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【巻頭言】 |
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行政における多様性マネジメント
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杉浦 恵志 |
行政に調整と取りまとめはつきものである。中間管理職の方々に「あなたの主な仕事は何ですか」と尋ねると、多様な利害の調整や取りまとめと答える人の割合が非常に高い。民間企業に比べて組織規模の割に幅広い事業に取り組んでおり、全体を統括する利益や売り上げのような明確な指標があるわけではない。また、NPOのように特定の分野に限定して活動しているのでもないから、調整を業とする職員が多いこと自体は、言わば当然のことであろう。
問題は、利害調整の仕方にある。これまでは、以下の方法が中心ではなかったか。
@法令や内規で優先順位を規定する。
A政治力を背景に決着をつける。
B総務企画部門が、最終的な決定を下す。
C部門間の力関係で押し切る。
D総花的に盛り込み、玉虫色の決着をつける。
E「三方一両損」的に妥協する。
ところが、このような調整による結末は、主要でない利害を排除したり、本来の調整を怠って問題を先送りしたりするに過ぎず、幅広い関係者から納得感が得られないようになっている。その原因として、社会情勢の変化と組織事情の停滞が挙げられる。
社会事情の変化により、調整すべき利害が多様になっている。第一に、グローバル化の進展と変化の激しさである。日本国内で利害調整を進める限りにおいては、遵守すべき法令も、政治力の所在や部門間の力関係も明確であった。その頃の国際担当は、日本の政策を現課から国外に取り次ぐ部門であった。しかし、国際的な合意形成は、国内のそれに比べてただでさえ困難なだけでなく、通信技術の発達により変化のスピードが以前にも増して速くなっている。悠長に国際法を制定するやり方が難しくなっているため、国際交渉の最前線で丁々発止の交渉をする部門が非常に重要である。世界的な取り組みや標準化が必要となるにつれ、国際部門が独自の意思を持って政策を構築していかざるをえない。
第二に、地方の独自性と住民の多様なニーズへの対応である。地方の直面する事情や個々人の価値観が多様になったため、中央集権的にあるいは総務企画部門が中心となって、行政における優先順位や議会の政治的な決定をそのまま押し付けることができなくなってきた。その結果、中央省庁や総務企画部門では政策の大枠やメニューを考えるにとどまり、出先機関や現課、窓口部門で具体的な事業が詰められるようになってきている。例えば、まちづくりや産学官連携、福祉・教育サービスの提供などは、地方の実情や個人のニーズを無視した施策は考えられない。また、地方自治体では住民満足度や接客好感度などが重要な観点となっており、それらを担う職員の資質が決め手となる。
第三に、外部の専門家や関係者の意思決定への参加である。対応に迫られる事象が多様化するにつれて、行政内部の人材だけでは問題解決が困難になってきた。外部の専門家を活用してやっていかざるをえないが、彼らには政治力や部門間の序列、玉虫色の先送りロジックは通用しない。そのうえ、住民や企業、NPOなど関係者も、単なる受益者としてではなく、意思決定への参画を求めている。
他方、組織事情の停滞によって、利害調整の主体は思うように動くことができていない。第一に、従来の権力構造や職務分担を引きずって、総務企画部門が相変わらず調整の主要な担い手となっている。総務企画部門が暗黙の出世ルートになっており、優秀な人材がそこに集まる。できるだけ多くの人にそのような職務を経験させるため、玉突き的な人事異動が起こって現場が対応に苦慮している。また、管理職が業務のマネジメントというよりも、議員や有力者に対する御用聞きになっており、調整というよりも無理なごり押しを引き受けてきたり、組織マネジメントを放棄したりするケースが珍しくない。
