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ベネフィット・リスク
退職給付に関するリスク・マネジメント
 

 

渡辺 孝

1. はじめに

 人生は何が起こるかわからない。突如として不測の事態に襲われるかもしれない。そんな従業員の不安を取り除くため、企業は給与とは別に一定のベネフィットを提供している。すわなち、企業は従業員のリスクの一部を引き受けている。引退後の生活支援もその一つだ。社会保障制度を超えるベネフィットを提供することが、従業員に安心して働いてもらうための環境づくりの中で、一定の土台となっている。リスクを集約することで、スケール・メリットによるリスク・マネジメント・コストを低下させることが可能だ。では、企業は従業員から引き受けたリスクをどのように管理しているか。本稿では、退職給付にフォーカスして、そのリスク・マネジメントにおけるポイントを概説する。あわせて、日系多国籍企業が多く進出している東南アジアと中国における退職給付事情についても簡単にご紹介したい。

2. 時代の流れ

 企業経営上のリスクを管理する手始めとしては、ビジネス上の目標達成のために引き受けるべきリスクとそうでないリスクを区別した上で、図1のように整理することが自然だ。ベネフィットの提供に伴うリスクも同様に整理できる。例えば、長期障害発生時の所得保障であれば、発生する確率が低い一方で発生した場合のインパクトは非常に大きい。このようなリスクへの対応として、保険商品を購入することは周知の定石である。一定レベルのキャッシュ・コストを負担することで保険会社にリスクを引き渡し、小さな母集団では偏りがちな事象の発生により被りうる大きな損失を回避するというものだ。それでは、退職給付についてはどうか。図1のリスクのパーティションは、企業業績や経済環境などを変数とする企業それぞれのリスク許容度により変わってくる。

図1

 日本ではかつて、確定給付型の退職給付の提供は、低確率&低インパクトのリスクと考えられてきた。高度経済成長の時代には、従業員の労働の対価を後払いすることで自己金融効果を果たし、社外積立が間接金融を下支えしていたという事実がある。また、厚生年金の報酬比例部分の一部を代行することで財務レバレッジを上げていた企業も多かった。しかし、1990年代には企業業績の悪化によりリスク許容度が下がり、資産運用環境の低迷によりキャッシュ・コストが増大した。退職給付会計の導入により、思いもよらぬ多額でボラティリティの高い負債を認識することとなった。今や、確定給付型の退職給付制度は高確率&高インパクトのリスク、企業によっては引き受けるべきではないリスクとして認識されている。財務のスリム化の過程で、多くの企業が退職給付に関するリスクの一部を従業員に転化した。代行返上や確定拠出年金への移行など、最近の退職給付制度の変更における主要なドライブは、人事的な観点よりも財務的なリスクの低減だ。米国・英国でも多くの確定給付型の企業年金基金が、年金資産運用の不振や会計基準の変更を受け、新入社員の適用除外、現存従業員に対する将来給付を確定拠出型へ切り替えている。アジア諸国でも同様に、国内会計基準や法制の変更を受けた確定拠出への動きを見ることができる。しかしながら、日本の法制とは異なり、従業員が確定給付型制度において獲得した給付に関するリスクを低コストで移転できないケースが一般的である。英国におけるノン・インシュアード・バイ・アウトでも、IAS19ベースに対して2割程度のコスト・アップが必要なようだ。コストの増加、財務リスクの低減に関して、全社的な観点から適正なバランスを探る必要がある。

3. 退職給付に関するリスク・マネジメント

 企業におけるリスク・マネジメントは洗練され、高度な分析が可能となっている。金融機関のみならず、多くの企業において戦略目標を踏まえたリスク管理方針を明確に設定し、リスクを適切に管理し、コントロールすることが経営上の重要課題の一つとして認識されている。退職給付に関するリスクもこの枠組みに落とし込む必要がある。確定給付型の退職給付は長期にわたる約束事であり、そのリスク・マネジメントにあたっては、理解すべき年金法制や会計基準、参照すべきパラメーターが多い。事実、確定給付企業年金法においては、積立基準、受託者責任、情報開示等に関する統一的な基準が導入されている。企業会計においては、コンピュータ技術の発展に伴い、かつては実務的に困難と考えられていた数理計算に基づく負債認識が義務づけられている。そして、これらの基準は環境の変化に伴い改定され続けるものである。
 少々とっつきにくい面があることは否定しないが、決して特別なものではないと思いたい。まずは、退職給付に関するリスクを適切に管理できなかった場合にどのようなことが起こりうるか、図2のようにまとめてみた。

