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M&Aと人材リスク・マネジメント
ヒトのデューデリジェンスとポストM&Aマネジメント
 

 

片桐 一郎

はじめに

 M&Aがブームである。しかしM&Aの70%は失敗するといわれる。その原因はいろいろあるだろうが、M&Aの後のヒトのマネジメントが一つの要因である。本稿は主に事業会社のM&Aを対象にして、M&Aのリスク・マネジメントをヒトの面から検討する。

1. M&A の価値

 M&Aの価値は、買収した各社をリスク・リターン軸で表されるボードの上にちりばめることでは生まれない。このような財務ポートフォリオ上だけでの散布を考えたM&Aでは価値が生まれないということは、20年前にマイケル・ポーター教授の分析によって証明されている。
 価値を高めるのは、買収した会社が自社の様々なアセットと組み合わされてシナジーを生み出す場合である。その際のシナジーは買収企業と被買収企業の、事業プロセス(顧客を含む)や、事業プラットフォーム(システムなど)を共通化したり、共有化しつつ新たな事業プロセスを垂直統合して進化させたりすることで生まれる。
 この価値向上を妨げるのがリスクであり、M&Aに関わる様々なステークホールダーへの対応がリスク管理上必要となる。
 図1 は、上場している事業会社が上場子会社のAを通じて、同じく上場している事業会社の子会社B社を買収する場合に、関与するステークホールダーを示している。相互の株主、経営チーム・社員だけでなく、組合、年金基金、取引先、銀行など多くのステークホールダーがあることがわかるだろう。
 実際のM&Aではその企画から価値精査(デューデリジェンス)、交渉、ディール成立、ポストM&Aの各段階でそれぞれのステークホールダーの利害を踏まえたマネジメントを的確に行い、しかもそれぞれへの説明責任を果たさないと、M&Aの失敗の一因となるリスクがある。

図1/M&Aのステークホールダー

 図1の色付き部分は、ステークホールダーの中で人材マネジメントの巧拙がM&A成功いかんに大きく影響する部分である。
 以下、これらの人材マネジメントとリスクについて述べる。

2. M&A 開始時のリスク

HRデューデリジェンスの難しさ
 M&Aの候補企業に行うデューデリジェンス(以下、DD)で、事業価値や各種資産価値、各種契約の法的チェックに比べて、ヒト関係のDDにはあまり力を注いでいないケースがある。しかし、ヒトの問題を見逃すとポストM&Aでその問題が火をふく可能性があるので、HR(人材)のDDもしっかり行っておきたい。
 図2は、HRDDにおける基本的な作業である。様々な制約条件がありすべてが実行できるとは限らないが、できるだけ前倒しでターゲット企業の人事制度の理解、ポストM&Aの自社グループへの統合について最初の段階であたりをつければつけるほど、ポストM&Aでの人材リスクは抑えられる。
 注意すべきはターゲット企業の経営チームのモラルハザードである。ある会社では買収話がもちあがったとたん、役員慰労退職金の増額が役員会で決議された。自家製ゴールデンパラシュートである。
 また、ある会社では1月時点でHRDDを行い、6月にM&Aを行ったところ、管理職の数や社員の給与が1月時点に比べて大きく増えていたことがあった。これは4月の定期人事昇格、昇給の基準が突然やたら甘くなった結果であった。その原因はM&Aによって統合が行われるのが明らかなので、少しでも自分たち仲間の立場を優位にしておきたいという経営者の「親心?」であったようだ。普段は固定費増加につながる安易な昇給や昇格は許さない役員でも、M&Aのような特殊要因だと先が見えなくなってしまう行動の例である。
 これはポストM&Aの段階になって、相手側との信頼関係を損なったばかりか、統合会社がヒトの固定費アップで苦しむことになったケースである。昇格や昇給といった人事の季節にまたがるM&Aは注意が必要で、HRDDのときにきちんと状況を把握し、契約条件に入れておくべきであろう。

退職債務のHRDD
 HRDDで必ず詳細な調査をすべきものは、大きな財務インパクトを与える退職債務である。
 中高年の多い日本の会社では社員1人あたり1,000万円の債務は普通であり、1,000人の会社で債務が100億円になる。これが債務の見積もり方法によって何億円も変動するケースがあり、金額交渉の重要な論点になるのだ。
 この論点としては、債務の割引率の設定や親会社からの分離に伴う債務の配分などがあり、双方が専門的な意見を交渉時に戦わせる。会社分割による再編にからんだ子会社の買収などでは、複雑に入り組んだ退職債務と資産の査定が大きなポイントとなる。日本的な「互いに誠意を持って協議する」といったあいまいな取り決めは、M&A後に発生するキャッシュフローに問題を起こす。
 海外企業が買収元になるときには、DDでの退職債務の親・子会社の処理で、日本的な債務や資産の分配にクレームをつけ、合理的な説明を過去の積立・債務の処理まで遡って請求することがあった。その結果、何十億円も交渉価格が変動したこともあった。
 関与するステークホールダーが多いM&Aでは、退職債務のDDを行わないとリスクは高まる。

