「パワーの源泉」の二つを上手にコントロールしていくことが重要となる。
多様性を活用する組織において、個人の異質度合いには、適度な頃合がある。低い異質度はすぐにメジャーに同質化してしまうし、極端な異質ばかりを集めれば統率が取れず、烏合の衆となりかねない。ゆえに、「組織としての普遍」を中心とした一定の範囲内において、マイナーの異質性が求められる。
この「組織としての普遍」だが、通常それは理念・価値観・ビジョンのような組織の最高規範として示される。組織が存在する理由、組織に所属することの意味付け、組織における絶対基準等を示し、これが多様性のある組織を束ねる求心力となる。
マイナーは、この「組織としての普遍」を念頭に置きつつ、現在の自分の役割、自分の置かれている状況における適度の異質性を発揮できた時に最高の存在感を示せる。異質度が低すぎても、高すぎてもいけない。だから、自分の立ち位置が、適度な異質性を保っているかを常に意識することが求められる。
組織で働く人のパワーの源泉(※6)というのはキャリアステージによって異なる。一般的には、新入社員は一所懸命さがなけなしのパワーの源泉になるし、数年たてばそれが実務処理能力になり、さらに数年たてば専門的能力へと移っていく。さらに一皮むけて、より大きなパワー獲得を目指すには、プロジェクト管理能力、人材育成力、組織統率力、構想力等へと自らのパワーの源泉を移していく。キャリアアップに不可欠なのは、自らのパワーの源泉をその時々にうまく乗り換えていくことである。
マイナーの場合、これらに加え異質性を持っている。これは上手く使えばパワーの源泉になるし、下手をすると自分自身に枠を嵌めることになりかねない。だから、こういったキャリアステージごとのパワーの源泉と、自らの異質性を上手く重ねたり、穴埋めしたり、使い分けたりできるかどうかが、マイナーのキャリアの成功を大きく左右する。
より具体的に言うと、一所懸命さ、実務処理能力、専門的能力については、異質性と互いに独立して存在できるため共存度合いが高い。だから、これらを活用するキャリアステージにおいては、異質性を大いに発揮すべきである。
しかし、プロジェクト管理能力、人材育成力、組織統率力、構想力等は、異質性との共存度合いが低い。これらは、自ら異質として振る舞うことによって発揮するものではなく、様々な異質を取りまとめていくこと、すなわち普遍性とセットになって発揮する能力だからである。ゆえに、これらを活用するキャリアステージにおいては、意識的に異質性を前面に出さず(※7)、普遍性の観点から思考・行動を組み立てるように心掛けるべきである。
これまで議論してきた内容について、図でまとめたのでご覧いただきたい。縦軸はパワーであり、その隣にはパワーの源泉が示されている。横軸は普遍性と異質性を取っていて、その間にその組織における普遍性が示されている。
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図 |
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この平面上に、メジャーの生息地帯(青)と、マイナーの生息地帯(グレー)がある。マイナーの生息地帯は、その「組織における普遍」から一定の距離の間であり、これは上位パワーに行くほどに、より普遍性が求められ、生息地帯が狭くなってくる。
このマイナーの生息地帯の中を、各マイナーがどのようにキャリアパスを描くのかを示したのが矢印である。異質性を先鋭化しすぎると「異質性のジレンマ」へと陥ってしまうし、マイナーの生息地帯をうまく進んでいければキャリアアップにつなげることができる(※8)。
大多様性時代の幕開けにより、今後マイナーにチャンスの門戸が大きく開かれるようになるだろう。だが、チャンスはそのまま成功を意味しない。だが、自分なりの見取り図を持つことでチャンスを成功につなげる可能性が高められる。
異質性は武器にもなるし、自分を閉じ込める枠にもなることを理解すること、異質性の向こう側に標準や同質性ではなく普遍性を見ること、そして、異質としての立ち位置を意識しつつそこに閉じこもらず、時が来たら自らのパワーの源泉を乗り換えながら普遍性に挑戦することで、自らのキャリアを築き、この潮流をさらに盛り上げていってほしい。
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(※1)ただ、気をつけるべきは女性の出産後の再雇用のような場合だろう。前者の文脈からとらえるか、
後者の文脈でとらえるか、あるいは両方かによって意味合いが異なる。
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(※2)以下、便宜的に本流および本流に属する個人を「メジャー」、同様に傍流を「マイナー」と呼ばせて
いただく。
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(※3)本文記述はあくまで比喩であり、医学的に不正確かもしれません。なお、エンドルフィンは陶酔作
用、ドーパミンは覚醒作用をもたらすそうです。
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(※4)ここは異質性を女性、外国人、官庁における民間人等に適宜読み替えてみてください。
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(※5)言うまでもないが、普遍性に振るというのは、例えば、女性、外国人が、男性、日本人になるというこ
とではない。
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(※6)ここでいう「パワー」とは活力、体力という意味ではなく、権力、勢力の意味。
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(※7)より大きなパワーを獲得するためには、異質性を捨てるべきという意味ではない。普遍性へとシフト
しつつも、時と場合を見計らって異質性を上手く使うこと、さらに言えば、組織の悪しき論理を切り崩
す等、ここぞというときに異質性を上手く前面に押し出すことが効果的になってくる。例えば、ルノー・
日産のゴーン氏、日本電産の永守氏らは上手に使い分けているように見える。
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(※8)ただし、この図は一つの組織の中でのキャリアアップを想定したものであり、このほかに転職、独立
という選択肢もある。
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