第二に、職員の高齢化が様々な問題を招いている。これは毎年の採用数の変動が激しい地方自治体でより顕著な現象であるが、職員の高齢化や採用の抑制に業務の専門化が加わって、部下なしのまま役職の付いた職員の数が非常に増えている。それに伴い組織の細分化が進み、横断的な連携が悪くなってきた。また、職員が年齢給的な昇給を見込んでいるが、基本給は職務等級によって左右される。その結果、年配の職員が配属された職務の等級が、職責の大きさに関係なく配属される職員の年齢給に見合った等級へと格上げされることがある。肩書きと職責の間に乖離が生じており、まさに職務等級のインフレ現象である。
第三に、組織の風通しをよくするため、階層の数を減らすグループ制の導入が花盛りである。しかし、組織マネジメントのできない管理職が横断的な連携の乏しいベテラン職員を大勢抱えたら、何が起こるのかは推して知るべしである。組織変革だけでは、本当に実力のある職員を、グループ制における管理職のような困難なポジションにつけることはできない。
このように、行政課題が多様化しているにもかかわらず、行政の組織や職員がその多様性に対応できているようには見えない。そこで、専門職を育成し動機付ける複線型キャリアやコース別人事制度を用意して、専門知識に関する研修や、異動範囲を限定して特定分野の経験を長く積ませる任用を検討している機関は増えている。確かに、専門人材の必要性が高まっていることも事実である。
しかし、財政事情を考えれば、公務員の採用が抑制される中で、あらゆる専門家を雇い入れたり、職員の専門分化を徹底したりする余裕はない。この時代に求められる行政職員とは、国づくり・まちづくりという大所高所の観点から事務事業に意味を与え、周囲と調整してうまく施策の枠の中に落とし込む、あるいは適切な施策がなければ自分で作って周囲に認めさせてしまうような職員、および国民や住民へのサービス提供やニーズ把握を担う前線部隊である。そう考えると、逆説的に聞こえるかもしれないが、社会情勢の専門化が進むほど、ゼネラリスト職員が見直されるのかもしれない。
このような状況の中で、職員にやる気を持たせるために人事評価制度を導入する事例が増えている。もちろん制度の詳細や導入の経緯にもよるのだが、被評価者となる職員の評判は意外に悪くない。組織や業務が細分化されて「見られる」機会が減っており、自分が何者なのかアイデンティティを見失っている最近の若者にとって、人事評価には自分の成長を確認するうえで一定の意味があるし、世間で言われるよりずっと歓迎されている。また、関係が希薄になっている上司と部下の間に、真剣に話し合う場を設けることで、コミュニケーション復活のきっかけにする意図もわからないではない。
しかし、民間企業でも同じことが言えるが、「人事評価を入れたことによって、組織が変わったという実感が湧かない」という批判も当たっている。行政の場合は特にそうなのだが、法令でやることになっているとか、トップや住民がうるさいからという理由で始められることが多いため、とにかく「制度を入れればいいんだろ」という志の低い人事部門が多いように感じる。
ところが、そのような人事制度は、表向き「優秀な人材を発掘し適材適所に配置して、評価結果を元に育成する仕組み」と謳いながら、実際にはまったく機能していない。その理由は、人事部門の中でも制度改革担当と任用担当が分かれており、相変わらず慣行に従って、優秀な人材が総務企画部門に配属されているからである。
行政経営の考え方が導入されたことにより、当該部門は多忙を極めており、そこへ優秀な人材を持ってくることによりきっちりした組織インフラを作ろうとする意図は理解できる。度重なる不祥事やコンプライアンスの欠如を何とかしたいのも、その通りであろう。だが、優秀な人間の作った行政経営システムは、往々にして国民・住民や現場から理解されない。独立行政法人の中には、このような仕組みが強化されたことにより、管理事務に追われた現場が衰弱して、制度が狙いとする組織の機動力を落としたところが実際に目立つ。他方、優秀でない人材やメンタルの問題を抱える職員が地方事務所や窓口部門に回されて、関係者間の調整や具体的な企画立案、接客対応やニーズの把握といった機能が弱くなってしまっている。
こうした事態は、人事制度に携わるコンサルタントとして非常にむなしく、見るに忍びない。