図2/HRデューデリジェンス

3. ポストM&Aのリスク

経営チーム統合のリスク
 HRDDを行い、交渉を乗り切りM&Aは成立しても、本当の試練はポストM&Aから始まる。異なる文化やDNAを持つ組織が一緒になるので、様々なリスクが発生し、その対応が迫られる。
 それらを、ヒトのステークホールダーで見てみよう。まず一番重要なのは、新しく統合された経営チームに信頼感が生まれることだ。日本企業同士でも、相互の理解が進まなかったり、買収される側でも意思統一が図れず、統合後の意思決定がうまくできなくなったりする。
 特に外国企業に買収されると、自分の軸足を見失い、マネジャーとしての機能を果たせないばかりか、ポストM&Aの価値創出にブレーキとなってしまう役員や幹部が見受けられる。そういう人々の特徴は言葉の壁だけでなく、ビジネス上のあらゆる考え方のギャップを感じて、「日本は特殊だ」と言って相手への説明を打ち切ることだ。
 しかしそこで説明を打ち切るのは相互に不信を残すだけだ。説明能力が不足しているために、相互不信が増大して経営がうまくいかない事例は多い。説明放棄はクロスボーダーのM&Aでは致命的になる。これは通訳の問題ではない。この不信が株主として旧取締役の解任やM&A後のマネジメントチームの仲違いにつながるのである。

労組リスク
 労組の取り扱いも重要な項目の一つである。買収会社に組合があり被買収企業に組合がない場合は、組合も拡大することが自然であるが、その逆の場合、買収企業は組合がないが被買収企業に組合がある場合は微妙である。企業は従業員が組合を結成する権利に干渉できないので、被買収側の組合が買収企業社員への組合参加を勧誘することは妨げることは難しいものの、ある種の「節度」を保ちたい。そのためにきちんとしたコミュニケーションを行い、従業員の節度ある判断を助けるようにはすべきであろう。
 双方に組合がある場合は、組合同士もデューデリジェンスをして統合プランを考えるのが望ましい。
 最後に、両方ともに組合がない場合は、組合がない、ということに落ち着くのが普通であるが、あるアパレルのSPA(製造小売業)の会社では、統合後のヒトの処遇に不満を持った人たちが組合を結成して会社に対抗する騒ぎになり、しかも店長が組合員となったので問題が大きくなってしまった。これは統合後の人事処遇(評価や報酬や労働時間の扱い)があるグループ(たいてい被買収側だが)に不公平と感じられるときに発生するので注意すべきである。

4. 社員の統合のリスク

コミュニケーションリスク
 ポストM&Aのマネジメントの成功要因は、社員が納得し、共感することにあるのは明らかである。そのために社員に対するコミュニケーションが重要だが、いつまでに何を統合するかの判断が難しい。
 社員のExpectation Controlのため、伝える内容、タイミングをよく練りたい。コミュニケーションのタイミングが特に重要である。ポストM&Aの内容を早く社員に伝えたほうがよいのは当然だが、HRDDの段階では、どのように人事制度が統合されるかは明らかでないことが多い。
 しかし、あまり社員を待たせすぎると悪影響が出る。デマ(間違った情報)の伝わる速さは、「関心の高さ」と「あいまいさ」の積に比例するといわれるので、ポストM&Aのヒトの処遇があいまいなままだと間違った情報で人心が動揺する。明快なメッセージを初めから出すことが望ましい。

相互の人事制度の理解
 社員に伝えるメッセージの核となるのは統合人事制度である。人事制度はそれぞれの会社で歴史的な積み重ねがあり、簡単に最大公約数を統合できるものではない。
 特にクロスボーダーの買収では、互いの思想と文化の違いについて考察し相互理解を深めることが重要だ。
 欧米企業が伝統的な日本企業を買収して一様に驚くのは、「なぜ日本企業はこのように複雑な人事制度で運営されているか」ということである。給与を見ると、基本給(本人給)、能力給、役割給と三つに分かれ、それぞれに金額を決める基準が決まっているのが伝統的な日本企業であるが、なぜシンプルな仕事ベースの年俸でいけないのか、というのが最初の疑問である。
 次に抱く疑問は、日本の賞与が本当のボーナスではないという点である。彼らのボーナスは会社の業績によって大きく変動する業績連動型がほとんどで、伝統的日本企業のように固定分があるものは理解しにくいようである。日本企業でもここ10年の成果主義人事制度の浸透によって業績変動賞与の比率は増えたものの、まだ欧米の成果主義の常識とはかけ離れた事例も散見される。

