パブリックセクターのリスク・マネジメント
リスクを元から断つ発想の必要性
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杉浦 恵志
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変革の焦点を、制度からヒトに切り替える
パブリックセクターの代表的なリスクは、ムダで非効率、期待したほどの成果を挙げられない事業面の問題と、情報の漏洩や操作、瑕疵の隠蔽といった情報管理面の問題である。これらの原因は、@官民癒着のしがらみによる関係性リスク、A過度な組織防衛本能が働く組織リスク、B担当する職員の能力が伴わない能力リスク、C能力はあっても不注意や怠慢、メンタルの問題などによって不祥事が生じる心理リスク、などに整理される。
中でも世間の関心が大きいのは、関係性のリスクである。独立行政法人化(以下、独法化)や天下りへの制約は、このリスクへの対応として実施されてきた。天下りの問題がある限り、ファミリー企業や独立行政法人との関係が切れず、ムダな仕事を作り出し非合理な契約がまかり通る。したがって、天下りを禁止して独立行政法人の存在意義を見直し、随意契約から競争入札に転換する。と同時に、天下りがなくても魅力的なキャリアと生涯賃金とを保障するために、専門職として定年まで勤め上げることのできる複線型人事を導入し、報酬制度を成果主義的にしてアメとムチで変革を迫っている。
確かに関係性のリスクは大きな問題に違いないが、しょせん役所を辞める人や出世競争で敗れた人の話である。独法化は、競争の圧力がなければ取引の継続を妨げるものではないし、別組織として見せかけのガバナンスが複雑になった分、間接コストが肥大化する現象が生じている。また、競争入札でコスト削減を図った結果、品質に悪影響が出ることも少なくなく、制度面の改革だけでリスクを防止するのには限界がある。むしろ職員の一人ひとりがしっかりと判断を下していけば、問題はずいぶん軽減されるのではないか。つまり、制度ではなくヒトに、変革の焦点をシフトすべきである。
幹部公務員の意識を全体利益に広げる
先に進む前に、国におけるセクショナリズムの問題に触れておく必要がある。日本の議院内閣制においては、各省庁が独立性を維持しやすく、省庁としての権益確保に引きずられ国全体のことを考えていないという意見がある。内閣官房や内閣府のような横断的な組織はあるが、眼前に迫った調整や長期的な方向性の提示といった性格が強く、敏感な課題は慎重に排除され、実務に落とし込む段階で当初の問題意識が希薄化してしまう。
省庁再編はセクショナリズムへの対応であったはずだが、うまくいかなかった。形式的な「器」を変えても、シナジー創出やコスト削減などの目標が明示されず、異なる人事系統が温存されて幹部が一つになりきれなかったからである。民間企業で成功した合併では、事前に目指す成果を明確にした上で、トップが先んじて緊密なチームを結成する。そして、それぞれの所属会社からのしがらみを断ち切り、新会社の役員としての判断に徹することによって、他の社員に模範を示すのである。
これ以上の省庁再編は各省庁を肥大化させ、規模の不経済が再編効果を上回るようになるであろう。むしろ、韓国などで先行的に導入されている上級公務員制度のほうが、セクショナリズム克服の決め手となりうるのではないか。この制度においては、各省庁の幹部を前任者が指名するのではなく、客観的なアセスメントを経て高度なマネジメント能力を確認された人材プールの中から任命される。高度なマネジメント能力さえ確認されれば、民間出身だろうが他省庁の人間だろうがかまわない。
上級公務員制度に対しては、外部からの任命に関連して、専門ノウハウや立法府とのネットワーク不足、政治的な任免などを懸念する声がある。しかし、重要なのは外部の血を入れるということではなく、マネジメント能力が客観的に評価され、任命後も公開された業績目標の達成度によって契約が更新されることである。すなわち、省益確保のために合意を形成する能力ではなく、国益の実現に向けた総合的なマネジメント能力が問われることになる。
マネジメントをサイクルとして運用する
地方公務員の場合、首長の下に組織が統括運営されていること、部門間のローテーションも少なくないことなどの理由で、国のようなセクショナリズムが起きにくい仕組みになっている。ところが、別の意味でのセクショナリズムが確認されている。それは、企画と執行、検証の各機能がばらばらに運営され、マネジメントサイクルとして一体的になっていないということである。