図2

図3

 専門家を活用しつつ、退職給付の提供に伴うリスクがどのような要素から発生するかを洗い出すことが第一歩だ。この中には、債務評価で用いる計算基礎率の設定に対する内部統制上の問題点の把握も含まれる。実際に採用された基礎率の妥当性のみならず、その設定手法は会計基準や全社的な統一手法から逸脱していないか、選定プロセスは意思決定の基礎としたマーケット情報とともに記録されているかなど、年金負債の土台となっている部分の検証を行う。その上で、図3のように実際にリスクを定量化する一方、定性的な面での検証をあわせて行う。例えば、確定給付型の社外積立制度に対しては、積立不足に対するバリュー・アット・リスクを測定することで、金利やインフレーション、アセット・アロケーションが財務諸表に与える影響を把握することが可能だ。そして、人口統計的な要因における悲観的なシナリオが発生した場合の債務の増加額を考慮し、主に制度設計に起因する財務諸表への影響を加味する。ここで忘れてはならないことは、他のビジネス・リスクを測定する際に用いた経済・金融シナリオ等との整合性と、連結対象企業間での一貫性を持たせることだ。リスクを評価するにあたっての前提条件が統一されていなければ、マテリアリティを評価することができない。

 多国籍企業であれば、このような調査を海外拠点のすべてに対しても実施する必要がある。どのようなベネフィットが提供されているかを把握し、社会保障制度との関係、各種法令やマーケット・プラクティスを理解した上でリスクの発生要素を洗い出す必要がある。確定拠出型だけで退職給付制度を提供している場合であっても、給付水準や法令順守など、留意すべきことは少なくない。調査の最初の段階からローカルに対して大量の資料の提供依頼を実施したり、細部にわたった詳細な質問表を送付すると、ローカルサイドでは何が求められているかを理解できず、結局重要な情報が漏れてしまうことがある。まずは包括的な内容を記載したリストを提示し、現地の専門家と連携しながらフォロー・アップ・ミーティングなどを通じて必要な情報を引き出す手法が効果的だ。

 次に、年金コミッティーなどを設立し、人事・財務・リスク管理部門などの関係者がタッグを組んで課題に取り組み、最終意思決定者にレポートできるような組織体制の構築が必要だ。リスク管理担当者への情報収集機能を整備し、定期的に顕在化しているリスクのモニタリングを行う一方、潜在的なリスクへの対応策を検討する。ここでも言語のバリアやコモン・プラクティスの違いが、専門的な理解の障壁となるかもしれない。グローバルで事業を展開している人事コンサルティング・ファームのベネフィット・インベントリー・サービス等を活用してはどうか。情報収集や更新の効率性を高め、戦略決定のためのリソースを十分に確保することが可能だ。

 最後に、M&Aなど、企業の成長戦略を策定・実施する過程で退職給付制度の再編を含めたベネフィットに関する問題が大きくクローズアップされる機会は少なくない。プロアクティブな対応が行えるよう、あらかじめベネフィットに関するグローバル・ポリシーやガイダンスを設定しておくことが重要だ。どのようなベネフィットの提供が望ましいかを明らかにしておくこと、制度変更などを実施する際の意思決定プロセスを透明化しておくこと、マテリアリティを考慮した上で責任・権限を明確化しておくことなどが求められる。場合によっては、企業文化を変えていくことも必要になろう。

4. アジアの退職給付制度

 当社出版のAging Workforce(TM) 2006 にてレポートしているように、アジア諸国でも少子・高齢化の波が押し寄せている。労働力不足、社会保障やベネフィット・コストの上昇が大きな懸念として認識されている。熟練労働者が減少する中、いかに労働生産性を上げていくかは人事部門における今後10年間での最も重要なチャレンジの一つではないだろうか。アジア先進国の企業は、少子・高齢化への対応策として、定年年齢の引き上げとあわせて従業員に対するトレーニング、能力開発がカギになると考えている。その一方で、インドは高い不完全雇用と失業率に苦しんでおり、労働参加率の向上が重要課題とされている。また、中国ではアジアの発展途上国内で最も高齢化が早く、製造業が占める割合が高いがゆえに、テクノロジーの採用が労働力不足への主要な対応策であると考えられている。このように、各国が現在置かれている状況は様々ではあるが、持続可能な社会保障制度の構築が急速に重要な政策課題となっている点では共通している。

東南アジア諸国
 かつてはイギリス植民地であったシンガポールやマレーシアでは、労使双方の拠出によるプロビデント・ファンドと呼ばれる個人勘定の貯蓄積立制度が老齢給付のベースとなっている。シンガポールのCentral Provident Fund、マレーシアのEmployees ProvidentFundについては、1人に対して複数の個人勘定が用意されており、老齢給付に加えて、住宅取得支援、医療給付等も目的として積立が行われている。インドネシアでも同様にプロビデント・ファンドが老齢給付のベースだ。一方、タイでは最終60カ月平均賃金の15%(上限15,000TB)を毎月支払う老齢給付年金に加え、強制的なプロビデント・ファンドを2007年に導入する予定であったが、現在の政治情勢からは、2008年内の実施も困難と見られている。なお、タイやインドネシアなどには、労働法に基づく強制的なセバランス・ペイ制度がある。これらはFAS87/IAS19の対象となる点に留意が必要だ。