複雑さに対する文化的見方
 伝統的日本企業の複雑さに驚く海外企業だが、かといってシンプルな成果主義を買収した会社に導入すればうまくいく、というほど単純に考えているわけではない。
 私見であるが、日本企業が見てくれは複雑な人事制度を好むのは、八百万(やおよろず)の神を信じる心情と無縁ではないのではないか。「自分は多くの神様に見てもらえている」。そのために複雑な評価シートほど、多様な見方が入っていて納得しやすいと感じるのではないか。
 一方、欧米は目的適合性のない複雑性は無駄でしかないと感じるようだ。結果で評価するのが当たり前で、プロセス(成果を出すために採った行動)をコンピテンシーなどで緻密に評価する日本流のやり方に違和感を覚えるようである。シンプルさを好むのは一神教の影響かもしれない。
 やや脱線したが、M&A後の統合人事制度構築は、片方の押しつけによって強制するよりも、双方が理解できる考え方に基づくべきである。ポイントとなるのは、ヒト軸と仕事軸のどちらにウェイトを置くかであろう。

ヒトから仕事軸に
 日本企業は一般的に長い目をかけてヒトを選抜する仕組みを採っている。したがってM&Aで他の企業と一緒になった場合、相手に理解されにくいヒトの評価の仕組みになっていることが多い。一方、仕事軸は、職務分析の手間はあるものの、相互に納得する基準を作成するのは比較的容易である。
 したがってポストM&Aの統合では、ヒトの軸より仕事の軸でヨコ串を通すほうが有効に思える。すでに製薬会社の統合では、職務を軸に親組織とポジションを再評価した事例がある。
 これからはM&Aで統合した組織を仕事軸で再評価して、報酬体系を統一する場合が増えてくるであろう。ただし精緻な職務分析をしていると、統合効果を出すのに必要なスピードが失われる。わかりやすく納得性の得られやすいシンプルな職務評価のツールが求められる。手前味噌だが弊社のGGS(Global Grading System) はこのようなM&A後の統合に最適なツールと自負している。
 また、すべての社員を職務でくくるのではなく、管理職は職務中心、一般社員はヒト(コンピテンシーなど)中心というようにハイブリッドにするのが適している場合もある。相互の組織文化や統合戦略を配慮した、注意深い人材マネジメントの設計が必要である。

文化を統合しないリスク
 かつての新日鉄は日本的なメガ合併の成功モデルだが、人材面ではその発祥で八幡製鉄と富士製鉄系列があり、どちらの出身かを管理するのが組織管理上重要なポイントであった。
 あるポジションを双方の出身者が順番に占める「たすきがけ人事」という言葉も生まれ、こうした方法が組織の融和とバランスを保つのに役立ったという。また、合併後も新入社員は最初に配属された部署が旧八幡か旧富士かで色分けがされていたという。
 こうした人事は日本的な美的秩序の表現でもあった。しかし鉄鋼業界もJFEに代表される再編、ミタルスチール社を脅威とした買収合戦によって、日本的秩序はもはや維持できない状況になっている。
 グローバルな成長のためには、買収するにしろされるにしろ、相手と一体となった強い文化を生み出してグローバルに事業を成長させねばならない。社内に様々な文化が共存することは弱みになるリスクがあるだろう。

5. おわりに

 M&AのデューデリジェンスからポストM&Aまで俯瞰してみると、ポストM&Aの人材マネジメントがM&Aのリスクを抑え、リターンを上げるのにカギとなっているように思える。「ヒト」は永遠の課題であり、これからもM&A で多様な支援を行う所存である。

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●片桐一郎 かたぎりいちろう/コマツ、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経てワトソンワイアット株式会社入社。戦略・組織・人材を一体ととらえた21 世紀型企業モデルの実現に向け、海外を含むクライア企に対し幅広いコンサルティンを行っている。M&A や企業再生にも参画。研究所活性化のような創造型組織モデルへの変革を持続的に実施。著書『ひらめく人を咲かせる組織』(日本経済新聞社、2003 年12月)。東京大学工学部卒。スタンフォード大学工学部大学院修士課程修了。

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