具体的には、企画を担当している職員は、主に法令要件の充足や計画間の調整などを意識しているが、できた計画がどのように実行され、実際に期待された成果を出しているかということには関心が薄い。現業部門は、計画や制度の確実な実施運用に励んでいるが、事業環境やニーズが大きく変わったときの方針転換が困難である。また、検証部門は報告書や決算の体裁を整えることに熱心で、評価内容は各部門の自己評価を追認することが少なくない。しかし、評価は次年度以降の事業見直しや事務の改善、新たな企画などに反映されなければ意味がないのである。
公務の意義や職員像を、環境変化に合わせる
事業の見直しは、実は職員の能力・心理リスクの問題にも密接に関わっている。行政評価や人事考課の導入が進んだ結果、職員の意識が、評価の難しい定性的な成果よりも、与えられた職務の忠実な実施に集中するようになった。専門的な言葉で表現すれば、「アウトカム」よりも評価しやすい「アウトプット」を強く求められるのである。しかし、常に同じアプローチで望ましい結果が出るとは限らない。求めるアウトカムが同じでも、対象者や事業環境は千差万別である。アウトカムを目指すからこそ工夫の余地が生まれ、その工夫によって判断力が高まり、必要な力が開発されていくのである。
また、最近では民間の営利企業や非営利の団体がパブリックな仕事を担当することが増えてきた。官民の境目があいまいになってきており、公共サービスが役所の領域になるとは限らない。一方、公務員には金銭的な動機よりも、社会的な貢献がしたくて入庁する方々も多い。そのような職員が、実は同じ社会貢献分野を民間でもできる、しかも民間のほうがより効率的に効果的にできると悟ったとき、あたかも自己否定されるような衝撃を受けるのではあるまいか。単調な仕事に忙殺される日々を過ごす中で、真面目な方ほど自らの存在意義を疑問に感じたり、燃え尽きて「もうどうにでもなれ」と感じることもあるかもしれない。
どんなに能力が高くても、やる気がなければその能力は発揮されない。過去に認められていた人が途中からやる気や能力を失っていくのは、人間関係や目的意識の欠如に起因することが多い。人間関係の悪化も、本を正せば仕事自体にやりがいが感じられず、攻撃的なエネルギーが内向きに放出されたためとも考えられる。だとすれば、将来に向けパブリックセクターにしかできない仕事とは何かを突き詰め、必要なリソースや能力を獲得しなければならない。パブリックセクターにしか提供できない価値は、意外に多く見落とされているかもしれない。
人材育成の「場」として仕事を見直す
パブリックセクターのリスク・マネジメントでは、仕組みや制度の問題にとどまらず、行政の存在意義まで遡って見直すことが不可欠である。ワトソンワイアットの提供する評価者研修では、能力は場が与えられ、やる気があって初めて発揮されるものと考える。管理職にとって重要なのは、評価のテクニックよりも、部下に場を与えやる気を刺激して、新たな能力の開発や発揮につなげるアプローチである。したがって、参加者に対し部下の能力開発を刺激する仕事を創出できているかどうか、確認するグループ討議を設けている。
しかし、身内による見直しでは甘えも出てくるであろう。最近筆者は、政策日本の主催する「事業仕分け」の現場に同席する機会を得たが、この仕分けはまさに、実施されている事業が本当に必要なのか、民間や他の公的機関( 基礎的自治体であれば、国や都道府県)よりも効果的に実施できる のか、周辺自治体の職員や住民の立場で事実に基づき論理的に検証する作業であった。
このような作業は、当の担当者にとってつらいものだが、本人もこんな仕事をしていていいのかと薄々感じているのではないか。今日的意義の乏しい仕事をいやいや、あるいはなんとなくこなすのではなく、本当に価値ある仕事を考え抜いた上でプライドを持って仕事をしたとき、職員の能力は最大限に発揮されるものと信じる。最高のリスク・マネジメントは、「あら捜し」からではなく、事前計画の見直しと用意周到な人材育成から生まれるのである。
●杉浦恵志 すぎうらけいし/英国サセックス大学科学技術政策研究所にて科学技術政策およびR&Dマネジメントを学び、94 年博士号を取得。その後、国際開発センターで途上国への技術移転を、富士通総研でアジア経済や電子商取引の分析を担当。ワトソンワイアット株式会社入社後は、パブリックセクターにおける実力実績評価制度の導入や、外資が資本参加した日本企業における人事制度のハーモナイゼーションなどに従事。東京大学法学部卒。(現アルムナイ)
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