このような事態を打開するには、人事制度改革を評価・給与・任用・研修などとばらばらに考えず、システムとして対応することが重要である。また、最も説得力のある評価は、業務の中で正確な情報に基づきその場で行われるものだということを念頭に置き、制度的な形式にとらわれない人事評価を模索することである。
一つには、職員の活躍や成長の場をできるだけ多く用意して、調整機能の発揮を通じて能力の顕在化を見守る方法がある。優秀な人材に対し、組織の中枢にあたる総務企画部門の仕事を細分化して任せるよりも、外延にあたる仕事を丸ごと任せて運営・調整能力を見る方が重要なのではないか。この方法には、任用担当の協力が不可欠であり、これまでの人事評価手法では決してわからなかった部分が見えてくる。
例えば、事業運営に関係者を巻き込んで協議会を設置したり、新たなイベントを打ったりすることによって、行政職員が様々な関係者と利害調整する機会を意図的に増やしていくことが挙げられる。組織としてそのようなことができなければ、職員が一市民として参加してもよい(ただし、周囲からいろいろな要求をされて大変かもしれないが……)。そこでの意見調整には、大まかに言って次の二つのパターンがある。
@参加者の役職や権威の序列に基づいて、優先順位が決まってしま
う場合
Aそれぞれの参加者に役割が与えられ、運営を進めていく中でちゃん
とできるかどうか、どれだけの力量を備えた人間なのか、協議会や事
務局全体で判断する場合
後者のような能力は、研修によって育成できるものではない。チャレンジの場を与えることでしか、本人が自分で考えて身につけることはできないのである。昨今人材育成型評価なるものが注目されているが、できていない行動について標準的なリストを示し、こういうやり方がありますと教えるようなものでは、その場での判断・調整を行うことのできる人材は永遠に育たないであろう。
このような場を与えることが難しいのであれば、疑似的な協議会を庁内に設けてはどうか。参加者を様々な部署から選んで、組織横断的に取り組むべき議題を与える。時間を制限してその場で考えてもらい、積極的に意見を述べているかどうかだけでなく、その意見が事実や客観的な分析に基づいているか、他者の意見をちゃんと聞けているか、聞いた意見に反論するだけでなく建設的に議論を組み立てているか、時間を厳守して調整能力を発揮できるか、次のアクションについて決断を下し、パンチの効いたプレゼンができるか、などを審査するのである。
人事評価改革がむなしいのは、それが単独事業として行われるからである。その結果、能力が高いと評価された人材にチャレンジングな仕事を提供できていない。人と仕事のマッチングをするには、人だけでなく職務のほうも評価して、どれくらい重要なミッションで困難な仕事なのかを明らかにしておかなければならない。それがないから、従来の尺度や慣習にしたがって、本庁や総務企画部門に優秀な人材が集中し、せっかくの人事制度が意図とは逆効果となり、「最近何だか働きにくいね」ということになってしまうのである。
それを避けるためには、職務を客観的に評価し直すしかない。職務評価というと、たくさんの項目を正確に点数化して、合計点のレンジで格付けするものが直ちに思い浮かぶ。しかし、レンジの境目がうまく説明できなければ社員に納得してもらえないし、専門家にしか評価できないような仕組みでは昨今の変化のスピードについていけない。職種によって職務を分類しようとはせず、様々な職種に共通のもっと単純化した職責(責任の重さ)尺度が必要である。行政評価の評価項目も当然に参考にすべきであろう。
このような客観的な職責等級があれば、その人の実力に応じた職務を任せ、能力発揮と育成の場を提供することができるのである。専門分野の中に留まらず、庁内全体を通して職責の重さを比較するため、他部門の優秀な人材を困難で重要なポジションに持ってくることができる。また、外部の専門人材や関係者を庁内に登用する場合にも、関係者の現職や協議会での役割などによって、どの職責に位置づければよいのかが明確になり、多様な人材の受け入れにつながりやすい。このようにして、行政は事業環境や人材の多様化にはじめて対応することができるのではないか。
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