 老齢給付の上乗せプランのマーケット・プラクティスを見てみよう。上乗せプランを提供している事業主は、マレーシア、タイ、インドネシアで全体の40〜50%程度、シンガポールでは10%未満となっている。強制プランの給付水準は引退後の生活を十分にカバーできるものではないという認識が一般的であるが、現状としては、この程度にとどまっている(以上、当社サーベイに基づく)。
 マレーシアでは、設立件数で見た場合、現在では確定拠出型のほうが確定給付型よりも多いようだ。上乗せプランを提供している企業のうち、約40%が確定給付型の一時金制度、残りがプロビデント・ファンドにプラスアルファの事業主拠出を行うことで対応している。プロビデント・ファンドはポータビリティが確保されており、退職率の高い金融、ハイテク企業で多く採用されている傾向がある。B/S上に認識すべき負債の削減を目的として確定給付型の制度を閉鎖し、プロビデント・ファンドへの上乗せ拠出に切り替えるケースは最近のトレンドとして挙げられる。なお、マレーシアでは年金給付よりも一時金給付が一般的だ。
 タイでは圧倒的に任意プロビデント・ファンドに基づく一時金制度が主流であり、労使双方の拠出により積立が行われている。
 インドネシアでは年金法1992と労働法13/2003がマーケット・プラクティスに大きな影響を与えている。確定拠出型の制度を導入することで労働法13/2003に基づく強制的なセバランス・ペイ制度に関する責務を相殺することが可能であること、B/S上に認識すべき年金負債を削減することが可能であることから、確定拠出型への移行が増えているようだ。
 シンガポールでは、上乗せプランの提供は現在のところコモン・プラクティスではない。企業の競争力維持の観点から、1999年以降、CPF掛金は引き下げられている(ただし、2007年7月から拠出率の1.5%引き上げを実施)。財務の視点だけから見ればシンガポールでの退職給付制度運営に関して特段の悩みの種はないであろう。しかしながら、CPFは十分な引退後給付を提供していないという認識が一般的であること、シンガポールは香港等と並び高齢化のスピードが非常に速い点に留意が必要だ。中長期的には、人事的な観点から確定拠出型の上乗せプランの提供と、それに伴う年金コストの増加に関して検討する必要があろう。

図4/ASEAN Retirement Benefit

中国
 中国における引退後所得保障制度における最終的なゴールは、公的年金制度、職域年金制度、個人貯畜制度の3階建てにより運営することだ。ただし、3階部分にあたる個人の自助努力に対する環境は、現段階では整備されていないという認識が一般的である。1階部分は養老保険制度と呼ばれる社会保障制度で、1997年のDocument No.26 に基づき、現在では積立方式と賦課方式の混合型に基づいて運営されている。従業員拠出は個人口座へ振り込まれ従業員自身の将来の給付に充てられる。事業主拠出はかつて個人口座と社会プールに振り分けられていた。しかしながら、2006 年以降、Document No.38 により事業主拠出の全額が社会プールへ振り込まれることとなり、引退世代への給付財源として使われている。2階部分の職域年金制度に対しては、2004 年に企業独自の上乗せプランの枠組みとしてEnterprise Annuity と呼ばれる制度が導入されている。Enterprise Annuity はMoLSS(Ministry of Laborand Social Security)の認可により設立され、トラスティの形態に基づいて運営される。中国版401Kプランと見られることが多いが、転職の際のポータビリティの充実など、改善すべき点は多い。事業主拠出(前年給与の1/12を限度)に加えて、従業員拠出(事業主拠出とあわせて前年給与の1/6を限度)が可能だ。受給権の付与方法に関して、法令上、特段の制約条件はなく、従業員のリテンションを意識した制度設計が可能となっている。
 中国は世界で最も難しい労働市場の一つであるといわれている。中国の国内企業は、競争力を高めるにつれて多国籍企業間の優秀人材の争奪合戦に参戦するようになっている。中国の従業員は、自分たちの給与やベネフィットに満足していないという当社サーベイ結果がある。ワーク・ライフ・バランスの是正を求めた転職は低く、高い給与と出世を求めて転職するケースが非常に多いようだ。労働市場が激しさを増す一方、中国が抱える大きな課題の一つとして、高齢化が急速に進展する中、社会保障制度の整備を同時進行で行わなくてはならない点が挙げられている。引退世代に対する給付財源問題の更なる深刻化や、それに伴い、2階部分の企業独自の上乗せプランに対して期待が高まる可能性がある。これらを踏まえて、報酬制度全般のマーケット・プラクティスの動向を引き続き注視する必要があるだろう。

5. むすび

 日本版SOXの導入により、財務報告に係る内部統制を構築し、財務報告の信頼性を確保するための体制を従来以上に万全にする必要がある。退職給付制度を含むベネフィットに対するリスク管理や統制は重要なポイントの一つだ。この点では、欧米の多国籍企業のほうが進んでいると言っても過言ではない。貴社における退職給付度運営に関するリスク管理手法や体制に関して、改めて検証実施してみてはいかがであろうか。

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●渡辺孝 わたなべたかし/第一生命保険相互会社、マーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティング会社を経て、2007年ワトソンワイアット株式会社に入社。主に外資系企業の退職金・年金制度コンサルティングを担当。日本アクチュアリー会正会員、年金数理人。早稲田大学理工学部数学科卒。

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